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2020年5月15日金曜日

感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

意識と無意識、局地的と普遍的

【感情や意図の共感能力と、現実に発生する残虐行為との矛盾の解決には、意識的、顕在的な問題を意識以前の潜在的な観点から理解し、局地的に作用しがちな共感が、他文化理解の基盤でもあることを解明する必要がある。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(2.3)(2.4)追加。

(1)問題:人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、なぜ残虐にもなれるのか。
  人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実に発生する残虐行為を解決するには、科学的な事実と制度・政策との関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題の解明が必要である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
 (1.1)感情や意図の共有
  感情や意図を共有し合えるという能力は、人と人とを意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びつけ、人間の社会的行動の根本的な出発点でもある。
 (1.2)残虐行為が存在するという事実
(2)仮説
 (2.1)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
  共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせている可能性があるが、科学的な事実と制度・政策との関係の問題と、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題が絡み、解決を難しくしている。
  (2.1.1)暴力的な映像による模倣暴力の事例
    暴力的な映像による模倣暴力の存在は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
  (2.1.2)科学的な事実と、制度・政策との関係の問題
   (a)これを解明するためには、科学的な事実を、社会全般の幸福を促進するための政策策定に反映させる制度的な仕組みが必要だが、そのような体制にはなっていない。
   (b)規制すべきかどうかの問題。言論の自由との絡みがある。
   (c)規制すべきかどうかの問題。市場と金銭的利害との絡みがある。
  (2.1.3)人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
   (a)社会性と人間の自由意志の関係
    人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。
   (b)人間の生物学的組成と自由意志の関係
    一方、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。

 (2.2)顕在的、計画的、意識的レベルと潜在的、反射的、意識以前のレベルの問題
  社会を形成する計画的で意識的な対話を、潜在的レベルの共感で基礎づけて理解することが、問題解決の鍵である。
  (2.2.1)顕在的、計画的、意識的レベル
    社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。
  (2.2.2)潜在的、反射的、意識以前のレベル
   (a)ミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。潜在的で、反射的な、意識以前の現象である。
   (b)道徳の基盤は、人から「動かされる」こと、すなわち共感である。

 (2.3)局地的に作用する共感が、同時に他文化を理解する基盤でもある
  (2.3.1)共感の局地性
   (a)ミラーリングと模倣の強力な効果は、きわめて局地的である。
   (b)そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。
   (c)地域伝統の模倣が、個人の強力な形成要因として強く強調されている。そして、人々は集団の伝統を引き継ぐ者になる。
  (2.3.2)普遍的な共感性の可能性
   (a)私たちをつなぎあわせる神経生物学的機構が存在する。
   (b)神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。
   (c)ただし、宗教的または政治的な信念体系は、大きな影響力を持ち、真の異文化間の出会いを難しくしている。

 「理解と共感を促す神経生物学上の根本的な原動力が、その有益な効果を損なわれている第二の要因は、この神経生物学上の原動力が最もよく働く「レベル」にある。前にも述べたようにミラーニューロンは前運動ニューロンであり、したがって私たちが意識して行う行動とはほとんど関係がない。実際、カメレオン効果のようなミラーリング行動は、潜在的で、反射的な、意識以前の行動と思われる。一方、社会は明らかに、顕在的で、計画的で、意識的な対話の上に築かれる。潜在的な心理過程と顕在的な心理過程はめったに相互作用しない。むしろ分離するぐらいだ。しかし神経科学によるミラーニューロンの発見は、意識的なレベルでの他人の理解に対し、意識以前の神経生物学的なミラーリングのメカニズムがあることを明らかにしてしまった。この本が論争に巻き込まれるなら本望である。人はミラーリングの神経機構がどう働いているかを直感的に理解しているように見える。この研究のことを話すと、相手はみな――少なくも私の経験では――わかってくれる。自分がすでに意識以前のレベルで「知って」いることを、ようやく明確に言葉にできたのだ。」(中略)「誰か別の人を見ているときに心の中で動きを調整しようとすれば、その心の中で身体接触のようなものが起こる。人は「動かされる」ことが共感の基盤であり、ひいては道徳の基盤でもあると《直感的に》知っているらしい。この人間の共感的な性質をもっと顕在的なレベルで理解することが、いずれ社会を形成する計画的で意識的な対話の要因になってくれることを祈るばかりだ。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.329-330,塩原通緒(訳))
(索引:)
 「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:意識,無意識,共感能力,残虐行為,他文化理解)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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2020年5月3日日曜日

