2019年4月20日土曜日

30.法の不完全性は、事実に関する相対的な無知と予知不可能性、目的に関する相対的な不確定性に基づくものであり、避け得ないものである。想定し得なかった新たな事例、問題の解決とともに、法は精度を上げていく。(ハーバート・ハート(1907-1992))

法の不完全性

【法の不完全性は、事実に関する相対的な無知と予知不可能性、目的に関する相対的な不確定性に基づくものであり、避け得ないものである。想定し得なかった新たな事例、問題の解決とともに、法は精度を上げていく。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(4.3)追記。

  半影的問題における合理的決定の解明には、(a)何らかの「べき」観点の必要性、(b)それにもかかわらず、在る法と在るべき法の区別、(c)法の不完全性と中核部分の正しい理解、が必要である。(ハーバート・ハート(1907-1992))

(1)何らかの「べき」観点の必要性
 半影的問題における司法的決定が合理的であるためには、何らかの観点による「在るべきもの」が、ある適切に広い意味での「法」の一部分として考えられるかもしれない。
 (1.1)「べき」という言葉は、ある批判の基準の存在を反映している。この基準は、何だろうか。
 (1.2)この批判の基準は、道徳的なものとは限らない。
  (1.2.1)このケースでの「べき」は、道徳とはまったく関係のないものである。
  (1.2.2)仮に、ゲームのルールの解釈や、非常に不道徳的な抑圧の法律の解釈においても、ルールや在る法の自然で合理的な精密化が考えられる。
 (1.3)目標、社会的な政策や目的が含まれるかもしれない。
 (1.4)しかし、在るものと、さまざまな観点からの在るべきものとの間に、区別がなければならない。
(2)在る法と在るべき法との功利主義的な区別は、必要である。
 参照: 在るべき法についての基準が何であれ、在る法と在るべき法の区別を曖昧にすることは誤りである。(ジョン・オースティン(1790-1859))
 参照: 在る法と在るべき法の区別は「しっかりと遵守し、自由に不同意を表明する」という処方の要である。(a)法秩序の権威の正しい理解か、悪法を無視するアナーキストか、(b)在る法の批判的分析か、批判を許さない反動家か。(ジェレミ・ベンサム(1748-1832))

(3)半影的問題の決定も、在る法の自然な精密化、明確化であると思える場合がある。
 ルールの適用のはっきりしているケースと、半影的決定との間には本質的な連続性が存在する。すなわち、裁判官は、見付けられるべくそこに存在しており、正しく理解しさえすればその中に「隠れている」のがわかるルールを「引き出している」。
  難解な事案における裁判官の決定を、在る法を超えた法創造、司法立法とみなすことは、「在るべき法」についての誤解を招く。この決定は、在る法自体が持つ持続的同一的な目的の自然な精密化、明確化ともみなせる。(ロン・ロヴィウス・フラー(1902-1978))
(出典:alchetron
ロン・ロヴィウス・フラー(1902-1978)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
ロン・ロヴィウス・フラー(1902-1978)
検索(ロン・フラー)

 (3.1)難解な事案、すなわち半影的問題において、次のような事実がある。
  (3.1.1)ルールの下に新しいケースを包摂する行為は、そのルールの自然な精密化として、すなわち、ある意味ではルール自体に帰するのが自然であるような「目的」を満たすものである。それは、それまではっきりとは感知されていなかった持続的同一的な目的を補完し明確化するようなものである。
  (3.1.2)このような場合について、在るルールと在るべきルールを区別し、裁判官の決定を、在るルールを超えた意識的な選択や「命令」「法創造」「司法立法」とみなすことは、少なくとも「べき」の持つある意味においては、誤解を招くであろう。
 (3.2)日常言語においても、次のような事実がある。
  (3.2.1)私たちは普通、人びとが何をしようとしているかばかりではなく、人びとが何を言うのかということについても、人間に共通の目的を仮定的に考慮して、解釈している。
  (3.2.2)例としてしばしば、聞き手の解釈を聞いて、話し手が「そうだ、それが私の言いたかったことだ。」というようなケースがある。
  (3.2.3)議論や相談によって、より明確に認識された内容も、そこで勝手に決めたのだと表現するならば、この体験を歪めることになろう。これを誠実に記述しようとするならば、何を「本当に」望んでいるのか、「真の目的」を理解し、明瞭化するに至ったと記述するべきであろう。

(4)半影的問題における決定の本質
  半影的問題における決定の本質の理解には次の点が重要である。(a)法の不完全性、(b)法の中核の存在、(c)不確実性と認識の不完全性、(d)選択肢の非一意性、(e)決定は強制されず、一つの選択である。(ハーバート・ハート(1907-1992))

