未来のための哲学講座 命題集 Propositions of great philosophers
活用するための哲学サイト。著作名から調べる。人名から調べる。順次、充実させていきます。(大幅に遅延中)
ページ
(移動先: ...)
ホーム
命題集(記事一覧)
▼
2021年12月29日水曜日
政府に対抗する権利は、たとえ多数派がある行為を不正と考え、それが為されると多数派の状態が悪化する場合でさえ、当の行為を個人が行いうるような権利でなければならない。それに競合可能な権利は、他者個人の権利のみである。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
政府に対抗する権利 政府に対抗する権利は、たとえ多数派がある行為を不正と考え、それが為されると多数派の状態が悪化する場合でさえ、当の行為を個人が行いうるような権利でなければならない。それに競合可能な権利は、他者個人の権利のみである。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))...
2021年12月28日火曜日
個人の選択や行為に 対して表明する態度を比較すると、各道徳・正義理論の違いが明確になる。権利に基礎を置く理論は、個人の信念や選択それ自体の価値を認め、義務に基礎をおく理論とは異なり、規範は他者の権利を守るための単なる手段と考える。また特定の社会状態なり、福祉の総量なり、個人の卓越性なりの目標は、恣意的なものであり、諸価値の源泉はただ諸個人のみである。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
各道徳・正義理論の違い 個人の選択や行為に 対して表明する態度を比較すると、各道徳・正義理論の違いが明確になる。権利に基礎を置く理論は、個人の信念や選択それ自体の価値を認め、義務に基礎をおく理論とは異なり、規範は他者の権利を守るための単なる手段と考える。また特定の社会状態なり、福...
特殊的判断を整合的な行為計画に統合する人間の創造物が、道徳・正義の理論であると考える構成的モデルは、道徳的直感も誤ることがあり、社会状況と歴史による理解対象と考える。道徳と正義は、経験と理性による議論の対象であり、矛盾を排除した首尾一貫性が正義観念の本質に属する。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
道徳・正義の構成的モデル 特殊的判断を整合的な行為計画に統合する人間の創造物が、道徳・正義の理論であると考える構成的モデルは、道徳的直感も誤ることがあり、社会状況と歴史による理解対象と考える。道徳と正義は、経験と理性による議論の対象であり、矛盾を排除した首尾一貫性が正義観念の本質...
道徳的直感は、確実で明白な真理であるように思われるため、直感は真理を直接的に把握できるし、道徳・正義の理論は何らかの実在の記述であると考える自然的モデルがある。一方、構成的モデルでは、特殊的判断を整合的な行為計画に統合する試みが道徳・正義の理論であり、人間の創造物であると考える。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
自然的モデルと構成的モデル 道徳的直感は、確実で明白な真理であるように思われるため、直感は真理を直接的に把握できるし、道徳・正義の理論は何らかの実在の記述であると考える自然的モデルがある。一方、構成的モデルでは、特殊的判断を整合的な行為計画に統合する試みが道徳・正義の理論であり、...
2021年12月27日月曜日
国家に対抗する諸権利の主張の中枢は、個人には社会全体の利益を犠牲にしても、多数派に対して保護を受ける資格があるということである。 権利の主張は道徳的論証 を前提とするのであり、他のいかなる方法によっても確証されえない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
国家に対抗する諸権利 国家に対抗する諸権利の主張の中枢は、個人には社会全体の利益を犠牲にしても、多数派に対して保護を受ける資格があるということである。 権利の主張は道徳的論証 を前提とするのであり、他のいかなる方法によっても確証されえない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-20...
いかなる争点も、少数派より多数派に決定を委ねることが常により公正である。これは、事実だろうか。多数派に対抗する諸権利に関する決定は、公正上多数派に委ねられ るべき争点ではない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
多数派に対抗する諸権利に関する決定 いかなる争点も、少数派より多数派に決定を委ねることが常により公正である。これは、事実だろうか。多数派に対抗する諸権利に関する決定は、公正上多数派に委ねられ るべき争点ではない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)) 「私は、立法府及び...
