波動関数は実在するか
【状態とは「どういう実験を行うか」という設定に他ならない。実験の設定や、観測結果の説明は、古典物理学の用語を適切に用いることで曖昧さなく、表現されなければならない。(谷村省吾(1967-))】「量子力学がミクロ世界の物理理論として成功を収めると,「古典力学は近似理論であり,人間の粗 雑な観察を直接的に記述した現象論に過ぎない」という考えが物理学者の間に広まったが,果たしてそれは自然界に対する適切な描像だろうか?量子的な系の記述には古典論の概念が必要だということを Bohr は強調していた.少し長くなるが,Bohr の 1949 年の言葉を引用しよう:
《現象が古典物理学で説明のつく範囲からどれほど外れていても,すべての証拠の説明は古典論の用語で表されなければならない…要するに,「実験」という言葉で私たちが指しているものは,私たちが何を行い何を学んだのかを他人に語ることが可能な状況であり,それゆえ,実験設定や観測結果の説明は,古典物理学の用語を適切に用いることで曖昧さなく表現されなければならない》.
たしかに測定値や確率は古典物理的な装置で測定され記録される.状態は量子的な物理量に測定値と確率を割り当てる写像であり,結局,状態 (state)とは「どういう実験を行うか」という設定 (setting,situation) に他ならない.「実験の準備=状態の準備」であり,実験は古典物理的な方法で用意され記述される.量子論が登場したことによって古典論が用済みになったのではなく,量子論だけでは世界の記述は完結せず,量子的世界に対面する古典的世界を必要としているのである.」
(『波動関数は実在するか 物質的存在ではない.二つの世界をつなぐ窓口である』<谷村省吾 名古屋大学)
(索引:波動関数は実在するか)
(出典:名古屋大学)
「最近(2020年)、時間の哲学と心の哲学の問題に関わることが多くなり、「意識とは何か、物理系に意識を実装できるか」という問題を本格的に考えたいと思うようになった。裏プロジェクトとして意識の科学化を考えている。
「科学で扱えるものと扱えないとされるもののギャップ」は、心得ておくべきではあるが、ギャップにこそ重要な問題が隠されており、ギャップを埋める・ギャップを乗り越えることによって科学は進歩してきたとも言える。」(中略)
「物理学におけるギャップの難問として次のようなものがある。マクロ系によるミクロ系の観測に伴う波束の収縮、量子系から古典系の創発、相対論的系から非相対論的系の出現、可逆力学系から不可逆系の出現、意識なきものから意識あるものの出現、「いまある感」の起源、などがそのような例であるが、これらは地続きの問題であり、いずれも機が熟すれば科学的に究明されるべき課題だと私は考えている。」(後略)
(研究の裏で私が意識していること 谷村省吾 名古屋大学<谷村省吾(1967-))
谷村省吾(1967-)
TANIMURA Shogo@tani6s
谷村省吾(名古屋大学)
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