2018年12月9日日曜日

003_命題集_ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)

《目次》
(1)存在論
 (1.1)表象の世界
 (1.2)外的世界
 (1.3)記号の意義(思想)の世界
(2)認識論
 (2.1)原始的要素と予備的解明
  (2.1.1)原始的要素
  (2.1.2)意味と習慣
  (2.1.3)予備的解明
 (2.3)記号論
  (2.3.1)聴覚に訴える記号の特徴
  (2.3.2)視覚に訴える記号の特徴
  (2.3.3)思考可能な領域、可算な領域
  (2.3.4)無限とは何か
 (2.4)概念記法
  (2.4.1)概念記法の必要性
  (2.4.2)概念記法の目的と方法
  (2.4.3)論理法則とは何か
 (2.5)公理と定義について
  (2.5.1)ヒルベルトの公理主義
  (2.5.2)ヒルベルトの公理主義への疑問
(3)記号の意義、意味、表象
 (3.1)記号の意義と意味
  (3.1.1)記号、意義、意味の関係
  (3.1.2)例による説明
  (3.1.3)記号、意義、意味の関係を支える意図
  (3.1.4)意味(対象)は存在するか
  (3.1.5)意味が存在しない場合
  (3.1.6)記号、意義、意味の関係 その2
 (3.2)概念語の意義と意味
 (3.3)命題の意義と意味
  (3.3.1)命題の意味が真理値であることの理由
 (3.4)記号に結合する表象
  (3.4.1)記号の意義、意味と、記号に結合する表象
  (3.4.2)記号に結合する表象の特徴
  (3.4.3)記号に結合する表象の違い、意義の違い、意味の違い
 (3.5)言語、文法、思考



(1)存在論
 (1.1)表象の世界
  (a)しかし、私の認識の対象であり得る必ずしも全てが、表象であるのではない。
  (b)私という存在
   諸表象の担い手としての「私自身」も、それ自身が一つの表象ではない。
 (1.2)外的世界
  私以外の人間もまた、諸表象の担い手として存在する。もし、これが確実ではないとしたら、歴史学、義務論、法律、宗教、自然科学なども、存在しないことになろう。
 (1.3)記号の意義(思想)の世界
 (参照:思想の世界は(1)感覚ではなく思考力により把握され、(2)表象とは異なり真理値を持ち、(3)外的世界と同じように我々と独立に存在する。それは、(4)無時間的に存在しており、(5)創造されるというより、むしろ発見される。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)))
  (a) 記号の意義(思想)の世界は、外的世界、表象の世界とは異なる、第三の領域の世界である。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
  (b)意義は、感覚では捉えられない
   記号の意義は、外的世界のように感覚によって知覚されないという点では、表象と似ている。
  (c)意義は、思考力によって把握される
   我々は、記号の意義を「把握する」。「思想の把握ということに対しては、ある特別な精神的能力、思考力が対応する」。
  (d)意義は、独立して存在する
   記号の意義(思想)の世界は、私から独立のものとして存在する。
  (e)意義は、特定の人に依存しない
   記号の意義は、外的世界が感覚の担い手である特定の人に依存しないという点では、外的世界と似ている。すなわち、我々は記号の意義を恣意的に作り出すのではない。
  (f)意義は、真偽の区別をもつ
   我々と記号の意義との関係は、我々と表象との関係とは異なる。すなわち、記号の意義は単なる表象とは異なっている。表象に真偽の区別はないが、記号の意義(思想)には真偽の区別がある。
  (g)意義の真偽は、発見される
   真偽は、我々から独立している。「事実とは真なる思想である」。従ってまた、真なる思想は、創造されるのではなくして、発見されるものであり、その発見とともに初めて成立し得るというよりも、むしろ「無時間的」に存在していると言える。
  (h) 記号の「意義」は、世代から世代へと引き継いできた人類の共通の蓄積である。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

