宿命を帯びた物質系
【生命とは、その実体を特徴づける諸条件で決まる頑強な反復パターン、すなわち"宿命を帯びた物質系"である。やがて、過去の痕跡が過去の表象としての意味を創発し、未来に影響を与える記憶システムを獲得する。(丸山隆一(1987-))】「森羅万象が例外なく物質の離合集散だとするならば、生物とは「宿命を帯びた物質系」であると言えないだろうか。
物には寿命がある。原子から星にいたるまで、いずれは壊れ、そのアイデンティティを喪失するときがくる。その寿命を決めるのは、純粋な確率であったり(原子核崩壊におけるように)、初期条件や他の物質との相互作用の関数であったりする(恒星の寿命におけるように)。ある意味ではどんな物質系でも、確率的にせよ物理法則によってその運命が決まっているとは言える。
しかし、生物の体はほかの物質系とは異なる強度の「宿命」をもっているように思われる。たとえば、人間の寿命はほぼ100%の確率で10^2年のオーダーに収まる。生まれたばかりの赤ちゃんを見ると、「この子には無限の可能性がある」と言いたくなり、それはあるスケールでは正しいのだが、人間の大人に成長してやがて死ぬという意味では、他の個体とそっくりな命運をたどる。
普通の物質系では、その未来の状態は、現在までのその系の履歴と、その系が外部から受ける摂動と、偶然によって決まる。対して、例えば人間である私の未来は、「人間であるという条件」によって大方決まっている(死に抗う試みも、背景にそうしたロバストな宿命があってこそのものだろう)。宇宙開闢以来、物理法則が織りなしてきた物質の位置取りの時間発展(time evolution)のなかで、生命ほどのロバストな反復パターンをもった現象が進化(evolve)してくるなどということは、まったく非自明なことに思える。
宇宙の時間発展のなかで、「宿命を帯びた物質系」として誕生した生物。しかしさらに特筆すべきは、その進化の過程で、生物の体内に「記憶のシステム」が出現したことだろう。
ある物質系のなかに、過去の出来事が痕跡として残り、その痕跡が系の未来を左右する。このこと自体はありふれており、生物に限らず、非生物でも見られる。しかし、こうしたパッシブな「痕跡としての記憶」とは質的に異なるものとして、生物進化のどこかの時点で、「過去を思い出す能力」が生まれた。神経系の状態あるいは活動という「現在の物質系の状態」が、どういうわけだか、その神経系が経験した「過去」を「表象」する。これは、非自明どころか、理解の端緒すらつかめない(この文章で展開してきた自然主義的世界観に収まるかもわからない)謎である。
ともかくも、動物の神経系という、ある種の物質の系に、「過去を思い出す」能力が備わった。そのことの意味は甚大だった。5分前のことを思いだせるからこそ、5分先のことを考えられる。通時的に存在する「自分」という概念を持つこともできる。ありとあらゆる「意味」が創発する。その最たるものである「人生の意味」をめぐる問いも、死すべき定めの自分を理解できてこそ、浮上する。
無慈悲に物質が離合集散するだけの宇宙で、宿命を帯びた生を与えられていること。これは奇跡に思える。その都度の「現在」のなかで離合集散するだけのはずのある種の物質系が、どういうわけだか「過去を表象」し、その系を携えて生きる私たちは自らの生を通時的に捉えて意味づけることができる。これはさらに大きな奇跡に思える。」
(出典:生命と記憶:眠れない夜の自然主義的断想(丸山隆一(1987-))<note 丸山隆一)
(索引:宿命を帯びた物質系)