2018年5月4日金曜日

6.現在の状況が感じさせる「落胆および不満」と「罪悪感および自己卑下」が、理想自己、あるべき自己を暗示する。「恥および当惑」と「恐れおよび危機感」が、特定の重要他者が考えると想定している理想自己、あるべき自己を暗示する。(E・トーリー・ヒギンズ(1946-))

理想自己とあるべき自己

【現在の状況が感じさせる「落胆および不満」と「罪悪感および自己卑下」が、理想自己、あるべき自己を暗示する。「恥および当惑」と「恐れおよび危機感」が、特定の重要他者が考えると想定している理想自己、あるべき自己を暗示する。(E・トーリー・ヒギンズ(1946-))】
自己不一致の例。
 わたしたちの現在の状況が「悲しみ」を感じさせるとき、その程度により「落胆および不満」と「罪悪感および自己卑下」とが区別される。「落胆および不満」は、現実自己と理想自己の信念の不一致を示し、「罪悪感および自己卑下」は、現実自己とあるべき自己の信念の不一致を示す。
 わたしたち自身によって過去なされたことについての、または現在のわたしたち自身についての、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「恥」を感じさせるとき、その程度により「恥および当惑」と「恐れおよび危機感」とが区別される。「恥および当惑」は、現実自己の信念と、特定の重要他者が考えると想定している理想自己との不一致を示し、「恐れおよび危機感」は、現実自己の信念と、特定の重要他者が考えると想定しているあるべき自己との不一致を示す。

(出典:Social Psychology Network
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「注:「自身」はその人自身の視点を、「他者」は重要他者(例:父親)の視点をさす。 [出典:Higgins(1987)に基づいて作成]」
自己不一致 誘発される感情
現実/自身 と 理想/自身 落胆および不満 私は、自分がなりたいほどには魅力的でないので、がっかりしてしまう。
現実/自身 と 理想/他者 恥および当惑 私は、両親が「こうあってほしい」と願うほど親切な人間ではないので、恥ずかしい。
現実/自身 と あるべき/自身 罪悪感および自己卑下 私は自分が嫌いだ。もっと強い意志をもたなければならないのに。
現実/自身 と あるべき/他者 恐れおよび危機感 私は、父が期待するほどには試験でがんばらなかった。父が怒るのではないかと心配だ。
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第13章 内面へのまなざし、p.405、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:現実自己、理想自己、あるべき自己)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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5.自己に関する概念のタイプ:現実自己、理想自己、あるべき自己に関する信念。特定の重要他者が考えているであろう現実自己、理想自己、あるべき自己に関する自分自身の想定。(E・トーリー・ヒギンズ(1946-))

現実自己、理想自己、あるべき自己

【自己に関する概念のタイプ:現実自己、理想自己、あるべき自己に関する信念。特定の重要他者が考えているであろう現実自己、理想自己、あるべき自己に関する自分自身の想定。(E・トーリー・ヒギンズ(1946-))】
自己に関する概念のタイプ
(a) 現実自己/自身:自分が実際に持っている属性に関する信念。
(b) 理想自己/自身:自分が理想として持ちたい属性に関する信念。
(c) あるべき自己/自身:自分が持つべき属性に関する信念。
(d) 現実自己/他者:特定の重要他者が考える、自分が実際に持っている属性に関する想定。
(e) 理想自己/他者:特定の重要他者が考える、自分が理想として持ちたい属性に関する想定。
(f) あるべき自己/他者:特定の重要他者が考える、自分が持つべき属性に関する想定。

