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2020年7月8日水曜日

注意により意識化できる前意識とは異なり、意識化できない「識閾下の状態」が存在する。視覚では50ms内外に閾値が存在し、意識の境界は比較的明確である。識閾下では検出可能な脳活動が生じるが、グローバル・イグニションには至らない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

識閾下の状態

【注意により意識化できる前意識とは異なり、意識化できない「識閾下の状態」が存在する。視覚では50ms内外に閾値が存在し、意識の境界は比較的明確である。識閾下では検出可能な脳活動が生じるが、グローバル・イグニションには至らない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

識閾下の状態
 (1)識閾下の状態と前意識との違い
  前意識の刺激は、それに注意を向けさえすれば意識されるのに対し、識閾下の刺激は、いくら努力しても意識し得ない。
 (2)閾値の存在
  (a)多くの実験においては、可視と不可視の境界は比較的明確である。
  (b)40ミリ秒間表示されたイメージはまったく見えないにもかかわらず、60ミリ秒になると楽に見えるようになる。個人差はあるが、つねに50ミリ秒内外の値をとる。
  (c)閾値に相当する期間だけ視覚刺激を表示すれば、物理的な刺激は一定でありながら主観的な知覚がトライアルごとに異なる。
 (3)識閾下の刺激が意識されない理由
  (a)目に見えないほどごくわずかな時間、かすかにイメージをフラッシュする。
  (b)識閾下の刺激は、視覚、意味、運動を司る脳領域に検出可能な活動を引き起こすが、この活動はごくわずかな時間しか持続しないため、グローバル・イグニションには至らない。
  (c)高次の領域から低次の領域の感覚野に向けてトップダウンにシグナルが戻され、入ってくる活動を増幅する機会が得られる頃には、もとの活動はすでに失われ、マスクに置き換えられている。
 (4)閾値を超える刺激でも、意識されない場合がある:マスキング手法
  (a)マスキングの例
   時間順の刺激 刺激1→刺激2→刺激3 刺激1,3で2をマスキングする手法
   時間順の刺激 図形パターン1→図形パターン2→図形パターン3
        図形パターン2の特定図形をマスキングする手法
   時間順の刺激 刺激1→刺激2 刺激2で1をマスキングする手法
  (b)閾値を超える刺激であっても、識閾下における様々な認知作用と、高次の領域から低次の領域への相互作用によって、意識されない場合があり、識閾下の機能と意識の機能の解明に役立つ。

