意識の劇場
【人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くに従って広くなる舞台に譬えられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。背後に控える演者は姿がぼやけ、舞台裏や脇には見えない無数の演者が控えている。(イポリット・テーヌ(1828-1893))】(出典:wikipedia)
イポリット・テーヌ(1828-1893)
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「ワークスペースという概念は、注意と意識に関する初期のさまざまな心理学説を統合したもので、早くも1870年には、フランスの哲学者イポリット・テーヌが、「意識の劇場」というたとえを用いている。彼によれば、意識は、一度にはただ一人の演者の声しか聞けないように仕向ける幅の狭い舞台のごときものなのである。
『人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くにしたがって広くなる舞台にたとえられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。(……)先端から離れるにしたがって、光からより隔たるがゆえに、背後に控える他の演者は、ますます姿がぼやけていく。さらにこれらのグループの背後、舞台裏や脇に近い位置を占める無数の演者は、ほとんど姿が見えないが、呼ばれれば前に出てくる。なかにはフットライトが直接あたる位置まで進出する者もいる。あらゆるタイプの演者から構成されるこの沸き立つ集団の内部でつねに生じる予測不能な展開によって、その都度コーラスリーダーが決まっては、走馬灯のように聴衆の目の前からすぎ去っていく。』
フロイトの登場に数十年先立つテーヌのこの比喩は、ただ一つの事項のみが意識にのぼること、また、私たちの心が膨大な種類の無意識のプロセッサーから成ることを巧みに表現する。ワンマンショーをサポートするために、心は大勢のスタッフを抱えているのだ。いかなる瞬間においても、意識の内容は、背後に控えるバレーダンサーたちが織り成す、目には見えない無数の活動から生じる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),p.231,高橋洋(訳))
(索引:意識の劇場)
(出典:wikipedia)
「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)
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