誇り
【どんな相手に対しても、丁寧な仕草や耳触りのいい言葉など、社交上の儀礼には十分に注意せよ。誰でも自分自身をそれなりの人物だと思っているものなので、その誇りを傷つけ怒らせないこと。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))】(1) どんな相手に対しても、丁寧な仕草や耳触りのいい言葉など、社交上の儀礼には十分に注意せよ。
(2) もちろん本来ならば、ものごとの実体や真実を重んずるように心掛けねばならない。
(3) しかし現実には、誰でも、丁寧なしぐさや耳ざわりにいい言葉に惑わされてしまう。
(4) なぜ、このようなことが起こるのか。それは、すべての人々は自分は高く評価されるに足る存在だと考えているので、自分が当然受けるべきだと思い込んでいるような取り扱いを相手が気にも留めていないと感じると憤激するものなのである。
「人間は社交上の儀礼よりは、ものごとの実体や真実を重んずるように心掛けねばならない。にもかかわらず人間が、だれかれの区別なく丁寧なしぐさや耳ざわりにいい言葉にまどわされてしまうのは、信じられないくらいである。このことは以下のことに由来する。すなわち、すべての人々は自分は高く評価されるに足る存在だと考えているので、自分が当然受けるべきだと思いこんでいるような取りあつかいを相手が気にもとめていないと感じると憤激するものなのである。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)C、26 外見で惑わされる、pp.63-64、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))
(索引:誇り)
(出典:wikipedia) |
「この書物の各断章を考えつくのはたやすいことではないけれども、それを実行に移すのはいっそうむずかしい。それというのも、人間は自分の知っていることにもとづいて行動をおこすことはきわめて少ないからである。したがって君がこの書物を利用しようと思えば、心にいいきかせてそれを良い習慣にそだてあげなければならない。こうすることによって、君はこの書物を利用できるようになるばかりでなく、理性が命ずることをなんの抵抗もなしに実行できるようになるだろう。」 (フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)B、100 本書の利用のし方、p.227、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳)) |
フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
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