(2)認識論

 (2.1)原始的要素と予備的解明

  (2.1.1)原始的要素
   数学や論理学には、定義することの不可能な、諸々の論理的な原始的要素が存在する。
  (2.1.2)意味と習慣
   原始的要素は、同じ記号が同じことを表示しているという、研究者の間での習慣的な理解の一致によって、その意味が支えられている。すなわち、完全に形式的な体系であっても、このような人々の習慣に依存している側面が存在する。
  (2.1.3)予備的解明
   意識的に、このような共通理解を作り上げることを、「予備的解明」と呼ぼう。これには、以下の特徴が存在する。
   (a)提示者は、自分が何を意味しているのかを明確に知っていなければならない。また、首尾一貫している必要がある。その際、必要なら比喩的な表現を用いてもよい。
   (b)提示された者には、善意、互いに歩み寄って理解する態度、憶測的な推量といったものを多少とも当てにせざるをえない面がある。
   (c)提示された者が善意をもってしても依然として誤解の恐れが生ずる場合、提示者は予備的解明を補完したり改善する用意がなければならない。
  (参照: 完全に形式的な論理的体系においても、定義できない原始的要素が存在する。それは、人々の共通理解に基礎を持つが、首尾一貫した説明、善意と理解しようとする態度による予備的解明によっても意識的にも達成できる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)))


 (2.3)記号論

  (2.3.1)聴覚に訴える記号の特徴
   (a)時間的な継起である。
   (b)創出する際に、外的状況にそれほど依存しない。その結果、内的過程と相当程度に親近性をもっている。
   (c)感情に対して緊密な関係にあり、繊細この上ない感情の機微や移ろいにも即応できる。

  (2.3.2)視覚に訴える記号の特徴
  (参照:記号が聴覚的なものから視覚的なものになることで、(a)明確性、持続性、不変性、(b)記号と記号の関係性の表現、(c)全体俯瞰性、(d)記号の操作性、が獲得される。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)))
   (a)われわれの実際の思考運動の絶え間ない流れとは似ていない。
   (b)記号は、鋭利に境界付けがなされ、はっきりと区分されている。この結果、大きな持続性と不変性があり、表記されるものをより明確に示せる。
   (c)二次元的に広がっている書記平面上の文字記号の位置関係は、多様な内的な諸関係を表現するのに用いることができる。
   (d)一瞬一瞬には僅かな部分しか注視できないとしても、多くのことを同時に現前させ、全般的な印象を形成できる可能性を提供してくれる。
   (e)全体から、注意を向けようと思っていることを見つけ出すのが容易になり、必要に応じて、自由に操作することができる。

  (2.3.3)思考可能な領域、可算な領域
    思考の対象となり得るほぼ全てのものは、数え上げることができる。この事実から、実在的なものであれ理念的なものであれ、思考可能な領域と、算術を基礎とした理論の可能な領域には、何らかの関係があると思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

  (2.3.4)無限とは何か
    何によって「無限」が認識されるのか。それは、感覚や表象、一定の記号体系からは得られない。線分や円周には無数の点があり、ある点を通る直線が無数にあるなど、幾何学的な認識が、その源泉である。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
   (2.3.4.1)無限の認識は、感覚、表象、記号からは得られない。
    (a)感覚知覚からも、無限なものは何も得られない。
    (b)無限は、表象できない。
    (c)数を、一定の記号体系そのものとみなすならば、やはり無限が理解できない。
   (2.3.4.2)それにもかかわらず、形式的算術の記号体系の内容、意義としての数や無限が存在するように思われる。我々の、この無限の理解は、何によってもたらされるのかが問題である。
   (2.3.4.3)例えば、線分や円周には無数の点があり、ある点を通る直線が無数にあるなど、幾何学的な認識が、無限の認識の源泉である。


