未来のための哲学講座 命題集 Propositions of great philosophers
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命題集(記事一覧)
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2021年12月10日金曜日
政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。戦争の原因としての経済的利害の衝突、諸階級の衝突、自由対専制といった諸イデオロギーの衝突、諸人種、諸民族、帝国主義、軍国主義体制の衝突、憎悪、恐れ、羨望、復讐願望。では、どうするのか?(カール・ポパー(1902-1994))
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科学的方法とは? 政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。戦争の原因としての経済的利害の衝突、諸階級の衝突、自由対専制といった諸イデオロギーの衝突、諸人種、諸民族、帝国主義、軍国主義体制の衝突、憎悪、恐れ、羨望、復讐願望。では、どうするのか...
政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。原因はわかないかもしれないし、制御できないかもしれない。犯罪の抑止であれば、法律と警察力の導入の研究が先だろう。(カール・ポパー(1902-1994))
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科学的方法とは? 政策への科学的な方法が、つねに事象の原因の研究から始まるというのは、錯覚である。原因はわかないかもしれないし、制御できないかもしれない。犯罪の抑止であれば、法律と警察力の導入の研究が先だろう。(カール・ポパー(1902-1994)) 「以上のすべてが示すことは、...
民主主義は、あらゆる権利が依存する基礎であり、また、暴力なき改革を許容するから、すべての合理的な改革にかけがえのない戦場を提供する。しかし被支配者のうちにも支配者のうちにも反民主主義的傾向が潜在的に存在しており、民主主義の保護は常に闘いの最優先課題とすべきである。(カール・ポパー(1902-1994))
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民主主義を守る闘い 民主主義は、あらゆる権利が依存する基礎であり、また、暴力なき改革を許容するから、すべての合理的な改革にかけがえのない戦場を提供する。しかし被支配者のうちにも支配者のうちにも反民主主義的傾向が潜在的に存在しており、民主主義の保護は常に闘いの最優先課題とすべきであ...
経済力が一切の悪の根源にあるという考えは真実ではない。経済力は、政治的、物理的な力に全面的に依存している。国家の能動的な干渉、物理的制裁に裏づけられた法による財産の保護のみが、富を権力の潜在的源泉にするのである。(カール・ポパー(1902-1994))
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政治的、物理的制裁の力 経済力が一切の悪の根源にあるという考えは真実ではない。経済力は、政治的、物理的な力に全面的に依存している。国家の能動的な干渉、物理的制裁に裏づけられた法による財産の保護のみが、富を権力の潜在的源泉にするのである。(カール・ポパー(1902-1994)) (...
2021年12月9日木曜日
善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。中間的な結果が悪くても最終結果が良ければいいというのは、錯覚である。最終結果とは何か。そこで何かが終わるのか。中間結果も最終結果も、全てかけがえのない現実である。我々が比較対照しなければならないのは、ある行為の進路の予見しうる限りの全結果と、別の行為の進路の全結果である。(カール・ポパー(1902-1994))
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ある行為の全結果の比較 善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。中間的な結果が悪くても最終結果が良ければいいというのは、錯覚である。最終結果とは何か。そこで何かが終わるのか。中間結果も最終結果も、全てかけがえのない現実である。我々が比較対照しなければならないのは、ある行為の進路の...
善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。手段と目的のあいだの因果関係が成り立ち、それが合理的であると仮定すると、企図された手段の悪と、これらの手段が採用されない場合の生ず るに違いない悪のうちの軽い方を選ぶという問題になる。(カール・ポパー(1902-1994))
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大きな悪を避けるための手段として悪 善い目的は悪い手段を正当化するかどうか。手段と目的のあいだの因果関係が成り立ち、それが合理的であると仮定すると、企図された手段の悪と、これらの手段が採用されない場合の生ず るに違いない悪のうちの軽い方を選ぶという問題になる。(カール・ポパー(1...
