未来のための哲学講座 命題集 Propositions of great philosophers
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2022年2月12日土曜日
計算と予測が、政府、企業、種々の互いに組み合わさったエリートが参画してい る巨大な事業の中にあって、人々は、自らの意志、 感情、信念、理想、生き方を持った独自の人間という感覚を失い、自分の将来が何かのプログラムにはめ込まれていくような感覚、憂鬱、怒り、絶望に襲われる。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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何かの手段であるかのような生き方 計算と予測が、政府、企業、種々の互いに組み合わさったエリートが参画してい る巨大な事業の中にあって、人々は、自らの意志、 感情、信念、理想、生き方を持った独自の人間という感覚を失い、自分の将来が何かのプログラムにはめ込まれていくような感覚、憂鬱、...
(a)人間は目的そのものであり、価値は人間が創造する、(b) 制度は人間のために、人間によって創造される、(c) いかに高尚な理念でも、一人の人間の価値には及ばない、(d) 最悪の罪は、何らかの固定された基準によって人間を評価すること。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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ロマン主義ヒューマニズムからの継承 (a)人間は目的そのものであり、価値は人間が創造する、(b) 制度は人間のために、人間によって創造される、(c) いかに高尚な理念でも、一人の人間の価値には及ばない、(d) 最悪の罪は、何らかの固定された基準によって人間を評価すること。(アイザ...
芸術家が芸術作品の創造に取り組んでいる時、彼は何か あらかじめ存在しているモデルからいわば転写するのではない。まさに今、創造する。人生の目的も、また然り。それは行動である。今や人の目的はいかなる 代価を払っても自分の内なる個人的なヴィジョンを実現することであると思われた。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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自由な創造としての芸術 芸術家が芸術作品の創造に取り組んでいる時、彼は何か あらかじめ存在しているモデルからいわば転写するのではない。まさに今、創造する。人生の目的も、また然り。それは行動である。今や人の目的はいかなる 代価を払っても自分の内なる個人的なヴィジョンを実現することで...
かつて、従うべき真なる価値があると信じられていたが、1820年頃には、非常に異なった見方が支配的になった。目的と諸価値を創造するのは個人であり、そもそも命令、要求、義務、目標に真偽値はない。各個人は、自分自身の内的な理想に仕えることが真実の生き方であるとする思想である。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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諸価値は個人によって創造される かつて、従うべき真なる価値があると信じられていたが、1820年頃には、非常に異なった見方が支配的になった。目的と諸価値を創造するのは個人であり、そもそも命令、要求、義務、目標に真偽値はない。各個人は、自分自身の内的な理想に仕えることが真実の生き方で...
2022年2月11日金曜日
道徳や政治や神学の思想史は、敵対する専門家たちの敵対する主張の間に生じた激烈な対立の歴史である。自らの主張を真理であると信じ、また、たとえそれに到達するのは困難であっても、真理はあるはずだ。人間と社会に関する事実が、答えを示すと信じられていた。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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価値の問題 道徳や政治や神学の思想史は、敵対する専門家たちの敵対する主張の間に生じた激烈な対立の歴史である。自らの主張を真理であると信じ、また、たとえそれに到達するのは困難であっても、真理はあるはずだ。人間と社会に関する事実が、答えを示すと信じられていた。(アイザイア・バーリン(...
あらゆる人間主義が立脚してきた前提である共通の人間性も、動かし難い客観的な事実のようなものではなく、我々の選択した価値の一つに過ぎないということを、何百万人もの同胞の殺戮という歴史的事実が示した。劣った人々、人種、 文化、民族、階級としての殺戮。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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共通の人間性もまた選択された価値 あらゆる人間主義が立脚してきた前提である共通の人間性も、動かし難い客観的な事実のようなものではなく、我々の選択した価値の一つに過ぎないということを、何百万人もの同胞の殺戮という歴史的事実が示した。劣った人々、人種、 文化、民族、階級としての殺戮。...
2022年2月9日水曜日
政治的意見を分つ、価値に関する見解の一方は、一切の悪に対する最終的な一つの解決策があり、大多数の人々が有徳で幸福で自由になれるという夢を語る。他方で、人間の気質、才能、ものの見方、願望は永遠に差異を生むので、寛容と均衡によって、人々の間に最大限の共感と理解を促進していくという道を語る。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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価値に関する二つの見解 政治的意見を分つ、価値に関する見解の一方は、一切の悪に対する最終的な一つの解決策があり、大多数の人々が有徳で幸福で自由になれるという夢を語る。他方で、人間の気質、才能、ものの見方、願望は永遠に差異を生むので、寛容と均衡によって、人々の間に最大限の共感と理解...
歴史の各瞬間は充実し、美しく、それぞれの仕方で完結している。すべての時代は新しく、新鮮で、それぞれの希望に満ち、それぞれの喜びと悲しみを内に包み込んでいる。現在は現在のものだ。それなのに人間はこれに満足せず、愚かにも未来をもまた自分のものにしようとする。人生もまた同じ。(アレクサンドル・ゲルツェン(1812-1870))
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現在は現在のものである 歴史の各瞬間は充実し、美しく、それぞれの仕方で完結している。すべての時代は新しく、新鮮で、それぞれの希望に満ち、それぞれの喜びと悲しみを内に包み込んでいる。現在は現在のものだ。それなのに人間はこれに満足せず、愚かにも未来をもまた自分のものにしようとする。人...
