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2022年4月4日月曜日

感情は、感情価と覚醒の度合いを2つの次元とする円環に配置できる。覚醒度中立の快である喜び、快だが覚醒度が下がる落ち着き、不快なら落ち込み、不快だか覚醒度中立の不機嫌、不快なまま覚醒度が上がると動揺、覚醒度高くて快なら高揚である。(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))

感情円環図

感情は、感情価と覚醒の度合いを2つの次元とする円環に配置できる。覚醒度中立の快である喜び、快だが覚醒度が下がる落ち着き、不快なら落ち込み、不快だか覚醒度中立の不機嫌、不快なまま覚醒度が上がると動揺、覚醒度高くて快なら高揚である。(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))












不快・覚醒度高い 快・覚醒度高い
(動転,動揺)    (高揚,興奮)
不快・覚醒度中立 快・覚醒度中立
(惨めさ,不機嫌)  (満足,喜び)
不快・覚醒度低い 快・覚醒度低い
(無気力,落込み)  (穏やか,落着き)
 
「心理学者のジェイムズ・A・ラッセルが考案した、気分を追跡する方法は、臨床医、教師、科学者 のあいだでよく知られている。彼は、「感情円環図」と呼ばれる二次元空間(図4.5のような円構造) 上の点として、その瞬間の気分を記述できることを示した。 ラッセルのこの二次元構造は、感情価と 覚醒の度合いを、原点からの距離で表わしている。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の源泉,p.128,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))


情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]





リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)



2022年4月3日日曜日

爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

気分

爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


(a)気分
 爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など。
(b)気分の感情価
 それがど れくらい快、もしくは不快に感じられるかで、科学者はこの特徴を「感情価 (affective valence)」と呼ぶ。 たとえば肌にあたる日光の快さ、好物のおいしさ、胃痛やつねられたときの不快さはすべて感情価の 例である。
(c)気分の覚醒度
 どれくらい穏やかに、あるいは興奮して感じられるかで、科学者は「覚 醒 (arousal)」と呼んでいる。 よい知らせを期待しているときの活力あふれる感覚、コーヒーを飲みす ぎたあとの苛立ち、長距離を走ったあとの疲労、睡眠不足に起因する倦怠感などは、覚醒の度合 の高さ、あるいは低さを示す例だ。
(d)気分は恒常的な内受容感覚
 気分は内受容に依存する。つまり生涯を通じ、じっとしているときでも 眠っているときでも、恒常的な流れとして存在し続ける。 

「朝目覚めたとき、あなたは爽快感を覚えているだろうか、それとも不機嫌だろうか? あるいは、 たった今どう感じているだろうか? 落ち着いているのか? 何かに興味津々なのか? 活力がみなぎっ ているか? 退屈や倦怠を感じているのか? それらの感覚はすべて、本章の冒頭で論じた単純な感情 で、一般に気分と呼ばれているものである(「気分」の原文はaffect だが、これについては訳者あとがきを参照)。
 本書における「気分」は、人が日常生活で経験している一般的な感情のことを表わす。それは情 動とは異なり、次のような二つの特徴を持つごく単純な感情を意味する。一つ目の特徴は、それがど れくらい快、もしくは不快に感じられるかで、科学者はこの特徴を「感情価 (affective valence)」と呼ぶ。 たとえば肌にあたる日光の快さ、好物のおいしさ、胃痛やつねられたときの不快さはすべて感情価の 例である。二つ目の特徴は、どれくらい穏やかに、あるいは興奮して感じられるかで、科学者は「覚 醒 (arousal)」と呼んでいる。 よい知らせを期待しているときの活力あふれる感覚、コーヒーを飲みす ぎたあとの苛立ち、長距離を走ったあとの疲労、睡眠不足に起因する倦怠感などは、覚醒の度合 の高さ、あるいは低さを示す例だ。また、投資のリスクや好機に対する直感、他者が信用できるか否かに関する本能的な感覚なども、本書で言う気分の例と見なせる。さらに言えば、気分には完全に中立 的なものもある。
 洋の東西を問わず哲学者たちは、感情価や覚醒を人間の経験の基本的な特徴としてとらえてきた。 ほとんどの科学者は、新生児が完全な形態の情動をもって生まれてくるか否かをめぐっては見解が分 かれていても、人間には誕生時からすでに気分を感じる能力が備わっており、乳児が快や不快を感じ、 知覚できるという点については一致している。
 気分は内受容に依存することを覚えておいてほしい。つまり生涯を通じ、じっとしているときでも 眠っているときでも、恒常的な流れとして存在し続ける。 情動として経験されるできごとに反応して、オンになったりオフになったりするようなものではない。その意味において気分は、明るさや音の強 弱などと同様、意識の根本的な側面をなす。 脳が物体から反射された光の波長を処理することで明る さや暗さが、また空気の圧力の変化を処理することで音の強弱が経験される。それと同様、脳が内受 容刺激の変化を表象することで、快や不快、あるいは興奮や落ち着きが経験されるのである。このよ うにして、気分も、明るさも音の強弱も、生まれてから死ぬまで私たちにつきまとう。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.126-127,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]




リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)




情動に関係のある脳領域は、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために必要なエネルギーの需給を予測し管理する身体予算管理領域と、心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織の変化を予測し内受容刺激と突き合わせ内受容感覚を生み出す一次内受容皮質とから構成される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

内受容ネットワーク

情動に関係のある脳領域は、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために必要なエネルギーの需給を予測し管理する身体予算管理領域と、心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織の変化を予測し内受容刺激と突き合わせ内受容感覚を生み出す一次内受容皮質とから構成される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


