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2022年1月15日土曜日

18.非常に多くの国で、非常に長い期間にわたって非常に多くの人々が生きる基準にしてきた道徳律が存在する。これを認めると、それによって他の人々と一緒に生きることが可能になる。仮に、異なる文化、異なるものの見方、異なる直感を持った人々でも、理解することはできるだろう。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

普遍的な道徳律

非常に多くの国で、非常に長い期間にわたって非常に多くの人々が生きる基準にしてきた道徳律が存在する。これを認めると、それによって他の人々と一緒に生きることが可能になる。仮に、異なる文化、異なるものの見方、異なる直感を持った人々でも、理解することはできるだろう。(アイザイア・バーリン(1909-1997))



 「―――しかし、あなたは普遍的な道徳的価値を信じるのですか。  
バーリン 
そうです、ある意味では。私は、非常に多くの国で非常に長い期間にわたって非 常に多くの人々が生きる基準にしてきた道徳律を信じています。この道徳律を認めること、そ れによって他の人々と一緒に生きることが可能になります。

しかし、あなたが「絶対的な道徳 律」と言われるなら、私は「どうしてそれが絶対的になっているのか」、「それは何を根拠に してか」と問い返さねばなりません。そして先験的なものに再び帰っていくことになります。 

普遍的というのが道徳律の直感的確実性という意味なら、私はある種の直感的確実性を感じて いると思います。しかし、誰か他の人はまったく違ったものの見方と直感の体系を持っている とあなたが言われるなら、私はそれが理解不可能なものでない限りは、その誰かがどのように してその価値を持つに至ったかを把握できるよう努めるでしょう。

その文化が私の文化に危険 をもたらすようなことがあるとすれば、その文化から我が身を守らねばならなくなるとして も、理解しようとするでしょう。

現実に人間と人間のものの見方はヘルダーの思っていたのよ りははるかによく似ており、文化は例えばシュペングラー、さらにはトインビーが主張してい たのよりもはるかに大きく互いに似かよっていると、私は信じています。

しかし文化はやはり 違っており、互いに和解できないものかもしれません。しかし私は、自分には絶対的な道徳律 を探知する能力はないことは、はっきり判っています。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハ ンベグロー,第3の対話 政治思想――時の試練,道徳と宗教,pp.162-163,みすず書房(1993), 河合秀和(訳))


17.権力の問題は、観察、歴史分析、社会学的調査によって解決される経験的な問題であるが、政治哲学の対象はこれだけではない。それは本質的には、社会状況に適用された道徳哲学であり、人生の目的、人間の社会的、集団的目的を検討する。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

政治哲学とは

権力の問題は、観察、歴史分析、社会学的調査によって解決される経験的な問題であるが、政治哲学の対象はこれだけではない。それは本質的には、社会状況に適用された道徳哲学であり、人生の目的、人間の社会的、集団的目的を検討する。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

 
 「―――何が政治哲学の課題であると思いますか。  
バーリン
 人生の目的を検討することです。政治哲学は本質的には社会状況に適用された道 徳哲学です。この社会状況には、もちろん政治組織、個人の共同体・国家に対する関係、共同 体と国家相互の関係などを含んでいます。

政治哲学は権力についての哲学だと、人は言いま す。私は反対です。権力は純粋に経験的な問題で、観察、歴史分析、社会学的調査によって解 決される問題です。

政治哲学は人生の目的、人間の社会的、集団的目的を検討します。政治哲 学の仕事は、さまざまな社会的目標のもとに打ち出されてくるさまざまな主張の有効性を、こ れらの目標を特定し達成するための方法の正当性を検討することです。

すべての哲学研究と同 様、これらの見解の枠組になっている言葉と概念を明確にして、人々が自分の信じているのは 何なのか、彼らの行動が何を表現しているのかを理解できるようにします。

それは、人間が追 求しているさまざまな目的にたいする賛成反対の議論を評価し、先に私がマクミランを回想し て引用した「馬鹿げたことを言」わせないようにします。

これが政治哲学の仕事であり、それ はいつもそうでした。真の政治哲学はこれをやらないで済ます訳にはいきません。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハ ンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,理想の追求,p.75,みすず書房(1993), 河合秀和(訳))


