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2024年4月21日日曜日
24. 人びとがどのように感じ、そして何をするかに影響をおよぼすのは、その不一致が減少できるかどうかについての彼らの期待である。 (チャールズ・カーバー、マイケル・シャイアー)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
2024年4月19日金曜日
29 約束することのできる動物を育成するというあの課題(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
約束することのできる動物を育成するというあの課題(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
2024年4月17日水曜日
11. もし君が特定の個人を攻撃するばあい、その人物の祖国や家族や親類のことを悪くいってはならない。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
もし君が特定の個人を攻撃するばあい、その人物の祖国や家族や親類のことを悪くいってはならない。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
「もしやむにやまれず、あるいは腹にすえかねて、どうしても他人にむかってひどいことを言わなければならないようなときには、すくなくともその当人だけの気にさわることを口にするだけに止めておくように注意したまえ。
たとえば、もし君が特定の個人を攻撃するばあい、その人物の祖国や家族や親類のことを悪くいってはならない。
それというのも、たった一人の特定の人間を攻撃しようとして、多くの人々を怒らせるなど愚の骨頂だからである。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)、『リコルディ』C、八 他人を非難する方法、フィレンツェ名門貴族の処世術、p.52、[永井三明・1998])
フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫) |
2024年4月16日火曜日
16. ノーマル・アクシデント(高木仁三郎(1938-2000)
「彼は現代の巨大システムにおける事故を、ポカとかミスとか何かしら信じられないようなことによってもたらされる、偶然的なものとはみない。
その意味で、彼はノーマル・アクシデントという言葉を使う。ノーマル(通常、正常)なアクシデント(事故)とは、そもそも矛盾した表現である。アクシデントとは、そもそも異常(反ノーマル)な事態のはずだから。
「さて、ペロウが現代システムの重要な特徴として第一にあげるのが相互作用性( interactiveness )ということである。相互作用というのは、ひとつのシステムのいろいろな部分とかあるいはさまざまな機能が相互に関連していて作用しあうということである。」
「現代のシステムは、巧妙に高度な機能が組み込まれているだけに、複雑な相互作用を起こす。こういう性質を称して、ペロウは「高い相互作用性をもつ」と呼び、そういうシステムは、共倒れを起こしやすいとしている。私は、将棋倒しにこそなりやすいのではないかと思う。
右のような機能的な複雑さと直感的なわかりにくさというだけでなく、相互作用の強さにはさまざまな原因があるとして、ペロウはたとえば、近接性ということをあげている。
現代の巨大プラントでは、機能性と空間の有効利用を考え諸機能を空間的にきわめて近接してコンパクトに作るように配置する。ところがそんなシステムの一ヵ所で爆発があるとすぐに他の部分も損傷する。火災も同様で、ラアーグ再処理工場の火災のケースがまさにそうだった。
私がさらに付け加えれば、原発事故では放射能が、化学工場の事故では化学毒物が、事故の初期に漏れ始めると、これが制御室を襲ってくることがある(実際スリーマイル島事故でもチェルノブイリの事故でも制御室は危機になった)。これもひとつの「複雑な相互作用」で、そうなったら混乱は増幅される。
もうひとつ付け加えておくと、システムが全体として複雑になるにつれて、構成各要素間の予期せぬ相互作用の可能性は飛躍的に増えるだろう。
「もうひとつのペロウの重要な概念は、「緊密さ( tightness )」ということだ。現代の先端的システムはどれも非常に緊密( tight )につくられていて遊びがない。
もちろんある程度の余裕ということは安全上から現代のシステムでも必要とされるが、その幅はきわめて小さい。たとえば、原発で制御棒を誤って引き抜いてもよい本数はたかだか一本である。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第九巻 市民科学者として生きるⅢ』巨大事故の時代 第七章 事故はなぜ起きるか、pp.123-127)
2024年4月15日月曜日
18. サプライサイド経済理論(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