(a) 身体予算管理領域
 身体に予測を送る一連の脳領域である。我々はこれを「身体予算管理領域 (body-budgeting regions)」と呼ん でいる。
 (i)エネルギーは、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために使われる。 
 (ii)すべての消費や補給を管理するために、脳はつねに、身体の予算を立てるかの ごとく、身体のエネルギー需要を予測しなければならない。
 (iii)身体予算管理領域が心拍数の高 まりなどの運動の変化を予測する。

(b)一次内受容皮質
 もう一方の部位は、体内の感覚刺激を表現する「一次内受容皮質」と呼ばれる領域から成る。
 (i)胸の高鳴りなど の感覚の変化を予測する。このような感覚予測は「内受容予測」と呼ばれる。
 (ii)心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織から感覚入力を受け取る。 
 (iii)一次内受容皮質のニューロ ンは、シミュレーションの結果と感覚入力を比べ、予測エラーがあればそれを計算して予測ループを 完結させ、最終的に内受容刺激を生み出す。

「議論をすっきりさせるために、独自の役割を担う二つの一般的な部位から成るものとして、内受容ネットワークを考えよう。 一方の部位は、心拍を速める、呼吸のペースを落とす、多量のコルチゾー ルを分泌する、グルコースの代謝を高めるなどして、体内の環境をコントロールするために身体に予 測を送る一連の脳領域である。われわれはこれを「身体予算管理領域 (body-budgeting regions)」と呼ん でいる。もう一方の部位は、体内の感覚刺激を表現する「一次内受容皮質」と呼ばれる領域から成る。 内受容ネットワークの二つの部位は、予測ループに関与している。身体予算管理領域が心拍数の高 まりなどの運動の変化を予測するたびに、二つの部位は、それによってもたらされる胸の高鳴りなど の感覚の変化も予測する。このような感覚予測は「内受容予測」と呼ばれ、一次内受容皮質に入って そこで通常どおりシミュレートされる。 一次内受容皮質はまた、所定の処理を行なうあいだ、 心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織から感覚入力を受け取る。 一次内受容皮質のニューロ ンは、シミュレーションの結果と感覚入力を比べ、予測エラーがあればそれを計算して予測ループを 完結させ、最終的に内受容刺激を生み出す。
 身体予算管理領域は、生存に重要な役割を果たす。 脳が、内部であろうが外部であろうが身体のい かなる部位を動かすときにも、ある程度のエネルギー資源が消費される。エネルギーは、さまざまな 内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために使われる。 身体資源は、食べる、飲む、眠ることで 補給され、また身体のエネルギー消費量は、近しい人々とリラックスすることで (セックスすることで も) 低減する。これらすべての消費や補給を管理するために、脳はつねに、身体の予算を立てるかの ごとく、身体のエネルギー需要を予測しなければならない。そのために、企業が会社全体の予算運用 のバランスを保つべく、預金や引き出し、あるいは口座間での資金の移動を管理する経理課を設置しているように、脳は身体の予算管理の責任を負う神経回路を設置している。この神経回路は、内受容ネットワーク内に存在する。かくして身体予算管理領域は、過去の経験を指針として予測を行ない、 無事に生きていくのに必要な資源の量を見積もるのだ。
 なぜそれが情動と関係するのか? なぜなら、人間の情動の拠点とされている脳領域はすべて、 内 受容ネットワーク内の身体予算管理領域でもあるからだ。しかしこの領域は、情動の生成という形態 で反応するのではない。そもそも反応するのではなく、身体予算を調節するために予測する。 視覚、 聴覚、思考、記憶、想像、そしてもちろん情動に関する予測を行なうのだ。 情動を司る脳領域という 考えは、反応する脳という時代遅れの信念に基づく幻想と見なせる。 今日の神経科学者はその点をわ きまえているが、そのメッセージは、心理学者、精神科医、社会学者、経済学者、あるいはその他の 情動の研究者の多くには伝わっていない。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.119-122,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]




リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)




心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

概念によるシミュレーション

心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


(a)同じ刺激が多様に解釈される
 食卓に座っているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 みは吐き気として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ として、この種の痛みを受け取るかもしれない。

「生きている限り、脳はつねに概念を用いて外界をシミュレートしている。 概念を欠けば、ミツバチ が不定形のかたまりに見えたときのように経験盲の状態に置かれる。 脳は、概念を用いて本人が 気づかぬうちに自動的にシミュレートするため、視覚や聴覚をはじめとする感覚作用は、構築ではなく反射であるように思える。 

 さて今度は、次の問いを考えてみよう。 脳がそれと同じ手順を用いて、心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激の意味も作り出していたとしたらどうだろう? 脳の観点からすれば、自分の身体は感覚入力の源泉のうちの一つにすぎない。心臓や肺、代謝作用、 体温の変化などに由来する感覚刺激は、図21に示されている不定形のかたまりのようなものだ。 これら純然たる身体由来の感覚刺激には、客観的な心理的意味などまったく含まれていない。しかし ひとたび概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。食卓にすわっているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 まは吐き として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ としてこの種の痛みを受け取るかもしれない。このように、脳は時と場合に応じて、概念を用いて、 外界の感覚刺激と体内に由来する感覚刺激の両方に同時に意味を付与するのだ。こうして脳は、 空腹、吐き気、疑いなどのインスタンスを生成する。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,pp.60-61,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))


情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]





リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)



知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象は、それぞれ異なる心的事象ではなく、外界に対する単なる反応では なく、シミュレーションという一つの普遍的な過程によって記述で きる。 (リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

シミュレーションとしての心的現象

知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象は、それぞれ異なる心的事象ではなく、外界に対する単なる反応では なく、シミュレーションという一つの普遍的な過程によって記述で きる。 (リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


