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2020年8月10日月曜日

喜び、痛み、あるいは良心の声、安全、名声、支配への欲求、自己実現欲求など、人間にはこれら本能的な性質があるにしても、結果として生じる行動を説明できない。彼の擬似環境、すなわち世界の内部表現が決定的な要素である。(ウォルター・リップマン(1889-1974))

諸傾向、諸欲求だけでは行動を説明できない

【喜び、痛み、あるいは良心の声、安全、名声、支配への欲求、自己実現欲求など、人間にはこれら本能的な性質があるにしても、結果として生じる行動を説明できない。彼の擬似環境、すなわち世界の内部表現が決定的な要素である。(ウォルター・リップマン(1889-1974))】
Try to explain social life as the pursuit of pleasure and the avoidance of pain. You will soon be saying that the hedonist begs the question, for even supposing that man does pursue these ends, the crucial problem of why he thinks one course rather than another likely to produce pleasure, is untouched. Does the guidance of man's conscience explain? How then does he happen to have the particular conscience which he has? The theory of economic self-interest? But how do men come to conceive their interest in one way rather than another? The desire for security, or prestige, or domination, or what is vaguely called self-realization? How do men conceive their security, what do they consider prestige, how do they figure out the means of domination, or what is the notion of self which they wish to realize? Pleasure, pain, conscience, acquisition, protection, enhancement, mastery, are undoubtedly names for some of the ways people act. There may be instinctive dispositions which work toward such ends. But no statement of the end, or any description of the tendencies to seek it, can explain the behavior which results. The very fact that men theorize at all is proof that their pseudo-environments, their interior representations of the world, are a determining element in thought, feeling, and action. For if the connection between reality and human response were direct and immediate, rather than indirect and inferred, indecision and failure would be unknown, and (if each of us fitted as snugly into the world as the child in the womb), Mr. Bernard Shaw would not have been able to say that except for the first nine months of its existence no human being manages its affairs as well as a plant.
(出典:Walter Lippmann"Public Opinion",PART I. INTRODUCTION, I. The World Outside and the Pictures in Our HeadsPublic Opinion(Walter Lippmann))
(索引:喜び,痛み,良心の声,自己実現欲求,本能,世界の内部表現)

(出典:wikipedia
ウォルター・リップマン(1889-1974)の命題集(Propositions of great philosophers)
ウォルター・リップマン(1889-1974)
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関連書籍(amazon、リップマン)

2018年4月6日金曜日

悲しみと憎しみは、喜びと愛よりも不可欠である。なぜなら、害を斥けるほうが、より完全性を加えてくれるものを獲得するよりも、いっそう重要だからだ。(ルネ・デカルト(1596-1650))

悲しみと憎しみ

【悲しみと憎しみは、喜びと愛よりも不可欠である。なぜなら、害を斥けるほうが、より完全性を加えてくれるものを獲得するよりも、いっそう重要だからだ。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 情念の効用は、身体の保存や、身体をいっそう完全にするのに役立ちうる行動にむけて、精神を促し同意と協力を与えることにある。この意味で、悲しみと憎しみは、喜びと愛よりも、不可欠である。なぜなら、害となり破壊するかもしれないものを斥けるほうが、なくても生きていけるなんらかの完全性を加えてくれるものを獲得するよりも、いっそう重要だからだ。
 「それらの情念は、自然の設定によって、すべて身体に関係し、精神が身体と結合されている限りにおいてのみ、精神に与えられる。したがって、情念の自然的な効用は、身体の保存に役立ちうる行動、なんらかのしかたで身体をいっそう完全にするのに役立ちうる行動にむけて、精神を促し同意と協力を与えることだ。」(中略)「悲しみは、ある意味で第一であり、喜びよりも不可欠である。そして憎しみは愛よりも不可欠である。なぜなら、害となり破壊するかもしれないものを斥けるほうが、なくても生きていけるなんらかの完全性を加えてくれるものを獲得するよりも、いっそう重要だからだ。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第二部 一三七、pp.114-116、[谷川多佳子・2008])
(索引:情念の効用、喜び、愛、悲しみ、憎しみ)

情念論 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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自分に欠けている真理を知ることが、悲しみをもたらし不利益であったとしても、それを知らないことよりもより大きな完全性である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

真理を知ることによる悲しみ

【自分に欠けている真理を知ることが、悲しみをもたらし不利益であったとしても、それを知らないことよりもより大きな完全性である。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 もし、喜び自体が最高の善ならば、たとえ自分に欠けている善があったとしても、それは是認されるだろう。しかし、思慮を重ねたあげく、自分に欠けている真理を知ることが、悲しみをもたらし不利益であったとしても、それを知らないことよりもより大きな完全性である。
 「私はときどき自ら疑問に思うことがあります。すなわち、自ら所有する善と所有しない善の正しい価値を知るためにさらに思慮と知識とを重ねたあげく、さらに悲しくなるよりも、現在所有する善が実際よりもより大きく、より価値があると想像し、自分に欠けている善を知らず、あるいはそれに心を留めもせずに楽しく満足している方が、よいのかどうかと。もし私が最高善は喜びであると考えるなら、どんな犠牲を払っても、自分を喜ばせるように努めるべきであることを疑わないでしょうし、不快を酒で紛らし、あるいはタバコで和らげる粗野な人たちを私は是認するでしょう。しかし私は、徳の実践に存する、あるいは(同じことですが)われわれの自由意志が獲得できるあらゆる善の所有に存する最高善と、その獲得から生じてくる精神の満足とを区別しています。それゆえ、それが不利益であっても真理を知ることは、それを知らないことよりもより大きな完全性であることを考えて、私は楽しさがより少なくても、より多くの認識をもつ方がよいと認めます。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『デカルト=エリザベト往復書簡』一六四五年一〇月六日、pp.140-141、[山田弘明・2001])
(索引:思慮、真理、喜び、悲しみ)

