言葉の使用
【言葉の使用は,意味の揺らぎを観察しながら,それを固定することである.その言葉を合成している非常に多くの互いに類似しているゲームの中から,自分の目的のために,ある一定の規則を構成し,その言葉に適用する.(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))】「三六 ひとつの語が実際にどう使われているかを観察すると、ゆらぎが見られる。
われわれはこのゆらいでいるものに対し、それを観察しながら、より固定したものを設定する。ちょうど、像としてそれ自身は絶えず変化している風景について、静止した写像を描くように。
われわれは言語を、明確な規則にしたがったゲームという《観点から》考察する。われわれは言語をそのようなゲームとくらべ、それと照合する。
自分なりの目的のために、ある語の使用を一定の規則のもとにおこうとすることは、ゆらぎのあるその語の使い方に対し、それの一つの特徴的な様相を規則にまとめて、一つの別の使い方を並べて立てることなのである。
そこで例えば、(倫理的な意味における)「よい」という語の使い方は、非常に多くの、たがいに同類関係のあるゲームから合成されている、と言ってよかろう。
それらはそれぞれこの語の使用の、いわば切り子面のようなものである。そしてここで《一つの》概念をなりたたせているものは、まさにそれら切り子面のあいだの連関、それらの同類関係にほかならない。
しかしその際、物理学において副次的な影響を無視することによって自然現象の記述が単純化されるような、そうしたことが行なわれているわけではない。論理学は理想化された現実を描出するとか、厳密にはただ理想的言語にとってのみ妥当する、などと言ってはいけない。
なぜといって、この理想なるものの概念をわれわれはどこから手に入れるというのか。せいぜいのところ、いわゆる日常言語との対比において「理想的言語を《構成する》」とは言ってよかろう。
しかし、理想的言語についてのみ妥当するような何かを、われわれは《言う》のではない。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『哲学的文法1』三六、全集3、pp.96-97、山本信)
(索引:言葉の使用)
(出典:wikipedia)
「文句なしに、幸福な生は善であり、不幸な生は悪なのだ、という点に再三私は立ち返ってくる。そして《今》私が、《何故》私はほかでもなく幸福に生きるべきなのか、と自問するならば、この問は自ら同語反復的な問題提起だ、と思われるのである。即ち、幸福な生は、それが唯一の正しい生《である》ことを、自ら正当化する、と思われるのである。
実はこれら全てが或る意味で深い秘密に満ちているのだ! 倫理学が表明《され》えない《ことは明らかである》。
ところで、幸福な生は不幸な生よりも何らかの意味で《より調和的》と思われる、と語ることができよう。しかしどんな意味でなのか。
幸福で調和的な生の客観的なメルクマールは何か。《記述》可能なメルクマールなど存在しえないことも、また明らかである。
このメルクマールは物理的ではなく、形而上学的、超越的なものでしかありえない。
倫理学は超越的である。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『草稿一九一四~一九一六』一九一六年七月三〇日、全集1、pp.264-265、奥雅博)
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)
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(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『哲学的文法1』三六、全集3、pp.96-97、山本信)
(索引:言葉の使用)
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(出典:wikipedia)
実はこれら全てが或る意味で深い秘密に満ちているのだ! 倫理学が表明《され》えない《ことは明らかである》。
ところで、幸福な生は不幸な生よりも何らかの意味で《より調和的》と思われる、と語ることができよう。しかしどんな意味でなのか。
幸福で調和的な生の客観的なメルクマールは何か。《記述》可能なメルクマールなど存在しえないことも、また明らかである。
このメルクマールは物理的ではなく、形而上学的、超越的なものでしかありえない。
倫理学は超越的である。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『草稿一九一四~一九一六』一九一六年七月三〇日、全集1、pp.264-265、奥雅博)
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「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。

「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」