(出典:Social Psychology Network
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「注:各概念の表象には自分自身の観点だけでなく、重要他者の視点からの表象も含まれる。例えば、あなたの父親が考える「あるべきあなた」についての、あなたの知覚(例:やさしいよりも強くあれ)は、自己の「あるべき/他者」表象である。
[出典:Higgins(1987)に基づいて作成]」
自己概念 定義
現実自己 自分自身による自分の表象。自分が実際にもっている属性に関する信念。 私は、思いやりがあり、温かく、スポーツが得意で、魅力的な人間だ。
理想自己 こうありたいと希望し願う自分自身の表象。理想としてもちたい属性に関する信念。 私がぜひなりたいのは、気前がよく、寛容で、やり手で、人気があり、才気にあふれた、愛される人間だ。
あるべき自己 あるべき自分、あるべきだと感じる自分の表象。自分がもつべき属性に関する信念。つまり、もつべき義務があるもの。 私はもっと、野心的で、強く、よく働き、自分に厳しい人間であるべきだ。
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第13章 内面へのまなざし、p.404、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:現実自己、理想自己、あるべき自己)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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4.脅威を無視することができない状況にならない限り、否定的な自己関連情報の選択的注意により、肯定的で社会的に望ましい自己像を一貫して維持し、自己高揚的な肯定バイアスを持つことは、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティである。(ウォルター・ミシェル(1930-))

否定的な自己関連情報への選択的注意

【脅威を無視することができない状況にならない限り、否定的な自己関連情報の選択的注意により、肯定的で社会的に望ましい自己像を一貫して維持し、自己高揚的な肯定バイアスを持つことは、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティである。(ウォルター・ミシェル(1930-))】
 次のようなパーソナリティ次元が存在する。
(a) 否定的な自己関連情報は避け、日常的なストレスや不安に対してあまり敏感ではなく、自分には問題や困難がほとんどないと考える。肯定的で社会的に望ましい用語で、自分自身のより好ましい点を一貫して表現するように記述する。ただし、脅威を単に無視することが許されない状況になると、それに注意を向け始め、ひどく心配する。
(b) 否定的な自己関連情報に注意を向ける傾向があり、より批判的で否定的な自己像を描く。
 精神力動論は、(a)のような否定的な情報や脅威の抑圧と認知的回避を「抑圧性」と記述し、脆弱で傷つきやすいパーソナリティの顕著な特徴であり、(b)のような正確な自覚と、自己の限界・不安・欠点への気づきは、「鋭敏性」と記述し、健康なパーソナリティの重要な構成要素であると考えてきた。
 しかし、自己高揚的な肯定バイアスを持ち、多くの状況下で脅威となる情報を意図的に避ける情動的鈍感さという態度は、洞察に欠けている脆弱なパーソナリティというより、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティなのである。 

 「抑圧性 - 鋭敏性における個人差はしばしば自己報告式質問紙(Byrne,1964)によって測定されてきた。

この尺度において、抑圧者とは自分には問題や困難がほとんどないと記述する人のことである。その人たちは日常的なストレスや不安に対してあまり敏感ではないと報告するが、一方、正反対のパターンの人は鋭敏者とよばれている。

この尺度が測定する個人差は、重要な個人情報に対する選択的注意を予測することができる。」(中略)

一般的に、鋭敏者は否定的な自己関連情報に注意を向ける傾向があるが、抑圧者はそれを避け、より楽しいことだけを考えることを好む傾向がある。そして、脅威を単に無視することが許されない状況になると、抑圧者はそれに注意を向け始め、そのことをひどく心配する(Baumeister & Cairns,1992)ようである。

 抑圧者と鋭敏者は、自己記述においても異なっていた。

すなわち、抑圧者は肯定的で社会的に望ましい用語で、自分自身のより好ましい点を一貫して表現するように記述するのに対し、鋭敏者はより批判的で否定的な自己像を描いた(Alicke,1985; Joy,1963)。

しかし最も興味深いことは、その後の良好な精神的、身体的な健康を予測できる、楽観的なパーソナリティ像とより適合しているのは、鋭敏者ではなく抑圧者であるということである。


 これは精神力動論にとって驚くべきことである。

正確な自覚と、自己の限界・不安・欠点への気づき、すなわち鋭敏であることは、健康なパーソナリティの重要な構成要素であると仮定してきたからである。

対照的に、否定的な情報や脅威の抑圧と認知的回避は、脆弱で傷つきやすいパーソナリティの顕著な特徴であった。

もちろん、フロイト派が考えてきた強力な情動的抑圧は、この尺度で見いだされた抑圧者を特徴づけるような自己高揚的な肯定バイアスとはまったく異なっているであろう。同様に、精神力動論が考えてきた自覚の強化や個人的不安への気づきはまた、この尺度における「鋭敏性」とはまったく異なっているであろう。