16.各個人の選択において、干渉や妨害を加えずに放任しておくという消極的自由と、その選択が各個人自らの統治すなわち自己支配を基礎とした自由な選択かを問う積極的自由との概念がある。弱者の積極的自由の保護のためには消極的自由の制限が必要となるが、積極的自由が歪曲され悪用されることが多かった。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

消極的自由と積極的自由

各個人の選択において、干渉や妨害を加えずに放任しておくという消極的自由と、その選択が各個人自らの統治すなわち自己支配を基礎とした自由な選択かを問う積極的自由との概念がある。弱者の積極的自由の保護のためには消極的自由の制限が必要となるが、積極的自由が歪曲され悪用されることが多かった。(アイザイア・バーリン(1909-1997))




 「―――自由について話すとなると、まずあなたが積極的自由と消極的自由の間に引いた区別 を、あなた自身の口から説明したいただけませんか。

バーリン
  二つの別々の問題があります。一つは、「私にはいくつのドアが開いているか」 もう一つは、「誰がここの責任者か、誰が管理しているのか」です。この二つの問題はからみ 合ってはいるが、同じ問題ではありません。別の答えを必要としているのです。

私にはいくつのドアが開いているのか。消極的自由の範囲という問題は、私の前にどのような障害があるか にかかっています。他の人々によって――故意にか間接的にか、意図的でなく制度的にか――私が 何をするのを妨害されているのかという問題です。

もう一つの問題は、「誰が私を統治してい るのか、他の人が私を統治しているのか、それとも私が自分を統治しているのか。もし他の人 が統治しているとすれば、いかなる権利、いかなる権威によってか。

もし私が自己支配、自治 の権利を持っているとすれば、私はこの権利を失うことができるのか、放棄できるのか。また 取り返せるのか。どのようにしてか。誰が法を作るのか、あるいは誰がそれを執行するのか。 私は協議に参加できるのか。多数が統治しているのか。何故そうなのか。それとも神が、聖職 者が、政党が統治しているのか。それとも世論の圧力なのか。伝統の圧力なのか。いかなる権 威によってなのか。」

それは別の問題です。両方の問題、それに付随する問題は、それぞれに 中心的な問題、正統な問題です。両方に答えねばなりません。

私は、積極的自由に反対して消 極的自由を擁護し、消極的自由の方が文明社会に相応しいと主張したという嫌疑をかけられて いますが、その理由は唯一つ、積極的自由という観念――もちろん、まともな生存のためには本 質的に必要なものです――の方が消極的自由の観念よりも悪用ないし歪曲されることが多かった からという理由です。

二つとも真の問題であり、避ける訳にはいきません。そして、この二つ の問題にたいする答えが社会の性質――それが自由主義的か権威主義的か、民主的か専制的か、 世俗的か神政的か、個人主義的か共同主義的か等々を規定します。

二つの自由概念は、政治 的、道徳的にねじ曲げられて逆のものに変えられてきました。

この点では、ジョージ・オー ウェルが見事です。「私があなたの真の願望を表明する。あなたは、自分が何を望んでいるか 自分で知っていると思っているかもしれないが、私、指導者、われわれ、共産党中央委員会 は、あなたが自分で知っているよりもあなたのことをよく知っており、あなたが自分の「真 の」必要を認識するならば、あなたの欲するものを与えよう。」

虎と羊にとって、自由は平等 でなければならぬ、虎が羊を喰うことができるようになっても、そこで国家の強制を発動して はならぬというのなら、これは避けられない事態なのだと言い出してしまうと、消極的自由が ねじ曲げられることになります。

もちろん、資本家にとっての無制限の自由は労働者の自由を 破壊し、鉱山所有者や親の無制限の自由は子供を鉱山労働に使うのを許すでしょう。弱者を強 者に対して守らねばならないし、その限りで自由を制限しなければならない、これは確実なこ とです。

