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2020年5月31日日曜日

制御不能なトロッコが5人の鉄道作業員めがけて暴走し、このままでは轢き殺される。私が命を賭しても状況は変えられず、唯一、進路切替によって5人が救える。しかし切替で見知らぬ1人の男が犠牲になる。切替は容認できるか。(ジョシュア・グリーン(19xx-))

トロッコ問題、進路切替

【制御不能なトロッコが5人の鉄道作業員めがけて暴走し、このままでは轢き殺される。私が命を賭しても状況は変えられず、唯一、進路切替によって5人が救える。しかし切替で見知らぬ1人の男が犠牲になる。切替は容認できるか。(ジョシュア・グリーン(19xx-))】

 「「歩道橋」ジレンマには、興味深い同類があるという利点がある。「スイッチ」ジレンマと呼ぶもうひとつのバージョンでは、制御不能になったトロッコの行く手に五人の作業員がある。手をこまねいていたら轢き殺されてしまうだろう。しかし、分岐器のスイッチを押して、トロッコの進路を退避線に切り替えれば五人は救われる。あいにく退避線にはひとりの作業員がいるので、スイッチを押せば、その人は轢き殺されてしまう。
 スイッチを押してトロッコの進路を五人からひとりへ向う方向に切り替えることは道徳的に許されるだろうか? トムソンにとって、これは道徳的に受け入れられるように思われた。私も同感だった。後で知ったのだが、世界中の人が同感する。それではなぜ、私たちは「スイッチ」ケースに「イエス」といい、「歩道橋」ケースに「ノー」をいうのだろう?」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第2部 速い道徳、遅い道徳,第4章 トロッコ学,岩波書店(2015),(上),pp.151-151,竹田円(訳))
(索引:トロッコ問題)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

ジョシュア・グリーン(19xx-)
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制御不能なトロッコが5人の鉄道作業員めがけて暴走し、このままでは轢き殺される。私が命を賭しても状況は変えられず、唯一ある見知らぬ1人の男の犠牲によって5人が救える。私がその男を犠牲にすることは容認できるか。(ジュディス・ジャーヴィス・トムソン(1929-))

トロッコ問題

【制御不能なトロッコが5人の鉄道作業員めがけて暴走し、このままでは轢き殺される。私が命を賭しても状況は変えられず、唯一ある見知らぬ1人の男の犠牲によって5人が救える。私がその男を犠牲にすることは容認できるか。(ジュディス・ジャーヴィス・トムソン(1929-))】

(出典:wikipedia
ジュディス・ジャーヴィス・トムソン(1929-)の命題集(Propositions of great philosophers)
 「ビジネスへの関心を失った私は、ハーバード大学へ移籍し、哲学を専攻した。ハーバードでの最初の学期に「考えることを考える」という講義を受講した。講座を受け持っていたのは、哲学者のロバート・ノージック、進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールド、法学教授のアラン・ダーショウィッツという伝説的な教授三人だった。(講義の通称は「エゴが語るエゴ」だった。)シラバスに載っていたのが哲学者ジュディス・ジャーヴィス・トムソンの論文「トロッコ問題」だった。
 この論文こそ、高校時代に私に不意打ちを食らわせた「臓器移植」ジレンマの大元だったのだ。トムソンの独創的な論文は、一連の道徳ジレンマを取り上げていた。すべて、五人を救うためにひとりを犠牲にするという同じひとつのテーマを様々にアレンジしたものだった。いくつかのケースでは、「臓器移植」ジレンマのように、ひとりの命を五人の命と引き換えにするのはあきらかな間違いに思われた。トムソンの論文から生まれた、こうしたジレンマのひとつが「歩道橋」ジレンマだ。少し修正したものを次に紹介しよう。

 制御不能になったトロッコが、五人の鉄道作業員めがけて突き進んでいる。トロッコがいまのまま進めば、五人は轢き殺されるだろう。あなたはいま線路にかかる歩道橋の上にいる。歩道橋は向ってくるトロッコと五人の作業員のいるところの中間にある。あなたの隣には大きなリュックサックを背負った鉄道作業員がいる。五人を救うには、この男を歩道橋から線路めがけて突き落とすしかない。その結果男は死ぬだろう。しかし男の身体とリュックサックで、トロッコが他の五人のところまで行くのを食い止められる。(あなた自身が飛び降りることはできない。リュックサックを背負っていないし、トロッコを止められるほど体も大きくないし、リュックを背負う時間もないから。)この見知らぬ男を突き落として死なせ、五人を救うことは、道徳的に容認できるだろうか?」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第3章 あらたな牧草地の不和,岩波書店(2015),(上),pp.148-149,竹田円(訳))
(索引:トロッコ問題)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

ジョシュア・グリーン(19xx-)
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2020年5月8日金曜日

集団間の衝突を激化させる6要因:(a)自集団の優先(b)独自の社会観,価値観,感情(c)独自の道徳観,約束事,伝統(d)独自の公正,正義観(e)利害や社会的力関係から歪みやすい諸信念(f)他者に与える危害の過小評価(ジョシュア・グリーン(19xx-))

集団間の衝突を激化させる6要因

【集団間の衝突を激化させる6要因:(a)自集団の優先(b)独自の社会観,価値観,感情(c)独自の道徳観,約束事,伝統(d)独自の公正,正義観(e)利害や社会的力関係から歪みやすい諸信念(f)他者に与える危害の過小評価(ジョシュア・グリーン(19xx-))】

