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2018年5月18日金曜日

26.噂は、政治において非常に大きな力を持ち大きな役割を演ずる。それ故、噂の真偽の判別、発生と拡散、収束と消滅などを研究し、十分に警戒することが必要だ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

噂の研究

【噂は、政治において非常に大きな力を持ち大きな役割を演ずる。それ故、噂の真偽の判別、発生と拡散、収束と消滅などを研究し、十分に警戒することが必要だ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「すべての政治論の中で、この噂の題目ほど扱われることが少なく、しかもこれほど扱われる価値のある題目はない。

それゆえ、われわれは次の点について述べよう。すなわち何が偽りの噂であるか、何が真実の噂であるか、どうすればそれらが最もよく見分けられるか、どのように噂は種を蒔かれて立てられるか、どのように広がって大きくなるか、どうすれば食い止められて消されるか、そのほか噂の本性に関するいろいろなことである。

 噂には非常に大きな力があり、それが大きな役割を演じていない偉大な行為はほとんどないほどである。とくに戦争においてそうである。」(中略)

 「それゆえ、すべての賢明な支配者は行為や計画そのものについてと同様に、噂についても十分に警戒し注意するがよい。」


(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』五九、pp.251-252、[渡辺義雄・1983])
(索引:噂の研究、市場のイドラ)

ベーコン随想集 (岩波文庫 青 617-3)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


フランシス・ベーコン(1561-1626)
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25.市場のイドラ:人間を社会的に結合する会話、生活の中で獲得されてきた言葉は、驚くべき仕方で知性の妨げをし、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去る。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

市場のイドラ

【市場のイドラ:人間を社会的に結合する会話、生活の中で獲得されてきた言葉は、驚くべき仕方で知性の妨げをし、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去る。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「またいわば人類相互の交わりおよび社会生活から生ずる「イドラ」もあり、これを我々は人間の交渉および交際のゆえに、「市場のイドラ」と称する。

人間は会話によって社会的に結合されるが、言葉は庶民の理解することから〔事物に〕付けられる。したがって言葉の悪しくかつ不適当な定めかたは、驚くべき仕方で知性の妨げをする。

学者たちが、或る場合に自分を防ぎかつ衛るのを常とするとき使う定義や説明も、決して事態を回復はしない。

言葉はたしかに知性に無理を加えすべてを混乱させる、そして人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去るのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四三、p.85、[桂寿一・1978])
(索引:市場のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月15日火曜日

19.人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

イドラ

【人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】

 「すでに人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念は、真理への道を開くのが困難なほど、人々の精神を占有するのみならず、たとい通路が開かれ許されたとしても、それらはまたもや諸学の建て直し〔革新〕のときに出現し、妨げをするであろう、もしも人々がそれらに対し、前もって警告されていて、できるだけ自分を守るのでないかぎり。」(中略)
 「人間の精神を占有する「イドラ」には四つの種類がある。それらに(説明の便宜のために)次の名称を付けた、すなわち、第一の類は「種族のイドラ」、第二は「洞窟のイドラ」、第三は「市場のイドラ」、第四は「劇場のイドラ」と呼ぶことにする。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、三八、三九、pp.82-83、[桂寿一・1978])
(索引:イドラ、種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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