結末だけを見て行為そのものを見ないのは基本的な誤りだ。自然の中には、人間の魂の中と同じように無限の可能性や力が眠っており、自然はあらゆる点で、達成し得ることを全て達成する。歴史も、あらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く。いずれの扉が開かれるかは誰にもわからないのだ。(アレクサンドル・ゲルツェン(1812-1870))
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自然の中の無限の可能性と力 結末だけを見て行為そのものを見ないのは基本的な誤りだ。自然の中には、人間の魂の中と同じように無限の可能性や力が眠っており、自然はあらゆる点で、達成し得ることを全て達成する。歴史も、あらゆる偶然を利用し、一度に何千という扉を叩く。いずれの扉が開かれるかは...
2022年2月8日火曜日
ある人の自由の範囲を決定するのは現実に開かれている扉であり、その当人の好みではない。主人が鎖を愛するように奴隷に教え込めば、それによって奴隷の満足が大きくなり、少なくとも悲 惨さが少なくなるとしても、主人がそれ自体で奴隷の自由を大きくしたわけではない。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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鎖を愛する奴隷の自由 ある人の自由の範囲を決定するのは現実に開かれている扉であり、その当人の好みではない。主人が鎖を愛するように奴隷に教え込めば、それによって奴隷の満足が大きくなり、少なくとも悲 惨さが少なくなるとしても、主人がそれ自体で奴隷の自由を大きくしたわけではない。(アイ...
たとえ満足なものでも「合理的なもの」でも、選択肢が制限されれば不自由である。特に、困難で障害のある選択肢を閉ざす場合も同じだ。また、精神の独立、人格の一貫性、健康と内面の調和は自由の行使に必要だが、また別問題である。自由行使に必要な知識もまた同じ。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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保護主義的不自由、自由と知識 たとえ満足なものでも「合理的なもの」でも、選択肢が制限されれば不自由である。特に、困難で障害のある選択肢を閉ざす場合も同じだ。また、精神の独立、人格の一貫性、健康と内面の調和は自由の行使に必要だが、また別問題である。自由行使に必要な知識もまた同じ。(...
新しい知識は我々の合理性、真理を把握する力を強め、理解力を深め、我々の力と内的な調和、智慧と効力を大きくするが、必ずしも自由を大きくするわけではない。 選択の自由があるならば、増大した知識によってこの自由の限界が何であるか、何がその自由を拡大し縮小させるかを知ることができるであろう。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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知識と自由 新しい知識は我々の合理性、真理を把握する力を強め、理解力を深め、我々の力と内的な調和、智慧と効力を大きくするが、必ずしも自由を大きくするわけではない。 選択の自由があるならば、増大した知識によってこの自由の限界が何であるか、何がその自由を拡大し縮小させるかを知ることが...
真にそして恒久的に私の支配の外にある要因によって決定された境界線を越えてまで、私の自由の範囲を拡大できない。逃れ難いものとしての自然法則、言語、諸命題で認識できる諸法則、これらで認識できる外的世界、物質、他者、私自身に関する諸事実である。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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自由意志と逃れ難いもの 真にそして恒久的に私の支配の外にある要因によって決定された境界線を越えてまで、私の自由の範囲を拡大できない。逃れ難いものとしての自然法則、言語、諸命題で認識できる諸法則、これらで認識できる外的世界、物質、他者、私自身に関する諸事実である。(アイザイア・バー...
2022年2月7日月曜日
選択が真の自己決定であるかどうかの解明は困難であっても、選択肢を制限する障害は因果的に理解可能である。自由であるとは、選択には互いに競合するいくつかの可能性、開かれた道が存在することを前提としており、障害を理解したり障害から解放されるには、合理性や知識が関わってくる。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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自由への障害から自由意志を考える 選択が真の自己決定であるかどうかの解明は困難であっても、選択肢を制限する障害は因果的に理解可能である。自由であるとは、選択には互いに競合するいくつかの可能性、開かれた道が存在することを前提としており、障害を理解したり障害から解放されるには、合理性...
2022年2月6日日曜日
公衆の感情、集団や人の価値観に屈服したとすれば、その責任は私にあるのであって、外的な力の責任ではない。そのような影響力は抵抗しがたいと考え、自らの行動を選択できないものだと考えるのは、他者からの非難や自己非難を回避しようしているだけではないのか。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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自らの選択、評価、判断 公衆の感情、集団や人の価値観に屈服したとすれば、その責任は私にあるのであって、外的な力の責任ではない。そのような影響力は抵抗しがたいと考え、自らの行動を選択できないものだと考えるのは、他者からの非難や自己非難を回避しようしているだけではないのか。(アイザイ...
自分に病的盗癖があることを知った病的盗癖者は、放置か抵抗かの選択肢を獲得する。選択は成功するとは限らないが、知らなければ抵抗できず、知識はいくらか能力を高める。しかし、ある自己知識は、他の能力と自由を減少させるかも知れず、必ずしも自由の総額を増やすわけではない。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
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自己知識と自由意志 自分に病的盗癖があることを知った病的盗癖者は、放置か抵抗かの選択肢を獲得する。選択は成功するとは限らないが、知らなければ抵抗できず、知識はいくらか能力を高める。しかし、ある自己知識は、他の能力と自由を減少させるかも知れず、必ずしも自由の総額を増やすわけではない...
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