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2026年9月15日火曜日

005必ずわかる難問題1

   ★005a_必ずわかる難問題1


(12)追記します。


★何百年も議論されても、明確に解けたと思えないような難しい問題が、いくつかあります。その中の一つ。


宇宙が誕生し、星々ができ、地球上で生命が生まれ進化して、人間が生まれ、心を持つようになった。


私たちは、たしかに、自分で考えて、自由に選択する、Aを選ぶか、Bを選ぶか? しかし人間も、物質には違いなく、宇宙を支配している物理学の法則に従っているはずだ。

★生命とは何か?

意識とは何か?

人間に自由意志はあるのか?

未来は選べるのか?


しばらくは、ポパーの考えたことを、紹介してみたい。


★(1)物質の世界を世界1、心の世界を、世界2と呼ぶことにする。ポパーは。もう一つの世界があるという。世界3だ。世界3とは、人間の心が作ったものの世界だ。


★(2)たぶん誰でも、ごく素朴な直感として、物質の世界1の存在を、確信している。(これが素朴な唯物論)


★(3)ところが良く考えると、物質があると思っているのは、私ではないのか。科学や技術は、物質の世界を、解明している? 私が勝手に思っているだけということはないのか。少なくとも、私の心の世界2は存在する。


(3.1)よく考えてみると、すべてのことは、私が感じ考えていることだ。


(3.2)もしかしたら、宇宙すべては、私の夢なのではないのか?(これが独我論)


★(4)私は決して他者の心の世界2を経験できないが、他者の心の世界2も存在する。


★(5)物質の世界を解明しているという科学や技術とは何か。誰か個人の心の中にあるというようなものではない。それは、膨大な書籍に書いてあったり、コンピュータシステムに記録されたデータやプログラムだったり、観測機器や製造装置だったりする。これらは、物質の世界1の存在だ。


★(6)ところが、これらの、人間の心が作り出したものが、人間と相互作用しあうと、宇宙の秘密を解き明かしたり、ロケットを飛ばしたりできるようになる。


★(6.1)仮に、人間が滅びて1人もいない世界を考えると、これらの物質の塊が、働き出すことはない。


★(7)次の概念は、すべて本質的には、同じだ。


★(7.1)心は、人間の心がつくったもの(ポパーの世界3)と相互作用して、元の自分とは違う心と相互作用する。


★(7.1.1)心身問題における言語の役割

「言語を学習する能力は――そして言語を学習する強い必要性さえも――人間の遺伝的構造の一部であるようにみえる。これとは対照的に、個々の言語を実際に学習することは、無意識の生得的な必要性と動機に影響されるとはいえ、遺伝子に制御された過程、したがって自然的過程ではなく、世界3に制御された、文化的過程である。(中略)★普通の子供はみな、楽しくそしてたぶん苦痛でもあるきわめて能動的な勉強によって、一つの言語を習得する。言語に伴う知的成果は多大なものである。★もちろん、この努力は子供の人格、他人への関係、自らの物質的環境への関係に対して強いフィードバックの効果をもっている。こうして、子供は部分的には彼自身の成果の所産であると言うことができる。彼は自分自身ある程度まで世界3の所産である。子供の物質的環境への精通とその意識が、自分の新しく習得した話すという能力によって拡大されるが、それと同じことが彼自身の意識についても言える。自我、人格は、他我、彼の環境内の人工物ならびに他の対象との相互作用から生じる。これはすべて言語の習得に深く影響を与える。」(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、15――世界3と心身問題(上)pp.80-82、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))


★(7.2)心は、他者と交流しているとき、元の自分とは違う心になっている。(ライプニッツのモナドがつくる実体的紐帯)


★(7.3)人間と人間の間の人(ブーバー)


★(7.4)人以外のものとも、関係が成立する(ブーバー、我と汝)


★(7.5)ある印の意味がわかるのは、その印を書いた人の意図がわかったとき


★(7.6)メモ書きしたとき、そのメモは、心の一部になる。


★(8)感じたり考えたりすることは、すべて身体と脳の働きによって作り出されたものだ。(唯物論)すべては物質の法則に従っていることになる。

★(9)メモの書かれた一枚の紙切れ。物質としての紙切れ。人間がいなければ、物質としては、大きな作用はしない。


★(10)ところが、この紙切れが、人間の心と相互作用すると、地球の運命を変えるほど、物質の世界に影響することもある。人間の心の世界と、心が作った世界(紙切れ)もたしかに存在する。


