2020年5月10日日曜日

道徳の要請は、情況が課してくる。捉えられた情況は、事実かどうかの問題であり、特定の欲求には依存しない。しかし、その人の在り方には依存する。徳とは、情況が課してくる要求への、信頼できる感受性である。(ジョン・マクダウェル(1942-))

認知主義

【道徳の要請は、情況が課してくる。捉えられた情況は、事実かどうかの問題であり、特定の欲求には依存しない。しかし、その人の在り方には依存する。徳とは、情況が課してくる要求への、信頼できる感受性である。(ジョン・マクダウェル(1942-))】
(出典:wikipedia


(出典:古書店三月兎之杜
大庭健(1946-2018)の命題集

「このようにマクダウェルは、根本的には“事態をどう捉えるか”というところに、人の道徳性を見る。マクダウェルの当初の言い方によれば、「道徳の要請は、状況が課してくる」のであって、そうした「状況のとらえ方」は、特定の欲求に依存しない。あるいは、「徳とは、知」すなわち「状況が課してくる要求への信頼できる感受性である」。このように彼は、“道徳判断は、状況の特徴の認知から成る”とする認知主義(cognitivism)の立場に立つ。」
(大庭健(1946-)、以下の著作の解説:ジョン・マクダウェル(1942-)『徳と理性』、p.268、勁草書房(2016)、大庭健(監訳)・(訳))
(索引:認知主義)

徳と理性: マクダウェル倫理学論文集 (双書現代倫理学)



(出典:wikipedia


ジョン・マクダウェル(1942-)
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検索(ジョン・マクダウェル)

行為の理由は、欲求だけでなく情況の捉え方にも依存する。その人の在り方に応じて情況の捉え方は異なり、捉えられた情況から、ある特定の行為が好ましく思えてくる。(ジョン・マクダウェル(1942-))

認知主義

【行為の理由は、欲求だけでなく情況の捉え方にも依存する。その人の在り方に応じて情況の捉え方は異なり、捉えられた情況から、ある特定の行為が好ましく思えてくる。(ジョン・マクダウェル(1942-))】

(1)あらゆる理由が欲求から動機づけの力を得ている
 (a)情況
 (b)欲求
 (c)行為の理由の判断
  (b)が(c)を決定する。
(2)行為の理由は、欲求だけでなく情況の捉え方にも依存する
 (a)情況
  情況は、その人の在り方に応じて、異なって捉えられる。
  捉えられた情況から、ある特定の特徴がせり出して知覚される。
 (b)欲求
 (c)行為の理由の判断
  (a)と(b)とが、(c)を誘導する。

(出典:wikipedia


(出典:古書店三月兎之杜
大庭健(1946-2018)の命題集

「同じ情況においても、行為の理由の判断は、人によって異なりうる。もちろん、その違いがそのときの欲求の違いから生じている、というケースは多々ある。同じ大好物を前にしても、そのときの食欲しだいでは注文の仕方は違ってくる。こうした事実をマクダウェルは無視しない。しかし、だからと言って、「あらゆる理由が、そこに含まれた欲求から動機づけの力を得ている、というのは間違っている」。
 一般的にはむしろ、①その人の在り方に応じて一定の「情況の捉え方」が働き出し、②情況がそう捉えられると、事実のある特徴が「せり出して(salient)」知覚されあるいは「そのときの欲求によって曇らされることなく」理解され、③そのおかげで特定の行為が「好ましく見えて」くる。このように行為の理由は、「情況の捉え方」に誘導された世界への感受性による知的な成果である。」
(大庭健(1946-)、以下の著作の解説:ジョン・マクダウェル(1942-)『徳と理性』、p.267、勁草書房(2016)、大庭健(監訳)・(訳))
(索引:認知主義)

徳と理性: マクダウェル倫理学論文集 (双書現代倫理学)



(出典:wikipedia


ジョン・マクダウェル(1942-)
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事実に関する信念のみでは人は動機づけられず、事実とは独立の外在的な欲求が必要だとする外在主義に対して、フィリッパ・フット(1920-2010)は、究極的で普遍的な欲求を基礎とした道徳判断は、真偽値を持つと主張した。(大庭健(1946-2018))

フィリッパ・フットの欲求基底的な倫理学

【事実に関する信念のみでは人は動機づけられず、事実とは独立の外在的な欲求が必要だとする外在主義に対して、フィリッパ・フット(1920-2010)は、究極的で普遍的な欲求を基礎とした道徳判断は、真偽値を持つと主張した。(大庭健(1946-2018))】
(出典:wikipedia
フィリッパ・フット(1920-2010)の命題集

(出典:古書店三月兎之杜
大庭健(1946-2018)の命題集

「“事実にかんする信念は、それだけではひとを行為へと動機づけることができず、動機づけうる理由が生成するには、信念と独立の・信念にとっては外在的な、欲求が必要だ”とする考え方――(動機づけについての)外在主義――である。
 こうした見方に棹さしてフットは、「道徳的信念」(1959)という初期の論文で、“痛みを和らげたい”という欲求のように、「なぜそう欲するのか」と問うことが無意味な欲求を「究極的」「普遍的な」欲求と名付け、そうした「究極的で普遍的」な欲求に根差した道徳判断なら定言命法たりうる、と示唆した。」
(大庭健(1946-)、以下の著作の解説:ジョン・マクダウェル(1942-)『徳と理性』、p.262、勁草書房(2016)、大庭健(監訳)・(訳))
(索引:フィリッパ・フット(1920-2010),欲求基底的な倫理学)

