2022年1月14日金曜日

生の不可侵性に対する最大の侮辱は、その 複雑性に直面した場合の無関心や怠慢である。人生には尊厳を喪失しないために、自己主張を求められる場合がある。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

生の不可侵性に対する最大の侮辱

生の不可侵性に対する最大の侮辱は、その 複雑性に直面した場合の無関心や怠慢である。人生には尊厳を喪失しないために、自己主張を求められる場合がある。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))



(a)人生には尊厳を喪失しないために、自己主張を求められる場合がある
 良い人生は、特別に思慮深い人生を必要とするものではなく、最善の人生の大半は、熟慮されたものではなくただ生きているだけのものである。しかし自己主 張を強く求められる場合に、服従と便宜のために運命に消極的に従ったり、機械的に決定したりすることは背信である。何故ならばそれは尊厳を安易に喪失するものだからである。
(b)生の不可侵性に対する最大の侮辱は、その 複雑性に直面した場合の無関心や怠慢である。


「我々が自由を実現することは、それを持つことと同様に重要なことなのである。良心の自 由は思想に関する個人的責任を前提としており、その責任が無視されるとき、その重要性の大 半は失われてしまうのである。良い人生は特別に思慮深い人生を必要とするものではなく、最 善の人生の大半は、熟慮されたものではなくただ生きているだけのものである。しかし自己主 張を強く求められる場合に、服従と便宜のために運命に消極的に従ったり、機械的に決定した りすることは背信である。何故ならばそれは尊厳を安易に喪失するものだからである。我々は 本書を通して、中絶と尊厳死に関して極めて多くの真剣な個人的信念に出会って来た。あるも のはリベラルな確信であり、あるものは保守的な確信であった。それらは尊敬すべき信念であ り、このような信念を持つ人々は自らの信念に従って生き、かつ死ぬに違いない。しかしこれ らの事柄の決定的な重要性を全く無視したり、浅薄な便宜から中絶を選択したりカウンセリン グを受けたり、あるいは無意識状態や痴呆状態になっている友人の運命を、たまたま彼に起こ る出来事はもはや重要なことではないという理由から、白衣の見知らぬ人々(=医療従事者 達)に委ねたりすることは許されることではない。生の不可侵性に対する最大の侮辱は、その 複雑性に直面した場合の無関心や怠慢なのである。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『ライフズ・ドミニオン』,第8章 生命と理性の限 界――アルツハイマー症,最終章――生の支配と死の支配,信山社(1998),pp.392-393,水谷英 夫,小島妙子(訳))

ライフズ・ドミニオン 中絶と尊厳死そして個人の自由 [ ロナルド・ドゥウォーキン ]


ロナルド・ドゥオーキン
(1931-2013)


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