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2021年12月19日日曜日

あるものが存在するという言明(孤立した純粋存在言明)は、反証不可能である。存在しないことは、経験では実証できないからである。しかし、その否定、あるものが存在しないという言明が反証可能であり、科学的に意味のある言明なら、もとの存在言明も意味のある言明である。(カール・ポパー(1902-1994))

存在言明について

あるものが存在するという言明(孤立した純粋存在言明)は、反証不可能である。存在しないことは、経験では実証できないからである。しかし、その否定、あるものが存在しないという言明が反証可能であり、科学的に意味のある言明なら、もとの存在言明も意味のある言明である。(カール・ポパー(1902-1994))



「ある種の言明はテスト可能なので科学に属するが、《その否定》はテスト可能でないとわ かり、したがって境界設定線の下に位置づけられなければならないといった事態が生じうる。 そしてこれは重要なケースであることが判明する。実際これは、最も重要で最も厳しくテスト 可能な言明――《科学的普遍法則》――について当てはまるのである。わたくしは『科学的発見の 論理』で次のように勧告した。すなわち、これらの法則は、ある種の目的のために、「いかな る永久機関も存在しない」(これはしばしば「熱力学の第一法則についてのプランクの定式 化」と呼ばれる)といった形で、つまり《存在言明の否定》の形で表現されるべきである、 と。これに対応する存在言明――「永久機関が存在する」――は、「海蛇が存在する」と共に、境 界設定線の下の部分に入る。これに反して「大英博物館には海蛇が展示されている」は、容易 にテストできるので、優に線上の部分に入る。しかし、孤立した純粋存在言明はテストするす べがない。  孤立した純粋存在言明がテスト不能なものとして、また科学者の関心の範囲外に落ちるもの として分類されるべきであるという見解の適切性を、ここで論証するいとまはない。ただわた くしは次の点だけは明らかにさせたいと思う。《もし》この見解が受け入れられると《すれ ば》、形而上学的言明を無意味と呼んだり、あるいはわれわれの言語から締め出したりするの は、おかしいであろう。なぜなら、もし存在言明の《否定》を有意味なものとして受け入れる ならば、われわれは存在言明そのものをも有意味なものとして受け入れなければならないからである。  わたくしがこの点を強調せざるをえなかったのは、わたくしの立場が反証可能性または反駁 可能性を(境界設定のではなく)《意味》の基準として採用する提案だと、あるいは存在言明 をわれわれの言語から、もしくは科学の言語から締め出す提案だと、繰り返しいわれてきたか らである。」

(カール・ポパー(1902-1994),『推測と反駁』,第11章 科学と形而上学との境界設定,第2節 この問題に対するわたくし自身の見解,pp.490-491,法政大学出版局(1980),藤本隆志(訳), 石垣壽郎(訳),森博(訳))






カール・ポパー(1902-1994)





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