2018年5月27日日曜日

表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。機械の模型が機械を表出する、代数方程式が図形を表出する等。そして、すべての実体は全宇宙を表出する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

表出

【表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。機械の模型が機械を表出する、代数方程式が図形を表出する等。そして、すべての実体は全宇宙を表出する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 表出とは、表出される事物の内にある諸関係に対応する諸関係を、自分のうちに持つことである。そして、表出するものが表出される事物と類似していることは必要でなく、ただ関係の或る種の類比が維持されるだけでよい。また、ある表出はその基礎を本性の内に持っているし、また或るものは、音声や文字から成る表出のように、少なくとも部分的には自由裁量によって基礎づけられている。さらにまた、同じ原因に由来するものが相互に表出しあうこともあり得る。以下、表出の例である。機械の模型が機械を、平面上の射影図が立体を、発言が思惟と真理を、数字が数を、代数の方程式が円や他の図形を,結果の全体が十全な原因を、行為が人の心を、世界が神を、表出する。

(補足説明)
 表出される事物:A ⇒ 表出する事物:B
 機械        ⇒ 機械の模型
 立体        ⇒ 平面上の事物の射影図
 思惟や真理     ⇒ 発言
 数         ⇒ 数字
 円、その他の図形  ⇒ 代数方程式
 十全な原因     ⇒ 結果の全体
 その人の心     ⇒ 各々の行為
 全宇宙       ⇒ 実体
 神         ⇒ 世界そのもの

 表出される事物:A  表出する事物:B
 最も広義な(一般的な)〈表出〉の定義
  集合Aから集合Bの上への写像(全射)が存在するとき、BをAの〈表出〉と定義する。
  すなわち、ある写像fを定義することができて、いかなるBの要素bを選んだとしても、f(a) = b となるようなAの要素aが存在する。(ただし、要素aは一つに決まるとは限らない。)
 基本的な性質
  ・何らかの表出される事物の表出でないような事物は、表出する事物の要素には存在しない。
  ・Aの表出がBであるとき、Bの任意の要素bに対して、その表出がbになるようなAの要素aを対応させるBからAへの写像gが必ず存在することは、証明できない。(選択公理)
  ・表出される事物の濃度は、表出する事物の濃度以上である。
 「何か或るものを表出するとは、表出されるべき事物の内にある諸関係(habitudines)に対応する諸関係を自分のうちに持っているものについて言われることである。だが表出は様々である。例えば機械の模型は機械そのものを表出しているし、平面上の事物の射影図は立体を、発言は思惟や真理を、数字は数を、代数の方程式は円や他の図形を、表出している。そして、これら諸表出に共通なのは、表出しつつあるものの持つ諸関係を観察するだけで、表出されるべき事物の持つ対応する固有性の認識へ到達できるということである。したがって、表出するものが表出される事物と類似していることは必要でなく、ただ関係の或る種の類比が維持されるだけでよいことは明らかである。
 さらに、ある表出はその基礎を[事物の]本性の内に持っているし、また或るものは、音声や文字から成る表出のように、少なくとも部分的には自由裁量によって基礎づけられていることも明白である。」(中略)「同様にして、結果の全体は十全な原因(causa plena)を表現する。というのも、このような結果の認識から常にわれわれはその原因の認識へと到達することができるからである。このように、各々の行為はその人の心(animus)を表現しているのであり、そして世界そのものも或る仕方で神を表現している。さらにまた、同じ原因に由来するものが相互に表出しあうこともあり得る。例えば身振りと言葉(sermo)のように。そのような訳で、耳の聞こえない或る人々は、声ではなく口の動きから、話していることを理解するのである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『観念とは何か』ライプニッツ著作集8、pp.20-21、[米山優・1990])
(索引:表出)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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説得方法:(a)否定的な発言はしない、(b)相手の恥はもみ消す、(c)直接評価は控える、(d)全てを相手の手柄にする、(e)私的な欲望を暴かない、(f)進言は立派な大義名分を立て、利害は軽く添える。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))