「科学的証拠に基づいて、私たちが見る、聞く、触る、かぐものは、たいていは外界に対する反応では なく、それに関するシミュレーションであることが明らかにされたのだ。先見の明のある科学者は、 シミュレーションを知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象を理解するための 一般的なメカニズムと見なすようになった。(少なくとも欧米人の常識的な考えでは、思考と知覚と夢 はそれぞれ異なる心的事象だと思われる。だがそれらはすべて、一つの普遍的な過程によって記述で きる。 シミュレーションは、あらゆる心的活動の基本をなし、脳がどのように情動を生成するのかと いう謎を解くカギでもある。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,p.58,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]






リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)



身体反応は任意であるわけでもなく、各行動にはそれ独自の動きを維持するために、異なる心拍、呼吸などのパターンが伴う。しかし、状況や文脈によって、異なる身体反応に同じ情動カテゴリーが割り当てられる。その結果、各情動に独自の生理的指標が見出せない。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

情動に生理的指標はあるのか

身体反応は任意であるわけでもなく、各行動にはそれ独自の動きを維持するために、異なる心拍、呼吸などのパターンが伴う。しかし、状況や文脈によって、異なる身体反応に同じ情動カテゴリーが割り当てられる。その結果、各情動に独自の生理的指標が見出せない。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))


「数百の実験を要約した四つのメタ分析が、各情動に対応する自律神経系の独自の指標を一貫して見 出すのに失敗したというのはいったいどういうことか? それは、情動が幻想にすぎないことを意味 するのでもなければ、身体反応が任意であることを意味するのでもなく、状況や文脈によって、ある いは研究によって、同一人物であろうが個人間であろうが、同じ情動カテゴリーに、異なる身体反応 が関与しうることを意味する。画一性ではなく、多様性が標準なのだ。これらの実験結果は、おのお のの行動にはそれ独自の動きを維持するために、それぞれに異なる心拍、呼吸などのパターンがともなうという生理学者たちの半世紀以上前からの知見とも合致する。

 このように、膨大な時間と資金が投入されてきたにもかかわらず、いかなる情動に関しても、それ に対応する一貫した身体的指標は見出されていないのである。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第1章 情動の指標の探求,p.38,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]





リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)




2022年4月2日土曜日

顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 しかし、顔面の動きは必ずしも情動的なものだとは言えないし、それが表わす意味もつねに同じわけではない。それは、文化に基づく予想や社会的状況、ボディランゲージなどの文脈に依存している。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

情動と表情

顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 しかし、顔面の動きは必ずしも情動的なものだとは言えないし、それが表わす意味もつねに同じわけではない。それは、文化に基づく予想や社会的状況、ボディランゲージなどの文脈に依存している。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))

「確かに、顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 顔面の動きには意味のあるものもあれ ば、ないものもある。 しかし現在のところ、どの顔面の動きに意味があり、どの動きにないのかを 人々がいかに見分けているのかについては、文脈 (ボディランゲージ、社会的状況、文化に基づく予想など)が重要だという点以外、ほとんど何も知られていない。 眉を吊り上げるなどの顔面の動きによって心 理的なメッセージが伝えられる場合、そのメッセージが必ずしも情動的なものだとは言えないしそ れが表わす意味がつねに同じかどうかさえわからない。科学的な証拠を総合すると、各情動には、特 定が可能な表情が必ずやともなうと言い切ることはできない。」

(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第1章 情動の指標の探求,p.32,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))



情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論 [ リサ・フェルドマン・バレット ]





リサ・フェルドマン・
バレット(1963-)



2021年11月16日火曜日

予測不可能性や絶対的非決定性は、自由意志の本質ではない。それは、物理法則、遺伝子、過去の経験、神経回路に組み込まれた価値判断のメカニズムに従ってはいても"自律的"な決定というものがある。過去の経験、思考、価値観から選択肢を導出し、欲求や情動と熟慮のなかで選択する。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

自由意志の本質

予測不可能性や絶対的非決定性は、自由意志の本質ではない。それは、物理法則、遺伝子、過去の経験、神経回路に組み込まれた価値判断のメカニズムに従ってはいても"自律的"な決定というものがある。過去の経験、思考、価値観から選択肢を導出し、欲求や情動と熟慮のなかで選択する。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

「量子的な現象が何らかの働きに影響を及ぼしていたとしても、その本質的な予測不可能性 は自由意志という概念にそぐわない。哲学者のダニエル・デネットが詳しく論じているよう に、脳に純粋な形態のランダムさを帰属させても、「いかなる種類の価値ある自由」ももたら さない。私たちは、自分の身体が、トゥレット症候群患者の無作為のひきつりやチック症のよ うに〔どちらも、突発的で自己制御できない体の動きや発生が生じる〕、亜原子レベルで生じ る制御不可能な逸脱によってランダムに振り回されることを望んでいるのか? 自由の概念か らこれほどかけ離れた考えはないだろう。

 「自由意志」について議論するとき、私たちはもっと興味深い何かを意味する。自由意志に 対する私たちの信念は、正常な状況のもとでは、高次の思考、価値観、そして過去の経験に よって意思決定を導き、下位レベルの不必要な衝動をコントロールする能力が私たちに備わっ ているという考えを表現する。私たちは自律的な決断を下すとき、すべての選択肢を考慮し、 そのなかからもっとも気に入ったものを選び出すことで自由意志を行使する。確かに、自発的 な選択には偶然性が入り込む余地があるが、それは本質的なものではない。私たちの自発的な 行為のほとんどはランダムどころではなく、選択肢を慎重に検討し、もっとも気に入ったもの を意図的に選び出して実行されるのである。

 この自由意志の概念は、量子力学に訴えずとも、標準的なコンピューターシステムとして実 装し得る。人間のグローバル・ニューロナル・ワークスペースは、感覚入力および記憶からす べての必要な情報を集めて統合し、その結果を評価し、それについて好きなだけ時間をかけて 熟考したうえで、実際の行動を導く。これこそが、私たちが意思決定と呼ぶところの行為だ。 