 (2.4)概念記法

  (2.4.1)概念記法の必要性
  (参照:概念記法の必要性について。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
   (a)数学における推論に混乱が見られる。
    (1)推論様式が、極めて多様に見える。
    (2)非常に複雑な推論様式が、複数の単純な推論と等価なことがある。
    (3)推論が「正しいと納得」できれば、それでよしとする。
    (4)その結果、論理的なものと直感的なものが混在する。
    (5)その結果、推論されたものを、「総合的な」真理であると勘違いする。
    (6)不明確なまま、「直感」から何かが流入することがある。
    (7)ときには、推論に飛躍がある。
   (b)(a)から、次のものを抽出すること。
    (1)純粋に論理的と承認された、少数の推論様式
    (2)直感に基づく総合的な公理
   (c)すべての数学的証明を、(b)のみから隙間のない推論連鎖により導くこと。
  (2.4.2)概念記法の目的と方法
  (参照:概念記法の目的と手法:隙間のない推論連鎖を、簡潔に見通しよく形式的に確保できるように、「計算のように少数の固定した形式のうちを動く」ような記法を考案すること。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)))
   (a)設定された規則に合致しない推論の移行が混入しないように、一歩ずつ前進してゆくのは非常に手間がかかり、しかも推論式が、途方もない長さになりかねない。この困難を軽減するのが目的である。
   (b)複雑で長い推論の表現を簡潔にして、見通しやすくなるようにする。
   (c)「計算のように少数の固定した形式のうちを動くことによって」、隙間のない推論連鎖をたどることが、自動的に確保されるようにする。

  (2.4.3)論理法則とは何か
   (2.4.3.1)「真であることの法則」と論理法則は、人がそれを「真とみなす」かどうかの心理法則ではなく、何か動かしがたい永遠の基礎に依存しているに違いない。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
    (a)論理法則は、「真とみなす」ことに関する心理法則ではない。論理法則が真であることは、以下のすべての状況と矛盾するものではない。それは、「真であることの法則」である。
     (i)全ての人によって真とみなされる。
     (ii)多数の人によって真とみなされる。
     (iii)一人の人によって真とみなされる。
     (iv)全ての人によって偽とみなされる。
    (b)真であることは、誰かによって承認されるということに依存しない。従って、「真であることの法則」も、心理法則ではない。
    (c)我々の思考が、「真であることの法則」を逸脱することはあり得るとしても、その法則は何か「動かすことのできない永遠の基礎」を持っているに違いない。
  (2.4.3.2)論理法則は、基本的な諸法則に還元することが可能だが、それらは、何か「我々の本性及び外的事情」によって強制されているように思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
   (a)論理学は、いくつかの基本的な論理諸法則に還元することが可能である。
   (b)論理学は、(a)以外には、その真であることの基礎に対しては、解答を与えることはできない。
   (c)論理学の外に出るなら、「我々の本性及び外的事情によってこの判断を下すよう我々は強制される」と言える。すなわち、もし我々が思考を混乱させ判断を一切断念してしまうことを望まないならば、我々はその法則を承認しなければならないようなものなのである。

 (2.5)公理と定義について

  (2.5.1)ヒルベルトの公理主義
    (1)公理系が無矛盾なら、それは「真」であり、定義されたものは「存在」すると言い得る、(2)概念は、概念の諸関係によってのみ論理的に定義され得る。(3)公理系は、論理構造が同じ無数の体系に適用可能である。(ダフィット・ヒルベルト(1862-1943))

   (2.5.1.1)任意に措定された公理から、いかなる矛盾も帰結しないならば、公理は「真」である。
    (a)公理が「真」であることから、「矛盾しない」ということが証明されるわけではない。
    (b)このとき、公理によって定義されたものは「存在」すると言ってよい。
   (2.5.1.2)公理の構成全体が、完全な定義を与える。
    (a)概念は、他の概念に対するその関係によってのみ論理的に確定し得る。この関係を、定式化したものが公理である。このようにして、公理は概念を定義している。
    (b)従って、ある公理系に別の公理を追加すれば、追加前の公理を構成していた概念も変化することになる。
    (c)公理の構成要素の個別に、構成的に定義する必要はない。
   (2.5.1.3)公理系は、必然的な相互関係を伴った諸概念の骨組とか図式といったものであり、特定の「基本要素」を前提とするものではない。いかなる公理系も、無限に多くの体系に対して適用できる。

