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2018年6月6日水曜日

自己の軍備に基礎を置かない政体は、不確か不安定で、運命に翻弄されるだろう。特に強大な外国の軍備に頼ることは危険である。そこには謀略が組み込まれており、常に他者の命令に屈することとなる。(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527))

自らの軍備の必要性

【自己の軍備に基礎を置かない政体は、不確か不安定で、運命に翻弄されるだろう。特に強大な外国の軍備に頼ることは危険である。そこには謀略が組み込まれており、常に他者の命令に屈することとなる。(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527))】
(1) 自己の軍備を持たなければ、いかなる政体も安泰ではない。それどころか、逆境のさいに自信をもってこれを防衛する力量を持たない以上、すべては運命に委ねることになってしまう。「自己の戦力に基礎を置かない権力の名声ほど不確かで不安定なものはない」。
(2) では、どのような軍備が最善か。賢明な君主はつねに外国の軍備に頼ることを避けて自軍に頼ってきた。そして、他者の力で勝利するよりはむしろ自己の力で敗北することを望み、他者の軍備によって獲得した勝利などは真のものではないと判断していた。
(3) なぜか。それは、自国の防衛のために、強大な勢力を持つ外国の軍備を呼び入れた者には、ほとんどつねに害をもたらすからである。外国の軍備に頼ることは、傭兵軍よりもはるかに危険である。
(3.1) なぜならば、彼らが敗北すれば、自分も滅亡してしまう。
(3.2) 彼らが勝利すれば、自分は彼らの虜になってしまう。すなわち、「この軍備のなかには謀略が組み込まれている」ものであり、「いついかなるときにも他者の命令に屈している」ものだから。
 「援軍というのは、役に立たない別の軍備であって、それは強大な勢力が軍備によってあなたを援助に来て防衛するように呼び入れられたときのものである。たとえば、ごく最近では、教皇ユリウスがそれをしたごとくに。教皇は、フェッラーラ攻略のさいに、傭兵軍がはかばかしい成果をあげないのを見て取るや、援軍の方策へ転じて、スペイン王フェッランドと同盟を結び、その麾下と軍隊によって援助してくれるように要請した。この種の軍備は、それ自体としては、役に立ち秀れたものであるが、これを呼び入れた者には、ほとんどつねに害をもたらす。なぜならば、彼らが敗北すれば、自分も滅亡してしまうし、勝利すれば、自分は彼らの虜になってしまうから。」(中略)
 「したがって、勝てないことを望む者は、この種の軍備を役立ててみるがよい。なぜならばこれは傭兵軍よりもはるかに危険なものであるから。なぜならばこの軍備のなかには謀略が組み込まれているので、それらは一体化していて、いついかなるときにも他者の命令に屈しているから。」(中略)「要するに、傭兵軍において最も危険なのは無気力であり、援軍においてはそれが力量である。それゆえ賢明な君主はつねにこの軍備を避けて自軍に頼ってきた。そして他者の力で勝利するよりはむしろ自己の力で敗北することを望み、他者の軍備によって獲得した勝利などは真のものではないと判断していた。」(中略)
 「したがって、私の結論を述べるならば、自己の軍備を持たなければ、いかなる君主政体も安泰ではない。それどころか、逆境のさいに自信をもってこれを防衛する力量を持たない以上、すべては運命に委ねることになってしまう。そして賢明な人間の抱く見解にして金言はつねに同じであった。すなわち「自己の戦力に基礎を置かない権力の名声ほど不確かで不安定なものはない」。そして自軍とは、臣民か市民かあなたの養成者たちから構成され、それ以外のすべては傭兵軍か援軍である。」
(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)『君主論』第13章 援軍、混成軍、および自軍について、pp.101,202-203,106-107、岩波文庫(1998)、河島英昭(訳))
(索引:)

君主論 (岩波文庫)



(出典:wikipedia
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「私の意図は一貫して、耳を傾ける者には役立ちそうな事態を書き記すことであったから、事態をめぐる想像よりも、その実際の真実に則して書き進めてゆくほうが、より適切であろうと私には思われた。そして多数の人びとがいままでに見た例もなく真に存在すると知っていたわけでもない共和政体や君主政体のことを、想像して論じてきた。なぜならば、いかに人がいま生きているのかと、いかに人が生きるべきなのかとのあいだには、非常な隔たりがあるので、なすべきことを重んずるあまりに、いまなされていることを軽んずる者は、みずからの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだから。なぜならば、すべての面において善い活動をしたいと願う人間は、たくさんの善からぬ者たちのあいだにあって破滅するしかないのだから。そこで必要なのは、君主がみずからの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得るわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりすることだ。」
(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)『君主論』第15章 人間が、とりわけ君主が、褒められたり貶されたりすることについて、pp.115-116、岩波文庫(1998)、河島英昭(訳))

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