  したがって自由意志について考察するにあたっては、私たちは意思決定に関して二つの直感 を明確に区別しなければならない。一つは根本的な非決定性という疑わしい考えで、もう一つ は自律性という尊重すべき考えだ。脳の状態は原因なしに引き起こされるのではなく、物理法 則から逃れられない。物理法則を免れられるものなど何一つない。しかし意思決定は、行動を 起こす前にその長所と短所を慎重に検討しつつ、いかなる妨害もなしに自律的になされれば、 純粋に自由なのである。この条件に当てはまれば、たとえそれが究極的には遺伝子、それまで の人生、そして神経回路に組み込まれた価値判断のメカニズムによって引き起こされたのだと しても、私たちはその行為を自発的な決定と呼べる。自然に生じる脳活動の変動のゆえに、自 分の決定は自分自身にさえ予測できない。だがこの予測不可能性は、自由意志を定義する特徴 ではないし、ましてや絶対的な非決定性と混同すべきではない。重要なのは自律的な意思決定なのだ。」

(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店 (2015),pp.365-366,高橋洋(訳))<b

意識と脳 思考はいかにコード化されるか [ スタニスラス・ドゥアンヌ ]









2021年11月11日木曜日

外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

主観性の誕生

外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「自然なプロセスの基礎的レベルにある細胞による感知と、完全な意味における心的状態のあ いだにはきわめて重要な中間段階が存在し、それはもっとも基本的な心的状態である感情で構 成される。感情は中核的な心的状態であり、《意識が宿る身体の内的状態》という基礎的なコ ンテンツに対応する、《唯一の》核心的な心的状態だとさえいえるかもしれない。そして体内 の生命活動のさまざまな質に関連するがゆえに、感情は必然的にヴェイレンスを帯びている。 つまり、よいものにも悪いものにも、ポジティブなものにもネガティブなものにもある。さら には、魅力的なものにも嫌悪を催すものにも、快いものにも苦痛に満ちたものにも、あるいは 受け入れられるものにも受け入れらないものにもなる。

 《たった今の》内的な生命活動の状態を示す感情が、《生命全体の現在の視点の内部》に 「置かれる」、あるいは単に「位置する」だけでも主観性は生じ、そこから周囲のできごと、 自らが参加するできごと、想起された記憶に新たな可能性が生まれる。つまり、自分にとって それらが《重要性を帯びて》立ち現われ、生きるあり方に影響を及ぼすようになるのだ。文化 の出現には、できごとが重要性を帯びて立ち現われ、自分にとって有益か否かに基づいて自動 的に分類されるこのステップが必要とされる。自己によって所有され意識された感情は、自分 の置かれた状況が問題を孕むか否かに関するすばやい判断を可能にする。そして想像力を喚起 し、自分の置かれた状況を正しく判断するための基盤をなす理性的プロセスを始動する。この ように、文化を構築する創造的な知性を駆り立てるためには、主観性は不可欠なのである。 

 主観性は、イメージ、心、感情に対し、新たな性質を付与する。その性質とは、これらの現 象が生じている生体に対する所有の感覚と、個体性(individuality)の世界への参入を可 能にする「私有性(mineness)」である。心的経験は心に、無数の生物種に利点をもたらし てきた新たなインパクトを与える。人間にとって心的経験は、熟慮に基づく文化の構築の梃に なる。痛み、苦しみ、喜びの心的経験は人間の欲求の基盤をなし、文化的な発明の足がかりと なる。その意味でこの経験は、自然選択や遺伝の働きによってそれまでに構築されてきた種々 の行動とは鮮やかな対照をなす。生物学的進化と文化的進化という二つのプロセスのあいだに 横たわるギャップは非常に大きいため、双方の背後にホメオスタシスの力が厳然と存在する事 実が忘れられやすい。

 イメージは、特定の文脈の一部となるまで単独で《経験される》ことがない。この文脈は、 感覚装置が特定の対象と関わることで、生体がどのような影響を受けているかを示すストー リーをごく自然なあり方で語る《生体関連のイメージの集合を含んでいる》対象が外界にある のか、あるいは身体のどこかに存在するのか、それともかつて遂行されたイメージ化によって 形成された、外界や内界の何ものかに関する記憶から想起されたものなのかは、ここでは重要 ではない。《主観性とは、有無を言わさず構築されるナラティブなのだ》。そしてナラティブ は、ある種の脳の機能を備えた生物が、周囲の世界、記憶に蓄えられた過去の世界、自己の内 界と相互作用することで生じる。

 意識の背後にある謎の本質はそこにある。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第9章 意 識,pp.196-198,白揚社(2019),高橋洋(訳))

進化の意外な順序 感情、意識、創造性と文化の起源 [ アントニオ・ダマシオ ]

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化


感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)(アントニオ・ダマシオ(1944-))


(a)身体性

 そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。

(b)ヴェイレンス

 これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。

(c)感情の知性化

 同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。


 「感情は心的な経験であり、定義上意識的なものである。さもなければ、それに関する直接的 な知識は得られないだろう。しかし感情は、いくつかの点で他の心的経験とは異なる。まず第 一に、そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。感情は、その生物の内 部、すなわち内臓や内的作用の状態を反映する。すでに述べたように、内的なイメージが形成 される状況は、外界を描写するイメージと内界を描写するイメージを分つ。第二に、これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。ヴェイレンスは、生命活動の状態を、一瞬一瞬直接心的な言葉 に翻訳し、その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。生存に 資する状態を経験すると、私たちはそれをポジティブな用語で記述し、たとえば「快い」と呼 ぶ。それに対し生存につながらない状態を経験すると、ネガティブな用語で記述し、不快さを 口にする。ヴェイレンスは感情、そしてさらにはアフェクトを特徴づける要素をなす。