人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実になぜ残虐行為が発生するのかの解明には、科学的な事実と制度、政策の関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題が関係している。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

感情や意図の共有能力と残虐行為

【人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、現実になぜ残虐行為が発生するのかの解明には、科学的な事実と制度、政策の関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題が関係している。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(1)問題:人は感情や意図を共有し合える能力を持っているにもかかわらず、なぜ残虐にもなれるのか。
 (1.1)感情や意図の共有
  感情や意図を共有し合えるという能力は、人と人とを意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びつけ、人間の社会的行動の根本的な出発点でもある。
 (1.2)残虐行為が存在するという事実
(2)仮説
 (2.1)科学的な事実と制度、政策の関係、人間の生物学的組成と社会性、自由意志の問題が関係する
  共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせている可能性があるが、科学的な事実と制度、政策の関係の問題と、人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題が絡み、解決を難しくしている。
  (2.1.1)暴力的な映像による模倣暴力の事例
    暴力的な映像による模倣暴力の存在は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
  (2.1.2)科学的な事実と制度、政策の関係の問題
   (a)これを解明するためには、科学的な事実を、社会全般の幸福を促進するための政策策定に反映させる制度的な仕組みが必要だが、そのような体制にはなっていない。
   (b)規制すべきかどうかの問題。言論の自由との絡みがある。
   (c)規制すべきかどうかの問題。市場と金銭的利害との絡みがある。
  (2.1.3)人間の生物学的組成、社会性と自由意志の問題
   (a)社会性と人間の自由意志の関係
    人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。
   (b)人間の生物学的組成と自由意志の関係
    一方、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。

 「人は人と出会うと、感情や意図を伝えて共有する。人と人とは意識以前の基本的なレベルで互いに深く結びついている。これがわかってみると、この《事実》は社会的行動の根本的な出発点なのではないかと私には思える。しかし伝統的な分析哲学では、意識しての行動や人と人との違いを強調するあまり、こうしたことがほとんど無視されてきた。一方、私たちはまた別の事実も突きつけられている。それは文字どおり残虐な世界だ。この世では毎日いたるところで残虐行為が起こっている。私たちの神経生物学的機構は共感を生むように配線され、ミラーリングと意味の共有をするように調整されているはずなのに、なぜそんなことになってしまうのか?
 私の考えでは、これには三つのおもな要因がある。第一に、模倣暴力という現象で見たように、共感を促進するのと同じ神経生物学的メカニズムが、特定の環境や背景のものでは共感的行動と正反対の行動を生じさせる可能性がある。これはいまのところ仮説でしかないが、非常に信憑性の高い仮説だと思う。もし裏づけが取れれば、この神経科学上の事実はぜひとも政策決定に役立てるべきである。とはいえ、実際にはそうはならないだろう。理由は二つある。第一に、私たちの社会は科学的データを政策策定に使えるような態勢には少しもなっていない。とくに模倣暴力のような事例では、金銭的利害と言論の自由との複雑な関係が絡んでくるから、なお難しい。これは簡単に答えの出ない厄介な案件だが、科学全般、そしてその一部である神経科学を、象牙の塔や市場だけに閉じ込めておくのは決して得策ではないと思う。現状ではどんな発見も神経疾患の薬物治療を発達させることに適用されるだけで、社会全般の幸福を促進するために適用されることはめったにない。神経科学上の発見が政策決定に実際に役立てられること、またそうすべきであることを、せめて公開の場で討論できるようになればと思う。こうした考えはいまのところほとんど現われていないが、絶対に必要なことだと確信する。
 神経科学を政策に反映させようとする考えに抵抗が生じる第二の理由は、自由意志をいう大切な概念が脅かされるのではないかという恐れに関係している。その恐れが模倣暴力に関する議論にも結びついているのは明らかだ。ミラーニューロンについての研究は、人間の最大の成功ではないかとも思える私たちの社会性が、一方では私たちの個としての自主性を制限する要因でもあることを示唆している。これは長きにわたって信じられてきた概念に対する重大な修正である。伝統的に、個体行動の生物学的決定論の一方には、それと対比をなすものとして、人間はその生物学的組成を乗り越えて、自らの考えを社会の掟を通じて自らを定義できるとする見方がある。しかしミラーニューロンの研究は、私たちの社会の掟のほどんどが、私たちの生物学的仕組みによって決められていることを示している。この新たな知見にどう対処すればいい? 受け入れがたいとして拒否するか? それともこれを利用して政策に反映し、よりよい社会をつくっていくか? 私はもちろん後者に与する。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.327-329,塩原通緒(訳))
(索引:感情,意図,残虐行為,制度,政策,社会性,自由意志)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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2018年9月9日日曜日