サプライサイド経済理論(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「1980年代には、その前の10年間に発展したサプライサイド経済理論の影響下で、保守的なイデオロギーと特別利益団体に駆り立てられたアメリカの政策立案者たちが経済を自由化しはじめた。
さらに、国は最富裕層と資本収益に対する税率を引き下げた。
そして1990年代には、キャピタルゲイン課税がさらに引き下げられた。今世紀初めには、最高税率、キャピタルゲイン課税、配当金課税のさらなる引き下げが行なわれた。
これらはすべて、労働と貯蓄をさらに促進するためとされた。減税すれば成長が拡大し、すべての国民が利益を得られるというのが前提だった。
レーガン大統領は、成長が著しく拡大し、税収も増えるだろうと論じたが、結果は思わしくなかった。期待されたサプライサイドの反応は現れず、税収は減り、成長は鈍って経済はさらに不安定になったのだ。
※サプライサイド経済理論 Supply-side economic theories
経済の供給側(サプライサイド)を増大させることに焦点をあてる理論――たとえば、事業や投資家のためにさらに有利な条件を設けたり、減税が大きな労働力の供給を引き出すことを期待して労働者に対する税率を引き下げたりする。
需要に焦点をあてるケインズ学派とは対照的な理論。
サプライサイド理論は、税率の引き下げと事業に対する規制緩和でインセンティブを高めれば、労働や投資や起業の増加につながり、さらには雇用や所得や税収の上昇というトリクルダウン効果をともなって力強い成長につながると想定した。
予測ははずれ、この理論は経済学者たちからの信用をほぼ失うことになったが、一定の保守的な政治家や理論家のあいだでは今も好まれている。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.43-44,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
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持続可能かつ公平な成長を取り戻す(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
持続可能かつ公平な成長を取り戻す(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「持続可能かつ公平な成長を取り戻す
①公共投資にもとづく成長政策。
トリクルダウン経済がうまく機能しない理由はすでに説明した。成長は自動的に万人に恩恵をもたらすわけではないが、貧困によって引き起こされる事象をふくめ、きわめて扱いが難しい問題の一部に対して、解決のために必要なリソースを提供してくれる。いま現在、アメリカとヨーロッパ諸国が直面している最重要問題は、需要の不足だ。しかし、やがて総需要が回復を遂げ、アメリカの資源をフル活用できるようになれば(すなわち、アメリカが本来の機能を取り戻せば)、今度は供給側が新たな制約要因となるだろう。もちろんこれは、右派の主張するサプライサイド経済学の時代が来ることを意味しない。投資を行なわない企業の法人税率を上げ、投資と雇用創出を行なう企業は下げる、という政策を導入すれば、財界の一部が求める一律の減税より、高い確率で経済成長を実現することができるはずだ。
右派の主張するサプライサイド経済学は、とりわけ法人税にかんして租税インセンティブを過大評価する一方、ほかの政策の重要性を過小評価してきた。政府の公共投資――インフラと教育と技術への投資――は、前世紀の成長を下支えしてきており、今世紀においても成長の基盤となる潜在性を秘めている。将来的に公共投資は経済を拡大させ、民間投資の魅力をさらに向上させることとなるだろう。経済歴史学者のアレックス・フィールズが指摘したように、1930年代と40年代と50年代と60年代は、前後の数十年間と比べても、生産性の伸び率が高いという特徴を持っており、その成功の大部分は公共投資に由来していたのである。
②雇用および環境を維持するための投資とイノベーションの方向転換。
わたしたちは投資とイノベーションの方向性を、労働節約(現状では雇用喪失の婉曲な言いまわし)から資源節約へ転換させなければならない。これは簡単な作業ではなく、駆け引きが必要となってくるだろう。たとえばイノベーションの領域では、政府の資金で基礎・応用研究を振興する政策と、環境被害の賠償責任を100パーセント企業に負わせる政策を、同時に進めればいい。おそらく企業には資源節約のインセンティブが働き、労働者のリストラ一辺倒の姿勢を変えられるはずだ。現在のような一律の低金利政策は、低熟練労働者を機械に置き換える働きを助長しているため、投資税額控除を通じて投資を奨励する手法に切り替えたほうがいいだろう。控除の適用は、投資が資源節約と雇用維持を実現する場合にのみ認め、それらが破壊される場合は認めてはならない。