 この感情の概念は、基本的なプロセスにも、同じ感情を何回も経験することから生じるプロ セスにもあてはまる。同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。特定のア フェクトを引き起こす状況を繰り返し経験すると、私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。それには対応する生理学的側面があり、バイパスされる身体構造も ある。私が提唱する「あたかも身体ループ」は、それを達成する一つの方法だといえる。」 (アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第7章 ア フェクト,pp.129-130,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月10日水曜日

感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

感情表出反応

感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「人間存在を支配している(ように見える)心の側面は、今現在の世界であろうが記憶から呼 び起こされたものであろうが、他者や諸事象で満ちた周囲の世界に関係する。それらは、あら ゆるタイプの感覚に由来する無数のイメージによって表わされ、往々にして言葉に翻訳されナ ラティブとして構造化される。それでも驚くべきことに、かくも多様なイメージのすべてをと もなうパラレルな心的世界が存在する。その世界は非常にとらえがたく、私たちの注意を引か ない場合が多いが、おりに触れて非常に重要なものになって、心の支配的な部位における処理 の流れを顕著に変えることがある。このパラレルワールドは《アフェクト》の世界と呼ばれ、 この世界では、《感情》が、通常はより突出した心のイメージにともなって生じる。感情が生 じる直接的な要因には、次のものがある。

   (a)人間存在の背景をなす生命活動の流れ。自発的な、言い換えるとホメオスタシスに関わ る感情として経験される。(b)味覚、臭覚、触覚、聴覚、視覚などの無数の感覚刺激を処理す ることで生じる《感情表出反応》。その経験はクオリアの起源の一つをなす。(c)衝動(飢えや 渇きなど)、動機(欲望や遊びなど)、従来の意味での情動に起因する感情表出反応。これら の感情表出反応は、数々の、ときには複雑な状況に直面した際に活性化される行動プログラム である。情動の例としては、喜び、悲しみ、怖れ、怒り、羨望、嫉妬、軽蔑、思いやり、称賛 などがあげられる。(b)と(c)で言及されている感情表出反応は、基本的なホメオスタシスの流れから生じる自発的なものとは異なり、喚起されることで生じるタイプの《感情を生む》。 なお残念なことに、情動を感じる経験にも、同じ用語「情動」が使われている。そのせいで、 区別されてしかるべき情動と感情が、まったく同一の現象であるという誤った考えが広まって いる。

 私の用法では、アフェクトとはあらゆる感情のみならず、それらを生みだす(すなわち、そ の経験が感情になる行動を生み出す原因になる)状況や仕組みをも包み込む大きなテントを意 味する。

 感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。感情を、心へのおりに触れての訪問者、ある いは典型的な情動によってのみ引き起こされるものと見做すなら、その見方は感情という現象 の偏在性や機能的重要性を正しくとらえていないといわざるを得ない。

 私たちが心と呼ぶ行列に加わっているイメージのほとんどは、注意のスポットライトにとら えられたときからそこを去るまで、感情をともなう。また、イメージはアフェクトの随伴を強 く求めるので、一つの突出した感情を構成するイメージにも他の感情がともなわれる。一つの 音に含まれる倍音や、小石が水面に落ちたときにできる水の輪にも少し似ている。生命活動の 自然な心的経験、つまり存在しているという感覚がなければ、真の意味での生はあり得ない。 生の起源は、連続的で無限であるかのように思える感情状態、すなわち他の心的なものすべて の底流をなす、さまざまな激しさの心的コーラスに存する。なお、「であるかのように思え る」とぼかしを入れたのは、継続するイメージの流れから生じる無数の感情のパルスをもとに 見かけの連続性が構築されるからだ。

 感情の完全な欠如は生の停止を意味するが、それほど劇的でなくとも感情が減退すれば、そ れだけ人間の本性が阻害される。仮に心の感情の「トラック」を狭められたとすると、外界か ら入ってくる視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の刺激から形成された、干からびた感覚イメージ の連鎖が残るだけだろう。干からびたイメージには、具体的なものもあれば抽象的なものもあ り、あるいは象徴的な、すなわち言語的な形態のものもある。また知覚から生じたものもあれ ば、記憶から想起されたものもある。感情のトラックを欠いたまま生まれてくると、事態は もっと悪くなる。イメージの残滓が、まったく感情の影響を受けず、質を与えられることもな く、心のなかを漂うだけだろう。ひとたび感情が取り除かれれば、イメージを美しいもの、醜 いもの、快いもの、不快なもの、上品なもの、野卑なもの、崇高なもの、俗なものなどとして 分類することができなくなるだろう。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第7章 ア フェクト,pp.125-127,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月9日火曜日

感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。様々な文化的構築物である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

文化的構築物

感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。様々な文化的構築物である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「生命を律する魔法のようなホメオスタシスの規則には、とぐろを巻くように、その瞬間の 生存を確保するための指示が詰め込まれていた。代謝の調整、細胞構成要素の修理、集団にお ける行動規範、バランスのとれたホメオスタシスの状態からの正もしくは負の逸脱を、適切な 処置を講じるべく測定するための基準などである。しかしそれらの規則は、未来に敢然と飛び 込むにあたり、より複雑で堅固な構造によって将来の安全性を確保しようとする傾向を持って いた。この傾向は、無数の連携、さらには突然変異、自然選択をもたらす激しい競争を介して 実現された。初期の生命は、感情と意識を吹き込まれ、自らが構築した文化を通じて豊かに なった人間の心に今日見出される、以後のさまざまな発展を予示していた。感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。この新たな道具の目的は、初期の生命に課された、生存のみならず繁栄 を目指せとする規則と現在でも調和している。

