自由意志
たとえ出来事がどのように生起していようとも、過去から未来までの全存在は、確かに何らかの存在として一つ存在しており、それでもなお、自由意志がいかなる意味で存在し得るのかが問題である。(ボエティウス(480-524)『哲学の慰め』)
(a)予見には2つの概念が区別されるとの考え
(i)予測可能性
現在の状態を知って、未来の状態を予測できるという意味での予見の概念がある。しかし、予測可能だとしても、未来の状態は一つに決定されているとは限らない。
(ii)過去から未来までの全存在
予測可能かどうか、また予測可能だとしても未来が一つに決まっているかどうかが分からなくても、未来はある姿で存在する。この過去から未来に至る全ての存在は、全宇宙の全てを知ることが可能だとしたら、一つの存在として存在していると思われる。
(b)予見とは過去から未来までの全存在を知ることであるとの考え
いま現に、ある人が座っていると知ることは、それが確かに存在していることを示している。過去のことも未来のことも、それが確かに存在しているのなら、その存在そのものは、一つに決まっているものと思われる。
(ボエティウス(480-524)『哲学の慰め』,第5部,2,pp.210-213,岩波文庫,1950,畠中尚志(訳),https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000871187-00 )