憲法9条は、船舶の安全を守った
【憲法9条は、船舶の安全を守った。事例として、1980年に始まったイラン・イラク戦争の際に、攻撃を受け被弾した世界全体の船舶は407隻、333人の死者、317人の負傷者が出るなか、日本船は被弾ゼロであった。(本望隆司)】(1)日本国憲法前文
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(出典:日本国憲法<憲法条文・重要文書<日本国憲法の誕生<電子展示会<国立国会図書館)
(1.1)「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは何か。
様々な民族、宗教、思想、信条、価値観の違いがあっても、人間はお互いに理解し合い、認め合い、助け合うという関係を維持できるとする考えである。
(1.2)「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」するとは、どのようなことか。
いかなる国の国民であっても平和を愛しており、何が公正で正義にかなっているのかを理解することができ、お互いに約束を守るという関係をつくることができると信頼して、安全と生存を保持することである。武力による威嚇や武力の行使によって、安全と生存を保持することではない(第9条)。
「私は、1962 年から 1987 年まで、主にタンカーや鉱石船で資源を運搬する船舶に乗船しました。印象深いのは、1980 年に始まったイラン・イラク戦争の際に、ペルシャ湾内を航行する船舶を攻撃すると両国が言いだしたときです。日本船も対象になるということで、大変な問題になりました。
この時、タンカー攻撃を避けて日本の石油輸送を守ることができたのは、憲法 9 条のおかげでした。つまり日本がいずれの国にも武力で加担しない中立国であるとの認識が国際的に確立していたからです。日本船をペルシャ湾の入り口にまとめ、船団を組んでペルシャ湾に入ることを外交ルートを通じて両国に通報し、タンカーにはデッキと船側に日本船と判明できるよう、大きな日の丸を描いて視認できる日中に航行しました。当時攻撃を受け被弾した世界全体の船舶は 407 隻、333 人の死者、317 人の負傷者が出ました。しかし日本船は被弾ゼロ、日本人船員は外国籍船の乗船者のみ 2名の犠牲を出しました。(1999 年 5 月 18 日参議院「新ガイドライン関連法」特別委員会中央広聴会での海員組合・平山公述人の口述から)こうして、日本船は攻撃をまぬがれ石油輸送を守ったのです。」
(出典:国家賠償請求訴訟 平成28年(ワ)13525号 2016年12月2日 第2回 口頭弁論 報告会資料(意見陳述全文掲載)<裁判資料・国家賠償請求訴訟<安保法制違憲訴訟の会)
(索引:日本国憲法第9条)
(出典:安保法制違憲訴訟の会)
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