 ならば、この尋常ならざる発展の結果が、気まぐれとまでは言わないまでも一貫性を欠いて いるのはなぜだろうか? なぜ人類の歴史は、かくも多くのホメオスタシスからの逸脱や苦 しみにまみれているのか? これらの問いはのちの章で詳しく検討するが、とりあえずここで は、文化的な道具は、個体、あるいは核家族や部族などの小集団のホメオスタシス維持に関連 して最初に発達したのだと述べるに留めておく。そこでは、より大規模な集団への拡張は考慮 されていなかったし、そもそも考慮など不可能だった。より大規模な人間の集団では、文化的 集団、国、さらには地政学的圏域でさえ、たった一つのホメオスタシスに服する、より巨大な 有機体を構成する複数の部位としてではなく、おのおのが個々の有機体として機能することが 多い。そして各有機体は、独自のホメオスタシスのコントロールを用いて《自組織の》利益を 守る。文化的なホメオスタシスは、未完成品であり、逆境の時期に何度も損なわれてきた。あ えていえば、文化的なホメオスタシスの成功は、さまざまな調節目標を互いに調和させようと する文明の、はかない努力に依存する。F・スコット・フィッツジェラルドの「だから私たち は、つねに過去へ戻されながらも、流れに逆らってボートを懸命に漕ぎ続ける」という言葉に よって示される静かなあがきが、人間の本性をとらえた、もっとも妥当な先見の明に満ちた表 現であり続けているのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.45-46,白揚社(2019),高橋洋(訳)

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

自己保存と効率的機能の展開

  生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「人間の持つ文化的な心の誕生に向け、ホメオスタシスは感情によって、劇的な飛躍を果すこ とができた。なぜなら、感情は生体内の生命活動の状態を心的に表象することを可能にするか らだ。心の仕組みにひとたび感情がつけ加えられると、ホメオスタシスのプロセスは生命活動 の状態に関する直接的な知識を豊富に持てるようになり、その知識は、必然的に意識的なもの になった。やがて感情に駆り立てられた意識ある心は、経験の主体に照らして、(1)生体内の 状態と、(2)生体外の環境の状態という2つの決定的な事象を心的に表象することが可能になっ た。後者には、社会的な相互作用や共有された意図によって生じた種々の複雑な状況における 他個体の行動が、典型的なものとして含まれる。そのような行動の多くは、その個体の持つ衝 動、動機、情動に左右される。学習や記憶の能力が発達すると、個体は、事実やできごとに関 する記憶を形成、想起、操作することができるようになり、知識と感情に基盤を置く新たなレ ベルの知性が誕生する道が開けた。この知的能力の拡大のプロセスに、やがて話し言葉が加わ り、観念と言葉と文のあいだのやりとりがたやすくできるようになる。そこからは、創造性の 洪水は抑えられなくなる。こうして自然選択は、特定の行動、実践、道具の背後にある観念の 劇場を征服し、文化的な進化と遺伝的な進化の連携が可能になったのだ。

 すばらしき人間の心と、それを可能にした複雑な脳は、それらを生んだ先駆けとなる祖先の 生物の長い系列から私たちの目を逸らしてしまう。心と脳という輝かしい成果は、人間とその 心が、フェニックスのごとく完全な形態で最近になって突如出現したかのように思わせる。し かしこの驚異的なできごとの背景には、祖先の生物の長い連鎖と、激しい競争と、驚嘆すべき 協調の歴史が横たわっている。複雑な生命体は、管理されていたからこそ存続できた。また脳 は、とりわけ感情や思考に富んだ意識ある心の構築を導くことに成功したあとで、管理の仕事 の支援に長けるようになったがゆえに進化の過程で選択された。これらの点が、人間の心の物 語では見逃されやすい。つまるところ人間の創造性は、生命と、まさにその生命が、「何があ ろうと耐え、未来に向けて自己を発展させるべし」とする厳正な任務を担いつつ誕生したとい う、息を飲むような事実に根差しているのだ。このつつましくも強力な起源に思いを馳せるこ とは、不安定性と不確実性に満ちた現代を生き抜くにあたって、何らかの役に立つかもしれな い。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.44-45,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

芸術、哲学、宗教的信念、司法制度、政治的ガバナンスと経済制度、テクノロジー、科学は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動はホメオスタシスの代理であり、これら文化的構築物の新たな生成、発展、改善において重要な役割を演じている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシスの代理

芸術、哲学、宗教的信念、司法制度、政治的ガバナンスと経済制度、テクノロジー、科学は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動はホメオスタシスの代理であり、これら文化的構築物の新たな生成、発展、改善において重要な役割を演じている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「以上の議論を踏まえると、感情と文化の関係に関して、「感情は、ホメオスタシスの代理と して、人類の文化を始動した反応の媒介者の役割を努めてきた」という仮説を提起することが できる。この仮説は妥当であろうか? 感情が動機となって、(1)芸術、(2)哲学的探究、(3) 宗教的信念、(4)司法制度、(5)政治的ガバナンスと経済制度、(7)テクノロジー、(8)科学な どの知的発明がもたらされたのか? 私なら、この問いに心から「イエス」と答えるだろう。 これら8つのいずれの面でも、文化的な実践や道具は、ホメオスタシスの低下(痛み、苦し み、窮乏、脅威、喪失など)や潜在的な恩恵(報酬をともなう結果など)を実際に感じる、も しくは予期することを人々に求めた。また、恩恵として示される豊かさを利用しつつ必要性を 満たしていくための方法を、知識と理性という道具を用いながら探究する動機づけとして、感 情が機能した。私はこれらについて、実例をあげて説明することができる。

