制度による選抜の弊害
制度による選抜は、常に自発性と独創性、より一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質を排除しがちである。これが教育制度に適用されると、学生には個人的経歴と選抜に必要な知識習得のみが奨励されることになる。知的指導者の選抜という要求は、科学と知性の生命そのものを危地に陥し入れるのである。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)制度による選抜の弊害
制度による選抜は、常に自発性と独創性を排除し、またより一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質というものを排除する。
(b)教育制度による選抜の弊害
教育制度に対して、最善者を選抜するという不可能 な課題を負わせようとする傾向は、教育体系を競争場に変え、学科過程を障害物競争に 変えてしまう。学生が研究のための研究に没頭し自分の主題と研究を真に愛するのを励ますの ではなく、彼は個人的経歴のための研究を奨励される。彼は自分の昇進のために越えなければ ならない障害を超すのに役立つ知識のみを得るように誘導される。
(c)特に知的指導者の選抜
知的指導者を制度によって選抜するという不可能な要求は、科学の生命ばかりか知性の生命そのものをも危地に陥し入れるのである。
「われわれはここで若干の重要性をもつ、また一般化できる結果に導かれた、と私は信じ る。傑出した者を選抜するための制度などというものを考案することはほとんど不可能であ る。プラトンが念頭に置いた目的、すなわち変化を阻止する目的のためには、制度による選抜 も極めてうまくいくかもしれない。だがわれわれがそれ以上を要求するならば、決してうまく いかないであろう。というのは、制度による選抜は常に自発性と独創性を排除し、またより一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質というものを排除しがちだからである。これは政 治上の制度主義の批判ではない。それは以前に言ったこと、われわれは当然最善の指導者を得 るように努力すべきではあるが、常に最悪の指導者に備えるべきであるということを追認して いるにすぎない。だがそれは制度、とくに教育制度に対して、最善者を選抜するという不可能 な課題を負わせようとする傾向に対する批判《である》。このようなことは決して制度の課題 とされるべきではない。このような傾向は教育体系を競争場に変え、学科過程を障害物競争に 変えてしまう。学生が研究のための研究に没頭し自分の主題と研究を真に愛するのを励ますの ではなく、彼は個人的経歴のための研究を奨励される。彼は自分の昇進のために越えなければ ならない障害を超すのに役立つ知識のみを得るように誘導される。換言すれば、科学の分野に おいてさえも、われわれの選抜の方式というものは、やや粗野な形の個人的野心への呼びかけに基づいているのである(熱心な学生が仲間から疑いの目で見られるというのもこの呼びかけ に対する自然な反応である)。知的指導者を制度によって選抜するという不可能な要求は、科 学の生命ばかりか知性の生命そのものをも危地に陥し入れるのである。」
(カール・ポパー(1902-1994),『開かれた社会とその敵』,第1部 プラトンの呪文,第7章 指 導者の原則,第5節,pp.138-139,未来社(1980),内田詔夫(訳),小河原誠(訳))
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