しかし次の節でも述べるように(Miller,1987)、また他の多くの研究が示すように(Bonanno,2001; Seligman,1990; Tayler & Brown,1988)、多くの状況下で脅威となる情報を意図的に避ける情動的鈍感さという態度は、洞察に欠けている脆弱なパーソナリティというより、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティなのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第8章 精神力動論の適用と過程、pp.259-261、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:否定的な自己関連情報への選択的注意)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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3.有能性への欲望:私たちには、活動それ自体を楽しみ、その効力感を感じ、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求がある。例として、好奇心、刺激への欲求、遊び、冒険への欲求。(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))

有能性への欲望

【有能性への欲望:私たちには、活動それ自体を楽しみ、その効力感を感じ、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求がある。例として、好奇心、刺激への欲求、遊び、冒険への欲求。(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))】
 好奇心や刺激への欲求、遊びや冒険への欲求は、活動それ自体を楽しむ自発的、積極的で創造的な活動であり、このとき感じる快は、能動的主体として生きているという効力感からもたらされる。この傾向は、生物が本来的に生きて活動しているという観点からは、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求ともいえる。動機付けという観点からは、この欲求は内発的であり、賞賛などの外的報酬によるものではない。
検索(Robert W. White)
検索(ロバート・W・ホワイト)

 「好奇心や刺激への欲求、遊びや冒険への欲求などのさまざまな高次の動機は、すべて基本的な動機、有能性への欲望の一部とみなされる(White,1959)。

マレーとともに研究していたハーバード派人格学者ホワイトによると、日々の活動、例えば子どもの探究や遊び、会話、ハイハイや歩行でさえも、習熟や効果的に機能するための欲望を反映している。日々の活動はそれ自体で、内発的に満足し、効力感を生みだすのである。ホワイトはこれらの言葉で要点を論じている。

 『動機について考えるとき、積極的対応という、この総合的な傾向を考慮しないなら、恐怖、動因、情熱に支配され何もできない無力な生物という見方をせざるとえなくなる。文明の創造者どころか、生き延びることさえできないほど無力な存在である。

有能性を獲得するための奮闘努力が、生物が本来的に生きて活動しているということの最も明確な表象となっている。

それは、自分自身の人生と生活を能動的主体として生きている感覚を経験するときの自発性とがんばりの力である。この経験は効力感とよぶことができる。』(White,1972,p.209)

 有能性への動機づけは、課題の習熟それ自体への欲望であり、ランニング、ピアノの演奏、手品、チェス、新しい外科手術の手続きのような多様な課題に適用される。

ホワイトによると、習熟への欲望は飢えや性のような生物学的動因とは無関係に生じ、それらに由来するものではない。さらに、人々は、例えば賞賛や、注意、金のような外的報酬のためではなく、活動自体のための有能性への欲求を満足させる活動に従事する。

有能性への動機づけの概念は、人間が追い求め、それ自体を楽しむ膨大な範囲の創造的活動を強調する点において価値があり、動機づけや適応的な問題解決の研究に主要な役割を果たす(例:Dweck,1990)。

しかし、それは人間の行動に影響を及ぼす多くの動機の一つにしかすぎない。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第8章 精神力動論の適用と過程、pp.240-241、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:有能性への欲望、好奇心、遊び、刺激への欲求、冒険への欲求)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2.生物的準備性の例:ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚。(スティーブン・ピンカー(1954-))

生物的準備性

【生物的準備性の例:ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚。(スティーブン・ピンカー(1954-))】
 何の条件づけも行われないうちから存在するしているような恐怖の対象がある。ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、そして見知らぬ人に対する恐怖症はその典型的なものだ。これらは、進化過程において人類の生存の脅威であったようなものである。恐怖だけではなく、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚などの高次精神活動においても、ある事柄は容易であるけれども他のことはそれほどでもないというように、生物的準備性をもたらしている(Pinker,1997)。