 しかも、これは序の口にすぎない。文化的な反応が成功すると、感情による動機づけは低下 するか解消する。このプロセスは、ホメオスタシスの変化の《監視》を必要とする。そのよう な単純な反応に代わって、さまざまな社会集団の長期にわたる相互作用に基づく複雑な過程を 経て、知性による反応が採用され、それが文化体系へと取り込まれたり棄却されたりするよう になった。そして、それは規模や歴史から地理的な位置や内的、外的な権力関係に至るまで、 集団の持つ数々の特質に依存し、知性や感情が関与する段階を含む。たとえば文化的な闘争が 起こると、ネガティブな感情やポジティブな感情が動員され、それによって闘争が解決した り、悪化したりする。かくして文化的選択が適用されるのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.39-40,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2020年7月11日土曜日

識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、近似的な発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

潜在的な結合

【識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、近似的な発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

潜在的な結合
 (1)誕生前に形成されるシナプス結合
  生まれる前ですら、ニューロンは外界を統計的にサンプリングし、それに神経結合を適合させている。
 (2)記憶として存在するシナプス結合と学習された無意識の直感
  数百兆の単位で人の脳内に存在する皮質シナプスは、私たちの全生涯の眠った記憶を含む。とりわけ環境に対する脳の適応の最盛期をなす生後数年間は、毎日何百万ものシナプスが形成されたり、破壊されたりしている。
  (a)視覚処理のための記憶
   低次の視覚野では、皮質結合は、隣接する直線がいかに結びついて対象物の輪郭を構成するかについて、統計情報を編集する。
  (b)聴覚の記憶
   聴覚では、音のパターンに関する暗黙の知識が蓄えられる。
  (c)運動の記憶
   ピアノの練習を何年も続けると、これらの領域の灰白質の密度に検知可能な変化が生じるが、これは、シナプスの密度、樹状突起の大きさ、白質の構造、ニューロンを支えるグリア細胞の変化に起因すると考えられる。
  (d)エピソード記憶
   海馬には、いつどこで誰と一緒にいるときに、どのようなできごとが起こったかに関して、シナプスによってエピソード記憶が集められる。
 (3)記憶の意識化は、かつて存在した活性化パターンの近似的な再構築
  (a)記憶の知恵を直接取り出すことはできない。なぜなら、そのフォーマットは、意識的思考を支援するニューロンの発火パターンとはまったく違うからである。
  (b)想起するためには、記憶は眠った状態から活性化された状態へと変換されねばならない。記憶の想起に際して、シナプスは正確に発火パターンが再現されるように促す。

《概念図》

  環境
┌──│───────────────┐
│  │    潜在的な結合(無意識)│
│┌─│───┐           │
││ ↓   │           │
││感覚データ←機能と一体化した記憶 │
││記憶←──────記憶      │
││ │   │           │
││ ↓   │           │
││識閾下での←機能と一体化した記憶 │
││認知処理 →記憶化        │
││ │   │           │
││ ↓   │           │
││前意識  ←機能と一体化した記憶 │
││ │   →記憶化        │
││ ↓   │           │
││意識   ←機能と一体化した記憶 │
││自発的行動→記憶化        │
│└─────┘           │
└──────────────────┘

 「最後になるが、無意識の知識の五つ目のカテゴリーは、潜在的な結合という形態で、神経系に伏在する。ワークスペース理論によれば、脳全体にわたって活性化された細胞集成体が形成された場合にのみ、私たちはニューロンの発火パターンに気づく。とはいえ莫大な量の情報が、静的なシナプス結合に蓄えられている。生まれる前ですら、ニューロンは外界を統計的にサンプリングし、それに神経結合を適合させている。数百兆の単位で人の脳内に存在する皮質シナプスは、私たちの全生涯の眠った記憶を含む。とりわけ環境に対する脳の適応の最盛期をなす生後数年間は、毎日何百万ものシナプスが形成されたり、破壊されたりしている。こうした各シナプスには、シナプス前細胞と後細胞の発火の可能性に関して〔刺激をつたえるニューロンをシナプス前細胞、受け取るニューロンをシナプス後細胞という〕、ごくわずかずつ統計的な情報が保たれているのだ。
 このような結合の力によって、脳のいたる所で、学習された無意識の直感が支えられている。低次の視覚野では、皮質結合は、隣接する直線がいかに結びついて対象物の輪郭を構成するかについて、統計情報を編集する。聴覚・運動野では、音のパターンに関する暗黙の知識が蓄えられる。ピアノの練習を何年も続けると、これらの領域の灰白質の密度に検知可能な変化が生じるが、これは、シナプスの密度、樹状突起の大きさ、白質の構造、ニューロンを支えるグリア細胞の変化に起因すると考えられる。また、海馬(側頭葉の下に位置するカールした組織)には、いつどこで誰と一緒にいるときに、どのようなできごとが起こったかに関して、シナプスによってエピソード記憶が集められる。
 私たちの記憶は、何年間も眠ったままでいられる。その内容は、複数のシナプス・スパインに圧縮して分配される。このシナプスの知恵を直接取り出すことはできない。なぜなら、そのフォーマットは、意識的思考を支援するニューロンの発火パターンとはまったく違うからだ。想起するためには、記憶は眠った状態から活性化された状態へと変換されねばならない。記憶の想起に際して、シナプスは正確に発火パターンが再現されるように促す。この働きがなければ、私たちは過去のできごとを思い出せない。記憶の意識化とは、過去に経験した意識の瞬間の再現、つまりかつて存在した活性化パターンの近似的な再構築なのだ。脳画像法が示すところでは、記憶は、過去のできごとを意識に再現する前に、前頭前皮質、およびそれと相互結合する帯状回に広がる、ニューロンの明示的な活動パターンにまず変換されなければならない。過去を想起する際に生じる、遠隔の皮質領域をまたがる再活性化は、われわれが想起するワークスペース理論の予想に完全に合致する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.273-274,高橋洋(訳))
(索引:潜在的な結合,記憶)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