善い目的は悪い手段を正当化するかどうかという問題は、道徳的評価の問題というよりはむしろ事実に関する問題である。すなわち、一層確実な結果である悪い手段にもかかわらず、期待された目的に通じているのかどうか。自分の因果理論に対する懐疑的な態度は、最も重要な道徳的義務の一つである。 (カール・ポパー(1902-1994))
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善い目的は悪い手段を正当化するか 善い目的は悪い手段を正当化するかどうかという問題は、道徳的評価の問題というよりはむしろ事実に関する問題である。すなわち、一層確実な結果である悪い手段にもかかわらず、期待された目的に通じているのかどうか。自分の因果理論に対する懐疑的な態度は、最も重...
2021年12月8日水曜日
最初に掲げた思想や理想、目標は、いったいどこから手に入れたのか。もともと合理的であろうとして目標を決めたが、それは直感で手に入れたのではないか。また思想や理想、目標は不変なのか。仮に私たちがそう信じても、未来の後継者たちは、そう思わないかもしれない。(カール・ポパー(1902-1994))
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ユートピア主義への批判 最初に掲げた思想や理想、目標は、いったいどこから手に入れたのか。もともと合理的であろうとして目標を決めたが、それは直感で手に入れたのではないか。また思想や理想、目標は不変なのか。仮に私たちがそう信じても、未来の後継者たちは、そう思わないかもしれない。(カー...
合理的な行為は一定の目標を持つ。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、この目的に適うようにその手段を決定する。それゆえ我々が合理的に行為したいと思うなら、最初にやるべきことは目的の選択である。これは正しいのか。何が問題になるのか。(カール・ポパー(1902-1994))
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ユートピア的態度 合理的な行為は一定の目標を持つ。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、この目的に適うようにその手段を決定する。それゆえ我々が合理的に行為したいと思うなら、最初にやるべきことは目的の選択である。これは正しいのか。何が問題になるのか。(カール・ポパー(1902-1...
制度による選抜は、常に自発性と独創性、より一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質を排除しがちである。これが教育制度に適用されると、学生には個人的経歴と選抜に必要な知識習得のみが奨励されることになる。知的指導者の選抜という要求は、科学と知性の生命そのものを危地に陥し入れるのである。(カール・ポパー(1902-1994))
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制度による選抜の弊害 制度による選抜は、常に自発性と独創性、より一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質を排除しがちである。これが教育制度に適用されると、学生には個人的経歴と選抜に必要な知識習得のみが奨励されることになる。知的指導者の選抜という要求は、科学と知性の生命そのもの...
2021年12月7日火曜日
人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである(個人主義)。この思想は、平等主義以上に、人道主義信条の擁護の砦であった。正義とは個人に関わるあるもの(アリストテレス)、個人は常に目的であって単なる手段ではない(カント)、汝の隣人を愛せ(聖書)、部族をではない。(カール・ポパー(1902-1994))
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個人主義 人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである(個人主義)。この思想は、平等主義以上に、人道主義信条の擁護の砦であった。正義とは個人に関わるあるもの(アリストテレス)、個人は常に目的であって単なる手段ではない(カント)、汝の隣人を愛せ(聖書)、部族をではない。(カール...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。我々の倫理的決定の責任は全く我々にあり、神や自然や社会や歴史等に転嫁することはできない。それにもかかわらず、一元論へ向う一般的傾向と責任への恐れから、我々は権威を求めるが、その権威を受け入れるか否かは、我々の選択なのである。(カール・ポパー(1902-1994))
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倫理的決定 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。我々の倫理的決定の責任は全く我々にあり、神や自然や社会や歴史等に転嫁することはできない。それにもかかわらず、一元論へ向う一般的傾向と責任への恐れから、我々は権威を求めるが、その権威を受け入れるか否かは、我々の選択なのである...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、規範が人間の心理学的、精神的本性、人間社会の本性から導出できると主張する心理学的ないし精神的自然主義がある。しかし、およそ人間の心に浮んだ事柄で "自然的"でないものなどあるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994))
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心理学的ないし精神的自然主義への批判 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、規範が人間の心理学的、精神的本性、人間社会の本性から導出できると主張する心理学的ないし精神的自然主義がある。しかし、およそ人間の心に浮んだ事柄で "自然的&quo...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、倫理的、道徳的ないし法的な規範が現存するかどうかは社会学的な事実問題であると主張する倫理的実定主義がある。しかし、事実として存在しても、それをもって基礎づけられたと言えるだろうか。(カール・ポパー(1902-1994))
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倫理的実定主義への批判 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。これに対する反論として、倫理的、道徳的ないし法的な規範が現存するかどうかは社会学的な事実問題であると主張する倫理的実定主義がある。しかし、事実として存在しても、それをもって基礎づけられたと言えるだろうか。(カー...
