未来のための哲学講座 命題集 Propositions of great philosophers
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命題集(記事一覧)
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2021年12月12日日曜日
(1)知識の究極的根源は存在しない、(2)事実との一致、(3)観察結果との一致、内部無矛盾性、(4)知識の源泉としての伝統、(5)批判的検討、(6)知識の進歩、(7)誤謬や虚偽は知ることができる、(8) 観察も理性も権威ではない、(9)明瞭さと精密さは異なる、(10) 世界の謎(カール・ポパー(1902-1994))
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科学的方法 (1)知識の究極的根源は存在しない、(2)事実との一致、(3)観察結果との一致、内部無矛盾性、(4)知識の源泉としての伝統、(5)批判的検討、(6)知識の進歩、(7)誤謬や虚偽は知ることができる、(8) 観察も理性も権威ではない、(9)明瞭さと精密さは異なる、(10)...
社会の経済組織が社会的制度の歴史的発展にとって基礎的であるという主張は、真理の一面を捉えている。しかし同時に、ある種の思想、我々の知識を成立させているような思想は、非常に複雑な物理的生産手段よりも一層基礎的であるとさえ主張できよう。(カール・ポパー(1902-1994))
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実在するものとしての思想 社会の経済組織が社会的制度の歴史的発展にとって基礎的であるという主張は、真理の一面を捉えている。しかし同時に、ある種の思想、我々の知識を成立させているような思想は、非常に複雑な物理的生産手段よりも一層基礎的であるとさえ主張できよう。(カール・ポパー(19...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。「人間の本性にかなう、本性を害する」も、一つの選択であり規範概念である。前提となる価値を選択すれば、我々が何をなすべきかは合理的な議論の対象となる。それでもなお、私が何をなすべきかは、完全に私に任されている。(カール・ポパー(1902-1994))
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道徳判断、倫理的決定 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。「人間の本性にかなう、本性を害する」も、一つの選択であり規範概念である。前提となる価値を選択すれば、我々が何をなすべきかは合理的な議論の対象となる。それでもなお、私が何をなすべきかは、完全に私に任されている。(カ...
2021年12月11日土曜日
歴史は如何なる意味をも持たないとはいえ、我々は歴史に意味を与えることができる。我々は、権力政治史を、開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治に向けての我々の闘争という観点から解釈することができる。(カール・ポパー(1902-1994))
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開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、国際的犯罪の統治 歴史は如何なる意味をも持たないとはいえ、我々は歴史に意味を与えることができる。我々は、権力政治史を、開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治に向けての我々の闘争という観点から解釈することができ...
歴史は、歴史解釈のみが存在しうるのだが、各世代は彼ら自身の歴史解釈を形成する権利を持っているとともに、義務も負っている。自らの実践的な課題の理解と解決のために、歴史解釈がある。(カール・ポパー(1902-1994))
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歴史解釈とは何か 歴史は、歴史解釈のみが存在しうるのだが、各世代は彼ら自身の歴史解釈を形成する権利を持っているとともに、義務も負っている。自らの実践的な課題の理解と解決のために、歴史解釈がある。(カール・ポパー(1902-1994)) (a)歴史は、歴史解釈のみが存在しうるのだが...
合理主義的態度の放棄、理性や論証や他人の観点に対する敬意の放棄は、感情と情熱の重視を通じて人々を分断し、政治的平等主義を実践的に不可能としてしまう。友と敵、我々の部族とよそ者、信仰者と非信仰者、同国人と外国人、階級的同志と階級的敵、指導者と非指導者。(カール・ポパー(1902-1994))
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合理主義と平等主義との関係 合理主義的態度の放棄、理性や論証や他人の観点に対する敬意の放棄は、感情と情熱の重視を通じて人々を分断し、政治的平等主義を実践的に不可能としてしまう。友と敵、我々の部族とよそ者、信仰者と非信仰者、同国人と外国人、階級的同志と階級的敵、指導者と非指導者。(...