(4)追加。

(1)偏狭な利他主義、部族主義
  人間には、偏狭な利他主義、部族主義の傾向がある。それは、自他の社会的位置を識別し、表示し、行動を調整する人間の能力を基礎とし、所属集団の利益を守るため、集団内部の協力を促し、外部に対抗する傾向である。(ポール・ブルーム(1963-))
(出典:Yale University
ポール・ブルーム(1963-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
ポール・ブルーム(1963-)
検索(ポール・ブルーム)
検索(Paul Bloom)
 人間には、偏狭な利他主義、部族主義の傾向がある。
 (a)協力集団は、部外者による搾取から自分たちを守らなくてはならない。
 (b)そのために、協力できる集団内の他者と、そうでない集団外の他者を区別する。すなわち、《私たち》を《彼ら》から見分ける必要がある。
 (c)そして、《彼ら》より《私たち》をひいきにする。
(2)社会的な位置の識別、表示、行動調整
 人間は、自分を中心とする社会的宇宙の中で、人がどこに位置するかにきわめて鋭い注意を向け、自分たちに、より近い人をひいきにする傾向がある。
 (a)私たちは、自分の社会的な位置を表現する能力を持っている。
 (b)私たちは、他者の社会的な位置を読み取る能力を持っている。
 (c)私たちは、読み取った内容に応じて行動を調整する能力を持っている。
 (d)私たちには、自分に近い人をひいきにする傾向がある。
(3)同心円状に広がる複数の部族
 私たちはみな、同心円状に広がる複数の社会的な円の中心にいる。
 (a)もっとも近い血縁者や友人たち
 (b)遠い親戚や知人たち
 (c)種類や規模も様々な集団の一員となることで関係をもつ他人
  例えば、村、氏族、部族、民族集団、ご近所、街、州、地方、国。教会、宗派、宗教など
 (d)所属政党、出身校、社会階級、応援しているスポーツチームや好きなもの嫌いなもの
(4)集団間の衝突を激化させる6つの心理的性向
 (a)他集団より自集団を優先させる
  人間の部族は部族主義であり、《彼ら》より《私たち》を優先させる。
 (b)集団独自の社会観、価値観、諸感情
  社会の組織のあり方、個人の権利と集団のより大きな善のどちらをどの程度優先させるかについての考えは、部族ごとにまったく異なる。部族の価値観は、脅威に対する反応の仕方を定める名誉の役割のような、その他の側面についても異なる。
 (c)集団独自の道徳的約束事、個人、文書、伝統、神
  部族には独特の道徳的約束事がある。典型的なものが宗教的約束事で、これによって、他の集団が権威として認めない、ローカルな個人、文書、伝統、神などに道徳的権威が授けられる。
 (d)集団独自の公正、正義
  部族は、バイアスのかかった公正に陥りがちであり、集団レベルでの利己主義によって、正義感が歪められる場合がある。
 (e)集団独自の信念は、利害や社会的力関係から歪みやすい
  部族の信念には、簡単にバイアスがかかる。ある信念がひとたび文化的な旗印になると、部族の利益を損なうものであっても長く続く場合がある。
  (i)単純な利己心から生じる場合
  (ii)複雑な社会的力関係から生じる場合
 (f)他者に与える危害を過小評価
  周囲の出来事に関する情報処理の方法が原因で、他者に与える危害を過小評価し、対立をエスカレートさせる場合がある。

 「本章では、部族間の衝突を激化させる6つの心理的性向を考えてきた。
 1.人間の部族は部族主義であり、《彼ら》より《私たち》を優先させる。
 2.社会の組織のあり方、個人の権利と集団のより大きな善のどちらをどの程度優先させるかについての考えは、部族ごとにまったく異なる。部族の価値観は、脅威に対する反応の仕方を定める名誉の役割のような、その他の側面についても異なる。
 3.部族には独特の道徳的約束事がある。典型的なものが宗教的約束事で、これによって、他の集団が権威として認めない、ローカルな個人、文書、伝統、神などに道徳的権威が授けられる。
 4.部族は、その中の個人と同様に、バイアスのかかった公正に陥りがちであり、集団レベルでの利己主義によって、正義感が歪められる場合がある。
 5.部族の信念には簡単にバイアスがかかる。バイアスのかかった信念は、単純な利己心から生じる場合もあれば、より複雑な社会的力関係から生じる場合もある。ある信念がひとたび文化的な旗印になると、部族の利益を損なうものであっても長く続く場合がある。
 6.周囲の出来事に関する情報処理の方法が原因で、他者に与える危害を過小評価し、対立をエスカレートさせる場合がある。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第3章 あらたな牧草地の不和,岩波書店(2015),(上),pp.128-129,竹田円(訳))
(索引:偏狭な利他主義,部族主義,社会観,価値観,感情,道徳観,正義観,信念)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

ジョシュア・グリーン(19xx-)
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2018年11月10日土曜日

協力戦略を支える情動的傾向:(1)共感、他者の情動、苦痛、意図の感知、(2)好意、感謝、憤慨、怒り、誇り、恥、(3)自他の社会的位置の感知、表示、所属集団のひいき、外部集団の敵視。(ジョシュア・グリーン(19xx-))