わたしが本書を通じて強調してきたとおり、重要なのは成長そのものではなく、どのような成長がもたらされるかという点だ(成長の質と言い換えてもいい)。大多数の個人の暮らし向きを悪化させ、環境の質を低下させ、人々に不安感と疎外感を抱かせるような成長は、わたしたちが追い求めるべきものではない。市場の力をより良く形作ることと、集めてきた税金を成長促進と社会の福祉向上に使うことが、矛盾しないという事実は、わたしたちにとって朗報と言える。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第10章 ゆがみのない世界への指針,pp.405-407,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |
新たな社会契約(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
新たな社会契約(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「新たな社会契約
①労働者と市民の集団行動の支援。
ゲームのルールは各参加者の交渉力に影響を与える。アメリカがつくり出したルールは、資本家に対する労働者の交渉力を弱め、結果として彼らを苦しめてきた。雇用の不足とグローバル化の非対称性は、求職競争を引き起こし、労働者に敗北を、資本家に勝利をもたらしてきた。それが偶然の進化の産物であれ、意図的な戦略の産物であれ、いまは事態を認識し、流れを逆転させるべきときなのだ。
万人に尽くす社会や政府――正義と公正と機会均等の原則に一致する社会や政府――は、ひとりでに維持されるものではない。誰かが目を光らせていなければ、アメリカの政府と諸制度は、さまざまな利益集団によって掌握されてしまうだろう。最低でも拮抗する勢力の存在は不可欠だが、残念ながらアメリカの社会と政治は、バランスを欠いたまま発展を続けてきた。人間がつくったすべての制度は必ずあやまちを犯し、それぞれが独自の弱点をかかえている。きわめて多数の大企業が労働者を搾取したり、環境に損害を与えたり、反競争的行為に手を染めたりしていても、大企業を根絶やしにしろと主張する者はいない。代わりにわたしたちは、危険を認識し、規制を課し、企業の行動を変えさせようとする。なぜなら、100パーセントの成功はありえないとしても、改革が企業のふるまいを向上させうると知っているからだ。
それと好対照をなすのが、アメリカ人の労働組合に対する態度である。労組は罵詈雑言を浴びせられ、多くの州では、労組の力を弱める露骨な試みがなされている。労働者が変化を受け入れ、新たな経済環境に順応するには、基本的な社会保護の制度が必要となるが、そのような制度を守り抜き、利益集団の跳梁を抑え込みたいとき、労働組合がどれほど重要な役目を果たしうるかという点を認識している者は、皆無と言っていい。
②差別の遺産を払拭するための積極的差別是正措置。
最も腹立たしい、そして最も根絶しにくい不平等の源のひとつは差別であり、ここには現在も継続中の差別と、過去の差別の遺産がふくまれる。国によって差別の形は異なるが、人種差別と性差別はほぼすべての国に存在する。市場に力に任せておいたら、差別の根絶は望むべくもない。前に述べたとおり、市場の力と社会の力が合わさったとき、差別は持続の可能性を手に入れるのだ。そのような差別によって、わたしたちの根源的な価値観やアイデンティティや国民性はむしばまれている。必要不可欠なのは差別を禁止する強力な法律だが、現時点で差別の撲滅に成功したとしても、過去の差別の影響は残りつづけるだろう。幸い、わたしたちはアファーマティブ・アクション制度を通じた事態改善の方法を学びとってきた。定員割当制度ほどは厳格ではないものの、アファーマティブ・アクションを善意で実践していけば、基本的な原理原則と調和する方向に、アメリカ社会の進化をうながすことができる。機会均等の鍵は教育にあるため、教育分野におけるアファーマティブ・アクションは、より大きな重要性を秘めていると言っていいだろう。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第10章 ゆがみのない世界への指針,pp.403-405,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |
完全雇用の回復と維持(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
完全雇用の回復と維持(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「完全雇用の回復と維持
①完全雇用を平等に維持するための財政政策。」(中略)「
②完全雇用を維持するための通貨政策と通貨制度。」(中略)「
③貿易不均衡の是正」(中略)「
④積極的な労働市場政策と社会保護の改善。