暴力的な映像による模倣暴力は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

メディアの暴力映像の影響

【暴力的な映像による模倣暴力は、実験で検証されている。攻撃的な行動は、未就学児でも青年期でも、性別、生来の性格、人種によらず一貫して観察される。実際の社会においても、因果関係が実証されている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 「研究室の設定状況の中で子供を使って行われる、調整された実験の結果ほど明白で決定的なものはないだろう。そして実際に、メディア暴力への頻繁な接触は模倣暴力に強い影響を及ぼしていた。一般に、この種の実験は子供に短い映像を見せるかたちで行われる。暴力的な映像と、そうでない映像を見せるのである。その後、子供が別の子供といっしょに遊んでいるところや、倒しても自動的に起き上がる空気で膨らませた等身大の「ボボ人形」などを相手にしているところを観察する。すると、これらの実験でたいてい観察される一貫した点が見つかる。暴力的な短篇映像を見た子供は、暴力的でない映像を見た子供に比べ、その後に攻撃的な行動を人間に対しても物体に対しても見せることが多くなるのである。このメディア上の暴力による模倣暴力への影響は、未就学児にも青年期の子供にも、男児にも女児にも、生来の性質が攻撃的な子供にもそうでない子供にも、そして人種にも関わりなく、一貫して観察されている。この結果はかなり説得力のあるものだ。
 これらの研究で答えが出ないのは、現実でのメディア上の暴力が人(子供だけでなく大人も含めて)の実際のふるまいに及ぼす影響である。実験の設定状況の中で実証された影響は一時的なものなのか、それとも長期にわたって続くのか? それは人工的なものなのか、それとも現実的なものなのか? 相関研究からわかったことを見るかぎり、その因果関係は長期にわたって続く現実的なものである。たとえばある研究で、コロンバイン高校銃乱射事件のあとにペンシルベニア州の学区で多発した爆弾脅迫など、学校に対する脅迫事件を分析してみたところ、銃乱射事件から50日のあいだに350件以上の学校襲撃の脅迫があったという。学校管理者の推定によれば、銃乱射事件が起こるまでは1年に1回か2回だったというのだから、これはたいへんな違いである。また、メディア上の暴力をよく目にする子供ほど、そうでない子供に比べて攻撃的になる傾向がある。これはさまざまな研究に共通して見られる傾向で、アメリカ国内に限った話でもない。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第8章 悪玉と卑劣漢――暴力と薬物中毒,早川書房(2009),pp.251-254,塩原通緒(訳))
(索引:メディアの暴力映像の影響)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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2018年8月20日月曜日

模倣は、個人と個人を感情的に通じあわせるものであり、それはミラーニューロンが実現していると思われる。また模倣は、自閉症児に社会的問題を克服させる非常に有効な方法かもしれない。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

