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2020年5月7日木曜日

憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

憲法理論

【憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))】

(3.4)追加。

(3)立法趣旨とコモン・ローの原理
  裁判官は、制定法の立法趣旨、および判例法の基礎に存在するコモン・ローの原理、すなわち政治的権利を根拠に難解な事案を解決し、法的権利を確定する。法的権利は、政治的権利のある種の函数と言えよう。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
 (3.1)立法趣旨
  ある特定の制定法ないしは制定法上の条項の「意図」ないし「趣旨」
  (a)権利は、制定法により創出される。
  (b)特定の制定法により、如何なる権利が創造されたかが問題となる難解な事案が発生する。
 (3.2)コモン・ローの原理
  判例法上の実定的法準則の「基礎に存し」、あるいはそれへと「埋め込まれた」原理
  (a)「同様の事例は、同様に判決されるべし」とする原理。
  (b)一般的法理が具体的に如何なる判決を要請するかが不明確な難解な事案が発生する。
 (3.3)難解な事案において、立法趣旨、コモン・ローの原理が果たしている機能
  (a)制定法は、法的権利を創出し消滅させる一般的な権能を有する。
  (b)裁判官は、判例法上の実定的法準則に従う義務が一般的に存在する。
  (c)政治的権利は、立法趣旨、コモン・ローの原理として表現される。
  (d)如何なる法的権利が存在するか、如何なる判決が要請されるかが不明確な、難解な事案が発生する。
  (e)裁判官は、立法趣旨およびコモン・ローの原理を拠り所として、自らに認められている自律性を受容し、難解な事案を解決する。
    難解な事案を解決するとき、裁判官たちの感ずる拘束を表現する比喩の例:「法全体に内在する新たな法準則」「法の内在的論理に拘束力を持たせる」「法にはそれ固有のある種の生命が認められる」(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
   (i)裁判官たちは、以前の判決の効力の内実につき意見を異にする場合でさえ、その判決に牽引力が認められることについては意見が一致している。
   (ii)裁判官たちは、新たな法を創造していると自覚するときでさえ感ずる拘束を、次のような比喩で表現する。「法全体に内在する新たな法準則」「法の内在的論理に拘束力を持たせる」「裁判官は、法それ自体が純粋に作用するための機関である」「法にはそれ固有のある種の生命が認められる」。
  (f)したがって法的権利は、政治的権利のある種の函数として定義されることになる。

立法趣旨  コモン・ロー……政治的権利
 │    の原理      │
 ↓      ↓      │
制定法   判例法上の    │
 │    実定的法準則   │
 ↓      ↓      ↓
個別の権利 個別の判決………法的権利

 (3.4)憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系
  憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、政治哲学、道徳哲学、様々な争点に関する判断を含み、裁判官や法学者ごとに不可避的に異なり、より具体的な階層の法理論に影響を及ぼす。
  (3.4.1)垂直的な配列関係
   (a)憲法、最高裁判所やその他の裁判所の判決、種々の立法府の制定法といった配列関係である。
   (b)憲法理論は、政治哲学や道徳哲学に関する判断を含む。
   (c)憲法理論は、制度的適合性に関する複雑な争点についての判断を要求する。
   (d)憲法理論は、裁判官によって不可避的に異なったものになる。
   (e)垂直的な配列関係の高いレベルで認められるこれらの差異は、低いレヴェルで各裁判官が提出する理論体系に相当程度の影響力を及ぼすことになろう。
  (3.4.2)水平的な配列関係
   単にあるレヴェルでの判決を正当化すると解された諸原理が、同じレヴェルでの他の判決に与えられる正当化とも矛盾すべきでないことを要請する。