2021年12月10日金曜日
政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。戦争の原因としての経済的利害の衝突、諸階級の衝突、自由対専制といった諸イデオロギーの衝突、諸人種、諸民族、帝国主義、軍国主義体制の衝突、憎悪、恐れ、羨望、復讐願望。では、どうするのか?(カール・ポパー(1902-1994))
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科学的方法とは? 政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。戦争の原因としての経済的利害の衝突、諸階級の衝突、自由対専制といった諸イデオロギーの衝突、諸人種、諸民族、帝国主義、軍国主義体制の衝突、憎悪、恐れ、羨望、復讐願望。では、どうするのか...
政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。原因はわかないかもしれないし、制御できないかもしれない。犯罪の抑止であれば、法律と警察力の導入の研究が先だろう。(カール・ポパー(1902-1994))
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科学的方法とは? 政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。原因はわかないかもしれないし、制御できないかもしれない。犯罪の抑止であれば、法律と警察力の導入の研究が先だろう。(カール・ポパー(1902-1994)) 「以上のすべてが示すことは、...
民主主義は、あらゆる権利が依存する基礎であり、また、暴力なき改革を許容するから、すべての合理的な改革にかけがえのない戦場を提供する。しかし被支配者のうちにも支配者のうちにも反民主主義的傾向が潜在的に存在しており、民主主義の保護は常に闘いの最優先課題とすべきである。(カール・ポパー(1902-1994))
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民主主義を守る闘い 民主主義は、あらゆる権利が依存する基礎であり、また、暴力なき改革を許容するから、すべての合理的な改革にかけがえのない戦場を提供する。しかし被支配者のうちにも支配者のうちにも反民主主義的傾向が潜在的に存在しており、民主主義の保護は常に闘いの最優先課題とすべきであ...
経済力が一切の悪の根源にあるという考えは真実ではない。経済力は、政治的、物理的な力に全面的に依存している。国家の能動的な干渉、物理的制裁に裏づけられた法による財産の保護のみが、富を権力の潜在的源泉にするのである。(カール・ポパー(1902-1994))
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政治的、物理的制裁の力 経済力が一切の悪の根源にあるという考えは真実ではない。経済力は、政治的、物理的な力に全面的に依存している。国家の能動的な干渉、物理的制裁に裏づけられた法による財産の保護のみが、富を権力の潜在的源泉にするのである。(カール・ポパー(1902-1994)) (...
2021年12月9日木曜日
善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。中間的な結果が悪くても最終結果が良ければいいというのは、錯覚である。最終結果とは何か。そこで何かが終わるのか。中間結果も最終結果も、全てかけがえのない現実である。我々が比較対照しなければならないのは、ある行為の進路の予見しうる限りの全結果と、別の行為の進路の全結果である。(カール・ポパー(1902-1994))
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ある行為の全結果の比較 善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。中間的な結果が悪くても最終結果が良ければいいというのは、錯覚である。最終結果とは何か。そこで何かが終わるのか。中間結果も最終結果も、全てかけがえのない現実である。我々が比較対照しなければならないのは、ある行為の進路の...
善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。手段と目的のあいだの因果関係が成り立ち、それが合理的であると仮定すると、企図された手段の悪と、これらの手段が採用されない場合の生ず るに違いない悪のうちの軽い方を選ぶという問題になる。(カール・ポパー(1902-1994))
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大きな悪を避けるための手段として悪 善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。手段と目的のあいだの因果関係が成り立ち、それが合理的であると仮定すると、企図された手段の悪と、これらの手段が採用されない場合の生ず るに違いない悪のうちの軽い方を選ぶという問題になる。(カール・ポパー(1...
善い目的は悪い手段を正当化するかどうかという問題は、道徳的評価の問題というよりはむしろ事実に関する問題である。すなわち、一層確実な結果である悪い手段にもかかわらず、期待された目的に通じているのかどうか。自分の因果理論に対する懐疑的な態度は、最も重要な道徳的義務の一つである。 (カール・ポパー(1902-1994))
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善い目的は悪い手段を正当化するか 善い目的は悪い手段を正当化するかどうかという問題は、道徳的評価の問題というよりはむしろ事実に関する問題である。すなわち、一層確実な結果である悪い手段にもかかわらず、期待された目的に通じているのかどうか。自分の因果理論に対する懐疑的な態度は、最も重...