模倣と自閉症

【模倣は、個人と個人を感情的に通じあわせるものであり、それはミラーニューロンが実現していると思われる。また模倣は、自閉症児に社会的問題を克服させる非常に有効な方法かもしれない。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 次の事実が存在する。
(a)セラピストが、自閉症患者とコミュニケーションがとれなくて困っているときに、患者の反復的で定型的な動きの真似をする。「するとほとんど即座に私を見るので、そこでようやく私たちのあいだに相互作用が生まれ、私は患者の治療が始められる」。
(b)自閉症の少年を、彼をよく知っている少女が訪れる。そして、二人は部屋にあったおもちゃで、模倣ごっこで遊び始める。少年の「常同的な衒奇的運動」は、急速に消えていく。少女が部屋を出ていくと、少年はほとんど即座に引きこもり、例の手をばたばたさせる動きを再開する。少女が戻ってくると、その身ぶりは消滅する。
 模倣が誘発する即座のつながりとは何なのだろう? 模倣は、個人と個人を感情的に通じあわせるものであり、それはミラーニューロンが実現していると思われる。模倣は、自閉症児に社会的問題を克服させる非常に有効な方法かもしれない。

 「サリーのビデオの話をすると思い出すのが、2001年に〈キュア・オーティズム・ナウ〉という自閉症治療のための研究支援財団が主催した会議でのエピソードだ。私はそこで、ミラーニューロン、模倣、および自閉症におけるミラーニューロン機能の障害の可能性をテーマにした講演を行っていた。質疑応答を終えて舞台を降りたとき、自閉症患者の治療をしているという男性が近づいてきて、私にこう言った。「模倣がなんらかの治療になりうるというあなたのご意見、とてもよくわかります。私が診ているのは症状の重い患者なのですが、この人たちとはどうやっても通じあえないのではないかと、ときどき本気でそう思うことがあります。ですが、なにをやっても失敗したとき、私には最後の戦略があります。それはたいてい、とてもうまくいくんです。私の患者のほとんどは、反復的な、定型化した動きをします。どうしても通じあえなくて、もうどうしたらいいかわからなくなると、私はその定型化した動きを真似するんです。するとほとんど即座に私を見るので、そこでようやく私たちのあいだに相互作用が生まれ、私は患者の治療が始められるわけです」
 人間が互いを模倣し、動きを同調させる傾向があること、そのような同調した運動行動が総じて社会的つながりを育てることは、すでに見てきたとおりである。この模倣が誘発する即座のつながりとはなんなのだろう? こうした自然発生的な模倣についての正確なデータは皆無だが、ミラーニューロンが関わっている可能性は充分にある。セラピストが患者を模倣するとき、セラピストは患者のミラーニューロンを活性化させているのかもしれず、その活性化が患者に文字どおりセラピストを《見る》ようにさせているのかもしれない。これは私の仮説にすぎないが、現在ミラーニューロンについてわかっていることからすると、この仮説にはある程度の妥当性がある。以前、パリのジャクリーン・ネーデルが12歳の自閉症の男児を記録した驚くべきビデオを送ってきてくれた。その少年はかなり引きこもっていて、一般に自閉症と関連づけられる特定の行動を示している。つまり定型化した不自然な手の動き、専門的に言えば手の「常同的な衒奇的運動」をするのである(衒奇的運動はさまざまなかたちをとるが、この事例では手をばたばたさせること)。彼は病院の一室にいて、一人きりだが、玩具などの遊ぶものはたくさんある。いや、正確には、すべてのものが二つずつ揃えてある。そこに別の子供が入ってくる。知能指数は低いが自閉症ではない少女で、少年もよく知っている相手である。彼女は部屋にあったいくつかのもので遊びはじめ、基本的に少年にも同じことをするように誘う。少女はカウボーイハットをかぶると、二個めのカウボーイハットを少年の頭にかぶせる。少年にサングラスを持たせて目にかけさせると、自分の二個めのサングラスをかける。二人は握手をして笑いあう。自閉症の少年の定型化した身ぶりは急速に消えていく。少女は次に傘を取り上げ、開いて、部屋を行進してまわる。自閉症の少年も自発的に彼女を模倣する。定型化した身ぶりは《完全に》消え去っている。いまの彼は、仲間との交流にすっかり夢中な子供だ。二人はしばらくのあいだ、さまざまな模倣ごっこをする。ときには少女が少年を模倣する。ある時点で少女が部屋を出ていくと、少年はほとんど即座に引きこもり、例の手をばたばたさせる動きを再開する。少女が戻ってくると、その身ぶりは消滅する。まるで魔法のごとき効果だ。もちろん、それは魔法などではない。社会的ミラーリングは個人と個人を感情的に通じあわせるのであり、それはひょっとすると自閉症児に社会的問題を克服させる非常に有効な方法かもしれない。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第6章 壊れた鍵,早川書房(2009),pp.220-223,塩原通緒(訳))
(索引:模倣,自閉症)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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2018年8月14日火曜日