アメリカの経済は大きな構造転換を遂げようとしている。グローバル化と技術進歩からもたらされた変化が、労働者たちに業種間・職種間の大移動を強いる一方、市場は独力で変化への対応をうまく取り仕切れていない。だから、変化のプロセスから生まれる勝者をできるだけ多くし、敗者をできるだけ少なくするためには、政府が積極的な役割を果たさなければならないだろう。消え去っていく仕事から、新しく生み出される仕事への移動をうながすには、積極的な支援が不可欠であり、少なくとも転職による労働環境の悪化を防ぎたいなら、教育と技術に莫大な投資を行なう必要がある。積極的な労働市場政策が効果をあげうるのは、当然ながら、移動先の雇用が存在する場合に限られる。もしも、わたしたちが金融制度の改革に失敗し、金融セクターを本来の基幹機能へ復帰させられなければ、未来の新ビジネスに対する資金提供という役割も、政府が積極的に担わざるをえなくなるかもしれない。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第10章 ゆがみのない世界への指針,pp.400-403,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |
富裕層以外の人々を支援する(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
富裕層以外の人々を支援する(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「富裕層以外の人々を支援する
①教育へのアクセス権の向上。
機会の形成を左右する最も大きな要因は、何と言っても教育へのアクセス権だ。わたしたちが進んできた方向(所得層別に分かれた住宅地、高等教育に対する公的支援の急減、公立大学の授業料の高騰、工学などの高需要・高コスト分野における奨学生の制限)は、逆転させることができるものの、それには国を挙げた協調と努力が必要となる。教育へのアクセス権を向上させるための方策、とりわけ公教育の質を向上するための方策について語りはじめたら、一冊の分厚い本ができあがってしまうだろう。
しかし、すぐに打てる手がひとつある。営利第一主義の学校に対する規制だ。政府融資、政府保証融資、民間融資のいずれを原資とする場合でも、学資ローンを背負わされた若者たちは、ローン債務の免除禁止という枷をはめられる一方、機会の拡大という恩恵にはあずかれなかった。じっさい、営利第一主義の学校は、向上心にあふれる貧しいアメリカ人の足をひっぱる主要因となってきたのだ。良い就職先には決まって卒業できる学生は少数にとどまり、圧倒的大多数は巨額の債務とともに大学から放り出される。そのような略奪的行為の継続をゆるすことは不条理であり、事実上、公的資金で略奪を支えることはなおさら不条理である。公的資金の使いみちとして適切なのは、州もしくは非営利の高等教育制度に対する援助の拡充や、貧困層の教育機会を保証するための奨学金の提供だ。
②一般の人々に貯蓄をうながす。」(中略)「
③万人のための医療」(中略)「
④医療以外の社会保護制度の強化。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第10章 ゆがみのない世界への指針,pp.395-398,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |
税制改革(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
税制改革(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
①所得税と法人税の累進性を高め、税制の抜け穴を減らす。
名目上、累進制度をとるアメリカの税制は、見かけよりもずっと累進性が低く、すでに述べたとおり、抜け穴と例外と免除と優遇であふれ返っている。本当の公平な税制というものは、投機の収益に課税をする際、少なくとも労働の報酬と同じ税率を適用するはずであり、上層の所得に課税をする際は、少なくも中下層と同じ税率を確保するはずだ。法人税にかんしては、抜け穴を取り除くとともに、雇用と投資の増加をうながす改革が必要となる。
4章で説明したとおり、右派の主張とは裏腹に、わたしたちは税制の効率性と累進性を同時に高めることができる。貯蓄と労働力供給への影響を勘案したいくつかの研究によると、適正な最高税率は50パーセントをはるかに超え、70パーセントをも上回るという。しかも、これらの研究には、上層の法外な所得がどれほどレントに依存しているか、という点が充分に反映されていないのだ。
②新たな財閥の誕生を阻止するため、現在より実効性の高い相続税制を創設し、実効性の高い運用体制を構築する。
骨抜きにされた相続税を復活させ、キャピタルゲインの優遇税制を撤廃させれば、新たな財閥や特権階級の誕生を防ぐことにもつながるだろう。それらの措置の副作用は、最小限にとどまる可能性が高い。なぜなら、相続税の対象となる巨額の遺産は、たんなる運や、独占力の行使や、非金銭的なインセンティブによって蓄積されているからだ。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第10章 ゆがみのない世界への指針,pp.394-395,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |
経済改革の7つの基本方針(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「経済改革の7つの基本方針