  (2.5.2)ヒルベルトの公理主義への疑問
   公理系の無矛盾性とは異なる、ある「対象」の「存在」の概念が有意味と思われ、その存在は、構成的な定義により示されると思われる。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
   (2.5.2.1)公理系に矛盾がないことだけから、その公理系が適用可能な「対象」が「存在」するということが、納得できない。「そして恐らくまた、仮に真だとしても役に立たない」と思われる。
    (a) 公理系に矛盾がないことだけから、その公理系が適用可能な「対象」が「存在」するということが、納得できない。喩えではあるが、3つの未知数を持つ3つの連立方程式が、ただ一つの解をつねに持つわけではない。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
   (2.5.2.2)公理の諸性質を全部満たすような「対象」を、実際に構成してみることが必要と思われる。そして、構成されたものは、確かに「存在」している。
   (2.5.2.2)(a)既に意義の明らかな構成要素から、複合的表現すなわち新たな意義を構成する「構成的定義」、(b)既に用いられている単純記号の意義を分析し、既に意義の明らかな構成要素から再構成する「分析的定義」(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
    (a)構成的定義
     (a.1)既に意義の明らかな構成要素から、複合的表現すなわち新たな意義を構成する。
     (a.2)構成された複合的表現に、全く新しい単純記号を導入する。
    (b)分析的定義
     (b.1)既に用いられている単純記号Aの意義を、論理的に分析する。
     (b.2)分析された意義を、既に意義の明らかな構成要素から再構成し、これを単純記号Bとして定義する。
     (b.3)問題は、単純記号AとBの意義が同じかどうかである。



(3)記号の意義、意味、表象

(3.1)記号の意義と意味

 記号、意義、意味の間の関係(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
 (3.1.1)記号、意義、意味の関係
  記号に対して一つの定まった意義が対応し、その意義に対してまた一つの定まった意味が対応する。

 記号 → 一つの意義 → 一つの意味
             =一つの対象

 (3.1.2)例による説明
 参照: 固有名の意義とは? 固有名の意味とは?(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

記号   → 記号の意義   → 記号の意味
 あるいは
固有名

記号結合
表現

記号 → 記号によって→ 記号によって
     表現された   表示された
     対象の様態   特定の対象
※「記号」は「意義」を「表現する」。
※「記号」は「意味」を「表示する」。

宵の明星→ 太陽が沈んだ後、→(金星)
      西の空にどの星
      よりも先に、一
      番明るく輝いて
      いる星。

明けの明星→太陽が昇る前に、→(金星)
      東の空にどの星
      よりも後まで、
      一番明るく輝い
      ている星。

金星 → 太陽系で、太陽 →(金星)
     に近い方から二
     番目の惑星。

 (3.1.3)記号、意義、意味の関係を支える意図
   ある表現が、意義のみを表現しているのか、意味の現存を前提としているのかは、表現の意図によって支えられている。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
  (a)例えば「月は地球より小さい。」は、意義のみではなく、意味が前提されている。
  (b)例えば、月の表象について語ることが意図されているならば、「私がもつ月の表象」という表現を使わなければならない。
  (c)もちろん、前提された意図に対して、誤った表現がなされることもあり得るし、解釈者が意図を誤って解釈することもあり得よう。

 (3.1.4)意味(対象)は存在するか
  記号の意味、対象が存在するかどうかは、内的世界と同じ確実性は持たないし、誤謬も避けられない。しかし、我々は誤謬の危険を冒しても、外的世界に関する判断を、敢行しなければならない。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
  (a)内的世界の確実性に比べて、外的世界については疑いが完全に晴れるということはない。
  (b)また、誤謬は実際に起こり、我々は虚構の中に落ち込むこともある。
  (c)しかし、我々は誤謬の危険を冒しても、外的世界の諸物に関する判断を、思い切って敢行しなければならないのである。
 (3.1.5)意味が存在しない場合
  日常言語においては、記号に対して一つの定まった意義が対応し、その意義に対してまた一つの定まった意味が対応するという要請を満たさないことが多く、文脈の指定が必要になることがあるが、それで満足しなければならない。また、意義は持つが、意味を持つかどうか疑わしいこともある。

 記号→一つの意義→(意味がない場合)

 (3.1.6)記号、意義、意味の関係 その2
  逆に、一つの意味(すなわち、一つの対象)に付与される記号は必ずしも一つではない。そして、ある意義は意味の一面を我々に認識させる。すべての側面から意味を認識するためには、あらゆる意義を知る必要があるが、そのようなことは到底我々にはできない。また、同じ一つの意義は、異なる言語によってだけではなく、同一の言語においても異なる表現を有している。

 一つの対象─┬→意義a → 表現a1、表現a2、表現a3、……
=一つの意味 ├→意義b → 表現b1、表現b2、表現b3、……
       └→意義c → 表現c1、表現c2、表現c3、……