積極的自由を充分に実現しなければならないとすれば、消極的自由を制限しなければ なりません。

この二つの間にバランスがなければなりませんが、このバランスについては何か 明確な原理を打ち出すことはできません。

積極的自由、消極的自由は、ともに完全に有効な概 念ですが、歴史的に見て現代世界ではインチキ積極的自由の方がインチキ消極的自由よりも大 きな損害をもたらしてきました。」

 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハ ンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,二つの自由概念,pp.66-68,みすず書房 (1993),河合秀和(訳))


2019年11月14日木曜日

3.様々な国民、民族、グループ、個々人は、様々に異なる諸価値を持つ。同時に、人間には普遍的な諸価値も存在し、我々は異なる文化を理解できる。また、人間が過去犯してきた恐るべき残虐行為等の原因も解明できる。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

様々に異なる諸価値と普遍的な価値

【様々な国民、民族、グループ、個々人は、様々に異なる諸価値を持つ。同時に、人間には普遍的な諸価値も存在し、我々は異なる文化を理解できる。また、人間が過去犯してきた恐るべき残虐行為等の原因も解明できる。(アイザイア・バーリン(1909-1997))】

(1)様々に異なる文化と普遍的な諸価値
 (1.1)様々に異なる文化と諸価値の存在
  人びとは文化から大きな影響を受けており、その文化には様々な大きな差異が存在する。
  (a)様々な国民、民族の間に大きな差異がある。
  (b)様々なグループの間に大きな差異がある。
  (c)個々人の間に大きな差異がある。
 (1.2)人間が普遍的に持つ諸価値
  (a)大多数の場所と状況で、大多数の人間がほとんどいつも現実に共有しているような価値が存在する。
  (b)これは、一つの経験的な事実である。
  (c)例として、善と悪、真と偽の概念を持たない人びとは存在しない。
  (d)ただし、価値や信念は、意識的、明示的に示されるか、あるいは単に、態度、ジェスチュア、行動の中に示されているのかの違いはある。
(2)異なる文化を理解するということ
 (a)想像力を使って相手の思想と感情に入り込む。
 (b)あなた自身が、相手方の環境におかれたらどのように世界を見るだろうかと想像する。
 (c)逆に、他の人々の環境では、あなた自身をどう見るだろうかと想像する。
 (d)たとえあなたが、相手方が嫌いであっても、盲目的な不寛容と熱狂主義は減少するだろう。
(3)事例。
 過去の多くの紛争、暴力行為、恐るべき残虐行為を、どのように理解するのか。
 (3.1)それは、狂気から、非合理的な憎悪から、攻撃的性向から、精神病理的な異常から引き起こされたと考えることは、事実をとらえてはいない。
 (3.2)人がある文化の中で、どのように思考し、感情を持ち、行動するのかを解明する必要がある。
  (a)例えば、途方もない虚偽が、著述家によって体系的に宣伝され、人々がそれを信じ込むようになる。
  (b)虚偽は理論化され、人々の感情に影響を与える。

 「―――普遍性の原則と文化相対主義との間には矛盾があるとは思いませんか。

 バーリン あるとは思いません。さまざまな国民や社会の間の差異は誇張されがちです。

われわれの知っている社会の中で、善と悪、真と偽の概念を持っていないものはありません。われわれの知っている限り、例えば勇気はわれわれの知っているすべての社会で尊敬されてきました。つまり普遍的な価値があるのです。

これは人類についての経験的事実で、ライプニッツが事実による真実(verites du fait)――理性による真実(verites de la raison)ではなく――と呼んだものです。

大多数の場所と状況で大多数の人間がほとんどいつも現実に共有しているような価値があります。意識的、明示的にか、あるいは態度、ジェスチュア、行動の中に示されているのかの違いはあっても。

他方で大きな差異があります。個々人、さまざまなグループや国民、あるいは文明全体がお互いにどのような点で異なっているかを理解し、想像力を使って相手の思想を感情に「入り込み」、