①金融部門の抑制。
不平等拡大のかなりの部分は、金融セクターの行き過ぎと関連しているため、改革プログラムに着手する際、金融界から始めるのは自然な流れと言える。ドッド・フランク法は第一歩だが、あくまでも第一歩にすぎない。ここで、6つの緊急課題を述べる。
(a)行き過ぎたリスクテイクと、“大きすぎて潰せない”もしくは“相互のつながりが強すぎて潰せない”金融機関を制限する。この二つの組み合わせは破滅的な結果を招きかねず、じっさい、過去30年間にわたって金融機関の救済が繰り返されてきた。鍵となる対策は、レバレッジと流動性の制限。なぜなら銀行界はどういうわけか、レバレッジという魔法で無から資源をつくり出せると信じているからだ。そんなことができるはずはない。現実に銀行が生み出すのは、リスクと激しい変動だ。
(b)銀行の透明性を高める。とりわけデリバティブの店頭取引はもっときびしく制限すべきであり、政府保証のもとにある金融機関がデリバティブを引き受けるべきではない。高リスクの金融商品を保険とみなそうと、ギャンブルとみなそうと、ウォーレン・バフェットのように“金融の大量破壊兵器”とみなそうと、損失補填に納税者を巻き込むべきではない。
(c)銀行業界とクレジットカード業界の競争力を高め、各企業が競争的な“行動”をとるように仕向ける。アメリカの技術力をもってすれば、21世紀にふさわしい効果的な電子決済システムは実現が可能だ。しかし、既存の決済システムは、クレジットカードとデビットカードの維持に固執し、消費者を搾取するだけでなく、取引ひとつごとに小売商から多額の手数料を徴収している。
(d)高利貸し(行き過ぎた高金利での貸付)に対するきびしい制限をふくめ、銀行が略奪的貸付と濫用的クレジットカード業務に従事することを難しくする。
(e)過度のリスクテイクと近視眼的な行動をうながす役員ボーナスを抑制する。
(f)オフショア・バンキングの拠点(と、それに相当する国内拠点)を閉鎖する。これらの拠点は、規制回避と脱税・節税の両面で大いに役立ってきた。ケイマン諸島でこれほど金融業が栄えることは、合理的に説明できない。ケイマン諸島そのものにも、ケイマン諸島の気候にも、金融をひきつける要素はなく、ひとつだけ考えられる理由は租税回避だ。
以上の課題の多くは相互に関連している。たとえば、銀行業界の競争力を高めれば、濫用的業務が行なわれる可能性も、レントシーキングが成功する確率も低くなる。銀行は規制逃れを大の得意にしているため、金融セクターを抑え込むことは難しいだろう。銀行の規模に上限を設定――それだけでも厄介な作業だ――したとしても、銀行同士は(デリバティブのような)契約を結び、“相互のつながりが強すぎて潰せない”状態を確実につくり出すはずだ。
②競争法とその取り締まりの強化。
法体系と規制体系はあらゆる側面において、効率性と平等性に影響を与えているが、競争と企業統治と破産にかんする法律はとりわけ影響が大きい。
独占と不完全な競争市場は、レントの主要供給源だ。本来より競争性が低いセクターは、金融界だけではない。アメリカ経済を見渡してみると、驚くべきことに、2社、3社、4社に牛耳られている部門が非常に多い。それでよいと考えられていたときもあった。技術進歩にもとづく活発な競争が、支配的企業の交代を実現させるはずだ、と。これは市場内の競争ではなく、市場参加をめぐる競争と言ったほうがいいが、わたしたちは今日、その考え方が不充分であることを知っている。支配的企業は競争抑圧のためのツールを持っており、多くの場合、イノベーションの抑圧さえ可能だ。彼らが設定する高い価格は、経済をゆがめるだけでなく、税金のようなふるまいをする。しかし、集められたこの“税金”は、公共の目的に振り向けられず、独占者たちの金庫の中に貯め込まれる。
③企業統治の改善――特に制限すべきなのは、CEOが莫大な社内資源を私的に流用する能力。
企業幹部に与えられる権力と敬意は、所有しているとされる叡智と比較してあまりにも大きすぎる。本書が説明してきたとおり、彼らは権力を濫用し、莫大な社内資源を私的に流用している。役員報酬に対する株主の発言権を法律で保証すれば、大きな変化が生じるだろう。新たな会計基準を設定し、企業幹部の報酬を株主に明示させた場合も、同じような変化が期待できるだろう。
④破産法の包括的改革――デリバティブの扱いから、担保割れの住宅、学資ローンまで。
ゲームの基本ルールが市場の機能を決定づけ、最終的に効率性と所得分配が大きく左右される、という実例は破産法にも見られる。ほかの多くの分野と同様に、破産法が上層を利する度合はどんどん高まってきている。
すべてのローンは、自発的な貸し手と自発的な借り手との契約だが、一方の市場に対する理解は、もう一方よりはるかに深いと考えられている。要するに、情報と交渉力の面でとてつもない非対称性が存在するわけだ。それゆえに、あやまちの結果をもっぱら引き受けるべきは、貸し手であって借り手ではない。
債務者が有利になるよう破産法を改正すれば、銀行にはもっと注意深く貸付を行なうインセンティブが与えられるだろう。信用バブルの発生頻度も、多額の負債をかかえる人々も少なくなるはずだ。前にも述べたとおり、最もたちの悪い融資のひとつは、学資ローン制度である。学資ローンの場合、悪質な貸付を助長してきたのは、個人破産をしても債務が免除されないという法律だった。
