感性、想像力、自由の抑圧がもたらすもの
多くの夢を砕き、別の未来の可能性への感性、想像力、欲望、個人の自由を抑え込むよう設計された絶望装置は、今あるシステムの改善、革新能力を失っていく。実際、過去の経済的革新の多くは、政治的なものだった。非正規雇用、労働組合の破壊、労働の非政治化、長時間労働等々。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(a)想像力、欲望、個人の自由の封じ込め
想像力、欲望、個人の自由といった、過去の偉大な世界革命において解放された一切は、消費主義のなかに、あるいはインターネットの仮想現実のなかに確実に封じ込められなければならなかった。
(b)別の未来の可能性への感性の抑圧
多くの夢を砕き、別の未来の可能性へのあらゆる感性を抑え込むよう設計された絶望装置は、今ある資本主義が唯一実行可能な経済システムであると思わせる。その結果、我々は資本主義システムが崩壊していくのを目の当たりにするという奇妙な状況に置かれることとなった。
(c)非正規雇用、労働組合の破壊、労働の非政治化、長時間労働
過去30年間の経済的革新の多くは、経済的というよりも政治的なものだった。終身雇用を打ち切って非正規雇用にすることは、より効率的な労働力を現実的に生み出すことは ないが、そのかわり組合の破壊や労働の非政治化を驚くほど効率的に成し遂げる。とどまることのない労働時間の増加についてもそうだ。週60時間の労働をしていれば、誰も政治活動などできない。
「実際に、過去30年間の経済的革新の多くは、経済的というよりも政治的なものだった。
終 身雇用を打ち切って非正規雇用にすることは、より効率的な労働力を現実的に生み出すことは ないが、そのかわり組合の破壊や労働の非政治化を驚くほど効率的に成し遂げる。
とどまるこ とのない労働時間の増加についてもそうだ。週60時間の労働をしていれば、誰も政治活動など できない。
いつも思うのは、資本主義が唯一実行可能な経済システムであると思わせる選択肢 と、資本主義をより発展可能な経済システムにする選択肢のどちらかを選ぶ場合、新自由主義はつねに前者を選択するということだ。
その複合的帰結は、人間の想像力に対する容赦ない攻撃である。厳密にいえば想像力、欲望、個人の自由といった、過去の偉大な世界革命において解放された一切は、消費主義のなかに、あるいはインターネットの仮想現実のなかに確実に封じ込められなければならなかった。他のすべての領域ではそれらは厳しく禁じられなければならない。
われわれは多くの夢を砕き、別の未来の可能性へのあらゆる感性を抑え込むよう設計された絶望装置の押しつけについて語っている。
だが、人々の試みの一切を政治的な檻のなかに事実上押し込めた結果、われわれは資本主義システムが崩壊していくのを目の当たりにするという奇妙な状況に置かれることとなり、結局のところそれとともに、誰もが別のいかなるシステムも実現不可能だという判断を下してしまったのだ。
* おそらくこれが、僕が第II章で指摘した、表面上は政治的に分裂している両サイドの支配階 級が、自らの権力によってつくりだせるもの以外に現実はないと信じ込むようになった世界に ついて、われわれが予期しうることのすべてである。
バブル経済は、政治システムを作動させ ている統治原理を買収するとともに、システム内部で現実そのものの原理を操作する一つの政 治プログラムから生じる。
まるでこの戦略が、ありとあらゆるものを消費してしまったかのよ うである。
だがこのことは、常識レベルでのあらゆる革命が、目下の権力に対して破壊的な効果がある ことを意味している。
支配者はこうした想像力の爆発を夢想だにさせないことに一切に賭けて いる。
もしかれらがこの賭けに負ければその影響は(かれらには)計り知れないものになるだ ろう。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『デモクラシー・プロジェクト』,第V章 呪文を解 く,pp.326-328,航思社(2015),木下ちがや(訳),江上賢一郎(訳),原民樹(訳))
デヴィッド・グレーバー (1961-2020) |