概念記法の必要性
【概念記法の必要性について。(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】概念記法の必要性。
(a)数学における推論に混乱が見られる。
(1)推論様式が、極めて多様に見える。
(2)非常に複雑な推論様式が、複数の単純な推論と等価なことがある。
(3)推論が「正しいと納得」できれば、それでよしとする。
(4)その結果、論理的なものと直感的なものが混在する。
(5)その結果、推論されたものを、総合的な真理であると勘違いする。
(6)不明確なまま、直感から何かが流入することがある。
(7)ときには、推論に飛躍がある。
(b)(a)から、次のものを抽出すること。
(1)純粋に論理的と承認された、少数の推論様式
(2)直感に基づく総合的な公理
(c)すべての数学的証明を、(b)のみから隙間のない推論連鎖により導くこと。
「すなわち、純粋に論理的と承認された、少数の推論様式の一つに従わない歩みは決してなされない、というほどに隙間のない推論連鎖である。今に至るまで、このように証明が行なわれたことはほとんどなかった。なぜなら、数学者は、新たな判断への移行がどれも正しいと納得すればそれで満足し、論理的であれ直感的であれ、こうした納得の本性を問わないからである。一つのこのような前進が[実は]しばしば非常に複雑であり、複数の単純な推論と等価である。さらには、そうした推論に加えて、直感から何かが流入することもありうる。前進は飛躍のような仕方でなされており、そしてこのことから、数学において推論様式が極めて多様に見えるという事態が生じている。なぜなら、飛躍が大きくなればなるほど、それによって代行される、単純な推論と直感の公理との組合わせがますます多様になりうるからである。それにもかかわらず、このような移行はしばしば我々にとって直接に納得が行き、その中間段階は我々の意識に上らない。そして、その移行が承認済みの論理的推論様式の一つとして明らかにならないのだから、我々はすぐにこうした納得を直感的、そして推論された真理を総合的と見なす気になる。しかも、その妥当領域が直感可能なものを明らかに超える場合でさえ、そうなのである。
こうしたやり方では、直感に基づく総合的なものを、分析的なものから明確に区別するのは不可能である。また、それによっては、直感の公理を確実に余す所なく集成して、すべての数学的証明をこれらの公理のみから推論法則に従って実行可能にするということにも、成功しないのである。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『算術の基礎』第九〇節、フレーゲ著作集2、pp.153-154、三平正明・土屋俊・野本和幸)
(索引:概念記法の必要性)
(出典:wikipedia)
「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7. 真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない。
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」 (ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)
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