つまり、バランスを欠く破産法によって、金融セクターの膨張や、経済の不安定化や、貧しい人々と金融知識に乏しい人々の搾取や、経済上の不平等が促進されてきたわけだ。
⑤政府の無償供与の打ち切り――公共資産の譲渡においても物資の調達においても。
先述した4つの改革の焦点は、金融関係者をふくむ上層の人々が私的取引において、消費者や借り手や株主などを搾取できないようにすることだ。しかし、レントシーキングの多くは、納税者の搾取という形で行なわれる。搾取はさまざまな装いを身にまとっており、たんに無償供与と説明するのがふさわしいものもあれば、企業助成の項目にあてはまるものもある。
2章で説明したとおり、企業に対する政府の無償供与は莫大な額にのぼる。例として挙げられるのは、薬価交渉を禁止するメディケア改正法の一条項、コストプラス方式で行なわれた〈ハリバートン〉社との防衛契約、お粗末な油田の競売制度、テレビとラジオの周波数帯の無償供与、そして、市場価格を下回る鉱物資源の採掘権料だ。これらは、企業と富裕層に対する残りの階層からの純粋な所得移転とみなせるが、予算に制約がある世界では、悪影響はさらに広がっていく。なぜなら、ハイリターンを望める公共投資が結果的に減少してしまうからだ。
⑥企業助成の打ち切り――隠れた補助金をふくむ。
これまで説明してきたとおり、政府はほとんどの場合、援助が必要な人々に手を差しのべず、貴重な資金を企業助成に振りむけている。補助金の多くは税法の中に埋もれている。すべての抜け穴と例外と免除と優遇は、累進性を低下させてインセンティブをゆがめるが、この傾向は企業助成の領域でとりわけ強くなる。独力でやっていけない企業は退場させるべきだ。労働者に対しては転職の支援が必要となるだろうが、それは企業助成とはまったく別の問題である。
企業助成の多くは、透明とはほど遠い手法で行なわれる。おそらくは、実際の額があきらかになった場合、市民にゆるしてもらえないだろうからだろう。税法だけでなく、政府の低利融資と融資保証にも企業助成は埋め込まれている。産業界がもたらしうる損害――原子力発電所による損害や石油会社による環境汚染――について、その賠償責任を限定することは、企業助成の最も危険な形のひとつと言える。
行動の全コストを負担させないのは、暗黙の補助金も同然だ。だから、たとえば環境破壊のコストを他者に転嫁する産業は、事実上、補助金を受け取ってることになる。本項で論じてきた改革案の多くと同じく、企業助成の打ち切りにも3つの利点がある。経済の効率性の向上と、上層の行き過ぎの抑制と、ほかの経済分野の繁栄だ。
⑦法制度の改革――司法への門戸を開放し、軍拡競争を緩和する。
法制度は、富裕層以外の人々を犠牲にして、とほうもない規模のレントを生み出している。現行の制度のもとでは、万人のための正義は行なわれていない。現行の制度のもとでは、軍拡競争が繰り広げられており、最も大きな財布を持つ人々が、最も有利な立場で戦って勝利を収める。アメリカの法制度の改革についてくわしく述べることは、本書の守備範囲を超えると思われるし、ひょっとすると、もっと分厚い本にも収まりきれないかもしれない。ここでは、求められる改革が右派の主張する訴訟改革よりもはるかに広範であり、質的にもまったく異なっているということを指摘するだけで充分だろう。保守的な改革指針を採用すれば、法廷弁護士たちが正しくも指摘するように、一般の人々は保護を受けられなくなる。しかし、説明責任制度や保護制度を発展させてきた国々もある。そのような国では、医療過誤にかかわった医師は説明責任を負わなければならず、障害に苦しむ人々は、医療過誤の結果であれ、単なる不運の結果であれ、適正な補償を受けることができる。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第10章 ゆがみのない世界への指針,pp.387-393,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |
18. われわれが、これまでにはわれわれになかったものを受け取り、しかもそれを、それがわれわれに他からあたえられたものだという認識において受け取るということ、これが現実なのである。マルティン・ブーバー(1878-1965)
われわれが、これまでにはわれわれになかったものを受け取り、しかもそれを、それがわれわれに他からあたえられたものだという認識において受け取るということ、これが現実なのである。マルティン・ブーバー(1878-1965)
2024年4月14日日曜日
23. 病院の職員は、その人たちの合理的かつ正常な行動を無視して、精神病院に入っている人は精神病に違いないと考えているようだった。ウォルター・ミシェル(1930-2018)
病院の職員は、その人たちの合理的かつ正常な行動を無視して、精神病院に入っている人は精神病に違いないと考えているようだった。ウォルター・ミシェル(1930-2018)
「状況と社会的役割の影響力の劇的な描写は、発表時に多数の人にショックを与えた自然実験においてみることができる(Rosenhan,1973)。