鏡像認識能力を持った子供のペアは、そうでない子供のペアよりも、自然発生的に多くの模倣行動が生じる。自己認識と模倣の能力とに、ミラーニューロンという共通の基礎があるのではないだろうか。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

鏡像認識能力と模倣行動

【鏡像認識能力を持った子供のペアは、そうでない子供のペアよりも、自然発生的に多くの模倣行動が生じる。自己認識と模倣の能力とに、ミラーニューロンという共通の基礎があるのではないだろうか。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(1)一部のミラーニューロンは生まれつき存在するものに違いない。
(2) (仮説)ミラーニューロンは、幼児における自己と他者との相互作用によって形成される。また、ミラーニューロンは、自己意識の発生に、ある役割を果たしている。
(3)ミラーニューロンによって、自分が笑っているという意識が生まれる。(自己意識)
 (3.1)赤ん坊がにっこり笑う。(運動感覚)
 (3.2)笑う運動感覚によって、笑顔の表象が現れる。これは、かつて他人の中に見ていたものである。

 二人一組の子供のあいだで自然発生的に生じる模倣についての、次のような調査結果が存在する。
 (a)鏡の前で自己を認識する能力を備えた子供のペア
 (b)まだ鏡像認識能力をもたない子供のペア
(b)に比べ(a)は、はるかに多く互いを模倣した。

 「このような自己と他者、模倣とミラーニューロンの関係の裏づけとも取れる実証的データも存在している。ある発達研究で、二人一組の子供のあいだで自然発生的に生じる模倣についての調査がなされた。いくつかのペアは、子供が二人とも鏡の前で自己を認識する能力を獲得しているが、別のペアの子供はどちらもまだその能力を獲得していない。結果は明らかだった。鏡の前で自己を認識する能力を備えた子供のペアは、まだ鏡像認識能力をもたない子供のペアに比べ、はるかに多く互いを模倣したのである。
 自己認識と模倣がこのように足並みを揃えるのは、「他者」が「自己」を模倣する生後初期にミラーニューロンが生まれているからだ。ミラーニューロンは、この自己と他者との初期の運動同期の結果であり、この同期の主体(自己と他者)をコードする神経要素となった。もちろん、幼児の模倣に関するメルツォフのデータから見て、一部のミラーニューロンは生まれつき存在するものに違いない。しかし私の見解は、ミラーニューロンシステムがおもに自己と他者との模倣による相互作用を通じて、とくに生後初期に形成されるという仮説を前提としている(ただし模倣されるという経験は成長後にもミラーニューロンを形成すると思う。詳しくは次章で述べよう)。私の仮説にしたがえば、自己認識のできる子供のペアが、より多くの模倣のできる子供のペアであることも納得がいく。どちらにも同じニューロン――ミラーニューロン――が関わっており、それが一方の機能(自己認識)を果たせるのなら、もう一方の機能(模倣)も果たせて当然である。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第5章 自分に向きあう,早川書房(2009),pp.167-168,塩原通緒(訳))
(索引:)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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2018年8月9日木曜日

他人が物理的な痛みを受けているところを見ると、その視覚情報が、痛みを与える対象(例えば針)から退避しようとする筋肉運動または潜在的な運動を引き起こし、これが他人の痛みを身体的に了解させる。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