徳と理性: マクダウェル倫理学論文集 (双書現代倫理学)


"道徳言明に特有の意味は、情動を表出するために言明されるところから生じる"とする情動主義は、道徳言明の真偽を問うことはできず、道徳的議論は単に効果的に相手の情動を喚起する心理戦とみなしてしまう。(大庭健(1946-2018))

道徳の情動主義

【"道徳言明に特有の意味は、情動を表出するために言明されるところから生じる"とする情動主義は、道徳言明の真偽を問うことはできず、道徳的議論は単に効果的に相手の情動を喚起する心理戦とみなしてしまう。(大庭健(1946-2018))】
(出典:古書店三月兎之杜
大庭健(1946-2018)の命題集

「“道徳言明に特有の意味は、情動を表出するために言明されるところから生じる”とするスチーヴンソン(Stevenson,C.)の理論であった。この考えは、情動主義(emotivism)と呼ばれ、多くの理論家によって彫琢が加えられたが、やはり大きな欠陥をかかえていた。すなわち、言明の意味が「情動の表出」に尽きるのなら、言明の真偽を問うことはできず、したがって道徳言明を用いた議論は、より効果的に情動を表出して相手を動かそうとする「心理戦」にすぎなくなる、という危惧である。」
(大庭健(1946-)、以下の著作の解説:ジョン・マクダウェル(1942-)『徳と理性』、p.259、勁草書房(2016)、大庭健(監訳)・(訳))
(索引:道徳の情動主義,情動,道徳)

徳と理性: マクダウェル倫理学論文集 (双書現代倫理学)


生命とは、その実体を特徴づける諸条件で決まる頑強な反復パターン、すなわち"宿命を帯びた物質系"である。やがて、過去の痕跡が過去の表象としての意味を創発し、未来に影響を与える記憶システムを獲得する。(丸山隆一(1987-))

宿命を帯びた物質系

【生命とは、その実体を特徴づける諸条件で決まる頑強な反復パターン、すなわち"宿命を帯びた物質系"である。やがて、過去の痕跡が過去の表象としての意味を創発し、未来に影響を与える記憶システムを獲得する。(丸山隆一(1987-))】
「森羅万象が例外なく物質の離合集散だとするならば、生物とは「宿命を帯びた物質系」であると言えないだろうか。

物には寿命がある。原子から星にいたるまで、いずれは壊れ、そのアイデンティティを喪失するときがくる。その寿命を決めるのは、純粋な確率であったり(原子核崩壊におけるように)、初期条件や他の物質との相互作用の関数であったりする(恒星の寿命におけるように)。ある意味ではどんな物質系でも、確率的にせよ物理法則によってその運命が決まっているとは言える。

しかし、生物の体はほかの物質系とは異なる強度の「宿命」をもっているように思われる。たとえば、人間の寿命はほぼ100%の確率で10^2年のオーダーに収まる。生まれたばかりの赤ちゃんを見ると、「この子には無限の可能性がある」と言いたくなり、それはあるスケールでは正しいのだが、人間の大人に成長してやがて死ぬという意味では、他の個体とそっくりな命運をたどる。

普通の物質系では、その未来の状態は、現在までのその系の履歴と、その系が外部から受ける摂動と、偶然によって決まる。対して、例えば人間である私の未来は、「人間であるという条件」によって大方決まっている(死に抗う試みも、背景にそうしたロバストな宿命があってこそのものだろう)。宇宙開闢以来、物理法則が織りなしてきた物質の位置取りの時間発展(time evolution)のなかで、生命ほどのロバストな反復パターンをもった現象が進化(evolve)してくるなどということは、まったく非自明なことに思える。

宇宙の時間発展のなかで、「宿命を帯びた物質系」として誕生した生物。しかしさらに特筆すべきは、その進化の過程で、生物の体内に「記憶のシステム」が出現したことだろう。

ある物質系のなかに、過去の出来事が痕跡として残り、その痕跡が系の未来を左右する。このこと自体はありふれており、生物に限らず、非生物でも見られる。しかし、こうしたパッシブな「痕跡としての記憶」とは質的に異なるものとして、生物進化のどこかの時点で、「過去を思い出す能力」が生まれた。神経系の状態あるいは活動という「現在の物質系の状態」が、どういうわけだか、その神経系が経験した「過去」を「表象」する。これは、非自明どころか、理解の端緒すらつかめない(この文章で展開してきた自然主義的世界観に収まるかもわからない)謎である。

ともかくも、動物の神経系という、ある種の物質の系に、「過去を思い出す」能力が備わった。そのことの意味は甚大だった。5分前のことを思いだせるからこそ、5分先のことを考えられる。通時的に存在する「自分」という概念を持つこともできる。ありとあらゆる「意味」が創発する。その最たるものである「人生の意味」をめぐる問いも、死すべき定めの自分を理解できてこそ、浮上する。

無慈悲に物質が離合集散するだけの宇宙で、宿命を帯びた生を与えられていること。これは奇跡に思える。その都度の「現在」のなかで離合集散するだけのはずのある種の物質系が、どういうわけだか「過去を表象」し、その系を携えて生きる私たちは自らの生を通時的に捉えて意味づけることができる。これはさらに大きな奇跡に思える。」
(出典:生命と記憶:眠れない夜の自然主義的断想(丸山隆一(1987-))note 丸山隆一
(索引:宿命を帯びた物質系)

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