あなた自身が相手方の環境におかれたらどのように世界を見るだろうか、

あるいは他の人々との関係であなた自身をどう見るだろうかと想像するのに成功したならば、

少なくとも成功したと思えるだけのことをしたならば、その時にはたとえあなたが相手方が嫌いであっても(すべてを理解する tout comprendre は、決してすべてを許す tout pardonner ではありませんが)、盲目的な不寛容と熱狂主義は減少せざるを得ないでしょう。

想像力が熱狂を募らせることもありますが、あなたの状況とは非常に違う状況を想像力で洞察していくことは、結局は熱狂を弱める筈です。

非常に極端な例ですが、ナチ党員を取り上げてみましょう。彼らは気狂いで、精神病理的事例だと、人々は言いました。あまりにも出まかせ、安直で、傲慢な説明だと思います。

ナチの党員は口からの言葉や印刷された文字で説明を受け、下級人間と称してしかるべき人間(Untermenschen)が存在しており、彼らは有毒の生物で、真の――つまりゲルマン的ないしノルディック的な文化を掘り崩しているという説を信じました。

下級人間がいるという命題はまるきりの嘘で、経験的な偽りであり、ナンセンスであることを証明できます。

しかし誰かからそう言われたために、そしてそう説明している人を信頼したためにそれを信じたならば、きわめて合理的な意味でユダヤ人を絶滅することが必要だと信じる心境に到達している訳です――それは狂気から出たものではなく、またたんなる非合理な憎悪や軽蔑や攻撃的性向でもありません――そのような要因があればもちろん助長はするでしょうが。

いま挙げたような特徴は、ごくありきたりのもので、人類の歴史を通じて多くの紛争や暴力行為の原因でした。

いいえ、あのような感情は途方もない虚偽、弁士や著述家が体系的に教え込む虚偽を一般の人々に信じ込ませるという手段を通じて、組織的に作り出されたものです。

それは明白な虚偽ですが、理論として明確に表明され、それが犯罪となって表面化し、さらに恐るべき残虐行為と破壊的な大破局へと連なっていくのです。

思考力のある人を気狂いだとか病理的だとか言う時には、注意しなければならないと思います。迫害は正気でもやれるのです。

それは、ケタ外れの虚偽の信念を真実と信じ込むことからだけ発生します。そして言語に絶する結末にまでいたるのです。

熱狂的な人々が害をなすのを防ぎたいと思うならば、彼らの信念の心理的なルーツだけでなく知的なルーツまで理解しなければなりません。彼らが間違っていることを彼らに向かって説明しなければならないのです。それに失敗すれば、彼らと戦争をしなければならなくなるでしょう。しかし説得の試みはいつもやらねばなりません。」(中略)

「合理的な方法、真理への道は、それ自体として価値があるだけでなく、ソクラテスが教えてくれたように、個人と社会の運命にとって基本的に重要です。その点については、西欧哲学の中心的な伝統は正しかった。」

(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化相対主義と人権,pp.62-64,みすず書房(1993),河合秀和(訳))

(索引:価値,普遍的な価値,想像力,異なる文化の理解)

ある思想史家の回想―アイザィア・バーリンとの対話


(出典:wikipedia
アイザイア・バーリン(1909-1997)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ヴィーコはわれわれに、異質の文化を理解することを教えています。その意味では、彼は中世の思想家とは違っています。ヘルダーはヴィーコよりももっとはっきり、ギリシャ、ローマ、ジュデア、インド、中世ドイツ、スカンディナヴィア、神聖ローマ帝国、フランスを区別しました。人々がそれぞれの生き方でいかに生きているかを理解できるということ――たとえその生き方がわれわれの生き方とは異なり、たとえそれがわれわれにとっていやな生き方で、われわれが非難するような生き方であったとしても――、その事実はわれわれが時間と空間を超えてコミュニケートできるということを意味しています。われわれ自身の文化とは大きく違った文化を持つ人々を理解できるという時には、共感による理解、洞察力、感情移入(Einfühlen)――これはヘルダーの発明した言葉です――の能力がいくらかあることを暗に意味しているのです。このような文化がわれわれの反発をかう者であっても、想像力で感情移入をすることによって、どうして他の文化に属する人々――われわれ似たもの同士(nos semblables)――がその思想を考え、その感情を感じ、その目標を追求し、その行動を行うことができるのかを認識できるのです。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.61-62,みすず書房(1993),河合秀和(訳))