司法的自制の懐疑主義的理論には、道徳的諸権利を個人の選好に過ぎないと否定する道徳的懐疑主義、諸権利を社会全体の利益に還元して説明しようとする功利主義的懐疑、個人の 諸利益を社会全体の福利に没入させてしまう全体的懐疑主義がある。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
司法的自制の懐疑主義的理論 司法的自制の懐疑主義的理論には、道徳的諸権利を個人の選好に過ぎないと否定する道徳的懐疑主義、諸権利を社会全体の利益に還元して説明しようとする功利主義的懐疑、個人の 諸利益を社会全体の福利に没入させてしまう全体的懐疑主義がある。(ロナルド・ドゥオーキン(...
仮に憲法諸原理の適用において不整合がある決定であっても、統治機構の決定の存続を許容する司法的自制の理論には2種類ある。道徳的原理と権利の客観的を認めない政治的懐疑主義と、原理と権利の存在は認めても、その性格と強さには議論の余地があるため裁判所以外の政治的諸機関へ決定を委ねる司法的敬譲理論とである。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
司法的自制の理論 仮に憲法諸原理の適用において不整合がある決定であっても、統治機構の決定の存続を許容する司法的自制の理論には2種類ある。道徳的原理と権利の客観的を認めない政治的懐疑主義と、原理と権利の存在は認めても、その性格と強さには議論の余地があるため裁判所以外の政治的諸機関へ...
議論の余地ある憲法上の争点を、裁判所はいかに決定すべきかに関して、2つの異なる主張がある。道徳的洞察によって必要な諸原理を修正または創造して問題を判断する(司法積極主義)主張と、広汎な憲法原則によって要求される諸原理に関して不整合があるような場合であっても、統治機構の決定の存続をする許容するべきだ(司法的自制)とする主張である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
司法積極主義と司法的自制 議論の余地ある憲法上の争点を、裁判所はいかに決定すべきかに関して、2つの異なる主張がある。道徳的洞察によって必要な諸原理を修正または創造して問題を判断する(司法積極主義)主張と、広汎な憲法原則によって要求される諸原理に関して不整合があるような場合であって...
2021年12月26日日曜日
憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、法律家によって異なり、個別の制度的倫理の判断に影響を及ぼす。難解な問題において、社会的に認められている判断を採用することは妥当な正当化ではなく、法律家は自ら判断すべきである。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
法律家の判断 憲法、制定法、あらゆる先例を整合的に正当化し得る原理の体系は、法律家によって異なり、個別の制度的倫理の判断に影響を及ぼす。難解な問題において、社会的に認められている判断を採用することは妥当な正当化ではなく、法律家は自ら判断すべきである。(ロナルド・ドゥオーキン(19...
社会倫理とは、法や社会の諸制度を前提とする政治的倫理を意味する。諸個人は彼らの制度が依拠する諸原理が首尾一貫して執行されることを要求する権利をもつ。このため、ある種の問題につき、社会一般の倫理との衝突が起こることを認めねば ならない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
社会倫理 社会倫理とは、法や社会の諸制度を前提とする政治的倫理を意味する。諸個人は彼らの制度が依拠する諸原理が首尾一貫して執行されることを要求する権利をもつ。このため、ある種の問題につき、社会一般の倫理との衝突が起こることを認めねば ならない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-...
憲法、制定法、あらゆる先例を整合 的に正当化し得る原理の体系に含まれる過誤の理論は、制度史による論証、法曹界の成員達の何らかの法的感覚に訴える論証、あるいは法律家自らの論証による。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
›
過誤の理論 憲法、制定法、あらゆる先例を整合 的に正当化し得る原理の体系に含まれる過誤の理論は、制度史による論証、法曹界の成員達の何らかの法的感覚に訴える論証、あるいは法律家自らの論証による。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)) (3.4.3.3)過誤とすることの正当...
2021年12月24日金曜日
ハーバート・ハート (1907-1992)の命題集
›
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集 ハーバート・ハート (1907-1992) 第1部 在る法と在るべき法 第2部 目的と手段による説明の予備考察 第3部 様々な法の概念&自然法とは何か 第4部 社会的ルールとは何か 第5部 在るべき法の源泉としての道徳 第6部 法...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示