意識される時間の流れ
なぜ世界は変化しているように知覚されるのか。系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示された他の系(ある特別な脳部分系)の別の時間固有値と相関しているかぎりである。この特定の基底の選好は、私たちの意識の性質に起源を持つ。(マイケル・ロックウッド(1933-2018))
「この章のはじめの方で、時間の流れ、あるいは時間を通じてのわれわれ自身の発展という 感覚は、単なる錯覚でないとしたならば、とにかくパースペクティブに呼応した現象、すなわ ち意識的な主体自身の観点からのみ生じると言えるにすぎないと主張した。しかしながら、い までは、もっと過激なことを主張している。少なくとも、時間とともに世界の状態が変化する ということ、未来のさまざまな集まりにはさまざまな時刻がむすびついているということは、 客観的で、観測者によらない事実でなければならないと考えるであろう。しかし、その仮定も また、最前のいくつかの段落での議論が疑いを差しはさんだものなのである。呼応状態の方法 を論理全体は、系が変化しているとみなせるのは、系の別の状態が、時計として指示されたほ かの系の別の時間固有値と相関しているかぎりであるという結論にむかっている。われわれ自 身は、ものの状態をわれわれ自身のある選好された状態に照らしあわせるというそれだけで、 世界を変化しているものと知覚しているのである。しかもこれらの選好された状態は、われわ れ自身の脳の「時計の読み」をふくみ、かつその基礎のうえでなりたっているのである。
このことすべては、ヘンリー・フォードの「歴史は、まやかしだ」という論評についてのお どろくべき証明になっているのかも知れない。しかし、もちろん、歴史はまやかしなどではな い。私は、本当は何ごともいままでに起こりはしなかったなどと主張してはいない。むしろ、 逆であって、呼応状態の理論では、(物理的に)起こりうるすべてのことが、宇宙波動関数の どこかに見出せるという意味で、絶対起こるのである。私が世界の《まぎれも》ない歴史と考 えているものは、本当は、特定の伝記、しかも私の多くの伝記のうちのひとつにすぎないもの に呼応した世界の歴史なのである。その意味で、ふつう考えられるような歴史は、無数のおこ りうる歴史をふくんで横たわっている母胎から《抽出された》なにかなのである。また、この 全体系が、それだけで変化したり進化したりしている(あるいは、していない)という仮定 は、よく言って根拠のない、悪くいえば無意味なことなのである。アルキメデスは、てこの原 理についてこう言ったと伝えられている。「われに支点をあたえよ。されば地球をも動かさ ん。」しかしながら、そのような場所は存在しないし、原理的にすら、全体としての宇宙が定 常状態にあるのか否かをそれだけで決定できるような観測をすることのできるアルキメデス的 な地点も存在しない。最も抽象的な理論化においてのみ、われわれは、世界から自分自身を解 放できるし、しかも、ネーゲルのことばでは、どこにもない場所から景色を見たりできるので ある。」
(マイケル・ロックウッド(1933-2018)『心、脳、量子』(日本語名『心身問題と量子力 学』)第15章 時間と心、pp.414-415、産業図書(1992)、奥田栄(訳))