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2024年5月9日木曜日

26.ウィリアム・ウエントワースの理論(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 ウィリアム・ウエントワースの理論(ジョナサン・H・ターナー(1942-)


 「動物が学習し、そして環境から情報を獲得することに頼るほど、遺伝子が具体的な行動に効果をもつ可能性は小さくなる。

人間の場合、社会文化体系の行動に対する影響が遺伝子的傾向よりもはるかに大きい。

種がどのように行動するかについて情報を獲得するために、ますます学習に依存するようになるほど、《迅速で適切な情報検索》の必要性が高まる。迅速で適切な情報検索は統一的全体あるいはパターン化された《図式》として情報を収集し、解釈する能力によって促進される。

なぜならより多くの情報が図式としてダウンロードでき、またより多くの選択肢と代案が加えられるからである。

 ウエントワースはその要点を明示していないけれども、迅速で適切な情報検索への依存は動物に選択圧として作用する。生存手段として集団指向的な行動(たとえば群れ、小群れあるいは大きく群れる本能)に向う強力な生物プログラムをもたない動物は、社会関係をつくり、そしてそれを維持することに依存する。

つまり社会関係を育成するために大量の熱量を消費しなければならないという意味で、その動物が《深層において社会的》であるほど、情報探索のための効率的な機構は適応度をいっそう強化する。

 感情は人間の情報検索の背後にある中枢の機構である。なぜなら感情は脳の情報処理水準を超える「管理中枢」として作用し、また情報を「枠づけ、また焦点化をする」からである。これらの機構は適応度を強化するために多くの方法によって作用する。

 1.感情は注意の調整器である。感情は個体に環境のある側面について警告を迅速に伝える。

 2.感情は注意持続時間、つまり個体がどれほどの時間にわたって環境のある側面に警戒を保たなければならないかを調整する。

 3.感情は個人経験から学習し、そして環境の異なる側面についての記憶を貯蔵することを可能にする。学習は最終的に出来事に対する感情的反応に結ばれている。文化が経験を表示し、標識をつけるための手段として提供する感情が多いほど、記憶はますます複雑かつ精妙になる。

 4.感情は個人が環境および状況の特定の対象と関係する記憶を呼び起こすことを可能にする。

 5.感情は個人が自己を他者、状況、そしてもっと全体的な環境との関係において対象と見なすことを可能にする。感情がなければ、人びとはある状況において自己を方向づけ、評価し、あるいは位置づけることができない。

 6.感情は個人が役割を取得し、他者の性向を読み、そして他者の間主観性を達成することを可能にする方法で互いに伝達することを可能にする。

 7.感情は個人にエネルギーを与えるだけでなく、個人がある状況で文化的期待に適う方法で行動するよう強く働く。

 8.感情は文化的指令と禁止に力を付与する。感情がなければ、良心の《激しい痛み》、社会的責務の《指令に従うこと》も、尊敬を《実感すること》も、あるいは道徳性を《当然と見なすこと》もできないだろう。

 9.感情、とくに孤独や疎外の不安や恐れは、社会的網状組織が維持されていることを確認するため、自己、他者、また状況を監視するよう個人を強く動かす。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第8章 進化論による感情の理論化、pp.458-460、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))

感情の社会学理論 (ジョナサン・ターナー 感情の社会学5) [ ジョナサン・H・ターナー ]






リチャード・エマーソンの理論 (ジョナサン・H・ターナー(1942-)



リチャード・エマーソンの理論 (ジョナサン・H・ターナー(1942-)




 「エマーソンの理論には三つの中核と見なせる概念がある。(1)権力、(2)権力行使、(3)均衡である。

ある行為者が《権力》をもちうるのは、他者が高い価値をもつ資源を有する彼に依存する場合である。

エマーソンの用語を用いるならば、行為者Aの行為者Bに対する権力は、行為者Bが行為者Aの資源への依存度の関数である。

すなわち、PAB=DBAである(なおPは権力をDは依存度を、そしてAとBは異なる資源を交換しようとしている二人の行為者を表す)。

依存は、他者の求める資源が(a)高い価値をもち、そして(b)別人から入手できないか、あるいは入手するためにはもっと高い費用を支払わなければならない程度によって決定される。

逆に、他者の資源を高く価値づけている行為者が交換に供給できる高い価値をもつ場合、依存の水準、したがって一方の行為者の他方の行為者に対する権力は低下する。

各行為者が互いに高い価値をもつ資源をもち、したがって各行為者が高い価値をもつ資源を他者に依存すると、各行為者は他者に対して絶対的な権力をもつ。この状態は、その関係に内在する高い水準の互恵的な権力によって、エマーソンが構造的凝集と呼ぶ状態を強化する。 

一方の行為者が他方の行為者を上回る権力(後者の依存によって)をもつと、この行為者は権力を行使し、そしてその強みを活かして依存者からもっと多くの資源を引きだし、もしくは依存している者が提供するいかなる資源であっても、それを獲得するための費用を引き下げようとする。

行為者Aが、行為者Bの依存のために行為者Bに勝る権力をもつと、行為者Aは権力有利の立場にある。権力有利と権力行使をしめす交換関係は、エマーソンの用語を用いると、平衡失調状態である。このように関係が平衡を失うと、いくつかの均衡回復のための作用が始まる。 

 均衡回復のための一つの作用は、B(依存している行為者)がAによって提供される資源を低く評価することであり、これによって依存度を下げることができる。

第二の均衡回復のための作用は、BがA1によって提供される資源の代替的な源泉(A2、A3、A4など)を見つけることである。これにより貴重な資源をA1だけに依存しなくてすむ。

第三の均衡回復のための作用は、Bが提供しなければならない資源に対するAにとっての価値を多少でも増やすことである。そうすることで高い価値をもつ資源によって、AのBへの依存度を高くすることができる。

第四の均衡回復のための作用は、BがAに供給する資源のAにとってBの代替的な要因(別の行為者B)を多少でも減らすことである。こうした均衡回復のための作用のすべてが、BのAへの依存度を低下するか、それともAのBへの依存度を加増できる方策である。」

 (ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第6章 感情の交換理論、pp.335-337、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))

2024年5月7日火曜日

31.高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)

高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)



 「高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。おのれ自身の責任を譲りわたすことを欲せず、分かちあうことをも欲しないこと。自己の特権とその行使を、自己の《義務》のうちに数えること。」 (フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『善悪の彼岸』第九章 高貴とは何か、二七二、ニーチェ全集11 善悪の彼岸 道徳の系譜、p.329、[信太正三・1994])

2024年5月5日日曜日

13.一部の人に恩恵をほどこそうとするばかりに、それ以外の連中にいやな思いをさせることのないように注意するがよい(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)

 一部の人に恩恵をほどこそうとするばかりに、それ以外の連中にいやな思いをさせることのないように注意するがよい(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)

 「一部の人に恩恵をほどこそうとするばかりに、それ以外の連中にいやな思いをさせることのないように注意するがよい。なぜなら不愉快な目にあわされた人間は、それを忘れはしないどころか、実際にうけたよりも大げさに感じるものであり、他方、恩をうけた人間はそれを忘れてしまうか、実際に与えられたものより過少にしか感じないものだからである。したがって、他の条件が同一だと仮定すれば、君は得るものより、はるかに多くのものを失うことになるだろう。」

(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)、『リコルディ』C、二五 一部の者への恩恵、フィレンツェ名門貴族の処世術、p.63、[永井三明・1998])


フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)