協力戦略を支える情動的傾向

【協力戦略を支える情動的傾向:(1)共感、他者の情動、苦痛、意図の感知、(2)好意、感謝、憤慨、怒り、誇り、恥、(3)自他の社会的位置の感知、表示、所属集団のひいき、外部集団の敵視。(ジョシュア・グリーン(19xx-))】
 協力戦略に対して、私たちの道徳脳には、戦略を実行するための情動的傾向が備わっている。
(a)共感、他者の情動、苦痛、意図の感知
《機能》他者への思いやり、気づかい。他者の情動、意図、感情を理解する。直接的・意図的な加害の躊躇し、他者への加害を黙視することを躊躇する。
 参照: 他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 参照: 2人以上の行為者が、相手の行為の意図を互いに、自己の潜在的運動行為として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「行為の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 参照: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 参照: 2人以上の情動表出者が、相手の情動を互いに、自己の内臓運動の表象として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「情動の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 参照: 他人が物理的な痛みを受けているところを見ると、その視覚情報が、痛みを与える対象(例えば針)から退避しようとする筋肉運動または潜在的な運動を引き起こし、これが他人の痛みを身体的に了解させる。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

(b)怒り、嫌悪、許し、感謝
《機能》非協力的な個人を罰し、避けようとし、協力すれば許す。協力の動機を強める。(直接互恵性)
 参照: 「囚人のジレンマ」ゲームの多様な戦略を実装したコンピュータプログラムの総当たり戦で、最も成績が良かったのは、協力する相手に対しては協力し、裏切られたら裏切るという「しっぺ返し」戦略であった。(ロバート・アクセルロッド(1943-))

(c)復讐心、羞恥心、罪悪感、忠誠心、謙遜、畏怖
《機能》たとえ代価が利益を上回っても非協力的な行為を罰しようとする。非協力的な行動をする自分自身を罰しようとする。(確実な脅しや約束)

(d)好意、感謝、憤慨、怒り、誇り、恥
《機能》他者の行為の善悪の感知する。評判を仲間と共有する。他者の監視の目によって自己評価する。(評判)
 参照: 生後半年と生後10か月の赤ちゃんであっても、「親切な」おもちゃと「意地悪な」おもちゃの識別を行い、親切な徴候を示すおもちゃに手を伸ばして取ろうとすることを示す実験の事例がある。(ポール・ブルーム(1963-))
 参照: 抽象的な目のデザイン、または目の写真があるだけで、社会的規制の効果があることを示す実験の事例がある。監視の目と、善悪の関する噂話や評判が、社会的規制に大きな影響力を持っている。(ジョシュア・グリーン(19xx-))
 (d.1)他の人たちによってなされた行為による〈善〉と〈悪〉の感受:〈好意〉〈感謝〉〈憤慨〉〈怒り〉
  参照: 〈好意〉、〈感謝〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  参照: 〈憤慨〉、〈怒り〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
 (d.2)私たち自身によって過去なされた行為や、現在の私たちに関する、他の人たちの意見による〈善〉と〈悪〉の感受:〈誇り〉〈恥〉
  参照: 〈誇り〉、〈恥〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
  参照: 誇りは希望によって徳へ促し、恥は不安によって徳へ促す。また仮に、真の善・悪でなくとも、世間の人たちの非難、賞賛は十分に考慮すること。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(e)自他の社会的位置の感知、表示、所属集団のひいき、外部集団の敵視(部族主義的情動)
《機能》協力的な集団に所属して、集団内の協力を強化する。(分類)
 参照: 人間には、偏狭な利他主義、部族主義の傾向がある。それは、自他の社会的位置を識別し、表示し、行動を調整する人間の能力を基礎とし、所属集団の利益を守るため、集団内部の協力を促し、外部に対抗する傾向である。(ポール・ブルーム(1963-))
 参照: 人間には、集団の成員であることを示す恣意的な目印を基に、簡単に人を社会的に分類し、社会的選好を形成する傾向が存在する。仮に、何の根拠もない無作為のグループにも、内集団の成員をひいきにする傾向がある。(ヘンリー・タジフェル(1919-1982))

(f)怒り、義憤
《機能》自分には何の得にならなくても、非協力的な者を罰する(向社会的処罰者)。(間接互恵性)
 参照: 「互いの協力によって成立している集団における「ただ乗り者」に対して、人は怒りの感情を持ち、代価を支払っても処罰しようとする。このような、人間が持つ向社会的処罰の傾向は、集団内の互いの協力を高める。(エルンスト・フェール(1956-))