説得方法

【説得方法:(a)否定的な発言はしない、(b)相手の恥はもみ消す、(c)直接評価は控える、(d)全てを相手の手柄にする、(e)私的な欲望を暴かない、(f)進言は立派な大義名分を立て、利害は軽く添える。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))】
 君主の意向に逆らうところがなく、説く者の言葉づかいも相手の心に抵抗するところがなくなって始めて、知恵と弁舌を思いのままにふるうことができる。これこそ、君主と親しい関係になって、もはや疑われることがなく、言いたいことを存分に言えるための方法である。
(a)相手が自らを肯定的に評価しているとき、否定的な発言はしてはならない。
 ・相手が自分の力を自慢にしているとき、その困難なところを取りあげて水を差さない。
 ・自分の決断を自分で勇敢だと思っているとき、その過失を言いたてて怒らせたりしない。
 ・自分の計画を自分で賢明だと思っているとき、その欠点をあげて窮地に追いこんだりしない。
(b)相手が恥ずかしいと思っていることは、もみ消してやる。
 ・相手が心のなかで卑下しながら、それをやめられないという場合、そのまま美点を飾りたて、それをやめたところで別に大したことでもないとする。
 ・相手が心のなかであこがれながら、実際にはそれを行えないでいる場合、その欠点をあげてだめなことを明らかにし、それを行わないのを誉めあげる。
(c)君主の行為に対して、直接発言することは控えること。
 ・君主の行動を誉めたいときは、君主と同じ行動をした別人を誉める。
 ・君主の事業を正したいときは、君主と同じ計画の別の事業を正す。
 ・君主と同じ欠点を持つ者に関して、それが別に害にならないとして、大いに飾りたてる。
 ・君主と同じ失敗をした者に関して、それが別に落ち度にはならないとして、はっきり飾りたてる。
(d)仮に、自分の意見を採用させる場合にも、それを君主に気づかれてはならない。
 ・相手が事を起こして自分の知恵を自慢したいと思っている場合、別の類似した事を取り上げて十分な下地を作ってやり、自分の説を採らせながら、知らぬふりをして相手の知識を助けてやる。
(e)仮に、君主に私的な強い欲望があるような場合にも、それを暴いてはならない。
 ・公けの正義にかなっているとしてその実行を勧める。
(f)君主に、自分の意見を進言するには、立派な大義名分を掲げ、君主の個人的な利害を暗示する。
 ・外国との共存の意見を進めたいと思うとき、立派な大義名分をかかげて説明したうえで、それが君主自身の個人的な利益にもかなっていることを、それとなく示す。
 ・国家に危害が及ぶ事件を陳述したいと思うとき、それが当然の非難を受けることを明らかにしたうえで、また君主自身の個人的な害にもなることを、それとなく示す。
 「およそ君主に説くうえで心がけるべきことは、説得しようとする相手が誇りとしていることを飾りたて、恥ずかしいと思っていることをもみ消してやるのを、わきまえることである。相手に私的な強い欲望があれば、必ず公けの正義にかなっているとしてその実行を勧めるのがよい。相手が心のなかで卑下しながら、それをやめられないという場合には、説く者はそのまま美点を飾りたて、それをやめたところで別に大したことでもないとすることだ。相手が心のなかであこがれながら、実際にはそれを行えないでいる場合には、説く者はそのためにその欠点をあげてだめなことを明らかにし、それを行わないのを誉めあげることだ。相手が〔事を起こして〕自分の知恵を自慢したいと思っている場合には、そのために別の類似した事をとりあげてじゅうぶんな下地を作ってやり、こちらの説を採らせながら、知らぬふりをして相手の知識を助けてやることだ。
 説く者が外国との共存の意見を進めたいと思うときは、必ず立派な大義名分をかかげて説明したうえで、それが君主自身の個人的な利益にもかなっていることを、それとなく示すのがよい。また国家に危害が及ぶ事件を陳述したいと思うときは、それが当然の非難を受けることを明らかにしたうえで、また君主自身の個人的な害にもなることを、それとなく示すのがよい。〔君主の行動を誉めたいときは、〕君主と同じ行動をした別人を誉めることだ。〔君主の事業を正したいときは、〕君主と同じ計画の別の事業を正すことだ。君主と同じ欠点を持つものがいたなら、必ずそれが別に害にならないということを大いに飾りたててやることだ。君主と同じ失敗をしたものがいたなら、必ずそれが別に落ち度にはならないということをはっきり飾りたててやることだ。説得しようとする相手が自分の力を自慢にしているときは、その困難なところを取りあげて水をさしたりしてはならない。自分の決断を自分で勇敢だと思っているときは、その過失を言いたてて怒らせたりしてはならない。自分の計画を自分で賢明だと思っているときは、その欠点をあげて窮地に追いこんだりしてはならない。説くことの大意は相手の君主の意向に逆らうところがなく、説く者の言葉づかいも相手の心に抵抗するところがなくなって、そうして始めて知恵と弁舌を思いのままにふるうのだ。これこそ、君主と親しい関係になってもはや疑われることがなく、言いたいことを存分に言えるための方法である。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』説難 第十二、(第1冊)pp.236-238、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(索引:説得方法)
(原文:12.説難韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)



