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2020年5月15日金曜日

感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

意識と無意識、局地的と普遍的

【感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(2.3)(2.4)追加。

(1)問題:人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、なぜ残虐にもなれるのか。
  人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実に発生する残虐行為を解決するには、科学的な事実と制度・政策との関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題の解明が必要である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
 (1.1)感情や意図の共有
  感情や意図を共有し合えるという能力は、人と人とを意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びつけ、人間の社会的行動の根本的な出発点でもある。
 (1.2)残虐行為が存在するという事実
(2)仮説
 (2.1)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
  共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせている可能性があるが、科学的な事実と制度・政策との関係の問題と、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題が絡み、解決を難しくしている。
  (2.1.1)暴力的な映像による模倣暴力の事例
    暴力的な映像による模倣暴力の存在は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
  (2.1.2)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題
   (a)これを解明するためには、科学的な事実を、社会全般の幸福を促進するための政策策定に反映させる制度的な仕組みが必要だが、そのような体制にはなっていない。
   (b)規制すべきかどうかの問題。言論の自由との絡みがある。
   (c)規制すべきかどうかの問題。市場と金銭的利害との絡みがある。
  (2.1.3)人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
   (a)社会性と人間の自由意志の関係
    人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。
   (b)人間の生物学的組成と自由意志の関係
    一方、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。

 (2.2)顕在的、計画的、意識的レベルと潜在的、反射的、意識以前のレベルの問題
  社会を形成する計画的で意識的な対話を、潜在的レベルの共感で基礎づけて理解することが、問題解決の鍵である。
  (2.2.1)顕在的、計画的、意識的レベル
    社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。
  (2.2.2)潜在的、反射的、意識以前のレベル
   (a)ミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。潜在的で、反射的な、意識以前の現象である。
   (b)道徳の基盤は、人から「動かされる」こと、すなわち共感である。

 (2.3)局地的に作用する共感が、同時に他文化を理解する基盤でもある
  (2.3.1)共感の局地性
   (a)ミラーリングと模倣の強力な効果は、きわめて局地的である。
   (b)そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。
   (c)地域伝統の模倣が、個人の強力な形成要因として強く強調されている。そして、人々は集団の伝統を引き継ぐ者になる。
  (2.3.2)普遍的な共感性の可能性
   (a)私たちをつなぎあわせる神経生物学的機構が存在する。
   (b)神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。
   (c)ただし、宗教的または政治的な信念体系は、大きな影響力を持ち、真の異文化間の出会いを難しくしている。

 「理解と共感を促す神経生物学上の根本的な原動力が、その有益な効果を損なわれている第二の要因は、この神経生物学上の原動力が最もよく働く「レベル」にある。前にも述べたようにミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。実際、カメレオン効果のようなミラーリング行動は、潜在的で、反射的な、意識以前の行動と思われる。一方、社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。潜在的な心理過程と顕在的な心理過程はめったに相互作用しない。むしろ分離するぐらいだ。しかし神経科学によるミラーニューロンの発見は、意識的なレベルでの他人の理解に対し、意識以前の神経生物学的なミラーリングのメカニズムがあることを明らかにしてしまった。この本が論争に巻き込まれるなら本望である。人はミラーリングの神経機構がどう働いているかを直感的に理解しているように見える。この研究のことを話すと、相手はみな――少なくも私の経験では――わかってくれる。自分がすでに意識以前のレベルで「知って」いることを、ようやく明確に言葉にできたのだ。」(中略)「誰か別の人を見ているときに心の中で動きを調整しようとすれば、その心の中で身体接触のようなものが起こる。人は「動かされる」ことが共感の基盤であり、ひいては道徳の基盤でもあると《直感的に》知っているらしい。この人間の共感的な性質をもっと顕在的なレベルで理解することが、いずれ社会を形成する計画的で意識的な対話の要因になってくれることを祈るばかりだ。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.329-330,塩原通緒(訳))
(索引:)
 「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:意識,無意識,共感能力,残虐行為,他文化理解)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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2019年11月5日火曜日