痛みの共感

【他人が物理的な痛みを受けているところを見ると、その視覚情報が、痛みを与える対象(例えば針)から退避しようとする筋肉運動または潜在的な運動を引き起こし、これが他人の痛みを身体的に了解させる。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 「ミラーニューロンが他人の行動を見ただけで活性化されるという基本観察にもとづいて、アーリオッティらは銅コイルを使い、針が他人の手と足を突き刺すところを被験者がビデオテープで見ているときの運動皮質の興奮性を測定した。比較対照のために、被験者は無害な綿棒が手と足を軽くこするところ、および、針が手でも足でもなく、トマトを突き刺すところも見せられた。この間ずっと、手を針のほうに向って動かすのを助ける手の筋肉の興奮性が測定された。あわせて、その筋肉の隣にある、手を針に向って動かすことにも針から遠ざかるように動かすことにも関係しない手の筋肉の興奮性も測定された。
 予測はこうだ――被験者側の共感的な痛みの反応が、手を針に《向って》動かす筋肉の興奮性を減少させるだろう。そして結果は、予想どおりだった。手を針に向って動かす筋肉を制御する運動皮質は、針が手を突き刺すところを被験者が見ているときには、針が足やトマトを突き刺すところ、あるいは綿棒がこすりつけられるところを見ているときに比べ、興奮性が低くなっていたのである。痛みを観察しているときに興奮性が弱まるのは、針に突き刺される筋肉だけに限られていた。その隣の手の筋肉は、興奮性にまったく変化がなかった。さらに被験者は実験後、ビデオで見た人間が感じたと思われる痛みの強度を評価するように求められた。その答えをアーリオッティらが分析してみると、実験中の筋肉の運動興奮性が低かった被験者ほど、痛みを強く評価していることがわかった。要するに、観察した痛みに対する共感が強ければ強いほど、その人の脳は針からの「撤退」行動を強くシミュレートするのである。
 この実験により、私たちの脳は観察された他人の苦痛経験の《完全なシミュレーション》を――運動の部分まで含めて――成り立たせることが実証された。痛みは基本的に個人の経験だと思うのが普通の認識だが、じつのところ、私たちの脳はそれを他人と共有される経験として扱っている。このような神経メカニズムは社会的絆を築くのに不可欠なものだ。また、他人の苦痛経験に対するこのようなかたちの共鳴は、進化と発達の観点から見ると、おそらく共感メカニズムの比較的初期のものであろう。もっと抽象的なかたちの共感は、身体的なミラーリングよりも、むしろ感情的なミラーリングにもとづいて成り立つのかもしれない。言い換えれば、もっと抽象的な状況の場合、私たちは痛みの感情的な側面をミラーリングすることによって共感を覚えられるのかもしれない。たとえば相手の表情や身体の姿勢、身ぶりなどが見えていない状況にあったら、私たちはどうやって他人に共感するのだろうか。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第4章 私を見て、私を感じて,早川書房(2009),pp.155-157,塩原通緒(訳))
(索引:痛みの共感)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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2018年7月29日日曜日

共感のミラーニューロン仮説:他人が感情を表しているところを見ると、その視覚情報が、同じ身体感覚の表象を引き起こし、この表象が同じ表情、同じ感情を誘発する。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

共感のミラーニューロン仮説

【共感のミラーニューロン仮説:他人が感情を表しているところを見ると、その視覚情報が、同じ身体感覚の表象を引き起こし、この表象が同じ表情、同じ感情を誘発する。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

共感のミラーニューロン仮説
(1)被験者は、他人が感情を表しているところを見る。
(2)被験者が顔を見ている間、まるで自分自身がその表情をしているかのような、身体感覚の表象が現れる。また、実際に被験者の顔の表情が変化する。これは、ミラーニューロンが実現する。
(3)ミラーニューロン領域の活性化は、島、大脳辺縁系の感情をつかさどる部分、とくに扁桃核(顔に強く反応する辺縁構造)に伝播し、活性化させる。これで、感情はいわば本物となる。
(4)結果的に、他人の感情が共有されることになる。
 「僕はある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいまなにを考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作るんだ。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭だか心だかに浮んでくるから、それが見えるのを待っているのさ」。(エドガー・アラン・ポーの短篇小説「盗まれた手紙」の主人公・探偵オーギュスト・デュパンの台詞)