(出典:twwiki
韓非(B.C.280頃-B.C.233)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「国を安泰にする方策として七つのことがあり、国を危険にするやり方として六つのことがある。
安泰にする方策。第一は、賞罰は必ず事の是非に従って行うこと、第二は、禍福は必ず事の善悪に従ってくだすこと、第三は、殺すも生かすも法のきまりどおりに行うこと、第四は、優秀か否かの判別はするが、愛憎による差別はしないこと、第五は、愚か者と知恵者との判別はするが、謗ったり誉めたりはしないこと、第六は、客観的な規準で事を考え、かってな推量はしないこと、第七は、信義が行われて、だましあいのないこと、以上である。
 危険にするやり方。第一は、規則があるのにそのなかでかってな裁量をすること、第二は、法規をはみ出してその外でかってな裁断をくだすこと、第三は、人が受けた損害を自分の利益とすること、第四は、人が受けた禍いを自分の楽しみとすること、第五は、人が安楽にしているのを怯かして危うくすること、第六は、愛すべき者に親しまず、憎むべき者を遠ざけないこと、以上である。こんなことをしていると、人々には人生の楽しさがわからなくなり、死ぬことがなぜいやなのかもわからなくなってしまう。人々が人生を楽しいと思わなくなれば、君主は尊重されないし、死ぬことをいやがらなくなれば、お上の命令は行われない。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』安危 第二十五、(第2冊)pp.184-185、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(原文:25.安危韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

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ものごとの道理と正義に従い行動するということ自体には、上手も下手もなく失敗もないので、いかなる困難にあったとしても、この道に進むことを楽しむことができ、ことの成否や自分の死生も気にならなくなる。(西郷隆盛(1828-1877))

道を行う

【ものごとの道理と正義に従い行動するということ自体には、上手も下手もなく失敗もないので、いかなる困難にあったとしても、この道に進むことを楽しむことができ、ことの成否や自分の死生も気にならなくなる。(西郷隆盛(1828-1877))】
 普通は、行動の仕方の上手や下手、事の成り行きの成功と失敗を心配して、動揺してしまうものだ。しかし、ものごとの道理と正義に従い行動するということ自体には、上手も下手もなく、また失敗ということもない。このように行動する者は、ただひたすら、ものごとの道理と正義の道を楽しみ、また、このような道は、もとより困難にあうことが多いことも知っているので、いかなる困難にあったとしても、益々その道に進むことを楽しむことができ、ことの成否や自分の死生など、少しも気にすることはないのである。
 「二九 道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも關係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出來る人出來ざる人有るより、自然心を動す人も有れ共、人は道を行ふものゆゑ、道を蹈むには上手下手も無く、出來ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を樂み、若し艱難に逢うて之を凌んとならば、彌々(いよ/\)道を行ひ道を樂む可し。予壯年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出會ふ共、動搖は致すまじ、夫れだけは仕合せなり。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』29(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)pp.14-15、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
(索引:道)
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 (岩波文庫)


(出典:wikipedia
西郷隆盛(1828-1877)(Collection of propositions of great philosophers)  「事大小と無く、正道を蹈み至誠を推し、一事の詐謀(さぼう)を用ふ可からず。人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、作略(さりやく)を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜(じぎ)次第工夫の出來る樣に思へ共、作略の煩ひ屹度生じ、事必ず敗るゝものぞ。正道を以て之を行へば、目前には迂遠なる樣なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。」
(西郷隆盛(1828-1877)『遺訓』7(集録本『西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文』)p.7、岩波文庫 (1939)、山田済斎(編))
『遺訓』西郷隆盛(1828-1877)青空文庫

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次のことを、よく考えよ。〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分の天職もわからず、ただうかうかと生きていているだけで良いのか。(佐藤一斎(1772-1859))

天職

【次のことを、よく考えよ。〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分の天職もわからず、ただうかうかと生きていているだけで良いのか。(佐藤一斎(1772-1859))】
 「人間にはだれでも、次の事を反省し考察してみる必要がある。「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか〈天何の故にか我が身を生み出だし、我をして果して何の用にか供せしむる〉。自分は天(神)の物であるから、必ず天職がある。この天職を果たさなければ、天罰を必ずうける」と。ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』10(集録本『言志四録(1)言志録』)pp.35-36、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))
(索引:天、天職)