2.異なる文化への嫌悪、非難の感情そのものが、異なる文化に対する我々の想像力と、共感による理解、洞察力、感情移入の能力の存在を証明する。人々がなぜ、その思想、感情を抱き、その目標を追求するのかを理解すること。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

異なる文化の理解

【異なる文化への嫌悪、非難の感情そのものが、異なる文化に対する我々の想像力と、共感による理解、洞察力、感情移入の能力の存在を証明する。人々がなぜ、その思想、感情を抱き、その目標を追求するのかを理解すること。(アイザイア・バーリン(1909-1997))】

(3.1)(3.2)追記。

(1)歴史的決定論は、誤りである。
 (a)人間は、歴史の目的や説明を求める。
 (b)もちろん、個々人や国民の生活の形成を決定していく、大きな非人格的な要因は存在する。
 (c)しかし、歴史の法則というものには、あまりにも多くの明白な例外と、逆の事例が存在する。
(2)個々人の決断と行為が歴史をつくる。
  我々は、多様な文化の中に生き、思想、感情、態度、行動はその影響を受け、また文化は互いに矛盾する場合もある。このような文化の中に生きる諸個人の決断と行為、予測できない偶然が歴史を作っていく。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
 様々な要因が多少とも均等にバランスしている時において、大抵は予測することができない偶然や、個々人の決断や行為が、歴史の進路を決定するというような決定的な瞬間、転換点が存在する。
(3)我々は、多様な文化の中に生きている。
 (3.1)我々は、時間と空間を超えた、我々とは大きく異なった文化に生きる人々を理解できる。
  (a)異なる文化の人々の生き方が、ときには嫌な感情を喚起したり、非難したくなるような場合もある。
  (b)しかしこの事実は、我々には共感による理解、洞察力、感情移入の能力があり、異なった文化に生きる人々を理解できるということを示している。
  (c)文化は、新規で予想もされないような世界観を持っており、互いに矛盾しているような場合もあることを理解すべきである。
 (3.2)文化は、思想、感情、態度、行動の特殊な形態に影響を与える。
  (a)文化は、世界がそれぞれの社会にとって何を意味するかという感覚に影響を与える。
  (b)人々が、なぜその思想を考えるのかを理解すること。
  (c)人々が、なぜその感情を感じるのかを理解すること。
  (d)人々が、なぜその目標を追求し、その行動を行うことができるのかを理解すること。

 「―――あなたが個々人の目標の間の対立について語る時には、ヴィーコの思想にもとづいてその議論を打ち出しているのですか。 

 バーリン ヴィーコはわれわれに、異質の文化を理解することを教えています。その意味では、彼は中世の思想家とは違っています。
 
ヘルダーはヴィーコよりももっとはっきり、ギリシャ、ローマ、ジュデア、インド、中世ドイツ、スカンディナヴィア、神聖ローマ帝国、フランスを区別しました。 

人々がそれぞれの生き方でいかに生きているかを理解できるということ――たとえその生き方がわれわれの生き方とは異なり、たとえそれがわれわれにとっていやな生き方で、われわれが非難するような生き方であったとしても――、その事実はわれわれが時間と空間を超えてコミュニケートできるということを意味しています。

われわれ自身の文化とは大きく違った文化を持つ人々を理解できるという時には、共感による理解、洞察力、感情移入(Einfühlen)――これはヘルダーの発明した言葉です――の能力がいくらかあることを暗に意味しているのです。

このような文化がわれわれの反発をかう者であっても、想像力で感情移入をすることによって、どうして他の文化に属する人々――われわれ似たもの同士(nos semblables)――がその思想を考え、その感情を感じ、その目標を追求し、その行動を行うことができるのかを認識できるのです。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.61-62,みすず書房(1993),河合秀和(訳))
(索引:異なる文化の理解,想像力,共感による理解,洞察力,感情移入)