 (1)(2)(3)の要請を、すべて充たすことができるだろうか。この問題の解決のためには、以下の諸事実を考慮することが重要である。
 (4.1)法の不完全性
  法は、どうしようもなく、不完全なものだということ。
 (4.2)法の中核の存在
  法は、ある最も重要な意味において、確定した意味という中核部分を持つということ。不完全で曖昧であるにしても、まず線がなければならない。
 (4.3)事実認識の不完全性と目的の不確定性
  (4.3.1)むしろ「完全な」法は、理想としてさえ抱くべきでない。なぜならば、私たちは神ではなくて人間だから、このような選択の必要性を負わされているのである。
  (4.3.2)事実に関する相対的な無知と予知不可能性
   この世界の事実について、あらゆる結合のすべての可能性を知り得ないことと、将来生じるかもしれないあらゆる可能な複合的状況を予知し得ないこと。
  (4.3.3)目的に関する相対的な不確定性
   (a)存在している法は、ある範囲内にある明瞭な事例を想定して、実現すべき目的を定めている。
   (b)まったく想定していなかった事件、問題が起こったとき、私たちは問題となっている論点にはじめて直面する。その新たな問題を解決することで、当初の目的も、より確定したものにされていく。
 (4.4)選択肢の非一意性
  在る法の自然で合理的な精密化の結果として、唯一の正しい決定の認識へと導かれ得るのだろうか。それは、むしろ例外的であり、多くの選択肢が同じ魅力を持って競い合っているのではないだろうか。
 (4.5)決定は強制されず、一つの選択である
  存在している法は、私たちの選択に制限を加えるだけで、選択それ自体を強制するものではないのではないか。従って、私たちは、不確実な可能性の中から選択しなければならないのではないか。


 「行動の基準を伝達する手段として、先例または立法のいずれが選ばれるにせよ、それらは、大多数の通常の事例については円滑に作用したとしても、その適用が疑問となるような点では不確定であることがわかるだろう。それらには《開かれた構造》an open texture と呼ばれてきたものがあるだろう。われわれは今まで、これを立法の場合につき、人間の言葉の一般的特徴としてのべてきた。つまり、境界線上の不確定さというものは、事実問題に関してどんな伝達の形態をとったとしても、一般的分類用語を使用するかぎり支払わなければならない代償なのである。英語のような自然言語がこのように使われるとき、開かれた構造になることは避けられない。しかし、このように伝達は開かれた構造という特色をもった言語に実際は依存しているが、それを別にしても、われわれは、特定の事例に適用されるかどうかの問題が常に事前に解決されており、実際の適用にあたって、開かれた選択肢からの新たな選択を決して含まないような詳細なルールの概念を、なぜ理想としてさえ抱くべきでないのかという理由を認識することが重要である。その理由を簡単に言えば、われわれが神ではなくて人間だから、このような選択の必要性を負わされているのである。個々の場合について、公機関による格別の指令を待たずに使えるような一般的基準により、明白にそして事前に何らかの行動領域を規律しようとするときはいつでも、関連する二つの困難の下で苦労することが、人間の(したがって立法の)置かれた状況の特色である。第一の困難は、事実についてわれわれが相対的に無知であること、第二はわれわれの目的が相対的に不確定であることにある。もしわれわれの住んでいる世界の特徴が限られており、しかもそれらがそのすべての結合の方法を含めてわれわれに知られているとしたら、あらゆる可能性に対して事前にそなえることができるだろう。個々のケースへの適用につき、格別の選択をなす必要がないようなルールを作ることもできるだろうし、あらゆることを知ることができ、その結果あらゆることに対してルールが事前にあることをし、また特に定めておくこともできるだろう。これが「機械的」法学 'mechanical' jurisprudence に適した世界であろう。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法の概念』,第7章 形式主義とルール懐疑主義,第1節 法の開かれた構造,pp.139-140,みすず書房(1976),矢崎光圀(監訳),戸塚登(訳))
 「われわれの世界がこうでないことは明らかであり、人間たる立法者は将来生じるかもしれないあらゆる可能な複合的状況を知りつくすことはできない。こうした予知の不可能性から、目的について相対的な不確定性がもたらされることになる。われわれがあえて何らかの一般的な行為のルール(たとえば公園内に乗り物を乗り入れるべからずというルール)を作成するとき、この文脈で使われる文言は、いかなる事柄も、その範囲内に入ろうとするかぎり満たさなくてはならない必要条件を確定しており、その範囲内にあることが確かであるような事柄のある明瞭な事例が、われわれの心に浮んでくるだろう。それらは範例であり、明白な事例(自動車、バス、オートバイ)なのであって、われわれの立法目的はすでにある選択をなしているので、そのかぎりで確定されているのである。公園内での平和と静けさは、これらの乗物を排除するという犠牲を払ってでも維持されるべきであるという問題を、われわれははじめに解決しておいた。他方われわれは、公園での平和という一般的目的を、はじめには考えなかったか、おそらくは考えることができなかった事例(電気で動くおもちゃの自動車)に関連させるまでは、われわれの目的はこの面で確定されていない。われわれは考えたことのない事件が生じたとき、そこで起きるかもしれない問題を、予知しなかったので、それを解決していない。つまり、その問題というのは、公園内のある程度の平和が、これらのものを使って楽しみ喜ぶ子供達との関係で、犠牲にされるべきか、それとも守られるべきかということである。考えたことのない事件が生じるとき、われわれは問題となっている論点に直面するのであって、そのさいもっともよく満足できる方法で、これらの競合する利益間の選択をなすことにより問題を解決することができる。そうすれば、はじめの目的をより確定したものとしているであろうし、ある一般的な言葉がこのルールの目的にとってもつ意味についての問題は付随的に解決しているであろう。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法の概念』,第7章 形式主義とルール懐疑主義,第1節 法の開かれた構造,p.140,みすず書房(1976),矢崎光圀(監訳),戸塚登(訳))
(索引:法の不完全性,事実に関する無知,予知不可能性,目的の不確定性)

法の概念


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

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