言志四録(1) 言志録 (講談社学術文庫)


(出典:wikipedia
佐藤一斎(1772-1859)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「天地間に起こる事がらは、昔から今まで、陰あり、陽あり、昼あり、夜あり、また太陽と月とが交互に世を照らし、四季が互いにめぐるなど、条理がすべて前から定まっている〈其の数皆な前に定れり〉。また人が富み栄えたり、貧乏したり、死んだり、生まれたり、長生きしたり、早死にしたり、もうけたり、損したり、栄誉をうけたり、はずかしめられたり、集まったり、ばらばらになったり、これらは皆、定まった運命でないものはない〈一定の数に非ざるは莫し〉。ただ、これを前もって知らないだけなのだ〈殊に未だ之れを前知せざるのみ〉。たとえば、あやつり人形の芝居のからくりはちゃんと具わっているのに、これを見る人が知らないようなものだ〈譬えば猶お傀儡の戯の機関已に具れども、而も観る者知らざるがごときなり〉。世間の人々はこのようなことを知らないで、自分の知恵力量は十分たのむに足りるものだとして、一生涯せっせと、きのうは東、今日は西と、栄誉・功名を探し求め、ついにやつれつかれて倒れてしまう。これはなんと、まどえるもはなはだしいといわざるを得ないのではないか。」
(佐藤一斎(1772-1859)『言志録』1(集録本『言志四録(1)言志録』)p.24、講談社学術文庫(1979)、川上正光(訳注))

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2018年5月26日土曜日

すべての実体は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。また、実体は互いに表出することで、力を及ぼし合っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

一つの全たき世界、全宇宙をうつす鏡

【すべての実体は、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡であり、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。また、実体は互いに表出することで、力を及ぼし合っている。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出している。また、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、他のすべての実体に自分の力を及ぼしている。
 「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])
(索引:表出、一つの全たき世界、神をうつす鏡、全宇宙をうつす鏡)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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全体体系において上位の学問や普遍学ないしは発見術をもとにして、当該学問の全体を再生できるような公理や経験則を基礎づけることで、全体系が整合する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

諸学問の体系

【全体体系において上位の学問や普遍学ないしは発見術をもとにして、当該学問の全体を再生できるような公理や経験則を基礎づけることで、全体系が整合する。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 ある学問は、その学問を生む機会と手段を与えた経験上の観察事項や精神の所見からなるごくわずかの命題に依存する。そのような命題は、仮にその学問が消失したとした場合に、再生させるのにはそれだけで十分足りるような命題である。また、その学問に十分専念しようと思った場合に、教師なしに学ぶためにはそれだけで足りるような命題である。そのような命題を、すでに知られているとされるある上位の学問の規則を結合しなければならない。その上位の学問とは、時には普遍学ないしは発見術であったり、時には他の学問であったりするところの、問題となっているその学問がその下位の部門であるような学問である。

上位の学問の規則
(普遍学ないしは発見術)
(他の学問)
   │
   ↓
経験上の観察事項や精神の所見からなるごくわずかの命題
(この命題を基礎にすれば、この学問全体を再生することができる命題)
(この命題を基礎にすれば、教師なしでも学ぶことができるような命題)

 「学問を発見する原理についていえば、重要なのは、おのおのの学問は普通、学問を生む機会と手段を与えた経験上の観察事項や精神の所見からなるごくわずかの命題に依存するということである。そのような命題とは、仮にその学問が消失したとした場合に、再生させるのにはそれだけで十分足りるような命題である。それはまた、その学問に十分専念しようと思った場合に、教師なしに学ぶためにはそれだけで足りるような命題である。ただし、そうするには普通は、そのような命題に、すでに知られているとされるある上位の学問の規則を結合しなければならない。その上位の学問とは、時には普遍学ないしは発見術であったり、時には他の学問であったりするところの、問題となっているその学問がその下位の部門であるような学問である。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『諸学問を進展させるための格率』、ライプニッツ著作集10、p.255、[小林道夫・1991])
(索引:諸学問の体系)

中国学・地質学・普遍学 (ライプニッツ著作集)



(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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04.命題から虚飾をはぎとり、相互依存の順序と主題の順序に従って配列する幾何学者の方法は、無秩序に増大する情報の増大に対処し、また各命題の発見者の名声を忘却から救う。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