(出典:wikipedia
検索(スティーブン・ピンカー)
 「進化的アプローチはまた、人々が生物的に、進化過程において人類の生存の脅威であったようなものを恐れる傾向にあると主張している(Buss,1997; Seligman,1971)。あまり多くはないが、多くの人に共通した恐怖症は、実質的に普遍的なものと考えられる。ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、そして見知らぬ人に対する恐怖症はその典型的なもので、それらには同一のテーマがある。進化過程の祖先を危険にさらしたものであり、それらを怖がるよう、私たちはあらかじめプログラムされているようである。ピンカー(Pinker,1997,p.387)は次のように述べている。「子どもはラットを恐がり、ラットは明るい部屋を恐がる。これらの恐怖は何の条件づけも行われないうちから存在し、子どももラットも、危険とそれらを容易に連合させる」。

このような知見は、進化の過程で形成され、脳内にあるとされる、あらかじめプログラムされている傾向として、近年になって議論されることが増えた広範なデータの一部にすぎない。

そして、これらの性質は、あるものに対してはそれほどでもないが他のものを強く恐れるというように、恐怖に関して人々を独特の形に準備しているだけでなく、言語の獲得から数学的な技能、音楽の観賞から空間知覚まで、すべての種類の高次精神活動においても、ある事柄は容易であるけれども他のことはそれほどでもないというように、生物的準備性をもたらしている(Pinker,1997)というのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅱ部 生物学・生理レベル、第6章 脳、進化、パーソナリティ、pp.185-186、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:生物的準備性)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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1.不確かさへの志向:次のようなパーソナリティ次元が存在する。不確実さを正面から受けとめ新しい情報を求めて解決しようとする。逆に、不確実さに不快を感じて状況を回避し、新しい情報も求めない。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)

不確かさへの志向

【不確かさへの志向:次のようなパーソナリティ次元が存在する。不確実さを正面から受けとめ新しい情報を求めて解決しようとする。逆に、不確実さに不快を感じて状況を回避し、新しい情報も求めない。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)】
 次のようなパーソナリティ次元が存在する。
(a) 不確実さを扱うことに比較的自信があり、それを正面から解決しようとする傾向。
(b) 不確かさに不快になり、不確かさの主観的感覚が増加する状況を回避しようとする傾向。
 結果についてコントロールできない状況を経験した後、(a)の傾向の強い人は、その状況に関連する新しい情報を求めるのに対して、(b)の傾向の強い人は新しい情報を回避する。
 特殊例として、(a)の傾向の強い人は、「あるテストが重要な能力を診断する」と言われた方が、良い成績をとり、(b)の傾向の強い人は「テストが重要な能力を診断するものではない」と伝えられた方がが、よりよい成績をとる。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-))

(出典:Western University



 「人と状況の相互作用の例における個人差の次元として、不確かさへの志向の研究をみてみよう。このパーソナリティ次元は、不確実さを扱うことに比較的自信があり、それを正面から解決しようとする個人の極と、不確かさに不快になり、不確かさの主観的感覚が増加する状況を回避しようとする個人の極で定義される(Sorrentino & Roney,1986,2000)。

さて、次の問題を考えてみよう。結果についてコントロールできない状況を経験した人は、その後で新しい情報を回避するのか、それとも接近するのか。

あるテストが重要な能力を診断すると言われたなら、学生は成績がよくなるのだろうか。

これらの質問に対する回答は、個人の不確かさへの志向によって違ってくる。不確かさへの志向が高い人、すなわち不確かさに自信をもち、それをどうにかしようとする人にとって、二つの質問への回答はイエスである。しかし、不確かさが不快な人の答えは非常に異なったものとなる(Huber,Sorrentino,Davidson & Epplier,1992)。例えば、テストが重要な能力を診断するものではないと伝えられたほうが、よりよい成績をとる(Sorrentino & Roney,1986)。さらに、不確かさへの志向が低い人が制御不能状態を経験したとき、そして特に中程度に抑うつ的であったなら、新しい情報を回避する(Walker & Sorrentino,2000)。

そのため、すべては人のタイプと状況のタイプの相互作用によって決まってくる。そして、ある人にとって性格にあっている状況というのは、他の人にとっては苦痛かもしれない。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅰ部 特性・性質レベル、第4章 性質の表出、p.107、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:不確かさへの志向、パーソナリティ次元)

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(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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