 「いまやなぜ私が、我々の裁判官をハーキュリーズと呼んだかがおわかりであろう。彼はあらゆるコモン・ロー上の先例に対して、そして原理により正当化されうるかぎりで憲法更には制定法上の規定に対しても整合的な正当化を提供する抽象的かつ具体的な原理の体系を構成しなければならない。我々はハーキュリーズが正当化しなければならない判例の膨大な資料の中で、垂直的な配列関係と水平的な配列関係を区別することによって、この企ての大きさを把握することができる。垂直的な配列関係は権限の上下関係、すなわち公的な決定が下級レヴェルでなされた決定に対し規制力を有すると考えられるような上下関係を区別することによって与えられる。アメリカ合衆国においては垂直的な配列関係の大雑把な性格を明白に把握することができる。憲法的構成が最も高いレヴェルを占め、次にはその構造を解釈する最高裁判所やおそらくその他の裁判所の判決、次には種々の立法府の制定法、そしてこの下にコモン・ローを発展させる様々な裁判所の判決がそれぞれ異なったレヴェルを占めることになる。ハーキュリーズはこれらのレヴェルの各々の段階で原理による正当化を組み立てねばならず、しかもこの場合、この正当化は、より高いレヴェルの正当化を与えると解される諸原理と矛盾しないものでなければならない。これに対し、水平的な配列関係は、単にあるレヴェルでの判決を正当化すると解された諸原理が同じレヴェルでの他の判決に与えられる正当化とも矛盾すべきでないことを要請する。
 さて、ハーキュリーズが彼の卓越した技量を利用して、予めこの完全な原理の体系を構築することを意図し、もしある特定の判決を正当化するために必要とあれば、この法理論をもって訴訟当事者に立ち向かおうとしたと想定してみよう。彼は垂直的な配列関係に従って、先ず、それまでに彼が用いてきた憲法理論を提示し、それを更に詳述することから始めるであろう。その憲法理論は他の裁判官が展開する理論とは多かれ少なかれ異なっているかもしれない。というのも、憲法理論は政治哲学や道徳哲学に関する判断と同時に、制度的適合性に関する複雑な争点についての判断をも要求し、したがってハーキュリーズの判断は不可避的に他の裁判官が行う判断とは異なったものになるからである。垂直的な配列関係の高いレベルで認められるこれらの差異は、低いレヴェルで各裁判官が提出する理論体系に相当程度の影響力を及ぼすことになろう。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第3章 難解な事案,5 法的権利,B コモン・ロー,木鐸社(2003),pp.145-146,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))
(索引:憲法理論,憲法,先例,制定法,政治哲学,道徳哲学,争点,法理論)

権利論


(出典:wikipedia
ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)の命題集(Propositions of great philosophers)  「法的義務に関するこの見解を我々が受け容れ得るためには、これに先立ち多くの問題に対する解答が与えられなければならない。いかなる承認のルールも存在せず、またこれと同様の意義を有するいかなる法のテストも存在しない場合、我々はこれに対処すべく、どの原理をどの程度顧慮すべきかにつきいかにして判定を下すことができるのだろうか。ある論拠が他の論拠より有力であることを我々はいかにして決定しうるのか。もし法的義務がこの種の論証されえない判断に基礎を置くのであれば、なぜこの判断が、一方当事者に法的義務を認める判決を正当化しうるのか。義務に関するこの見解は、法律家や裁判官や一般の人々のものの観方と合致しているか。そしてまたこの見解は、道徳的義務についての我々の態度と矛盾してはいないか。また上記の分析は、法の本質に関する古典的な法理論上の難問を取り扱う際に我々の助けとなりうるだろうか。
 確かにこれらは我々が取り組まねばならぬ問題である。しかし問題の所在を指摘するだけでも、法実証主義が寄与したこと以上のものを我々に約束してくれる。法実証主義は、まさに自らの主張の故に、我々を困惑させ我々に様々な法理論の検討を促すこれら難解な事案を前にして立ち止まってしまうのである。これらの難解な事案を理解しようとするとき、実証主義者は自由裁量論へと我々を向かわせるのであるが、この理論は何の解決も与えず何も語ってはくれない。法を法準則の体系とみなす実証主義的な観方が我々の想像力に対し執拗な支配力を及ぼすのは、おそらくそのきわめて単純明快な性格によるのであろう。法準則のこのようなモデルから身を振り離すことができれば、我々は我々自身の法的実践の複雑で精緻な性格にもっと忠実なモデルを構築することができると思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,6 承認のルール,木鐸社(2003),pp.45-46,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)
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検索(ドゥオーキン)

2018年11月9日金曜日

法の総体を正当化すべく要請された法理論は、規範的政治理論や道徳理論を内包し、制度的な支えを持つ諸原理や、制度的に確立した慣行を支える諸原理を超える、ほぼ全ての社会的、政治的倫理的原理から構成される。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

法の総体を正当化すべく要請された法理論

【法の総体を正当化すべく要請された法理論は、規範的政治理論や道徳理論を内包し、制度的な支えを持つ諸原理や、制度的に確立した慣行を支える諸原理を超える、ほぼ全ての社会的、政治的倫理的原理から構成される。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))】