幾何学者の方法

【命題から虚飾をはぎとり、相互依存の順序と主題の順序に従って配列する幾何学者の方法は、無秩序に増大する情報の増大に対処し、また各命題の発見者の名声を忘却から救う。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 多くの発見、重要な考察、真理の探究のための熱意に事欠かない卓越した精神が、どれだけ多く存在するかを思うとき、われわれはもっと多くのことをなしうる状態にあり、学問に関する人類の状況は、わずかの間に様相を一変しうると思う。その一方、対立、敵意、構築するよりは破壊、協力よりは仲間を差し押さえ、論争、うわべだけのお話、無駄な好奇心の浪費などを考えると、自分たちの過ちのせいで、混乱と欠乏の状態に陥るのではないかと危惧する。
 さらに、たえず増えていく恐ろしいばかりのこの本の数、そして無秩序はほとんど乗り越えがたいものとなり、著者たちはすべて全き忘却にさらされかねない。古代の幾何学者のなかには、われわれがその作品を手にできない人々がいる。しかし、彼らの名声は、彼らのものとされるいくつかの命題によって保持されてきた。先に示した、普遍的学問と幾何学者の方法によって、各命題の発見者の名声を讃えながら、秩序と調和をもった知恵の体系を維持していくことが可能となる。
 「私は、われわれがどれだけ多くの発見を行なってきたか、どれだけ多くの堅固で重要な考察をもたらしてきたか、どれだけ多くの、真理の探究のための熱意に事欠かない卓越した精神が存在することか、ということに思いをこらすとき、われわれはもっと多くのことをなしうる状態にあり、学問に関する人類の状況はわずかの間に様相を一変しうると思う。しかし、他方で、人々の計画はほとんど一致せず、人々が取る方途は対立しており、一方の人々は他方の人々に敵意をむきだしにして、構築することよりは破壊することを考え、一緒に進むことよりは自分の仲間を差し押さえることを考えているのを見ると、そして最後には、実践は理論があたえる光をまったく活用せず、人々は論争の数を減らそうとはまったくせずむしろ増やそうと努めており、真面目で決定的な方法の変わりに、うわべだけのお話に満足しているということを考えるとき、私は、われわれが自分たちの過ちのせいで陥っている混乱と欠乏の状態に長くとどまろうとしているのではないかと恐れるのである。私はさらに、人々は、われわれの探究からわれわれの幸福のために重要な何らかの益を引き出すこともなしに好奇心を無駄に使い果たしたことから、学問に嫌気がさしているのではないか、また、決定的な絶望感から人間は再び野蛮状態に戻るのではないかとさえ危惧する。
 この怖れに、たえず増えていく恐ろしいばかりのこの本の数がおおいに加担しうるであろう。というのも、最後には本の無秩序はほとんど乗り越えがたいものとなり、わずかの間に著者の数が無数にものぼるために、著者たちはすべて全き忘却にさらされかねず、多くの人々を学問研究の仕事へと駆り立てる栄光に対する期待も一挙に止むであろう。」(中略)「古代の幾何学者のなかには、ニコメデスやディノストラトスのように、われわれがその作品を手にできない人々がいる。しかし、彼らの名声は、彼らのものとされるいくつかの命題によって保持されてきたのである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『諸学問を進展させるための格率』、ライプニッツ著作集10、pp.242-244、[小林道夫・1991])
(索引:幾何学者の方法)

中国学・地質学・普遍学 (ライプニッツ著作集)



(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読みとって、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある。さて、内心では大きな利益を求めつつ表向きは高い名誉を求める相手には、どのように説得すれば良いか。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))