アイザイア・バーリン(1909-1997)

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2019年11月5日火曜日

2.異なる文化への嫌悪、非難の感情そのものが、異なる文化に対する我々の想像力と、共感による理解、洞察力、感情移入の能力の存在を証明する。人々がなぜ、その思想、感情を抱き、その目標を追求するのかを理解すること。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

異なる文化の理解

【異なる文化への嫌悪、非難の感情そのものが、異なる文化に対する我々の想像力と、共感による理解、洞察力、感情移入の能力の存在を証明する。人々がなぜ、その思想、感情を抱き、その目標を追求するのかを理解すること。(アイザイア・バーリン(1909-1997))】

(3.1)(3.2)追記。

(1)歴史的決定論は、誤りである。
 (a)人間は、歴史の目的や説明を求める。
 (b)もちろん、個々人や国民の生活の形成を決定していく、大きな非人格的な要因は存在する。
 (c)しかし、歴史の法則というものには、あまりにも多くの明白な例外と、逆の事例が存在する。
(2)個々人の決断と行為が歴史をつくる。
  我々は、多様な文化の中に生き、思想、感情、態度、行動はその影響を受け、また文化は互いに矛盾する場合もある。このような文化の中に生きる諸個人の決断と行為、予測できない偶然が歴史を作っていく。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
 様々な要因が多少とも均等にバランスしている時において、大抵は予測することができない偶然や、個々人の決断や行為が、歴史の進路を決定するというような決定的な瞬間、転換点が存在する。
(3)我々は、多様な文化の中に生きている。
 (3.1)我々は、時間と空間を超えた、我々とは大きく異なった文化に生きる人々を理解できる。
  (a)異なる文化の人々の生き方が、ときには嫌な感情を喚起したり、非難したくなるような場合もある。
  (b)しかしこの事実は、我々には共感による理解、洞察力、感情移入の能力があり、異なった文化に生きる人々を理解できるということを示している。
  (c)文化は、新規で予想もされないような世界観を持っており、互いに矛盾しているような場合もあることを理解すべきである。
 (3.2)文化は、思想、感情、態度、行動の特殊な形態に影響を与える。
  (a)文化は、世界がそれぞれの社会にとって何を意味するかという感覚に影響を与える。
  (b)人々が、なぜその思想を考えるのかを理解すること。
  (c)人々が、なぜその感情を感じるのかを理解すること。
  (d)人々が、なぜその目標を追求し、その行動を行うことができるのかを理解すること。

 「―――あなたが個々人の目標の間の対立について語る時には、ヴィーコの思想にもとづいてその議論を打ち出しているのですか。 

 バーリン ヴィーコはわれわれに、異質の文化を理解することを教えています。その意味では、彼は中世の思想家とは違っています。
 
ヘルダーはヴィーコよりももっとはっきり、ギリシャ、ローマ、ジュデア、インド、中世ドイツ、スカンディナヴィア、神聖ローマ帝国、フランスを区別しました。 

人々がそれぞれの生き方でいかに生きているかを理解できるということ――たとえその生き方がわれわれの生き方とは異なり、たとえそれがわれわれにとっていやな生き方で、われわれが非難するような生き方であったとしても――、その事実はわれわれが時間と空間を超えてコミュニケートできるということを意味しています。

われわれ自身の文化とは大きく違った文化を持つ人々を理解できるという時には、共感による理解、洞察力、感情移入(Einfühlen)――これはヘルダーの発明した言葉です――の能力がいくらかあることを暗に意味しているのです。

このような文化がわれわれの反発をかう者であっても、想像力で感情移入をすることによって、どうして他の文化に属する人々――われわれ似たもの同士(nos semblables)――がその思想を考え、その感情を感じ、その目標を追求し、その行動を行うことができるのかを認識できるのです。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.61-62,みすず書房(1993),河合秀和(訳))
(索引:異なる文化の理解,想像力,共感による理解,洞察力,感情移入)