 「前意識の状態は、われわれが「識閾下の状態」と呼ぶ、別のタイプの無意識とは際立った対照をなす。目に見えないほどごくわずかな時間、かすかにイメージをフラッシュしたとしよう。この場合に生じる状況は、前意識とは大きく異なる。いくら注意を向けても、隠れた刺激は知覚できない。図形に〔時間的に〕前後をはさまれてマスクされた単語に、私たちは気づけない。この種の識閾下の刺激は、視覚、意味、運動を司る脳領域に検出可能な活動を引き起こすが、この活動はごくわずかな時間しか持続しないため、グローバル・イグニションには至らない。われわれのコンピューター・シミュレーションでも、この状況が認識されており、短い活動パルスはグローバル・イグニションを引き起こせなかった。なぜなら、高次の領域から低次の領域の感覚野に向けてトップダウンにシグナルが戻され、入ってくる活動を増幅する機会が得られる頃には、もとの活動はすでに失われ、マスクに置き換えられているからだ。巧妙な心理学者たちは、グローバル・イグニションが一貫して妨げられるほど弱く短い、あるいは雑然とした刺激をいとも簡単に考案し、脳にトリックを仕掛けられる。「識閾下」という用語は、グローバル・ニューラル・ネットワークの岸辺に津波を起こす以前に、入ってくる感覚の波が消え去る、この種の状況に適用される。前意識の刺激は、それに注意を向けさえすれば意識されるのに対し、識閾下の刺激は、いくら努力しても意識し得ない。これは重要な相違であり、脳のレベルで種々の違った結果をもたらす。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.268-269,高橋洋(訳))
 「多くの実験においては、可視と不可視の境界は比較的明確で、40ミリ秒間表示されたイメージはまったく見えないにもかかわらず、60ミリ秒になると楽に見えるようになる。この事実は、識閾下(閾値より下)、識閾上(閾値より上)という言い方が妥当であることを示す。比喩的に言えば、意識への門戸は、明確に設置された敷居であり、フラッシュされたイメージは、その内側に入れるか入れないかのいずれかである。閾値は人によって多少異なるとはいえ、つねに50ミリ秒内外の値をとる。閾値付近では、人はその期間表示されるイメージをおよそ半分の割合で見る。したがって閾値に相当する期間だけ視覚刺激を表示すれば、物理的な刺激は一定でありながら主観的な知覚がトライアルごとに異なるという、絶妙にコントロールされた状況を実験的に作り出せる。
 意識を意のままに調節するために用いることのできるマスキング技法は、数種類ある。たとえば、攪乱したイメージではさむと、画像全体を完全に不可視にすることが可能だ。その画像に写っているのが笑っている顔や怒った顔であれば、被験者には意識的に認知できない、秘められた情動に関する識閾下の知覚を調査できる(無意識のレベルでは、情動は輝きを放つ)。マスキングの他のバリエーションに、一連の図形をフラッシュし、それらのうちの一つを長期間表示される四つの点で囲むというものがある。驚くべきことに、四つの点で囲まれた図形のみが意識にのぼらず、他の図形ははっきりと見える。四つの点は図形より長く表示されるので、それらとそれらによって取り囲まれる空間は、その位置にある図形の意識的知覚を置き換えて消し去るかのように見える。それゆえこの方法は「置き換えマスキング」と呼ばれる。
 マスキングは、実験パラメータの完全なコントロールが可能で、しかも時間的に高い精度をもって視覚情報を与えられるので、無意識の視覚刺激の成り行きを研究する際の格好の実験ツールになる。最良の条件は、ただ一つのターゲットイメージをフラッシュし、それからただ一つのマスクを表示させることだ。正確なタイミングで、被験者の脳に、精緻にコントロールされた量の視覚情報(単語など)を「注入」する。原理的にこの量は、通常は意識的に知覚できるに十分な程度というものになる。なぜなら、そうすれば後続のマスクを取り除くと、被験者はつねにターゲットイメージを見ることになるからだ。しかしマスクされていると、先行するターゲットイメージはマスクに抑制され、後者だけが見える。ということは、脳内で奇妙な競争が起こっているに違いない。単語のほうが先に脳に入ってきたにもかかわらず、後続のマスクがそれに追いついて、前者を意識的知覚から締め出したと見なせるからだ。一つには、脳が統計学者のごとく機能し、証拠に基づいてどちらのアイテムをとるかを評価している可能性が考えられる。ターゲットの単語の表示期間が十分に短く、マスクが強力な場合、被験者の脳は、マスクのみが表示されているという結論に有利な圧倒的証拠を受け取り、単語に気づかないのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.61-62,高橋洋(訳))
(索引:識閾下の状態,閾値,前意識,グローバル・イグニション)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2020年7月7日火曜日

既にコード化が完了し、注意によってアクセスされれば意識化される「前意識」と呼ばれる無意識状態が存在する。前意識は、朽ちていく前の短時間ならアクセス可能で、意識化されたとき、過去の事象を振り返って経験させる。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

アクセス可能な前意識

【既にコード化が完了し、注意によってアクセスされれば意識化される「前意識」と呼ばれる無意識状態が存在する。前意識は、朽ちていく前の短時間ならアクセス可能で、意識化されたとき、過去の事象を振り返って経験させる。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(4)、(5.2)追記。

(4)アクセス可能な前意識
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
 (4.1)知覚のコード化は終わっている
  情報はすでに発火するニューロンの集合によってコード化され、注意の対象になりさえすればいつでも意識され得るが、実際にはまだされていない状態にある。
 (4.2)前意識(ジークムント・フロイト(1856-1939))
  「プロセスのなかには、(……)意識されなくなっても、再度難なく意識できるものもある。(……)かくのごとく振る舞う、すなわち意識的な状態といとも簡単に交換可能な無意識的状態はすべて、〈意識にのぼる能力を持つ〉と、もしくは〈前意識〉と記述すべきだろう」
 (4.3)アクセスされない知覚情報
  (a)前意識の情報は、私たちがそれに注意を向けない限り、そこでゆっくりと朽ちていく。
  (b)慣れによって意識されない表象
   慣れによって、その印象に新鮮な魅力がなくなって、我々の注意力や記憶力を喚起するほど十分強力ではなくなり、感覚されなくなることがある。(参考:我々の魂の内には、意識表象も反省もされていない無数の表象と、その諸変化が絶えずある。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