 「それぞれの協力戦略に対して、私たちの道徳脳には、戦略を実行するための情動的傾向が備わっている。それらをひとつずつ見ていこう。
 他者への思いやり……自分の取り分だけでなく、他者の取り分も同じように大切にするのなら、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。この戦略に対応して、人間には《共感》が備わっている。さらに一般化すると、私たちには、他者、とくに家族、友人、恋人の身に起きることを《気づかう》情動が備わっている。私たちの情動はまた、他者に直接、かつ意図的に危害を加えることを躊躇させる。そして(それほどではないものの)他者が危害を加えられるのを見過ごすことも躊躇させる。私はこれを《最低限の良識》と呼ぶ。
 直接互恵性……いま協力しなければ、将来協力して得られる利益が消えてしまうとわかっていれば、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。この戦略に対応して、人間には《怒り》や《嫌悪》などのネガティブな情動が備わっている。これらの存在は実際よく知られていて、私たちに、非協力的な個人を罰しようとか、避けようとする動機を与える。同時に、こうしたネガティブな情動への傾向は、間違いがつきものである世界への適応戦略である《許し》の性向によって和らげられる。私たちは《感謝》を通じて協力へのポジティブな動機を互いに与えあう。
 確実な脅しや約束……互いの非協力的行動を罰すると固く誓っているなら、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。この戦略に対応して、人はしばしば《復讐心》を抱く。多くの人に備わっている(これもよく知られている)のが、たとえ代価が利益を上回っても非協力的な行為を罰しようとする情動的傾向だ。同様に、非協力的行動をとった《自分自身を》罰することを確約しているのならば、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。この戦略に対応して、人にときに《高潔》になるし、《羞恥心》や《罪悪感》といった自罰的情動の傾向も知られている。人は、これに関係した《忠誠心》という美徳も示す。愛とセットの忠誠心もそれに含まれる。より高位の権威への忠誠心には、《謙遜》という美徳や《畏怖》を感じる能力も備わっている。
 評判……ここで非協力的なふるまいをすれば、事情をよく知る《他人》にこれから協力してもらえなくなるとわかっていれば、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。この戦略に対応して、私たち人間は、乳児でさえ、《手厳しい》。私たちは、人が他人にどう接するかに注目し、それに応じて相手へのふるまいを調節する。さらに、《ゴシップ》を発信し消費するという抑えがたい性向によって、自分たちの判断の影響を増幅させる。そのため、私たちは、他者の監視の目に非常に敏感になる。他者の目があるために私たちは《自分を意識する》。自意識がうまく働かずに一線を超えたところを見つかると、見た目にはっきりと《恥入り》、もうしませんという信号を発する。
 分類……協力的な集団に所属することによって、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。ただしこの集団の成員が互いを確実に特定できればの話だ。この戦略に対応して、人間は《部族主義的》である。集団の成員が発する信号を敏感にキャッチし、外集団より内集団の成員(見ず知らずの人であっても)を直感的に好む傾向がある。
 間接互恵性……協力的でない者を罰する(あるいは、協力した者には報酬を与える)他者の存在があるのなら、二人の囚人はマジックコーナーを見つけられる。この戦略に対応して、人間は《向社会的処罰者》である。《義憤》に駆られ、自分には何の得にならなくても、非協力的な者を罰する。他者にも、裏切り者に対して正当な憤りを感じることを期待する。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第2章 道徳マシン,岩波書店(2015),(上),pp.79-82,竹田円(訳))
(索引:他者への思いやり,直接互恵性,確実な脅しや約束,評判,分類,間接互恵性)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

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2018年10月26日金曜日

互いの協力によって成立している集団における「ただ乗り者」に対して、人は怒りの感情を持ち、代価を支払っても処罰しようとする。このような、人間が持つ向社会的処罰の傾向は、集団内の互いの協力を高める。(エルンスト・フェール(1956-))

向社会的処罰者

【互いの協力によって成立している集団における「ただ乗り者」に対して、人は怒りの感情を持ち、代価を支払っても処罰しようとする。このような、人間が持つ向社会的処罰の傾向は、集団内の互いの協力を高める。(エルンスト・フェール(1956-))】

「公共財ゲーム」という実験での検証結果である。
(1)「ただ乗り者」を罰する機会がない場合
 (1.1)最初は、ほとんどの人が協力的である。
 (1.2)次第に、ただ乗り者が現れる。
 (1.3)協力的な参加者は、自分がカモになっていることを知ると、次第に協力しなくなっていく。
 (1.4)最後には、協力する者がほとんどいなくなる。
(2)「ただ乗り者」を罰する機会がある場合
 (2.1)ただ乗り者を罰するには、自ら代価を支払わなければならないにもかかわらず、処罰者が現れる。
 (2.2)そして、全体の協力の度合が高くなる。
 (2.3)また、ゲームに罰が取り入れられると、実際に誰かが罰を下す前に、協力が高まる。すなわち、自身には何の得もないにもかかわらず処罰者が現れるという予想を、参加者は持っている。
(3)人は、向社会的処罰者である。
 (3.1)互いの協力によって成立している集団において、自らは協力しないで利益を得る「ただ乗り者」に対して、人は怒りの感情を持つ。
 (3.2)怒りは、自分には何の得もなく、むしろ代価を支払わなければならない状況においても、「ただ乗り者」を処罰するという行動へと、人を動機づける。
 (3.3)処罰するという行動の可能性は、集団内での協力を高める。
 (3.4)集団内の協力が高まることで、他の集団を打ち負かすのを助けることになる。

