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2022年1月12日水曜日

生命倫理の問題では、(a)諸利益に関する権利の問題と、(b)人間の生命固有の価値に関する問題を、区別して考えることが必要である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

生命倫理

生命倫理の問題では、(a)諸利益に関する権利の問題と、(b)人間の生命固有の価値に関する問題を、区別して考えることが必要である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))


(a) 中絶に対する派生的異議 (derivative objection)
 胎児は妊娠が開始された時から生存し続ける利益を必然的に伴う、それ自身の権利に関する諸利益を持った生命体なのであり、したがって胎児は、殺されない(not to be killed)権利を必然的に伴う。

(b)中絶 に対する独自的異議(detached objection)
 人間の生命は本来的で(intrinsic)固有の (innate)価値を有しており、それ自身神聖(sacred)なものであり、したがって人間の生 命が有する神聖な性質というものは、その生命体が人間としてそれ独自の運動や感覚や利益を 持つに至る前であっても、生物学的な生命が開始された瞬間に始まっているものとされる。

「中絶に対する派生的異議と独自的異議  第一の見解によるとこれらの言葉は、次のような主張として用いることが可能である。即 ち、胎児は妊娠が開始された時から生存し続ける利益を必然的に伴う、それ自身の権利に関す る諸利益を持った生命体なのであり、したがって胎児は、殺されない(not to be killed)権利を必然的に伴うこれらの基本的諸利益が全ての人によって擁護されるべきであ る、ということを要求する権利を有していることになる。この見解にしたがうと中絶は、人が 有する殺されない権利を侵害するが故に原理的に(in principle)悪とされるのである。そ れはあたかも成人者(adult)を殺すことは、その人が有する殺されない権利を侵害するが故 に通常は悪とされるのと同様なのである。私はこの見解を、中絶に対する《派生的》異議 (derivative objection)と呼ぶことにしよう。何故ならこの主張は、胎児を含む全ての 人間が有すべきものとされる権利と利益を前提とし、かつそれに由来するものだからである。 この異議を妥当なものとして承認し、政府がこの理由に基づいて中絶を禁止したり規制すべき であると信じている人々は、政府には胎児を保護すべき派生的責任があると考えているのであ る。  第二の見解はよく知られた表現で用いることができるものであるが、第一の見解とは非常に 異なったものである。第二の見解によると、人間の生命は本来的で(intrinsic)固有の (innate)価値を有しており、それ自身神聖(sacred)なものであり、したがって人間の生 命が有する神聖な性質というものは、その生命体が人間としてそれ独自の運動や感覚や利益を 持つに至る前であっても、生物学的な生命が開始された瞬間に始まっているものとされる。こ の第二の見解に従えば、中絶は人間の生命のどの段階・形態であろうと、その本来的な価値と 神聖な性質を無視し侮辱しているが故に原理的に悪とされるのである。私はこの主張を、中絶 に対する《独自的》異議(detached objection)と呼ぶことにしよう。何故ならこの主張 は、何ら特定の権利や利益に依存したり、それを前提としないからである。《この》異議を妥 当なものとして承認し、中絶は《この》理由故に法によって禁止若しくは規制されるべきであ ると主張する人々は、政府には生命の本来的価値を保護すべき独自の責任があると考えている のである。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『ライフズ・ドミニオン』,第1章 生命の両端――中 絶と尊厳死・安楽死,決定的な相異,信山社(1998),pp.14-15,水谷英夫,小島妙子(訳))

ライフズ・ドミニオン 中絶と尊厳死そして個人の自由 [ ロナルド・ドゥウォーキン ]

ロナルド・ドゥオーキン
(1931-2013)

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