 (4.4)遅れてアクセスされた知覚情報
  (a)短期間なら、朽ちてゆく前意識の情報は、回復して意識にのぼらせることができる。その場合、私たちは過去の事象を振り返って経験する。
  (b)意識されない表象の記憶
   注意力が気づくことなく見過ごしていたある表象が、誰かが直ちにその表象について告げ知らせ、例えば今聞いたばかりの音に注意を向けさせるならば、我々はそれを思い起こし、まもなくそれについてある感覚を持っていたことに気づくことがある。(参考:我々の魂の内には、意識表象も反省もされていない無数の表象と、その諸変化が絶えずある。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

(5)アクセス中の表象としての意識
 ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。

 (5.1)意識の劇場(イポリット・テーヌ(1828-1893))
  人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くに従って広くなる舞台に譬えられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。背後に控える演者は姿がぼやけ、舞台裏や脇には見えない無数の演者が控えている。(イポリット・テーヌ(1828-1893))

 (5.2)グローバル・ワークスペース理論(バーナード・バース(1946-))
  (仮説)意識されない無数の心的表象のうち、目的に合致したものが選択され、グローバル・ワークスペースと呼ばれる特殊な神経領域に保管される。このとき、情報は意識化され、様々な脳領域で利用可能な状態となる。(バーナード・バース(1946-))
  (5.2.1)グローバル・ワークスペース
   グローバル・ワークスペースと呼ばれる特殊な神経領域が存在する。
  (5.2.2)意識されている情報
   引き起こされた活動が伝播し、最終的にはグローバル・ワークスペースを点火する。このとき、その情報は、意識化される。
  (5.2.3)意識されない情報
   その情報は、グローバル・ワークスペースを点火しない。
  (5.2.4)情報の広域化機能
   (i)ここに保管されている情報は、様々な脳領域において利用可能な状態となっている。
   (ii)すなわち、意識とは、脳全体の情報共有にほかならない。
  (5.2.5)ワークスペースの抑制機能
   (a)ワークスペースのニューロンには、現在の意識の内容を限定し、それが何では「ない」かも知らせるために、強制的に沈黙させねばならないものもある。
   (b)活動を抑制されたニューロンの存在は、二つの物体を同時に見たり、努力を要する二つの課題を一度に遂行したりすることを妨げる。
   (c)二番目の刺激が入ってこないよう、周囲に抑制の壁が築かれる。
   (d)ワークスペースは、低次の感覚野の活性化を排除するわけではない。低次の感覚野は、ワークスペースが最初の刺激によって占められている場合でも、明らかにほぼ通常のレベルで機能する。
  (5.2.6)グローバル・ワークスペースと相互作用する様々な特化した心のプロセッサの例
   (i)対応する外部刺激が途絶えたあとでも、それを長く心に留めておく機能
   (ii)外部刺激を名前と対応づける機能

 「「脳の作用のほとんどは無意識のうちに生じる」という、第2章の主たるメッセージを思い出そう。私たちは、呼吸から姿勢のコントロール、そして低次の視覚から微細な手の動き、さらには文字認識から文法に至るまで、自分が何をしているのか、何を知っているのかに気づいていない。非注意性盲目が生じると、着ぐるみのゴリラが胸を叩く様子でさえ見落とす。私たちのアイデンティティや行動様式は、無数の無意識のプロセッサーによって織り上げられているのだ。
 グローバル・ワークスペース理論は、この混乱したジャングルにいくばくかの秩序をもたらす。それは、メカニズムが劇的に異なる個々の脳領域における無意識の働きを分類する。非注意性盲目では何が生じるかを考えてみよう。それが起こると、意識的知覚が現れる通常の閾値をはるかに超えて視覚刺激が与えられるのに、別の課題によって心が完全に占められているため、それに気づかない。私はこの文章を妻の実家で書いている。それは17世紀の農家で(ヨーロッパの石造建築は何世紀も使用に耐える)、その魅力的な居間に置かれている巨大なホール時計の振り子が、たった今私の目の前で揺れ、時を刻んでいる。しかし本書の執筆に集中していると、時計のリズミックな音は、私の心から消え去る。このように、気づきは非注意性盲目によって妨げられるのである。
 われわれは、この種の無意識の情報には「前意識の」という形容詞を加えて分類するよう提案する。それは待機中の意識を指す。つまり、情報はすでに発火するニューロンの集合によってコード化され、注意の対象になりさえすればいつでも意識され得るが、実際にはまだされていない状態を言う。われわれはこの用語をジークムント・フロイトから拝借した。『精神分析概説』で彼は、「プロセスのなかには、(……)意識されなくなっても、再度難なく意識できるものもある。(……)かくのごとく振る舞う、すなわち意識的な状態といとも簡単に交換可能な無意識的状態はすべて、〈意識にのぼる能力を持つ〉と、もしくは〈前意識〉と記述すべきだろう」と述べる。
 グローバル・ワークスペースのシミュレーションによって、前意識の状態を生む神経メカニズムがいかなるものかを推定できる。シミュレーションに刺激を与えると、それによって引き起こされた活動が伝播し、最終的にはグローバル・ワークスペースを点火する。すると次に、この意識的な表象は、二番目の刺激が入ってこないよう、周囲に抑制の壁を築く。この中枢での競争は避けられない。意識的な表象は、何であるかと同程度に、何では《ない》かによっても定義されると、先に述べた。われわれの仮説によれば、ワークスペースのニューロンには、現在の意識の内容を限定し、それが何では《ない》かを報せるために、強制的に沈黙させねばならないものもある。このような抑制の拡大は、皮質の高次の中枢にボトルネックを生む。いかなる意識ある状態においても必須の部分を構成する、活動を抑制されたニューロンの存在は、二つの物体を同時に見たり、努力を要する二つの課題を一度に遂行したりすることを妨げる。しかしそれは、低次の感覚野の活性化を排除するわけではない。低次の感覚野は、ワークスペースが最初の刺激によって占められている場合でも、明らかにほぼ通常のレベルで機能する。前意識の情報は、私たちがそれに注意を向けない限り、そこでゆっくりと朽ちていく。短期間なら、朽ちてゆく前意識の情報は、回復して意識にのぼらせることができる。その場合、私たちは過去の事象を振り返って経験する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.266-268,高橋洋(訳))
(索引:前意識)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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2018年8月12日日曜日