(出典:wikipedia
エルンスト・フェール(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
エルンスト・フェール(1956-)
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 「研究室で行なわれた多数の実験により、人が実際に向社会的処罰者であることが確認されている。こうした実験でもっとも有名なのが、エルンスト・フェールとシモン・ゲヒターがいわゆる「公共財ゲーム」を使って行なった実験だ。これは、「コモンズの悲劇」とよく似た多人数版の「囚人のジレンマ」だ。参加者は全員、ゲームの冒頭で決まった額のお金を受け取り、いくつかのグループに分けられる。参加者は一ラウンドごとに共同資金として一定金額を出資する。共同資金に預けられたお金は実験者によって何倍かに増やされてから、参加者に均等に分配される。誰がいくら出資するかはわからないようになっている。
 この場合、集団としての合理的行動は、参加者全員が所持金を全額共同資金に出資するというものだ。そうすれば、実験者によって増やされるお金の総額が最大になり、集団全体の取り分も最大化される。」(中略)「ところが、個人としての合理的行動は(利己主義者だったら)、まったく出資しない――つまり、他の参加者の出資金に「ただ乗り」するというものだ。ただ乗り者は、最初に受け取ったお金をまるまる手元に残し、なおかつ共同資金の分け前にもあずかれる。この場合、ただ乗り者がひとりで三人が協力的であれば、ただ乗り者は25ドルの純益を得るが、残りの人は各自たった5ドルの純益しか得られない。公共財ゲームのただ乗り者は、「囚人のジレンマ」での裏切りや、「コモンズの悲劇」で羊を「好きなだけ増やす」行為と似ている。
 公共財ゲームをくり返すと次のようなパターンが見られる。ほとんどの人が最初は協力的で、少なくとも所持金の一部を共同資金に出資する。しかししだいに、ただ乗りをする人が現れる。共同資金への出資額を減らしたり、お金をまったく出さなくなったりするのだ。協力的な参加者は、自分がカモになっていることを知ると、出資額を減らしたり、出資をやめたりする。ラウンドを重ねるごとに出資額が減り、「うんざりだ」という参加者が増え、出資金はかぎりなくゼロに近づく。悲劇だ。」
 「ところが、協力的参加者にただ乗り者を罰する機会を与えると、状況が変化する場合が多い。この場合の罰は「代価を伴う罰」で、誰かの取り分を減らすためにいくらか支払わなくてはならない。たとえば、次のラウンドで、ひとりが1ドル支払うと、ただ乗り者の取り分が4ドル減る。これは経済的に誰かの頭をゴツンと殴ることに相当する。実験者が、ただ乗り者を罰する機会を与えると、通常、共同資金の額は増える。重要な点は、処罰者が罰から何も得るものがなく、全員がそれを承知していても、この現象が起きることだ。それだけではない。ゲームに罰が取り入れられると、即座に、誰かが実際に罰を下す前に、協力が高まる。つまり、ただ乗りしようと考えている人が、ただ乗りすると、自分を罰したところで(物質的に)何の得もない人々にまで罰せられると予測するわけだ。
 《なぜ》私たちは向社会的処罰者なのか? これについてはさかんに議論されている。ある人たちは、向社会的処罰は、直接互恵と評判管理に向って人類が進化させた性向のたんなる副産物だという。私たちは、協力しあう未来が築けそうにない相手を罰する。それは私たちの脳が、すべての人は協力のパートナーであり、誰かがつねに見張っているかもしれないと自動的に思い込んでいるからだ。小規模な狩猟採集集団で暮らすぶんには、不合理な思い込みではない。またある人たちは、向社会的処罰は、生物学的選択や文化選択を通して集団レベルで進化したという。向社会的処罰は集団にとってよいものであり、向社会的に処罰を与えることで、その人は、自分の集団が他の集団を打ち負かすのを助けているというのだ。これはたいへん興味深い議論ではあるが、自分の立場をはっきりさせる必要はない。本書の目的にとって重要なのは、向社会的処罰が生じるということと、それが現在よく知られている心の特徴に合致するということだ。
 予測されるように、向社会的処罰は情動によって引き起こされる。フェールとゲヒターは参加者に、ただ乗りをした人にもし実験室の外で会うことがあったら、その人についてどう感じると思うかを尋ねた。ほとんどの人は、怒りを感じると思うと言い、立場が逆だったら怒りは《自分たちに》向けられるだろうと言った。このあきらかに道徳的な怒りを《義憤》と呼ぼう。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第2章 道徳マシン,岩波書店(2015),(上),pp.76-78,竹田円(訳))
(索引:向社会的処罰者)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

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2018年10月25日木曜日

人間には、集団の成員であることを示す恣意的な目印を基に、簡単に人を社会的に分類し、社会的選好を形成する傾向が存在する。仮に、何の根拠もない無作為のグループにも、内集団の成員をひいきにする傾向がある。(ヘンリー・タジフェル(1919-1982))

恣意的な目印による社会的分類

【人間には、集団の成員であることを示す恣意的な目印を基に、簡単に人を社会的に分類し、社会的選好を形成する傾向が存在する。仮に、何の根拠もない無作為のグループにも、内集団の成員をひいきにする傾向がある。(ヘンリー・タジフェル(1919-1982))】