 ある法理論を、他の法理論より優先して選択すべき、いかなる基礎が存在するかが問題である。
(1)法の総体を正当化すべく要請された法理論は、規範的政治理論や道徳理論へと深く入り込まざるを得ないであろう。
(2)ある法律家の法理論においては、社会で一般的に通用し彼も個人的に受容する社会的ないし政治的倫理的原理は、ほぼ全て何らかの意義と役割を持つであろう。
(3)ただし、憲法上の配慮により排除される原理は別とする。
(4)制度的な支えを持つ諸原理や、制度的に確立した慣行を支える諸原理だけでは、政治理論や道徳理論の構成には不十分である。
 参照: 原理を擁護する諸慣行:(a)原理が関与する法準則、先例、制定法の序文、立法関連文書、(b)制度的責任、法令解釈の技術、各種判例の特定理論等の慣行、(c)(b)が依拠する一般的諸原理、(d)一般市民の道徳的慣行。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

 「私は他の法理論に優先してある理論を選択すべきいかなる基礎も見出されない、と主張しているのではない。逆に次節で検討される裁量論を私が拒否することからもわかるように、ある理論を他より勝れたものとして区別する説得力ある論証を示し《うる》と私は考えている。しかしこれらの論証は、たとえば社会における平等義務の本質は何か、といった規範的政治理論の諸問題の論証を含み、この種の論証は、法とは何かを決定する際に考慮さるべき問題には一定の限界がある、という実証主義的な観念では捉えることのできない論証である。制度的支えというテストは、ある法理論を最良の理論として特定化する機械的ないし歴史的基礎や倫理的に中立的な基礎を我々に与えてはくれない。それどころかこのテストは、ある一人の法律家が一連の法的原理を他のより広範な倫理的ないし政治的原理から区別することさえ可能にしないのである。通常、法律家の法理論には彼が受容するほぼすべての政治的倫理的原理の総体が含まれるだろう。確かに、憲法上の配慮により排除される原理を別とすれば、社会で一般的に通用し彼も個人的に受容する社会的ないし政治的倫理的原理でありながら、法の総体を正当化すべく要請された詳細な正当化図式の内部には属さず、この図式において何の意義ももたないような原理を一つでも考えだすことは困難である。それ故実証主義者が制度的に確立した慣行を法の窮極的テストの役割を演ずるべきものとして採用しても、これはただ彼の台本の残りの部分をその犠牲として放棄することによってのみ可能なのである。
 しかしもしそうであれば、法理論にとり由々しい結果が生ずることになる。法理論は「法とは何か」という問いを立て、大半の法哲学者は法的権利義務の立証過程において適切な仕方で登場する「規準」を特定化することにより、この問いに答えようとしてきた。しかし、このような規準の網羅的なリストが作成されえないとすれば、法的権利義務を他のタイプの権利義務から区別する別の方法が発見されねばならない。」

(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第2章 ルールのモデルⅡ,3「制度的支え」は承認のルールを構成するか,木鐸社(2003),pp.79-80,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))
(索引:法理論,政治理論,道徳理論,原理)

権利論


(出典:wikipedia
ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「法的義務に関するこの見解を我々が受け容れ得るためには、これに先立ち多くの問題に対する解答が与えられなければならない。いかなる承認のルールも存在せず、またこれと同様の意義を有するいかなる法のテストも存在しない場合、我々はこれに対処すべく、どの原理をどの程度顧慮すべきかにつきいかにして判定を下すことができるのだろうか。ある論拠が他の論拠より有力であることを我々はいかにして決定しうるのか。もし法的義務がこの種の論証されえない判断に基礎を置くのであれば、なぜこの判断が、一方当事者に法的義務を認める判決を正当化しうるのか。義務に関するこの見解は、法律家や裁判官や一般の人々のものの観方と合致しているか。そしてまたこの見解は、道徳的義務についての我々の態度と矛盾してはいないか。また上記の分析は、法の本質に関する古典的な法理論上の難問を取り扱う際に我々の助けとなりうるだろうか。
 確かにこれらは我々が取り組まねばならぬ問題である。しかし問題の所在を指摘するだけでも、法実証主義が寄与したこと以上のものを我々に約束してくれる。法実証主義は、まさに自らの主張の故に、我々を困惑させ我々に様々な法理論の検討を促すこれら難解な事案を前にして立ち止まってしまうのである。これらの難解な事案を理解しようとするとき、実証主義者は自由裁量論へと我々を向かわせるのであるが、この理論は何の解決も与えず何も語ってはくれない。法を法準則の体系とみなす実証主義的な観方が我々の想像力に対し執拗な支配力を及ぼすのは、おそらくそのきわめて単純明快な性格によるのであろう。法準則のこのようなモデルから身を振り離すことができれば、我々は我々自身の法的実践の複雑で精緻な性格にもっと忠実なモデルを構築することができると思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,6 承認のルール,木鐸社(2003),pp.45-46,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

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