ある思想史家の回想―アイザィア・バーリンとの対話


(出典:wikipedia
アイザイア・バーリン(1909-1997)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ヴィーコはわれわれに、異質の文化を理解することを教えています。その意味では、彼は中世の思想家とは違っています。ヘルダーはヴィーコよりももっとはっきり、ギリシャ、ローマ、ジュデア、インド、中世ドイツ、スカンディナヴィア、神聖ローマ帝国、フランスを区別しました。人々がそれぞれの生き方でいかに生きているかを理解できるということ――たとえその生き方がわれわれの生き方とは異なり、たとえそれがわれわれにとっていやな生き方で、われわれが非難するような生き方であったとしても――、その事実はわれわれが時間と空間を超えてコミュニケートできるということを意味しています。われわれ自身の文化とは大きく違った文化を持つ人々を理解できるという時には、共感による理解、洞察力、感情移入(Einfühlen)――これはヘルダーの発明した言葉です――の能力がいくらかあることを暗に意味しているのです。このような文化がわれわれの反発をかう者であっても、想像力で感情移入をすることによって、どうして他の文化に属する人々――われわれ似たもの同士(nos semblables)――がその思想を考え、その感情を感じ、その目標を追求し、その行動を行うことができるのかを認識できるのです。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.61-62,みすず書房(1993),河合秀和(訳))

アイザイア・バーリン(1909-1997)

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2019年11月3日日曜日

1.我々は、多様な文化の中に生き、思想、感情、態度、行動はその影響を受け、また文化は互いに矛盾する場合もある。このような文化の中に生きる諸個人の決断と行為、予測できない偶然が歴史を作っていく。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

多様な文化と歴史をつくる力

1【我々は、多様な文化の中に生き、思想、感情、態度、行動はその影響を受け、また文化は互いに矛盾する場合もある。このような文化の中に生きる諸個人の決断と行為、予測できない偶然が歴史を作っていく。(アイザイア・バーリン(1909-1997))】

(1)歴史的決定論は、誤りである。
 (a)人間は、歴史の目的や説明を求める。
 (b)もちろん、個々人や国民の生活の形成を決定していく、大きな非人格的な要因は存在する。
 (c)しかし、歴史の法則というものには、あまりにも多くの明白な例外と、逆の事例が存在する。
(2)個々人の決断と行為が歴史をつくる。
 様々な要因が多少とも均等にバランスしている時において、大抵は予測することができない偶然や、個々人の決断や行為が、歴史の進路を決定するというような決定的な瞬間、転換点が存在する。
(3)我々は、多様な文化の中に生きている。
 (a)文化は、新規で予想もされないような世界観を持っており、互いに矛盾しているような場合もある。
 (b)文化は、世界がそれぞれの社会にとって何を意味するかという感覚に影響を与える。
 (c)文化は、思想、感情、態度、行動の特殊な形態に影響を与える。

 「―――近代の思想家の中では、あなたは特にヴィーコとヘルダーに注目しています。あなたの歴史についての考え方はこの二人の思想家からもっとも大きな影響を受けていると考えて、正しいでしょうか。

 バーリン ヴィーコとヘルダーについてあなたの言ったことはその通りですが、私は歴史についてあまり多くのことを自分で考えたとは思っていません。私は、本来の意味での歴史哲学者ではないのです。

私は多元主義を信じ、歴史的決定論を信じていません。決定的な瞬間、いわゆる転換点、さまざまな要因が多少とも均等にバランスしている時には、偶然、個人、個々人の決断と行為――これら必ずしも予測できないもの、むしろ大抵の場合には予測できないもの――が、歴史の進路を決定できます。