(出典:wikipedia
ヘンリー・タジフェル(1919-1982)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
ヘンリー・タジフェル(1919-1982)
検索(Henri Tajfel)
 「この実験から、私たちが、集団の成員であることを示す恣意的な目印を基に簡単に人を特徴づけることがわかる。しかし、そのこと自体は、私たちがこうした社会的分類をどう利用しているかについて何もあきらかにしない。ヘンリー・タジフェルらが行った有名な研究は、社会的分類がじつに簡単に社会的選好の土台になることをあきらかにしている。タジフェルは、被験者を偶発的な違いに基づいて二つのグループに分けた。たとえばある実験では、あらかじめ行われた評価課題で、点数を高くつける傾向があった(もしくは点数を低くつける傾向があった)かどうかで二つのグループに分けるふりをした(実際には無作為に分けた)。それから被験者たちに、実験の別の参加者に匿名でお金を分配するように指示した。実験グループはその場かぎりのもので、グループ分けには何の根拠もなかったにもかかわらず、人には内集団の成員をひいきにする傾向があることがわかった。実際、タジフェルは、グループ分けがあきらかに無作為になされている場合でも、人は内集団の成員をひいきにすることを発見した。内集団びいきは、たんに均衡を破るための戦略ではなかった。人々は、外集団のメンバーにより多くお金を与えるくらいなら、内集団のメンバーにより少ないお金を与える場合が多かったのだ。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第2章 道徳マシン,岩波書店(2015),(上),p.71,竹田円(訳))
(索引:社会的分類)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

ジョシュア・グリーン(19xx-)
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2018年10月21日日曜日

人間には、偏狭な利他主義、部族主義の傾向がある。それは、自他の社会的位置を識別し、表示し、行動を調整する人間の能力を基礎とし、所属集団の利益を守るため、集団内部の協力を促し、外部に対抗する傾向である。(ジョシュア・グリーン(19xx-))

偏狭な利他主義、部族主義

【人間には、偏狭な利他主義、部族主義の傾向がある。それは、自他の社会的位置を識別し、表示し、行動を調整する人間の能力を基礎とし、所属集団の利益を守るため、集団内部の協力を促し、外部に対抗する傾向である。(ジョシュア・グリーン(19xx-))】

(1)人間には、偏狭な利他主義、部族主義の傾向がある。
 (1.1)協力集団は、部外者による搾取から自分たちを守らなくてはならない。
 (1.2)そのために、協力できる集団内の他者と、そうでない集団外の他者を区別する。すなわち、《私たち》を《彼ら》から見分ける必要がある。
 (1.3)そして、《彼ら》より《私たち》をひいきにすること。
(2)人間は、自分を中心とする社会的宇宙の中で、人がどこに位置するかにきわめて鋭い注意を向け、自分たちにより近い人をひいきにする傾向がある。
 (2.1)私たちは、自分の社会的な位置を表現する能力を持っている。
 (2.2)私たちは、他者の社会的な位置を読み取る能力を持っている。
 (2.3)私たちは、読み取った内容に応じて行動を調整する能力を持っている。
 (2.4)私たちには、自分に近い人をひいきにする傾向がある。
(3)私たちはみな、同心円状に広がる複数の社会的な円の中心にいる。
 (3.1)もっとも近い血縁者や友人たち
 (3.2)遠い親戚や知人たち
 (3.3)種類や規模も様々な集団の一員となることで関係をもつ他人
  例えば、村、氏族、部族、民族集団、ご近所、街、州、地方、国。教会、宗派、宗教など
 (3.4)所属政党、出身校、社会階級、応援しているスポーツチームや好きなもの嫌いなもの

 「これはよくある問題だ。あらゆる協力集団は部外者による搾取から自分たちを守らなくてはならない。これを行うには、《私たち》を《彼ら》から見分ける能力と、《彼ら》より《私たち》をひいきにする傾向が必要だ。赤の他人を家族のように遇する人もまれにはいるが、それがあたりまえに行なわれている人間社会はないし、それには正当な理由がある。そんな社会は、自由にアクセスできる資源を潤沢に貯えていて、戸口に訪れた見ず知らずの人に、まるで彼らが長いあいだ音信不通だったきょうだいであるかのように、財宝を浴びせようと待ち構えているようなものだろう。このことと辻褄が合うのが、人類学者ドナルド・ブラウンの研究だ。彼は人類の文化の相違点と類似点を調査し、内集団バイアスと自民族中心主義が普遍的であることをつきとめた。
 私たちはみな、同心円状に広がる複数の社会的な円の中心にいる。私たちをまず囲んでいるのが、もっとも近い血縁者や友人たちであり、それをもっと遠い親戚や知人たちのより大きな円が取り囲む。知人や親戚の円の外側にいるのが、種類や規模も様々な集団(村、氏族、部族、民族集団、ご近所、街、州、地方、国。教会、宗派、宗教など)の一員となることで関係をもつ他人だ。こうした入れ子型の集団に加え、所属政党、出身校、社会階級、応援しているスポーツチームや好きなもの嫌いなもので自分を組織化する。社会的空間は複雑で多様な次元から成るが、常識と膨大な社会科学調査の両方から少なくともひとつのことがあきらかだ。人間は、自分を中心とする社会的宇宙の中で、人がどこに位置するかにきわめて鋭い注意を向け、自分たちにより近い人をひいきにする傾向がある。ときに《偏狭な利他主義》ともいわれるこの傾向を、部族主義と呼ぼう。
 もっとも内側の社会的円(家族、友人、知人)に属する人々を、自分の協力集団の成員と見なすのはたやすい。しかし、人間はもっと大きな集団の中でも、積極的にも(橋を建設する、戦争で戦うなど)、もっと消極的にも(不可侵であることによって)協力している。しかし、他人と協力するには、協力できる他者と、私たちにつけこむおそれのある他者を区別する手段が必要だ。言い換えると、私たちには社会的身分証(ID)を示す能力、読み取る能力、そして読み取った内容に応じて行動を調整する能力が必要なのだ。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第2章 道徳マシン,岩波書店(2015),(上),pp.65-65,竹田円(訳))
(索引:偏狭な利他主義,部族主義)