複雑な発火パターンへの希釈

【脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(3.4)追記。

(3)識閾下での認知作用
 (3.1)様々な認知作用
  知覚、言語理解、決定、行為、評価、抑制に至る広範な認知作用が、少なくとも部分的には、識閾下でなされ得る。
 (3.2)無意識の無数の統計マシン
  意識以前の段階では、無数の無意識のプロセッサーが並行して処理を実行する。
 (3.3)知覚の例
  (a)入力:感覚データ
   微かな動き、陰、光のしみなど。
  (b)推論:観察結果の背後にある隠れた原因を推測する。
  (c)出力:感覚データの原因となった外界
   自らが直面している環境に、特定の色、形状、動物、人間などが存在する可能性を計算する。

 (3.4)複雑な発火パターンへの希釈という現象
  脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。
  (3.4.1)複雑な発火パターンへの希釈の事例
   (a)感覚データ
    目で判別できないほど稠密に表示された、もしくは素早く明滅する(50ヘルツ以上)格子模様を考えてみる。
   (b)経験される知覚
    一様に灰色がかった画面を知覚するだけである。
   (c)意識されないが脳内では処理されている
    だが、実験が示すところによれば、脳内では格子模様は実際にコード化されている。格子の方向によって、それぞれ別のニューロン群が発火する。無意識の領域には、無尽蔵の資源が発掘されるのを待っている。
   (d)意識されない感覚の解読技術の可能性
    コンピューターに支援された神経コードの解読技術の発達は将来、感覚によって検知されながら意識には見落とされているミクロのパターンを増幅することで、厳密な形態の超感覚的知覚、すなわち環境に対する高められた感覚の利用を可能にするかもしれない。
  (3.4.2)(仮説)脳内処理と経験される知覚との違いの原因
   (a)おそらくその理由は、それが一次視覚野の極端に錯綜した時空間的な発火パターンに依拠し、高次の皮質領域にあるグローバル・ワークスペースのニューロンには、はっきりと識別し得ないほど複雑なコード化がなされているからであろう。
   (b)次第に抽象性を増す特徴を、感覚入力から順次抽出する、階層的に構造化された感覚ニューロンが存在する。
    (i)メッセージの明確化
    (ii)コンパクトで、明確な形態で再コード化
    (iii)意味づけられたカテゴリーへの分類


 「ワークスペース理論に従えば、ニューロンの持つ情報が無意識に留まる第四の様態として、複雑な発火パターンへの《希釈》があげられる。こう言っただけではわかりにくいので、具体例として、目で判別できないほど稠密に表示された、もしくは素早く明滅する(50ヘルツ以上)格子模様を考えてみよう。それを見たあなたは一様に灰色がかった画面を知覚するだけだが、実験が示すところによれば、脳内では格子模様は実際にコード化されている。そう言えるのは、格子の方向によって、それぞれ別のニューロン群が発火するからだ。では、なぜこの神経活動のパターンは意識されないのか? おそらくその理由は、それが一次視覚野の極端に錯綜した時空間的な発火パターンに依拠し、高次の皮質領域にあるグローバル・ワークスペースのニューロンには、はっきりと識別し得ないほど複雑なコード化がなされているからであろう。神経コードについて十全な理解が得られているわけではないが、われわれの見るところでは、一片の情報が意識されるには、それはニューロンのコンパクトな集合によって、もう一度明確な形態でコード化し直される必要がある。視覚皮質の前部領域は、自身の活動が増幅され、情報を気づきにもたらすグローバル・ワークスペースの点火が引き起こされる前に、特定のニューロン群を意味のある視覚入力に割り当てなければならない。情報は、無数の無関係のニューロンの発火に紛れて希釈されたままだと、意識され得ないのである。
 私たちが目にするどんな顔も、耳にするいかなる言葉も、無数のニューロンのおのおのが、視覚や聴覚的場面のごくわずかな部分を検知し、時空間的にひどく錯綜した様態で一連のスパイクを放つ無意識のメカニズムのもとで始まる。これらの入力パターンのそれぞれには、解読できさえすれば、話者、メッセージ、情動、部屋の大きさなど、数限りない情報が含まれていることがわかるだろう。だが、この段階では解読はできない。私たちがこれらの潜在的な情報に気づくのは、高次の脳領域で、それらが意味づけられたカテゴリーに分類されたあとでのことだ。このように、メッセージの明確化は、次第に抽象性を増す特徴を感覚入力から順次抽出する、階層的に構造化された感覚ニューロンの重要な役割なのである。感覚のトレーニングは、かすかな光景や音に気づけるようにする。というのも、ニューロンはあらゆるレベルで、微視な感覚メッセージを増幅すべく、自らの特性を調節するからだ。学習する以前にも、メッセージは感覚野に達してはいるが、気づきにはアクセスできない希釈された発火パターンによって、暗黙的に存在するにすぎない。
 この事実から、フラッシュされた格子模様やかすかな意図など、脳内には、本人さえ知らないシグナルが行き交っていることがわかる。脳画像法によって、これらの暗号形態の解読が可能になりつつある。」(中略)「無意識の領域には、無尽蔵の資源が発掘されるのを待っている。コンピューターに支援された神経コードの解読技術の発達は将来、感覚によって検知されながら意識には見落とされているミクロのパターンを増幅することで、厳密な形態の超感覚的知覚、すなわち環境に対する高められた感覚の利用を可能にするかもしれない。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.271-272,高橋洋(訳))
(索引:複雑な発火パターンへの希釈)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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