ある思想史家の回想―アイザィア・バーリンとの対話


(出典:wikipedia
アイザイア・バーリン(1909-1997)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ヴィーコはわれわれに、異質の文化を理解することを教えています。その意味では、彼は中世の思想家とは違っています。ヘルダーはヴィーコよりももっとはっきり、ギリシャ、ローマ、ジュデア、インド、中世ドイツ、スカンディナヴィア、神聖ローマ帝国、フランスを区別しました。人々がそれぞれの生き方でいかに生きているかを理解できるということ――たとえその生き方がわれわれの生き方とは異なり、たとえそれがわれわれにとっていやな生き方で、われわれが非難するような生き方であったとしても――、その事実はわれわれが時間と空間を超えてコミュニケートできるということを意味しています。われわれ自身の文化とは大きく違った文化を持つ人々を理解できるという時には、共感による理解、洞察力、感情移入(Einfühlen)――これはヘルダーの発明した言葉です――の能力がいくらかあることを暗に意味しているのです。このような文化がわれわれの反発をかう者であっても、想像力で感情移入をすることによって、どうして他の文化に属する人々――われわれ似たもの同士(nos semblables)――がその思想を考え、その感情を感じ、その目標を追求し、その行動を行うことができるのかを認識できるのです。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.61-62,みすず書房(1993),河合秀和(訳))

アイザイア・バーリン(1909-1997)

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2019年4月25日木曜日

02.互いの行動を理解可能なものとする他者の思考、感情、意志決定に関する信念は、他者の行動や発言に基づく推論だけからは得られない。より原初的で反応的な共感や感情移入と、社会的な相互作用が必要である。(アラスデア・マッキンタイア(1929-))

他者の思考、感情、意志決定に関する信念

【互いの行動を理解可能なものとする他者の思考、感情、意志決定に関する信念は、他者の行動や発言に基づく推論だけからは得られない。より原初的で反応的な共感や感情移入と、社会的な相互作用が必要である。(アラスデア・マッキンタイア(1929-))】

(1)いかにして、他者の思考、感情、意志決定が知られるか。
 (1.1)他者の思考や感情に関する、原初的でより基礎的な解釈的知識が存在する。
  (i)これは、推論ではなく、反応的な共感や感情移入である。
 (1.2)社会的な相互作用のなかで、他者の思考、感情、意志決定に関する信念が生じる。
  (i)他者たちへの私たちの反応が、私たちがどんな思考や感情に対して反応しているのかを、彼らにもたらす。
  (ii)私たちの反応に対する彼らの反応が、彼らがどのような思考や感情に対して反応しているのかを、私たちにもたらす。
 (1.3)時には、目に見える彼らのふるまいや発言から推論する必要がある。
  (i)しかし、推論が正しいか間違っているかは、反応的な共感や感情移入により確かめられる。
  (ii)従って、反応的な共感や感情移入から切り離された単独の推論は、疑いから抜け出せない。
(2)他者の思考、感情、意志決定が知られることで、互いの行動が理解可能なものとなる。