(3.2)概念語の意義と意味
  命題の意義とは? 命題の意味とは?(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

固有名→ 固有名の意義→ 固有名の意味
             (対象)

概念語→ 概念語の意義→ 概念語の意味
             (概念)
              ↓
            当の概念に包摂
            される対象
(3.3)命題の意義と意味
命題→ 命題の意義→ 命題の意味
   (思想)    (真理値)

 (3.3.1)命題の意味が真理値であることの理由
  命題の意味が真理値であることの理由。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
  (a)命題の意味とは、同じ意味を持つ語の置き換えでも変化しないようなものである。
  (b)命題を構成する語の一部を、意味を持たない固有名で置き換えると、命題から失われるものがある。真理値(真偽)である。
  (c)命題の意味を、真理値(真偽)と考えれば、(a)が成立し、また(b)は次のようになる。
   命題を構成する語の一部を、意味を持たない固有名で置き換えると、命題の意味が失われる。
   命題が意味を持つためには、命題を構成する全ての固有名が意味を持つ必要がある。

(3.4)記号に結合する表象
  記号の意義、意味とは別に、記号に結合する表象がある。それは、対象の感覚的印象や、しばしば感情が浸透している内的、外的な行為の内的な像であり、個人ごとに異なり、移ろいやすい。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
 (3.4.1)記号の意義、意味と、記号に結合する表象
 記号─→一つの意義─→一つの意味
 │         (一つの対象)
 └記号に結合する表象
  ├記号の意味が感覚的
  │ に知覚可能な対象のときは
  │ 私が持っていたその対象の
  │ 感覚的印象
  └対象に関連して私が遂行
    した内的、外的な行為
    から生成する内的な像
 (3.4.2)記号に結合する表象の特徴
 ・像には、しばしば感情が浸透している。
 ・明瞭さは千差万別であり、移ろいやすい。
 ・同一の人物においてすら、同一の表象が同一の意義に結び付いているとは限らない。
 ・一人の人物が持つ表象は、他の人物の表象ではない。
 (3.4.3)記号に結合する表象の違い、意義の違い、意味の違い
   語、表現、文全体を相互に区別する三つの段階:(1)たかだか表象に関わる区分、(2)意義に関わる区分、(3)意味に関わる区分。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))
 さまざまな語、表現、文全体を相互に区別する三つの段階がある。
  (a)意味と意義は同じで、たかだか表象に関わる区分
  ・翻訳を原文と区別するものは、本来、この第一の段階を超えるものではありえない。
  ・また、作詩法や雄弁術が意義に対して付加する色合いと陰影は、この段階のものである。
  (b)意味は同じだが、意義に関わる区分
  (c)意味が異なり、意味に関わる区分

(3.5)言語、文法、思考
  思考を構成する言語と文法は、論理的なものと、表象や感情など心理的なものとの混合体である。これは、複数の異なる言語の比較から明確になる。またこの考察は、純粋に論理的な形式言語や概念記法の有益性も教える。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))

 (3.5.1)我々は、ある特定の言語で考えている。
  (a)思考には、表象及び感情と混ざり合っている。
  (b)我々には、表象なしで思考するということは、明らかに不可能である。
 (3.5.2)文法とは、何か。
  (a)文法は、論理が判断に対するのと類比的な重要性を、言語に対して持っている。
  (b)文法は、論理的なものと心理学的なものとの混合体である。
 (3.5.3)論理学は、文法から論理的なものを純粋に取り出すことを課題とする。
  (a)我々は、同じ思想を様々な言語で表現することができるが、異なる言語には、異なる心理学的な装飾が、しばしば纏わりついている。
  (b)外国語を習うことは、言語の違いによる心理学的な装飾を理解させるとともに、純粋に論理的なものの把握にも役に立つ。
  (c)私が提案した数学における形式言語や、概念記法のような根本的に違った方法で、純粋に論理的な方法で思想を表現することができるなら、有益であろう。
 (3.5.4) 論理学者の仕事は、心理学的なものに対する、また一部は言語と文法に対する、絶え間なき闘争ある。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))




(出典:wikipedia
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)

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