選択は、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整を強化した。行動水準においては、その証拠は明白である。儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))
「選択が神経学的水準において、脳にどのように働いたかをある程度知ることができる。
つまり、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整の強化である。
行動水準においては、その証拠や人間が相互作用するときはいつでも、またすべての相互作用においてそれは明白である。
儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。
これらの信号のいずれかが失われ、あるいは不適当なやり方で生産されると、たとえ手段的な音声によるお喋りの流れはつづいているとしても、相互作用は緊張を帯びることになる。
なぜなら、われわれのヒト科の祖先が社会結合を強化するために最初に用いた非音声的で感情的な一連の合図をともなわなければ、言語だけで相互作用の流れを維持することはできないからである。
もっと原基的で、視覚に基づく感情言語をともなわなければ、相互作用はいくつかの側面で問題を発生させる。
個人はその出会いになにが含まれ、またなにが排除されるべきかという点に関して、どのように枠組みを設定すればよいかに確信がもてない(Goffman 1974;Turner 1995,1997a)。
個人は使用すべき妥当な規範や他の文化システムに確信がもてない。
個人はどのような資源、とくに相互作用にとって基本である内面的な資源のうちなにが交換されるべきかということに確信がもてない。
個人が進行中の相互作用のフローの一部分をなしているかどうかについて確信がもてない。
他者が行うものと想定されていることがらを確かにその人たちが行うと信用できるかどうか確信がもてない。
他者の反応を予測できるかどうかに確信がもてない。
そして個人が他者と同じ仕方で他者との状況を主観的に経験していると想定することができるかどうか確信がもてない。
ハロルド・ガーフィンケル(Garfinkel 1966)が初期に実施した「日常的な秩序を破壊する実験」は、対面的相互作用がとても脆弱であることを検証している。そして相互作用がいとも簡単に壊れてしまうことも検証している。
われわれの相互作用がとても壊れやすいのは、生物学的プログラムとしてのわれわれの遺伝子に、高水準の社会連帯に向う傾向がないからである。
だから、われわれは相互作用をぎこちなくしないために、精妙で複雑な感情コミュニケーションを用いなければならないのである。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.172-173、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))