 「デカルトの誤解は、たんにヒトではない動物たちに関する誤解であったばかりでなく、同時にヒトに対する誤解でもあった。デカルトを誤った方向へ導いたのは、他者の思考や感情や意志決定に関する私たちの信念は、目に見える彼らのふるまいや発言からの推論に全面的に依存している、という彼の見解だった。もちろん、ときに私たちは、他の誰かが考えていることや感じていることを、推論によって「おしはかる」必要がある。しかし、そうした特殊のケースにおいてさえ、それでもなお私たちは、他者の思考や感情に関する原初的でより基礎的な解釈的知識に頼っている。そして、そうした知識は推論によって正当化されているわけではないし、その必要もない。このような知識はいったいどんな種類の知識だろうか。それは実践知の一形態であり、解釈の仕方を知ることにほかならない。そうした知は、他者たちとの次のような複雑な社会的相互作用から生じる。すなわち、他者たちへの私たちの反応と、私たちの反応に対する彼らの反応が、自分はどんな思考や感情に対して反応しているのかに関する認知を彼らに、そして、私たちにもたらすような、そうした複雑な社会的相互作用である。もちろん、彼らも私たちもしばしばまちがいを犯すし、私たちのうちのある者は他の者よりも頻繁にまちがいを犯す。しかし、そのようなまちがいがまちがいだとわかる能力それ自体が、他者が何を考え、何を感じているかに気づく能力を前提としている。他者に関する解釈的な知識は、他者とのかかわりから得られるものであり、そこから切り離すことができない。それゆえ、他者の思考や感情についてのデカルト的な疑いは、他者とのそうしたかかわりを奪われた人々にのみ生じうる。そして、そうした人々はある重篤な心理的障害によってか、もしくは、デカルトの場合のようにある哲学的な理論の力によって、他者とのそうしたかかわりを奪われているのである。
 つまり、他者を知るということは、作用や相互作用を通じて反応的な共感や感情移入が〔他者に対して〕引き起こされるということであり、そうした共感や感情移入なしには、私たちは、他者たちのとった行動の理由を、私たちがしばしばそうするように、彼らに帰することができないだろう。そうした理由によって、彼らの行動は私たちに理解可能なものとなり、それによって、彼らもまたそれを理解できるようなしかたで私たちが他者たちに対して反応することが可能になるのである。(もちろん、ときとして私たちは、ある〔他者の〕行動について、それがなされた理由があるとして、そうした理由にまったく気づくことがなくとも、その行動に反応するし、反応するのに何の困難を感じない。しかし、ふつうは、ある行動があの理由ではなくこの理由でなされたからこそ、それに対して私たちは現にしているようなしかたで反応するのであり、私たちはその理由を特定できていればこそ、どう反応すべきか知っているのである。)」
(アラスデア・マッキンタイア(1929-),『依存的な理性的動物』,第2章 動物という類に対比されるものとしてのヒト、その類に含まれるものとしてのヒト,pp.16-18,法政大学出版局(2018),高島和哉(訳))
(索引:共感,感情移入,他者の思考,他者の感情,他者の意志決定)

依存的な理性的動物: ヒトにはなぜ徳が必要か (叢書・ウニベルシタス)


(出典:wikipedia
アラスデア・マッキンタイア(1929-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「私たちヒトは、多くの種類の苦しみ[受苦]に見舞われやすい[傷つきやすい]存在であり、私たちのほとんどがときに深刻な病に苦しんでいる。私たちがそうした苦しみにいかに対処しうるかに関して、それは私たち次第であるといえる部分はほんのわずかにすぎない。私たちがからだの病気やけが、栄養不良、精神の欠陥や変調、人間関係における攻撃やネグレクトなどに直面するとき、〔そうした受苦にもかかわらず〕私たちが生き続け、いわんや開花しうるのは、ほとんどの場合、他者たちのおかげである。そのような保護と支援を受けるために特定の他者たちに依存しなければならないことがもっとも明らかな時期は、幼年時代の初期と老年期である。しかし、これら人生の最初の段階と最後の段階の間にも、その長短はあれ、けがや病気やその他の障碍に見舞われる時期をもつのが私たちの生の特徴であり、私たちの中には、一生の間、障碍を負い続ける者もいる。」(中略)「道徳哲学の書物の中に、病気やけがの人々やそれ以外のしかたで能力を阻害されている〔障碍を負っている〕人々が登場することも《あるにはある》のだが、そういう場合のほとんどつねとして、彼らは、もっぱら道徳的行為者たちの善意の対象たりうる者として登場する。そして、そうした道徳的行為者たち自身はといえば、生まれてこのかたずっと理性的で、健康で、どんなトラブルにも見舞われたことがない存在であるかのごとく描かれている。それゆえ、私たちは障碍について考える場合、「障碍者〔能力を阻害されている人々〕」のことを「私たち」ではなく「彼ら」とみなすように促されるのであり、かつて自分たちがそうであったところの、そして、いまもそうであるかもしれず、おそらく将来そうなるであろうところの私たち自身ではなく、私たちとは区別されるところの、特別なクラスに属する人々とみなすよう促されるのである。」
(アラスデア・マッキンタイア(1929-),『依存的な理性的動物』,第1章 傷つきやすさ、依存、動物性,pp.1-2,法政大学出版局(2018),高島和哉(訳))
(索引:)

