2022年2月11日金曜日

あらゆる人間主義が立脚してきた前提である共通の人間性も、動かし難い客観的な事実のようなものではなく、我々の選択した価値の一つに過ぎないということを、何百万人もの同胞の殺戮という歴史的事実が示した。劣った人々、人種、 文化、民族、階級としての殺戮。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

共通の人間性もまた選択された価値

あらゆる人間主義が立脚してきた前提である共通の人間性も、動かし難い客観的な事実のようなものではなく、我々の選択した価値の一つに過ぎないということを、何百万人もの同胞の殺戮という歴史的事実が示した。劣った人々、人種、 文化、民族、階級としての殺戮。(アイザイア・バーリン(1909-1997))



人間の永遠の特徴から発生する問題は、各世代で基本的ないし恒久の問題と呼ば れた。
「私はいかに生きるべきか」
「私は何をなすべきか」
「私は何故、そしてどの程度 まで他人に服従すべきか」
「自由、義務、権威とはそれぞれ何か」
「私は幸福、知恵、善良さをそれぞれ求めるべきなのか、それはまた何故か」
「私は私自身の能力を発揮すべきな のか、それとも自分を他者の犠牲にすべきなのか」
「私は自ら統治する権利を持つのか、そ れともうまく統治されることを要求する権利しか持っていないのか」
「権利とは何か、法とは何か、個人、社会、あるいは全宇宙が実現を求めざるを得ない目的といったものがあるのか、そんなものはなくて、食べている食物、育ってきた環境で規定された人間の意志しかない のか」
「集団や社会や民族の意志といったものはあるのか、そこでは個人の世界は一つの断 片にすぎず、その枠組みの中で個人の意志ははじめて何らかの効果や意義を持つのか」



「人類を二つの集団――一方では本来の人間、他方では何か別のより低い人々、劣等の人種、 劣等の文化、人間以下の存在、歴史によって死刑を宣告された民族や階級――に分けることは、 人類史では新しいことである。それは共通の人間性、それ以前の宗教的なものか世俗的なもの かは問わず一切の人間主義が立脚してきた前提を否定することである。この新しい態度から、 人々は自分の同胞の何百万もの人々を完全な人間ではないと見るようになり、彼らを救おうと したり、彼らに警告を与えようとしたりする必要はないと考え、良心の痛みを感じることなく 殺戮できるようになった。そのような行為は通常、野蛮人、未開人――文明の揺籃期によくある 前合理的な精神的態度の人々の行為とされてきた。そのような説明はもはや役に立たない。高 度の知識と技能、さらには一般的教養を身に付けながら、しかも民族、階級、あるいは歴史そ のものの名において他者を容赦なく破滅させることは、明らかに可能なのである。もしこれが 幼児期であるとすれば、いわば高齢化してからの二度目の幼児期、しかもそのもっとも嫌悪す べき形態のものと言わねばならない。人間はいかにしてこのような破目に陥ったのか。   II  現代のこの恐るべき特徴の少なくとも一つの根は、考察に値するであろう。各世代の人々が 問うてきた問題の中には、人間はいかに生きるべきかという根本的な問題があった。この種の 問題は、道徳、政治、社会の問題と呼ばれるが、それは各時代の人々を悩ませ、変わりゆく環 境と思想によって異なった形態を帯び異なった回答を受けてきたが、それでもいくつかはいわ ば一家族の成員たちのように似かよったところがあった。いくつかの問題は他の問題よりも根 強く残った。人間の永遠の特徴から発生する問題は、各世代で基本的ないし恒久の問題と呼ば れた。「私はいかに生きるべきか」、「私は何をなすべきか」、「私は何故、そしてどの程度 まで他人に服従すべきか」、「自由、義務、権威とはそれぞれ何か」、「私は幸福、知恵、善 良さをそれぞれ求めるべきなのか、それはまた何故か」、「私は私自身の能力を発揮すべきな のか、それとも自分を他者の犠牲にすべきなのか」、「私は自ら統治する権利を持つのか、そ れともうまく統治されることを要求する権利しか持っていないのか」、「権利とは何か、法と は何か、個人、社会、あるいは全宇宙が実現を求めざるを得ない目的といったものがあるのか、そんなものはなくて、食べている食物、育ってきた環境で規定された人間の意志しかない のか」、「集団や社会や民族の意志といったものはあるのか、そこでは個人の世界は一つの断 片にすぎず、その枠組みの中で個人の意志ははじめて何らかの効果や意義を持つのか」。国家 (あるいは教会)に対するに個々人と少数者集団、権力や効率や秩序を求める国家の意志に対 するに幸福や身体の自由や道徳原理を求める個人の要求、これらすべては一つには価値の問題 であり、また一つには事実の問題――「すべし」と「である」の問題であった。そして人間は歴 史の記録に残っているかぎり、それらの問題に取りつかれてきたのである。  私は次のように言ってよいと考えている。これら基本問題にたいしてどのような答えが出さ れたにせよ、ともかく18世紀中葉以前にはそれは原理的に答えを出せるものと思われていた。 (たとえあなた自身答えが何かを知らなかったとしても、どのような答えが正しい答えなのか ということまで判らないような問題ならば、それは問題があなたには理解できないということ であり、つまりはそれはもともと問題ではないことを意味した。)価値の問題も事実の問題と 同じような意味で回答できるものと考えられていた。」
 (アイザイア・バーリン(1909-1997),『ヨーロッパの統一とその変転』,I,II,収録書籍名 『理想の追求 バーリン選集4』,pp.208-209,岩波書店(1983),福田歓一,河合秀和(編),松本礼二(訳))

バーリン選集4 理想の追求 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンド


アイザイア・バーリン
(1909-1997)




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