★(11)再掲(8)感じたり考えたりすることは、すべて身体と脳の働きによって作り出されたものだ。(唯物論)すべては物質の法則に従っていることになる。心の世界は、ただ身体の動きの影のようなものなのか? しかし、心が作った世界が働きはじめるとき、能動的な動きをすることがわかった


★「われわれは、世界2と世界3の相互作用の一つ(《把握作用》)は、世界3の対象を作り出す働きとして、そして批判的な選択によってそれら対象を照合する働きとして解釈できるということをみてきた。同じようなことは世界1の対象の視覚による知覚についても正しいように思われる。★このことは世界2を能動的――生産的で批判的(製作的と調合的)――とみるべきであることを示唆している。だが、ある無意識的な神経生理学的過程がまさにそれを行っているのだ、と考えるべき理由をわれわれはもっている。このことはおそらく、意識過程も同じ仕方で行なわれていることを《理解する》のを少しは容易にしてくれる。」(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、15――世界3と心身問題(上)p.80、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))

★(12)心身問題


★ (3)随伴現象論の解釈:(1)(徹底的唯物論)と同様に、物理過程が存在する。その他の側面も(2)(汎心論)と異なっていない。だが、次のような(2)とは異なる点がある。

  (a)《生命のある》対象のみが《内的》または主観的経験をもつ。

  (b)(2)(汎心論)ではわれわれは二つの異なった、しかし同等に妥当な説明をもてたが、随伴現象論者は物理的説明に優位性を与えるばかりでなく、主観的経験は因果的に余分なものであることを強調する。(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P3章 唯物論批判、16――4つの唯物論的あるいは物理主義的な立場(上)pp.91-92、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))


  

★ (4)同一説:(1)(徹底的唯物論)と同様であるが、しかしここではわれわれは、意識経験と同一でない世界1の過程(世界 1p:下に書いたpは《純粋に物理的》を示す)と、経験された過程ないし意識的過程と同一である物理過程(世界 1m:下に書いたmは《心的を示す》)とを区別できる。世界1の二つの部分(つまり、部分世界 1pと 1m)はむろん相互作用が可能である。したがって、私の痛み(世界 1m)は私の記憶の蓄積に作用して、電話番号を調べさす。すべてのことは相互作用論者の分析と同じように生起する。(私の考えでは、これがこの見解を魅惑的なものにしている)。★ただ、(主観的な知識を含んだ)私の世界2だけが世界 1m、すなわち世界1の部分と同一視され、世界3は世界1の他の部分と、すなわち、電話帳や電話のような《道具ないし装置》と同一視される(あるいは、おそらく大脳過程と同一視される。というのは、同一論者にとっては、私の世界3の核心となる《抽象的な知識内容》は存在しないからである)。」(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P3章 唯物論批判、16――4つの唯物論的あるいは物理主義的な立場(上)pp.91-92、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))



★(4)同一説または中枢状態説は、心身問題に答えようと展開された理論の中では現在最も有力なものである。これは汎心論と随伴現象論の修正の一つとみることができる。随伴現象論のように、《汎》のない汎心論とみることができる。だが、随伴現象論とは反対に、心的事実を重要で因果的に効果のあるものと考える。この理論は、心的過程と一定の大脳の過程の間に、ある種の《同一性》(identity)が存在する、と主張する。(中略)★M・シュリック(Schlick)とファイグルによる同一説の形式では、心的過程は(ライプニッツ同様)内側から感得的に(by aquaintance)知られる物自体として考えられている。一方、われわれの大脳過程――理論的記述によってのみ知られる過程――に関する理論は同じ物を外側から記述することになる。随伴現象論とは対照的に、同一論者は心的過程は物理過程と相互作用するということができる。なぜならば、心的過程は単に物理過程《であり》、より正確には、特殊な大脳過程にすぎないからである。」(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P3章 唯物論批判、16――4つの唯物論的あるいは物理主義的な立場(上)pp.90-91、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))

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