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2018年8月12日日曜日

他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

共感

【他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】

(1)他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知できる。
 (1.1)他者が、情動を感じている表情を見る。(視覚情報)
 (2.2)観察者の情動の基盤となっている内臓運動に関係する神経構造が、自動的に活性化される。
 (3.3)これにより、他者の情動が、直ちに了解される。ただし情動は、それが他者の表情や行為にどう表れているかに関係する、感覚的側面の内省的処理によって理解される場合もあるかもしれない。
(2)島の活性化によって引き起こされる内臓運動反応の周囲にある中枢は、潜在的な内臓運動活動を表象しており、それが実行されることもあれば、潜在的な状態にとどまることもある。
(3)このような情動の理解は、「同情」のための前提だ。しかし「同情」には他の要因も必要となる。例えば、相手が誰なのか、相手とどういう関係にあるのか、相手の立場になったところを想像できるか、相手の情動の状態や願望や期待といったものに対して責任を引き受ける気があるかなどだ。

 「よく知られているように、吐き気を催している人を目にすると、見ている側にも同じような反応が起きる。見ている人は、実際に吐かないまでも、必ずと言っていいほど、何か特別に不快な物を食べたり飲んだりしたかのように、吐き気や、ひどい腹痛などに見舞われる。島の活性化によって引き起こされる内臓運動反応が、周囲にある中枢に影響を及ぼすとはかぎらないとはいえ、そうした中枢が完全に無関係というわけではない。じつはその正反対で、周囲にある中枢は潜在的な内臓運動活動を表象しており、それが実行されることもあれば、潜在的な状態にとどまることもあるが、いずれにせよ、それは、主体である「私」が他者の情動を理解する上でぜったいに欠かせない。
 行為を理解するのに、その行為の模倣が必要ではないのと同じで、他者の情動の意味を理解するために相手の行動を細部まで余すところなく再現する必要はない。他者の運動行為や情動反応の知覚に、異なる皮質回路が関与しているとしても、そうした知覚は、ミラーメカニズムによって統合されているようだ。ミラーメカニズムのおかげで、私たちの脳は、自分が見たり感じたりしていること、あるいは他者が行っているのだろうと思っていることがただちに理解できる。それはこのメカニズムが、私たち自身の行為や情動の基盤となっているのと同じ(それぞれ運動と内臓運動にまつわる)神経構造を活性化するからだ。すでに述べたとおり、他者の行為や意図を理解するために私たちの脳に備わっている手段はミラーメカニズムだけではない。これは情動にも当てはまる。情動は、それが他者の表情や行為にどう表れているかに関係する、感覚的側面の内省的処理によって理解される場合もあるかもしれない。しかし、内省的処理だけで、内臓運動の「ミラーリング」の支援がなければ、ジェイムズの言う、純粋な「情動的温かみ」を欠く「色彩のない」知覚にとどまるだろうことは忘れてはならない。
 情動のミラーニューロン系は、他者の情動を一瞬で理解することを可能にする。この瞬間的な理解は、より複雑な対人関係の大半の基盤となる共感にとって、必要条件だ。とはいえ、他者の情動の状態を内臓運動レベルで共有することと、その人に共感することは、まったく違う次元の話だ。たとえば、誰かが苦しんでいるのを目にしたからといって、反射的にその人に同情するとはかぎらない。同情することはよくあるが、同情するには苦しんでいる人を見ることが前提となるものの、逆は必ずしも真実とは言えない点で、二つのプロセスはまったく異なる。さらに同情には、痛みを認識する以外にもさまざまな要因が必要となる。たとえば相手が誰なのか、相手とどういう関係にあるのか、相手の立場になったところを想像できるか、相手の情動の状態や願望や期待といったものに対して責任を引き受ける気があるかなど、そうした要因は枚挙に暇がない。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第7章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.207-208,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:共感,情動)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

ジャコモ・リゾラッティ(1938-)
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