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(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

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2018年10月20日土曜日

生後半年と生後10か月の赤ちゃんであっても、「親切な」おもちゃと「意地悪な」おもちゃの識別を行い、親切な徴候を示すおもちゃに手を伸ばして取ろうとすることを示す実験の事例がある。(ポール・ブルーム(1963-))

親切と意地悪

【生後半年と生後10か月の赤ちゃんであっても、「親切な」おもちゃと「意地悪な」おもちゃの識別を行い、親切な徴候を示すおもちゃに手を伸ばして取ろうとすることを示す実験の事例がある。(ポール・ブルーム(1963-))】

(出典:Yale University
ポール・ブルーム(1963-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
ポール・ブルーム(1963-)
検索(ポール・ブルーム)
検索(Paul Bloom)
 「カイリー・ハムリン、カレン・ウィン、ポール・ブルームは、生後半年と生後10か月の赤ちゃんに、図2-4に示すグリグリ目玉の付いた幾何学的図形が丘を登ったり下りたりするところを見せた。
 左の図では、丘を登ろうとするのだが、ひとりではてっぺんまでたどり着けそうにない。すると、《親切な》三角が丘のふもとから現れ、丸を頂上まで押し上げてくれる。右の図でも、丸は丘を登ろうとしているがうまくいかない。すると、《いじわるな》四角が丘の頂上から現れて、丸を下に押し戻す。赤ちゃんは退屈するまでこれらの動きを何度も見た。そして(ここが検査の核心部分だが)実験者たちは、赤ちゃんの前に、一方の端に親切な三角に似たおもちゃ、もう一方の端にいじわるな四角に似たおもちゃを載せたトレーを置いた。生後10か月の赤ちゃんでは16人中14人が、生後半年では12人全員が親切なおもちゃを取ろうとした――じつに確かな結果だ。
 次に研究者たちは、先ほどと違う赤ちゃんたちに同じ実験を行った。ただし今回は、丸が目標をもった行為者ではなく、生命をもたない物体に見えるようにした。実験者たちはグリグリ目玉を外し、赤ちゃんに、丸が自分で丘を登っているよう(生きて意思をもっているしるし)には見えないようにした。この実験では、三角や四角が誰かを助けたり邪魔したりするのではなかった。たんに丸を丘の斜面にそって押し上げたり、押し下げたりするだけだった。この実験では、予想通り、赤ちゃんは三角の方を四角よりも(つまり、押し上げる方を押し下げる方よりも)好むということがなかった。赤ちゃんの好みがすぐれて《社会的》であるとわかる。赤ちゃんは、押し上げることではなく親切にしてくれることが好きなのであって、押し下げることではなくいじわるするのが嫌いなのだ。
 このように、人間の赤ちゃんは生後半年という、歩いたり話したりできるようになるずっと前から、行為や行為者について価値判断を行っており、協力的な(他者を思いやる)兆候を示すものに手を伸ばし、その反対のものを避ける。実験に参加した赤ちゃんはとても幼いので、その行動が「この四角は赤い丸にやさしくなかった。すなわち、四角が私にやさしくするとは思えない。よって、四角を避けることにしよう」といった意識的推論から出てきたのでないことはあきらかだ。むしろ、こうした判断は、低レベルの合図(ある種の動きや目に似たものの存在)に敏感な、自動化されたプログラムによって生じる。そして、これほど早く出現するのであるから、この機構が私たちの遺伝的形質に組み込まれていることはほぼ間違いない。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第2章 道徳マシン,岩波書店(2015),(上),pp.61-63,竹田円(訳))
(索引:親切,意地悪)

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(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

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2018年10月19日金曜日

抽象的な目のデザイン、または目の写真があるだけで、社会的規制の効果があることを示す実験の事例がある。監視の目と、善悪の関する噂話や評判が、社会的規制に大きな影響力を持っている。(ジョシュア・グリーン(19xx-))

監視の目

【抽象的な目のデザイン、または目の写真があるだけで、社会的規制の効果があることを示す実験の事例がある。監視の目と、善悪の関する噂話や評判が、社会的規制に大きな影響力を持っている。(ジョシュア・グリーン(19xx-))】

