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2022年1月17日月曜日

歴史研究においては、道徳的ないし心理的評価を最小限に抑止すべきだという要求は、最大かつ破壊的な誤謬のひとつである。なぜなら、歴史において人間を、目的や動機をそなえた存在として見ることに矛盾するからである。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

歴史研究のあり方

歴史研究においては、道徳的ないし心理的評価を最小限に抑止すべきだという要求は、最大かつ破壊的な誤謬のひとつである。なぜなら、歴史において人間を、目的や動機をそなえた存在として見ることに矛盾するからである。(アイザイア・バーリン(1909-1997))



「歴史は想像的文学とはちがう。けれども、自然科学ではまさしく不当に主観的・個人的と して難ぜられるようなものから、歴史もやはり免れるわけにはゆかないことはたしかである。 歴史が人間をただ空間内の物質的対象として取扱わねばならぬ――つまり行動主義的でなければ ならぬ――という前提に立つのでなければ、歴史の方法は精密自然科学の規準にはほとんど合致 させえない。人間を目的や動機をそなえた存在として見る(たんに諸事件の継起における因果 的要素としては見ない)ことに必然的に含まれている道徳的ないし心理的評価の最小限をさえ 抑止せよという歴史家への訴えは、人間研究の目的と方法を自然科学のそれと混同することか らきているのではないかとわたくしには思われる。それはここ百年ばかりの間の最大、かつ もっとも破壊的な誤謬のひとつである。
 * 歴史がこの意味において物理学的記述とは異なるのだということは、はるか以前にヴィコ によって発見され、ヘルダーおよびその後継者たちによって想像力豊かに、またきわめて生き 生きと提示された真理である。19世紀の歴史哲学者たちによって誇張され、極端論にまでなっ たところはあるが、やはり依然としてそれはロマン主義運動がわれわれの知識に寄与した最大 のものである。そこで示されたことは、時としてきわめて誤解を招きやすい混乱した仕方にお いてではあったが、歴史を自然科学に還元することが、真理であるとわれわれの知っているも のをわざと無視すること、われわれにもっとも親しい内容的知識の大部分を諸科学および数学 的・科学的訓練との誤れるアナロジーの祭壇で圧殺してしまうことだということであった。オ リゲネスのごとく、罪(観察データの「中立的」な調書からのいかなる逸脱にも含まれている)を犯すあらゆる誘惑を免れるようにと人間性の研究者に、禁欲生活を行い、進んで自分を 苦しめさいなむようにせよとのこの勧告は、歴史記述を悲愴な、また同時に馬鹿げたものにし てしまうことになる。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『歴史の必然性』(収録書籍名『歴史の必然 性』),IV,pp.241-243,みすず書房(1966),生松敬三(訳))
アイザイア・バーリン
(1909-1997)





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