その実験では、スタンフォード大学の医者・心理学者・大学院生といった正常な個人が、さまざまな精神病の症状を演じて、地域の精神病院に入院した。その人たちは、収容された後は、ふだんと同じく合理的にふるまった。
ところが、外ではどんな人物なのか知らない精神病院の専門職員によって、入院後、ずっと精神障害がある人として扱われ続け、精神病とラベルづけされていた。
病院の職員は、その人たちの合理的かつ正常な行動を無視して、精神病院に入っている人は精神病に違いないと考えているようだった。職員の目にとって、そこにいることだけで、正常な人が精神病患者のようにみえるのに十分だったのである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第10章 行動主義の考え方、p.325、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
【中古】パーソナリティ心理学—全体としての人間の理解 / ミシェル ウォルター ショウダユウイチ アイダック オズレム 黒沢香 原島雅之 / 培風館 |
23. ヒギンズによれば、行為者は自らの自己概念と彼(彼女)の関連する自己指針の一致を維持しようと動機づけられる。一致が達成できないと、否定的感情が生じる。(E・トリー・ヒギンズ)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
ヒギンズによれば、行為者は自らの自己概念と彼(彼女)の関連する自己指針の一致を維持しようと動機づけられる。一致が達成できないと、否定的感情が生じる。(E・トリー・ヒギンズ)ジョナサン・H・ターナー(1942-)
2024年4月10日水曜日
10. 言って利益になるか、どうしてもやむにやまれぬものでもないかぎり、人の悪口はぜっていにいってはならない。フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
言って利益になるか、どうしてもやむにやまれぬものでもないかぎり、人の悪口はぜっていにいってはならない。フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
「君に害を与えるだけで、何の得にもならないことは、どんなこともしないように注意するがよい。
だから当人がいないところであろうと、目の前にいようと、言って利益になるか、どうしてもやむにやまれぬものでもないかぎり、人の悪口はぜっていにいってはならない。
それはいわれもなく敵をつくるばかげたふるまいだからである。
このことは記憶しておくがよい。なぜなら、ほとんど誰しもがこのような軽はずみで失敗するものだから。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)、『リコルディ』B、八八 他人への非難、フィレンツェ名門貴族の処世術、pp.220-221、[永井三明・1998])
フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫) |
2024年4月9日火曜日
15. 機械同士や、機械と人間の間に相互作用が生じるという事情が、事態をより深刻化する(高木仁三郎(1938-2000)
機械同士や、機械と人間の間に相互作用が生じるという事情が、事態をより深刻化する(高木仁三郎(1938-2000)
「人為的要素もまた、最も相互作用を起こしやすいことの一つである。ランチョセコの事故で、制御室への電源が断たれて混乱状態となり、手作業で弁を開けようと奮闘した年配の運転員が倒れてしまったのなどは、典型的なことだ。
こういう連鎖が起こりうるとすると、大事故の起こる確率は、個々の事象が独立に起こる確率を掛け合わせた総合の事故確率、
P = P1 × P2 × P3 × ………
よりはるかに大きくなる。ラスムッセン報告流の事故確率論が、現実的でない理由がここにある。」
「この相互作用性ということを考えると、原発の安全審査の重要な指針となっている「単一故障指針」の妥当性は大いに疑問となる。
「日本の原発は、絶対に事故を起こさない」などと言うのは、みなこの単一故障指針に基づいての話で、「いかなる単一の厳しい故障にも耐えられるように設計されている」という意味にすぎない。
ところが明らかに、システムの構成要素の間に相互作用が存在するとなると、単一故障指針は怪しくなる(火災などで多くの機器が一気に止まってしまう共通要因故障も、「相互作用」の中に含めておく)。
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第一巻 脱原発へ歩みだすⅠ』チェルノブイリ――最後の警告 第Ⅱ章 原発事故を考える、pp.213-215)
2024年4月8日月曜日
17. ミルトン・フリードマンの研究(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
ミルトン・フリードマンの研究(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)