 「ケヴィン・ヘイリーとダニエル・フェスラーは次のような実験を行った。実験に参加してくれた被験者の半分に10ドルを渡した。お金を受け取った幸運な被験者は、彼らほど幸運ではなかった被験者に、10ドルの一部か全部を与える、もしくはまったく与えないという選択をする。これは、選択する側がお金の分配を完全に支配するため「独裁者ゲーム」と呼ばれている。実験は最初から最後まで匿名で、ネットワークでつながったコンピュータを通して行われるため、被験者たちには、誰が誰にいくら渡したかはわからない。この実験では、鍵となる操作はじつにさりげなく行われる。半数の独裁者が利用するコンピュータのモニターの「壁紙」には、図2-3に示すような一対の目が表示されている。もう半数の独裁者は対象条件群で、研究室のロゴが記された標準的な壁紙を見たのだった。
 標準的な壁紙を見た人のうち、お金を分けたのは約半数(55パーセント)に留まった。一方、目を見た人は、圧倒的多数(88パーセント)がお金を分けた。これに続くフィールド実験では、購買者が適当と思われる金額を箱に入れて飲み物を買っていく無人販売所を利用した。目の写真があると、牛乳に対して支払われるお金は二倍以上になった。
 誰もが知るように、人間は見られていると思うと、つまり《自意識》を感じると行いがよくなる。ここで驚きなのは、目の写真という、意味のない、低レベルの合図が、人に最善の行動をとらせうることだ。「意味がない」というのは、この合図を見て意識的に反応しようと思う人はいないはずだからだ。「人の目の絵が貼ってあるから、牛乳代を払うことにしよう」という人はいない。むしろこれは自動化されたプログラム、すなわち効率的な道徳マシンの一部の仕業なのだ。
 監視の目が私たちに大きな影響力をもつとしたら、それは、監視の目がほぼ間違いなく、おしゃべりな口とつながっているからだろう。人類学者のロビン・ダンバーによれば、人間の会話時間の約65パーセントは他者のよい行いや悪い行いに関するもの、要するに《ゴシップ》に費やされているのだそうだ。ダンバーいわく、私たちが膨大な時間をゴシップに費やすのは、人類にとってゴシップは、社会的規制を行う、すなわち協力を強化する、重要なメカニズムだからだそうだ。実際、あなたが何をしでかしたかを「みんな」が知るという見通しは、よからぬ行動を思いとどませる強力な動機になる。さらに、人は噂話が《できる》だけではない。噂話は《自動的に》発生するらしい。多くの人にとって、噂話を《しない》でいるにはたいへんな努力が必要なのだ。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第1部 道徳の問題,第2章 道徳マシン,岩波書店(2015),(上),pp.59-60,竹田円(訳))
(索引:監視の目)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)


(出典:Joshua Greene
ジョシュア・グリーン(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あなたが宇宙を任されていて、知性と感覚を備えたあらたな種を創造しようと決意したとする。この種はこれから、地球のように資源が乏しい世界で暮らす。そこは、資源を「持てる者」に分配するのではなく「持たざる者」へ分配することによって、より多くの苦しみが取り除かれ、より多くの幸福が生み出される世界だ。あなたはあらたな生物の心の設計にとりかかる。そして、その生物が互いをどう扱うかを選択する。あなたはあらたな種の選択肢を次の三つに絞った。
 種1 ホモ・セルフィッシュス
 この生物は互いをまったく思いやらない。自分ができるだけ幸福になるためには何でもするが、他者の幸福には関心がない。ホモ・セルフィッシュスの世界はかなり悲惨で、誰も他者を信用しないし、みんなが乏しい資源をめぐってつねに争っている。
 種2 ホモ・ジャストライクアス
 この種の成員はかなり利己的ではあるが、比較的少数の特定の個体を深く気づかい、そこまでではないものの、特定の集団に属する個体も思いやる。他の条件がすべて等しければ、他者が不幸であるよりは幸福であることを好む。しかし、彼らはほとんどの場合、見ず知らずの他者のために、とくに他集団に属する他者のためには、ほとんど何もしようとはしない。愛情深い種ではあるが、彼らの愛情はとても限定的だ。多くの成員は非常に幸福だが、種全体としては、本来可能であるよりはるかに幸福ではない。それというのも、ホモ・ジャストライクアスは、資源を、自分自身と、身近な仲間のためにできるだけ溜め込む傾向があるからだ。そのためい、ホモ・ジャストライクアスの多くの成員(半数を少し下回るくらい)が、幸福になるために必要な資源を手に入れられないでいる。
 種3 ホモ・ユーティリトゥス
 この種の成員は、すべての成員の幸福を等しく尊重する。この種はこれ以上ありえないほど幸福だ。それは互いを最大限に思いやっているからだ。この種は、普遍的な愛の精神に満たされている。すなわち、ホモ・ユーティリトゥスの成員たちは、ホモ・ジャストライクアスの成員たちが自分たちの家族や親しい友人を大切にするときと同じ愛情をもって、互いを大切にしている。その結果、彼らはこの上なく幸福である。
 私が宇宙を任されたならば、普遍的な愛に満たされている幸福度の高い種、ホモ・ユーティリトゥスを選ぶだろう。」(中略)「私が言いたいのはこういうことだ。生身の人間に対して、より大きな善のために、その人が大切にしているものをほぼすべて脇に置くことを期待するのは合理的ではない。私自身、遠くでお腹をすかせている子供たちのために使った方がよいお金を、自分の子供たちのために使っている。そして、改めるつもりもない。だって、私はただの人間なのだから! しかし、私は、自分が偽善者だと自覚している人間でありたい、そして偽善者の度合いを減らそうとする人間でありたい。自分の種に固有の道徳的限界を理想的な価値観だと勘違いしている人であるよりも。」
(ジョシュア・グリーン(19xx-),『モラル・トライブズ』,第4部 道徳の断罪,第10章 正義と公正,岩波書店(2015),(下),pp.357-358,竹田円(訳))
(索引:)

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