デカルト=エリザベト往復書簡 (講談社学術文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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2018年4月3日火曜日

他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況による〈善〉と〈悪〉の感受:喜び、うらやみ、笑いと嘲り、憐れみ(ルネ・デカルト(1596-1650))

羨み、嘲り、憐れみ

【他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況による〈善〉と〈悪〉の感受:喜び、うらやみ、笑いと嘲り、憐れみ(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況が「喜び」や「うらやみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。この〈善〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「喜び」または「うらやみ」を感じる。
 また、「笑いと嘲り」や「憐れみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。この〈悪〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「笑いと嘲り」または「憐れみ」を感じる。
 「その善悪が他の人たちに属するものとして示されると、わたしたちは、その人たちが善悪にふさわしいと思うか、ふさわしくないと思うか、である。ふさわしいとする場合、わたしたちのうちに引き起こされる情念は、喜びにほかならない。ものごとが起こるべくして起こるのを見るのが、わたしたちにとって何らかの善であるからだ。ただ、善から生じる喜びはまじめであるが、悪から生じる喜びは、笑いと嘲りをともなうという違いがある。だが、その人たちがふさわしくないとわたしたちが思う場合、善はうらやみを引き起こし、悪は憐れみを引き起こす。いずれも悲しみの一種である。なお注目すべきは、現在の善ないし悪に関係するこれらの情念が、しばしば未来の善悪にも関係をもちうることだ。これらの善悪が未来に生じるという考えが、これらを現在のものとして表示する限りにおいてである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第二部 六二、pp.57-58、[谷川多佳子・2008])
(索引:喜び、嘲り、うらやみ、憐れみ)

情念論 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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2018年3月5日月曜日

喜び、悲しみ(ルネ・デカルト(1596-1650))

喜びと悲しみ

【喜び、悲しみ(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「さらに、善や悪がわたしたちに属するものとして示されると、現在の善の考慮はわたしたちのうちに喜びを引き起こし、悪の考慮は悲しみを引き起こす。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第二部 六一、p.57、[谷川多佳子・2008])
(索引:喜び、悲しみ)

情念論 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

原基感情

【原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】
マラテスタ/ハヴィランド(Malatesta/Haviland 1982) 喜び 恐れ 怒り 悲しみ おもしろい 痛み 気持ち悪い
心配
ケンパー(Kemper 1987) 満足 恐れ 怒り 抑圧
グレイ(Gray 1982) 希望 不安 怒り 悲しみ
フェアー/ラッセル(Fehr/Russell 1984) 幸せ
愛情
恐れ 怒り 悲しみ
スコット(Scott 1980) 快感
愛情
恐れ
不安
怒り 失意 好奇心
プルチック(Pluchik 1980) 喜び 恐れ 怒り 悲しみ 驚き むかつき 予感 受容
フロム/オブライエン(Fromme/O'Brien 1982) 喜び
意気揚々
満足
恐れ 怒り 悲嘆
諦観
動揺
アリエッティ(Arieti 1970) 満足 恐れ
緊張
憤怒 不快 欲望
エプシュタイン(Epstein 1984) 喜び
愛情
恐れ 怒り 悲しみ
エクマン(Ekman 1984) 幸せ 恐れ 怒り 悲しみ 驚き むかつき
イザード(Izard 1977,1992b) 楽しい 恐れ 怒り
侮蔑
驚き むかつき
はにかみ
苦悩 おもしろい
ダーウィン(Darwin 1872) 快感
喜び
愛情
恐怖 怒り 驚き 痛み
オズグッド(Osgood 1966) 喜び
静穏
快感
恐れ
不安
怒り 悲哀 驚嘆 むかつき おもしろい
期待
退屈
アーノルド(Arnold 1960) 戦い 自衛
攻撃
トレヴァーセン(Trevarthen 1984) 幸せ 恐れ 怒り 悲しみ 言い寄り 抵抗
ターナー(Turner 1996a) 幸せ 恐れ 怒り 悲しみ
スローフ(Sroufe 1979) 快感 恐れ 怒り
パンクセップ(Panksepp 1982) 恐れ
恐慌
激怒 悲哀
失意
悲嘆
期待
エムデ(Emde 1980) 喜び 恐れ 怒り 悲しみ 驚き むかつき
はにかみ
苦悩 おもしろい
ジョンソン-レィアード/オートレイ(Johnson-Laird/Oatley 1992) 幸せ 恐れ 怒り 悲しみ むかつき
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第3章 人間の感情レパートリー、pp.96-97、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:恐れ、怒り、悲しみ、喜び、快、快感、愛、愛情、驚き、むかつき、恥、苦悩、好奇心、欲望、心配)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


ジョナサン・H・ターナー(1942-)
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