2021年12月8日水曜日
最初に掲げた思想や理想、目標は、いったいどこから手に入れたのか。もともと合理的であろうとして目標を決めたが、それは直感で手に入れたのではないか。また思想や理想、目標は不変なのか。仮に私たちがそう信じても、未来の後継者たちは、そう思わないかもしれない。(カール・ポパー(1902-1994))
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ユートピア主義への批判 最初に掲げた思想や理想、目標は、いったいどこから手に入れたのか。もともと合理的であろうとして目標を決めたが、それは直感で手に入れたのではないか。また思想や理想、目標は不変なのか。仮に私たちがそう信じても、未来の後継者たちは、そう思わないかもしれない。(カー...
合理的な行為は一定の目標を持つ。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、この目的に適うようにその手段を決定する。それゆえ我々が合理的に行為したいと思うなら、最初にやるべきことは目的の選択である。これは正しいのか。何が問題になるのか。(カール・ポパー(1902-1994))
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ユートピア的態度 合理的な行為は一定の目標を持つ。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、この目的に適うようにその手段を決定する。それゆえ我々が合理的に行為したいと思うなら、最初にやるべきことは目的の選択である。これは正しいのか。何が問題になるのか。(カール・ポパー(1902-1...
制度による選抜は、常に自発性と独創性、より一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質を排除しがちである。これが教育制度に適用されると、学生には個人的経歴と選抜に必要な知識習得のみが奨励されることになる。知的指導者の選抜という要求は、科学と知性の生命そのものを危地に陥し入れるのである。(カール・ポパー(1902-1994))
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制度による選抜の弊害 制度による選抜は、常に自発性と独創性、より一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質を排除しがちである。これが教育制度に適用されると、学生には個人的経歴と選抜に必要な知識習得のみが奨励されることになる。知的指導者の選抜という要求は、科学と知性の生命そのもの...
2021年12月7日火曜日
人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである(個人主義)。この思想は、平等主義以上に、人道主義信条の擁護の砦であった。正義とは個人に関わるあるもの(アリストテレス)、個人は常に目的であって単なる手段ではない(カント)、汝の隣人を愛せ(聖書)、部族をではない。(カール・ポパー(1902-1994))
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個人主義 人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである(個人主義)。この思想は、平等主義以上に、人道主義信条の擁護の砦であった。正義とは個人に関わるあるもの(アリストテレス)、個人は常に目的であって単なる手段ではない(カント)、汝の隣人を愛せ(聖書)、部族をではない。(カール...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。我々の倫理的決定の責任は全く我々にあり、神や自然や社会や歴史等に転嫁することはできない。それにもかかわらず、一元論へ向う一般的傾向と責任への恐れから、我々は権威を求めるが、その権威を受け入れるか否かは、我々の選択なのである。(カール・ポパー(1902-1994))
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倫理的決定 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。我々の倫理的決定の責任は全く我々にあり、神や自然や社会や歴史等に転嫁することはできない。それにもかかわらず、一元論へ向う一般的傾向と責任への恐れから、我々は権威を求めるが、その権威を受け入れるか否かは、我々の選択なのである...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、規範が人間の心理学的、精神的本性、人間社会の本性から導出できると主張する心理学的ないし精神的自然主義がある。しかし、およそ人間の心に浮んだ事柄で "自然的"でないものなどあるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994))
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心理学的ないし精神的自然主義への批判 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、規範が人間の心理学的、精神的本性、人間社会の本性から導出できると主張する心理学的ないし精神的自然主義がある。しかし、およそ人間の心に浮んだ事柄で "自然的&quo...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、倫理的、道徳的ないし法的な規範が現存するかどうかは社会学的な事実問題であると主張する倫理的実定主義がある。しかし、事実として存在しても、それをもって基礎づけられたと言えるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994))
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倫理的実定主義への批判 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、倫理的、道徳的ないし法的な規範が現存するかどうかは社会学的な事実問題であると主張する倫理的実定主義がある。しかし、事実として存在しても、それをもって基礎づけられたと言えるだろうか。(カー...
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