 「もしミラーニューロンが信号を送っているのなら、顔写真の表情を模倣してもいる被験者の脳活動に高まりが見られるはずである。その高まりはミラーニューロン領域だけでなく、島でも大脳辺縁系でも見られるだろう。なぜならミラーニューロン領域での活動の高まりは、ミラーニューロンからの信号を受け取っている残りの二つにも広がるからだ。重要なのは、この最後の部分である。模倣中に起こると見られるミラーニューロン領域の活動は、ぜひとも広がっていかなくてはならない。
 これが私たちの仮説だった。そして結果は、私の二つの予測を実証した。被験者が顔を見ているあいだ、ミラーニューロン領域、島、そして大脳辺縁系の感情をつかさどる部分、とくに扁桃核――顔に強く反応する辺縁構造――は実際に活性化し、その活動は、見た表情を模倣してもいる被験者において確実に高まっていたのである。これは明らかに、ミラーニューロン領域がある種の脳内模倣によって他人の感情の理解を助けているという仮説を裏づける結果だった。この「共感のミラーニューロン仮説」にしたがえば、他人が感情を表しているところを見るとき、私たちのミラーニューロンは、まるで私たち自身がその表情をしているかのように発火する。この発火によって、同時にニューロンは大脳辺縁系の感情をつかさどる脳中枢に信号を送り、それが私たちに他人の感じていることを感じさせる。
 エドガー・アラン・ポーは有名な短篇小説「盗まれた手紙」において、主人公の探偵オーギュスト・デュパンの台詞の中にこんな文章を入れている。「僕はある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいまなにを考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作るんだ。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭だか心だかに浮んでくるから、それが見えるのを待っているのさ」。なんという驚くべき先見性! これは作家としても、自分の作った登場人物の内面に踏み入る最良の方法だったろう。しかし、ポーだけがそれを見抜いていたわけでもない。感情についての科学文献においても、顔の筋肉組織の変化によって感情的な経験が形成されるとする理論――現在で言う「顔面フィードバック仮説」――は長い歴史をもっている。チャールズ・ダーウィンとウィリアム・ジェームズは、それに類する記述を最初に残した人々の一員である(ポーの作品はこの二人の著作より数十年前のものではあるが)。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第4章 私を見て、私を感じて,早川書房(2009),pp.149-151,塩原通緒(訳))
(索引:共感のミラーニューロン仮説)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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2018年7月28日土曜日

カメレオン効果:(a)私たちは、自分の自然発生的な姿勢や動き、癖などを模倣する人に対して、好意を抱く傾向がある。(b)私たちは、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人に対する共感傾向も強い。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

カメレオン効果

【カメレオン効果:(a)私たちは、自分の自然発生的な姿勢や動き、癖などを模倣する人に対して、好意を抱く傾向がある。(b)私たちは、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人に対する共感傾向も強い。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 次の仮説を検証する実験が存在する。
(a) 被験者が他の人たちと作業しているとき、被験者は、被験者の自然発生的な姿勢や動きや癖を模倣する人に対して、より好意を抱く傾向が強い。また、作業の円滑さについても、高い評価をする傾向が強い。
(b) 被験者が、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人の感情を気にかけ、共感を覚えやすい傾向が強い。