説得の難しさ

【およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読みとって、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある。さて、内心では大きな利益を求めつつ表向きは高い名誉を求める相手には、どのように説得すれば良いか。(韓非(B.C.280頃-B.C.233))】
 およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読みとって、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある。
(1) 説得しようとする相手が高い名誉を求める心でいたとしよう。
 その相手に大きな利益を得る話をしたなら、相手はこちらのことを下品なやつで自分を俗物扱いにしていると考え、きっと見すてて遠ざけることであろう。
(2) 説得しようとする相手が大きな利益を求める心でいたとしよう。
 その相手に高い名誉を得る話をしたなら、相手はこちらのことを考えが足りなくて現実に疎いと見なし、きっと採用しないであろう。
(3) 説得しようとする相手が、内心では大きな利益を求めながら、表向きは高い名誉を求めるふりをしているとしよう。
 (3.1) その相手に高い名誉を得る話をしたなら、相手はうわべではこちらを受け容れながら、実際は遠ざけるだろう。
 (3.2) もし相手に大きな利益を得る話をしたなら、相手は陰ではこっそりこちらの話を採用しながら、表向きはこちらの身を見すてるだろう。
 「およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の心を読みとって、こちらの説をそれに合わせることができるかというところにある。説得しようとする相手が高い名誉を求める心でいたとしよう。それなのに、その相手に大きな利益を得る話をしたなら、〔相手はこちらのことを〕下品なやつで自分を俗物扱いにしていると考え、きっと見すてて遠ざけることであろう。〔反対に〕説得しようとする相手が大きな利益を求める心でいたとしよう。それなのに、その相手に高い名誉を得る話をしたなら、〔相手はこちらのことを〕考えが足りなくて現実に疎いと見なし、きっと採用しないであろう。説得しようとする相手が、内心では大きな利益を求めながら、表向きは高い名誉を求めるふりをしているとしよう。それなのに、その相手に高い名誉を得る話をしたなら、〔相手は〕うわべではこちらを受け容れながら、実際は遠ざけるだろう。もし相手に大きな利益を得る話をしたなら、〔相手は〕陰ではこっそりこちらの話を採用しながら、表向きはこちらの身を見すてるだろう。これはよくよく考えなければならないことである。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』説難 第十二、(第1冊)pp.230-231、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(索引:説得の難しさ)
(原文:12.説難韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)



(出典:twwiki
韓非(B.C.280頃-B.C.233)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「国を安泰にする方策として七つのことがあり、国を危険にするやり方として六つのことがある。
安泰にする方策。第一は、賞罰は必ず事の是非に従って行うこと、第二は、禍福は必ず事の善悪に従ってくだすこと、第三は、殺すも生かすも法のきまりどおりに行うこと、第四は、優秀か否かの判別はするが、愛憎による差別はしないこと、第五は、愚か者と知恵者との判別はするが、謗ったり誉めたりはしないこと、第六は、客観的な規準で事を考え、かってな推量はしないこと、第七は、信義が行われて、だましあいのないこと、以上である。
 危険にするやり方。第一は、規則があるのにそのなかでかってな裁量をすること、第二は、法規をはみ出してその外でかってな裁断をくだすこと、第三は、人が受けた損害を自分の利益とすること、第四は、人が受けた禍いを自分の楽しみとすること、第五は、人が安楽にしているのを怯かして危うくすること、第六は、愛すべき者に親しまず、憎むべき者を遠ざけないこと、以上である。こんなことをしていると、人々には人生の楽しさがわからなくなり、死ぬことがなぜいやなのかもわからなくなってしまう。人々が人生を楽しいと思わなくなれば、君主は尊重されないし、死ぬことをいやがらなくなれば、お上の命令は行われない。」
(韓非(B.C.280頃-B.C.233)『韓非子』安危 第二十五、(第2冊)pp.184-185、岩波文庫(1994)、金谷治(訳))
(原文:25.安危韓非子法家先秦兩漢中國哲學書電子化計劃

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4.他人を不愉快にさせるに違いないようなことは、決して口にしないこと。なぜなら、それは君自身にはかり知れぬ害をもたらすからである。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))

他人の悪口

【他人を不愉快にさせるに違いないようなことは、決して口にしないこと。なぜなら、それは君自身にはかり知れぬ害をもたらすからである。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))】
 「君が口を開くとき、必要でもないかぎり、他人を不愉快にさせるにちがいないようなことは決して口にせぬように注意をはらわなければならない。というのは、時と場所とをわきまえずにそのような発言をすれば、それは君自身にはかり知れぬ害をもたらすからである。この点については、じゅうぶん気をつけるように、と言っておく。というのも、用心ぶかい人間でも、このことではずいぶん失敗するものだからである。また、これを避けるのは至難のわざである。けれども、それがどれほどむずかしいことであっても、それを乗りこえる方法を知っている人にとっては、それだけ大きな報いがあるというものである。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)C、7 発言に注意、p.52、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))
(索引:他人の悪口)

フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)



フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「この書物の各断章を考えつくのはたやすいことではないけれども、それを実行に移すのはいっそうむずかしい。それというのも、人間は自分の知っていることにもとづいて行動をおこすことはきわめて少ないからである。したがって君がこの書物を利用しようと思えば、心にいいきかせてそれを良い習慣にそだてあげなければならない。こうすることによって、君はこの書物を利用できるようになるばかりでなく、理性が命ずることをなんの抵抗もなしに実行できるようになるだろう。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)B、100 本書の利用のし方、p.227、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))

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