02.無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識と、無数の潜在的な情報

【無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(4)ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。
 ↑
(3)意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識(preconscious)の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
 ↑
(2)顕著さの度合い、あるいはそのときの目的に応じて、ほとんどは気づきの外で、必要な情報が選択される。
 ↑
(1)私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。

 「コンシャスアクセスは、はなはだオープンであるとともに、過度に選択的でもある。これは次のような意味だ。コンシャスアクセスの《潜在的な》上演目録は巨大で、人は誰でも、いかなる瞬間にも、注意の焦点を切り替えれば、色、匂い、音、記憶の欠落、感情、戦略、間違い、さらには「意識」という用語の複数の意味にも気づける。間違いを犯せば、《自意識的》にもなる。つまり自分の感情、戦略、間違い、後悔が意識にのぼる。しかし、いついかなる時点でも、意識の《実際の》上演内容は大幅に限定される。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない(とはいえ、文章の意味を考えているときなど、一つの思考は複数の部分から構成される「かたまり」でもあり得る)。
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。私たちは、読書を数秒間中断することで、足の位置に気づき、ここが痛い、あそこがかゆいなどと感じる。こうしてこれらの知覚は意識される。だが数秒前には、それらは《前意識》(preconscious)の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかった。つまり無意識の広大な保管庫で眠っていたのだ。これは必ずしも、それらがいかなる処理の対象にもなっていなかったことを意味するわけではない。たとえば、私たちは常時、身体から送られてくるシグナルに反応して無意識のうちに姿勢を変えている。しかしコンシャスアクセスは、心がそれを利用できるようにする。それらは突如として、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になるのだ。」(中略)「ジェイムズの定義は、把握可能な多くの思考の断片のなかからただ一つを分離するという、それとは異なる概念を含む。これを「選択的注意」と呼ぼう。いついかなるときにも、私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。このような状況に起因する情報オーバーロード(情報過多のために必要な情報が埋もれてしまい、意思決定が困難になる状態)を回避するために、脳システムの多くは、ある種のフィルターを備える。無数の潜在的な思考のなかでも、私たちが注意と呼ぶ、きわめて複雑なふるいにかけられて選択された、ごく一部のみが意識に到達するにすぎない。脳は不要な情報を容赦なくふるい落とし、顕著さの度合い、あるいはそのときの目的に応じて、たった一つの意識の対象を分離するのだ。そしてこの刺激は増幅され、私たちの行動を導く。
 ならば明らかに、注意の選択的な機能の、すべてではないとしてもほとんどは、気づきの外で機能しているものと考えられる。そもそも、すべての潜在的な思考対象を、まず意識の力で選り分けなければならないとしたら、思考することなど不可能になるだろう。注意のふるいはおもに無意識のうちに作用し、コンシャスアクセスからは分かたれる。もちろん日常生活では、環境はたいがい刺激に満ちているので、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、私たちは十分に注意を払わねばならない。このゆえに、注意はときに、意識への門戸として機能する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.36-38,高橋洋(訳))
(索引:意識,前意識,注意)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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