 「チャーランドとバーは次の実験で、「カメレオン効果」の機能の一つに、二人の人間が互いに好意をもつようになる確率を高めることがあるという仮説を検証した。ここでも被験者は、もう一人の参加者のふりをしたサクラが同席する中で写真を選ぶよう求められた。今回与えられた表向きの課題は、被験者とサクラがさまざまな写真の中で見たものをそれぞれ交替に描写することだった。その間ずっと、あるサクラは被験者の自然発生的な姿勢や動きや癖を模倣し、また別のサクラはニュートラルな姿勢を保つことになっていた。このやりとりが終わったところで、被験者は質問票を埋めるよう求められ、もう一人の参加者(すなわちサクラ)をどのくらい気に入ったか、このやりとりがどれぐらい円滑に進んだと思うかを報告した。もう結果は予想がつくだろう。お察しのとおり、サクラに真似されていた被験者は、模倣されていない被験者に比べ、相棒のサクラに対して抱く好意がずっと強かった。さらにやりとりの円滑さについても、サクラに真似されていた被験者は模倣されていない被験者よりも評価を高くつけていた。この実験は明らかに、模倣と「好意」が概して比例することを示している。誰かが自分を真似しているとき、私たちはその人をさらに好きになる傾向があるわけだ。《だから》私たちは自動的に互いを模倣する傾向があるのだろうか?――私はそう思う。
 チャートランドとバーによる最後にして最も決定的な実験は、人はカメレオンであればあるほど、他人の感情を気にかける――すなわち共感を覚えやすいという仮説を検証したものだった。この三つめの実験の状況設定は最初の実験と同じで、サクラがわざと顔をこするか足を揺するかしてみせる。ただし今回の実験の新しいところは、被験者に質問票に答えてもらい、そこから被験者の共感傾向を測定できるようになっていることだった。その結果、被験者の示した模倣行動の度合いと被験者の共感傾向には強い相関関係があることが確認された。被験者が顔をこすったり足を揺すったりする動作を真似する傾向が強いほど、その被験者は共感の深い人間である傾向が強かった。この結果からわかるのは、私たちは模倣と擬態を通じて他人の感じることを感じられるということだ。他人の感じることを感じられることによって、他人の感情の状態に思いやりをもって対応できるのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第4章 私を見て、私を感じて,早川書房(2009),pp.143-145,塩原通緒(訳))
(索引:カメレオン効果)

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(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
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2018年7月27日金曜日

すべての会話は、共通の目標をもった協調活動であり、模倣と刷新の相乗効果で、新しい言語の進化の場でもある。聴覚障害児によって創出された自然発生的な「ニカラグア手話」は、その実例である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

ニカラグア手話

【すべての会話は、共通の目標をもった協調活動であり、模倣と刷新の相乗効果で、新しい言語の進化の場でもある。聴覚障害児によって創出された自然発生的な「ニカラグア手話」は、その実例である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 「すべての会話は共通の目標をもった協調活動であり、ある意味では、新しい言語の進化をその場に再現していると言えなくもない。実際、会話の中の一部の言葉が、互いの暗黙の了解によって決まった特定の意味を帯びているということ自体、模倣と刷新の相乗効果でコミュニケーションが形成されていくことを示したものだと言える。この考えを裏づける最も驚くべき事例が、1970年代末から80年代にかけて、ニカラグアの学校の聴覚障害児によって創出された自然発生的な、しかし充分に発達したサイン言語(手話)である。それ以前、ニカラグアの聴覚障害児はほとんど社会から疎外されており、単純な身ぶりや身内にしか通じない「自家製」のサイン体系を使って友人や家族とコミュニケーションをとるだけだった。そこにサンディニスタ革命が起こり、聴覚障害児の特別教育施設が設けられるようになった。そしてマナグアの二つの学校に数百人が入学した――いまにして思えば、「臨界質量」とでも言おうか、ある結果をもたらすのに必要十分な人数が揃っていたわけである。校庭やバスの中や道端で互いに顔を合わせているうちに、子供たちはしだいにそれぞれの慣れ親しんだ身ぶりを組み合わせながら共通のサイン言語を発達させていった。最初はそれも比較的単純な言語で、文法も単純、類義語はほとんどない、いわゆるピジン語のようなものであった。やがて、年長の子供たちにこの単純な言語を教えてもらった年少の子供たちが、もっと精密で、明確で、揺らぎのない、成熟したサイン言語を発達させた。これが現在「ニカラグア手話」と呼ばれているものである。皮肉なことに、学校の教職員は子供たちが互いにどんなサインを出しあっているのかを理解できず、外部の助けに頼らなくてはならなかった。アメリカ手話の専門家であるアメリカ人言語学者ジュディ・ケーグルが招かれて、初めてここでなにが進行しているかわかったのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第3章 言葉をつかみとる,早川書房(2009),pp.126-127,塩原通緒(訳))
(索引:ニカラグア手話)

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マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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