「本書の主要なテーマはふたつある。ひとつは、これまで思想の戦い――ほとんどの国民にとってどのような社会、どのような政策が最善なのかをめぐる――が続いてきたということで、
ふたつめは、その戦いにおいて、上位1パーセントにとって好ましいもの、すなわち最上層の関心や願望の対象――最上層の税率の引き下げ、赤字の削減、政府規模の縮小――は誰にとっても好ましいものであると、すべての人に信じ込ませようとする試みがなされてきたということだ。
現在流行の通貨経済学・マクロ経済学の起源が、強い影響力を持つシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマンの研究にあることは偶然ではない。
フリードマンはいわゆる自由市場経済学の強力な支持者で、外部性の重要度を控えめに見て、情報の不完全性などの“エージェンシー”問題
(訳注:プリンシパル(委託者)の委託を受けたエージェント(代理人)が、委託者の利益のために行動しないことによる取引の失敗のこと。エージェントとプリンシパルのあいだに利害対立と情報の非対称性があることによって起こる)を無視する。
消費の決定要因にかんするフリードマンの先駆的な研究はノーベル賞を受賞するにふさわしいものだったが、自由市場にかんする所見は、経済分析ではなくイデオロギー的確信にもとづいていた。
不完全な情報や不完全なリスク市場がもたらす帰結について、フリードマンと長時間議論したのを覚えている。
わたし自身の研究と、ほかの数多くの同僚の研究では、これらの条件下で市場は通常うまく機能しないという結果が示されていた。フリードマンはそういう結果をまったく把握できなかったか、把握しようとしなかった。反論もできなかった。
たんに、そういう研究がまちがいでなければならないことはわかっていると、返答するだけだった。
フリードマンをはじめとする自由市場経済学者の返答は、あとふたつあった。理論的帰結が正しくても、それらは“珍しい事象”、つまりルールを証明する例外にすぎないというものと、問題が広範囲にわたるものであったとしても、その問題を修復するのに政府をあてにすることはできないというものだ。
フリードマンの通貨理論・通貨政策には、政府の規模を小さくし、その決定権を制限することに注力する姿勢が反映されている。
フリードマンが広めた学説は、通貨管理経済政策(マネタリズム)と呼ばれるもので、政府は一定の割合(生産の増加率、これは労働力の増加率と生産性の増加率を足したものにひとしい)で通貨供給量を増やすだけでよいとする。
現実の経済を安定させる――つまり、完全雇用を確保するという目的で通貨政策を使うことはできないという点は、あまり重要視されなかった。フリードマンは、経済がひとりでに完全雇用状態かそれに近い状態にとどまるだろうと思い込んでいた。政府が台無しにしないかぎり、どれほど逸脱してもすぐに修正されるだろう、と。」(中略)
「フリードマンは銀行経営規制についても持論があった。ほかの大半の規制と同じように、経済効率の妨げになっていると考えていたのだ。」(中略)
「金融市場は独力でうまく機能するから政府は干渉すべきではないという見解は、過去四半世紀のあいだに最も有力なテーマとなり、すでに見てきたように、グリーンスパンFRB議長と歴代財務長官によって強力に推し進められた。
そして、これもすでに触れたように、その見解は金融部門など最上層の人々の利益には大いにかなうものだったが、経済全体をゆがめてしまった。
さらに、金融システムの崩壊はFRBを驚かせたようだが、それはしかるべき結果だった。バブルは西欧資本主義が始まって以来、ずっとついてまわったきた。1637年のチューリップ球根熱から、2003年~2007年の住宅バブルまで。
経済的安定の維持において通貨当局が果たすべき責任のひとつは、そういうバブルの形成をはばむことなのだ。
マネタリズムの基礎には、貨幣の流通速度――1ドル紙幣が1年間に受けわたしされる回数――は一定であるという仮定があった。一部の国や一部の場所に限ればそのとおりだったが、20世紀末の急速に変化する世界経済においては、それは事実ではなかった。
この理論は、中央銀行の理事たちのあいだで大流行してからほんの数年で、根本から疑われることになった。理事たちはただちにマネタリズムを捨て去ると、市場への干渉は最小限にするべきだという教義と矛盾しない新しい信条を探した。
そして、インフレ・ターゲット論を見つけた。このスキームでは、中央銀行は目標インフレ率を選定して(2パーセントが好まれる)、実際のインフレがその数字を上回ると必ず金利を上げなくてはならない。金利が上がると成長が鈍り、それによってインフレが鎮まることになる。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『不平等の代価』(日本語書籍名『世界の99%を貧困にする経済』),第9章 上位1%による上位1%のためのマクロ経済政策と中央銀行,pp.370-374,徳間書店(2012),楡井浩一,峯村利哉(訳))
【中古】 世界の99%を貧困にする経済/ジョセフ・E.スティグリッツ【著】,楡井浩一,峯村利哉【訳】 |