私は「歴史の筋書」があるとは思っていません(この言葉はゲルツェンが使ったものですが、彼は歴史を何幕かのドラマ――神や自然の作ったテーマのあるお芝居、はっきりした模様のあるカーペット――だとは思っていません)。マルクスとヘーゲルは、歴史は一つのドラマだと信じていました。何幕かが連続し、おそらくは大変動があった後に、マルクスにおいては激しい衝突と苦難と災厄の後に天国への門が開き、最後の大団円が来て、そこで歴史は止まり――マルクスのいう人類の前史です――、それからはすべてが永遠に調和し、人々は合理的な協力関係を結ぶことになるのです。

ヴィーコとヘルダーは、そのようなタイプのことはほとんど言っていません。二人はいくつかの型があると考えており、特にヴィーコはそうでしたが、大団円のある芝居があるとは思っていません。

思うに私の歴史観はヘーゲル、マルクス、この二人の支持者の著作を読み、彼らの議論はまるで納得できないと思ったことから始まっています。その他の型の発見者――シュペングラー、トインビー、そしてプラトン、ポリビウスに始まる彼らの先行者――についても、同じことを感じています。もちろん、人間はいつもこのタイプの歴史の目的、歴史の説明を求めるものです。しかし私には、事実はそれを証明していない、法則はあまりにも多くの明白な例外と逆の事例のために破られているように思えるのです。 

私はブローデル、E・H・カー、現代マルクス主義者の著作をよく読み、彼らの議論がどんなものか、歴史決定論者がどんなことを信じているかを承知しています。

個々人や国民の生活の形成を決定していく大きな非人格的な要因はもちろんあるでしょうが、だからといって、歴史は高速自動車道路のようなもので、大きく逸れていくことなどあり得ないということにはならないと思います。

私は、ヴィーコとヘルダーが文化の多元性を信じたことに、興味を持っています。それぞれの文化にはそれ自身の重心がある――多様な文化があり、それぞれに異なった、新規で予想もされなかった世界観と矛盾した態度を持っているという見方です。

ヴィーコは、文化――世界がそれぞれの社会にとって何を意味するかという感覚、他の人々、環境にたいする関係で普通の男女が自分自身について持っている感覚――思想、感情、態度、行動の特殊な形態を定めていくもの――、つまり文化はそれぞれに異なっているということを理解していたと思います。彼以前には誰も理解していなかったことです。ヴィーコは文化の違いを時代で区別しました。

ヘルダーは別の時期に登場した文明という観点だけでなく、同時代のさまざまな国の文明という観点から区別しました。このことが、歴史はきちんとした直線を描いて進むものではないという私の考えを強化してくれました。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.57-59,みすず書房(1993),河合秀和(訳))
(索引:歴史決定論,多様な文化)

ある思想史家の回想―アイザィア・バーリンとの対話


(出典:wikipedia
アイザイア・バーリン(1909-1997)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ヴィーコはわれわれに、異質の文化を理解することを教えています。その意味では、彼は中世の思想家とは違っています。ヘルダーはヴィーコよりももっとはっきり、ギリシャ、ローマ、ジュデア、インド、中世ドイツ、スカンディナヴィア、神聖ローマ帝国、フランスを区別しました。人々がそれぞれの生き方でいかに生きているかを理解できるということ――たとえその生き方がわれわれの生き方とは異なり、たとえそれがわれわれにとっていやな生き方で、われわれが非難するような生き方であったとしても――、その事実はわれわれが時間と空間を超えてコミュニケートできるということを意味しています。われわれ自身の文化とは大きく違った文化を持つ人々を理解できるという時には、共感による理解、洞察力、感情移入(Einfühlen)――これはヘルダーの発明した言葉です――の能力がいくらかあることを暗に意味しているのです。このような文化がわれわれの反発をかう者であっても、想像力で感情移入をすることによって、どうして他の文化に属する人々――われわれ似たもの同士(nos semblables)――がその思想を考え、その感情を感じ、その目標を追求し、その行動を行うことができるのかを認識できるのです。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ある思想史家の回想』,インタヴュア:R. ジャハンベグロー,第1の対話 バルト地方からテムズ河へ,文化的な差異について,pp.61-62,みすず書房(1993),河合秀和(訳))

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