2019年11月16日土曜日

道徳教育においては、(a)自らの判断を押しつけず、(b)学生の判断力の養成を目的に、(c)各教説に含まれる最良の真理に焦点を合わせ、(d)人類に影響を与え続けてきた主要な教説を材料として提供すること。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

道徳教育

【道徳教育においては、(a)自らの判断を押しつけず、(b)学生の判断力の養成を目的に、(c)各教説に含まれる最良の真理に焦点を合わせ、(d)人類に影響を与え続けてきた主要な教説を材料として提供すること。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

 (5.6)道徳教育
  (5.6.1)道徳に関する教説の特徴
   (a)各教説は、何らかの真理を含む
    全体としては誤っているかもしれない体系ですら、何らかの真理を含んでいる。
   (b)各教説固有の無視し得ない真理
    各教説に含まれる真理は、他の体系でそれが無視されたり、過小評価される場合には、その体系の著しい欠点となるような重要な真理であることがある。
   (c)懐疑主義と折衷主義は誤っている
    道徳に関する教説には、正解がないという懐疑的な折衷主義は、誤っている。
  (5.6.2)道徳の教育方法
   (a)自らの判断を押しつけないこと
    教師は、ある一定の倫理体系の立場に立ち、他の体系すべてを排撃し、その体系のみを強く擁護することはしないこと。
   (b)学生の判断力を養成すること
    教師は、学生の判断を助長し陶冶することが、重要な任務であると考えること。
   (c)各教説の最良の真理に焦点を合わせる
    各教説に含まれる真理を理解するには、その教説に反対する人々の意見ではなく、各々の体系を支持する人々の意見に、耳を傾けるべきである。
   (d)重要な教説を、材料として提供すること
    人類に実際に影響を与え続けてきた道徳哲学の主要な体系について、最も有益な行為規則の確立と保持に役立て得るように、解説すること。

 「大学には道徳哲学の専門的な講義があるべきであり、また現にほとんどの大学にはそれがあります。しかし、私は、この講義が従来のものと少し違った形式のものであってほしいと思っております。つまり、できることなら、その講義は、論争的にならずに、かつまた独断に陥ることなく、もっと解説的であってほしいのです。学生に、今日まで人類に実際に影響を与え続けてきた道徳哲学の主要な体系についての知識を授けるべきでありますし、また学生は各々の体系を支持する人々の意見に耳を傾けるべきであります。その主要な体系とは、アリストテレス学派、エピクロス学派、ストア学派、ユダヤ教、キリスト教などの倫理体系のことです。但し、キリスト教はその解釈の違いから色々な教派に別れ、各教派の間には、キリスト教と古代ギリシャの各学派との間の相違と同じ程度の相違があります。また、学生に、倫理の基礎として採用されてきた種々の善悪の基準、例えば、一般的功利性、自然的正義、自然権、道徳感覚、実践理性の原理、等についての知識をも持たせるべきであります。これらのことを教える際、特に教師のなすべきことは、ある一定の倫理体系の側に立ち、他の体系すべてを排撃し、その体系のみを強く擁護することではなく、むしろ、それらすべての体系を人類に最も有益な行為規則の確立と保持に役立てる努力をすることであります。そのような倫理体系のなかで、長所のないものは一つもありません。また、ある体系の支柱になっていて、他の体系でそれが無視されたり、過小評価される場合、その体系の著しい欠点となるような重要な真理が、必ずしも常に明瞭であるとは言えないが、鋭い直感によって示唆されていないものは一つもありません。全体としては誤っているかもしれない体系ですら、そのなかで示唆されている部分的な真理に人類の関心を向けさせる力が十分ある限り、それは依然として価値があります。倫理学の教師は、他の体系のなかでより明確に認識されている真理をすべて考慮に入れることによって、各々の体系が自らの根底を揺るがすことなくいかに強化されうるか、その可能性を指摘するならば、自己の任務を立派に果たしていることになります。とは申しましても、教師は全く懐疑的な折衷主義を学生に奨励すべきであるなどと言うつもりはありません。教師が、各体系の最良の側面にできる限り焦点を合わせ、それらすべての体系から倫理学の本質と矛盾しない最も有益な結論を導き出そうと努める限り、それらのなかのどれか一つを優先させ、しかも自己の論法を駆使して、強く主張したとしても、私はそれを押し止めようとは決して思いません。理論的には誤っている体系でも、時として、正しい理論の完全性にとって欠くことのできない特殊な真理を含む場合もあります。無論、それらの体系がすべて真であるということはありえませんが。しかしながら、特にこの道徳の問題に関しては、先に取り上げた問題にもまして、自らの判断を学生に押しつけることなく、むしろ学生の判断を助長し陶冶することが、教師の重要な任務となります。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『教育について』,日本語書籍名『ミルの大学教育論』,6 道徳教育と宗教教育,pp.69-71,お茶の水書房(1983),竹内一誠(訳))
(索引:道徳,道徳教育,道徳教育の方法)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

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