規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。しかし、規範の恣意性に対する反論として、それらの規範を導出できる自然法則があるのではないかと主張する生物学的自然主義がある。確かに"自然な"行為はあるかもしれない。では、我々の文明や文化は自然なのか不自然なのか。(カール・ポパー(1902-1994))
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生物学的自然主義への批判 規範を事実の上に基礎づけることは不可能である。しかし、規範の恣意性に対する反論として、それらの規範を導出できる自然法則があるのではないかと主張する生物学的自然主義がある。確かに"自然な"行為はあるかもしれない。では、我々の文明や文化は...
2021年12月5日日曜日
社会科学はもともと、社会を改善する提案に対する批判を通じて発展してきたが、技術的社会科学は、これを継承する。それは、(a)有意義な理論の源泉であり、(b)科学的な基準に準拠しているがゆえに、(c) 形而上学的思弁への歯止めにもなっている。(カール・ポパー(1902-1994))
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技術的社会科学の効用 社会科学はもともと、社会を改善する提案に対する批判を通じて発展してきたが、技術的社会科学は、これを継承する。それは、(a)有意義な理論の源泉であり、(b)科学的な基準に準拠しているがゆえに、(c) 形而上学的思弁への歯止めにもなっている。(カール・ポパー(1...
技術的社会科学は、社会制度改革を目指す者全員の仕事の基盤として不可欠となるはずの事実を、すべて見つけ出すことを目標とする。それは、制度設計に制約を課すような各種法則であり、社会生活の一般法則の研究へとつながるだろう。 (カール・ポパー(1902-1994))
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技術的社会科学 技術的社会科学は、社会制度改革を目指す者全員の仕事の基盤として不可欠となるはずの事実を、すべて見つけ出すことを目標とする。それは、制度設計に制約を課すような各種法則であり、社会生活の一般法則の研究へとつながるだろう。 (カール・ポパー(1902-1994)) 「歴...
予測対象に干渉してしまう予測があるのは、事実である。しかし、科学的予測は、社会現象に対しても意味があるし重要である。まず、理論の検証・反証のための予測と、実践的価値を持つ予測がある。例えば、介入困難な対象の予測(予言と呼ぶ)や、ある目的を持って介入するための予測(技術的予測、設計)などである。(カール・ポパー(1902-1994))
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予言と技術的予測 予測対象に干渉してしまう予測があるのは、事実である。しかし、科学的予測は、社会現象に対しても意味があるし重要である。まず、理論の検証・反証のための予測と、実践的価値を持つ予測がある。例えば、介入困難な対象の予測(予言と呼ぶ)や、ある目的を持って介入するための予測...
生物や人間、社会の歴史性、新奇性とは、現在の状態の中に埋め込まれている過去の記憶が、情報として、系の変化と未来の状態に大きな作用を及ぼすという特性の別名である。現在の状態の中にその情報を読み取るのが困難な場合、過去を知ることが、その情報を読み解く代替策となる。(カール・ポパー(1902-1994))
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状態の歴史性、新奇性 生物や人間、社会の歴史性、新奇性とは、現在の状態の中に埋め込まれている過去の記憶が、情報として、系の変化と未来の状態に大きな作用を及ぼすという特性の別名である。現在の状態の中にその情報を読み取るのが困難な場合、過去を知ることが、その情報を読み解く代替策となる...
制度や団体などの社会的存在は、個々人の抽象的関係の中のある選択された側面を解釈するために構成された抽象的なモデルである。第0次近似モデルとして、完全に合理的な個人の集合モデルを構築し、これからの乖離で現実社会の評価をする等の手法もあり得る。(カール・ポパー(1902-1994))
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仮説モデルとしての社会的存在 制度や団体などの社会的存在は、個々人の抽象的関係の中のある選択された側面を解釈するために構成された抽象的なモデルである。第0次近似モデルとして、完全に合理的な個人の集合モデルを構築し、これからの乖離で現実社会の評価をする等の手法もあり得る。(カール・...
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