生命倫理学における再構成的モデルの問題点
【倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、原則のカタログによって解明する方法は、諸原則を批判的検討なしに前提にする。信頼に足る実践的方向づけを示し得る理論には、諸原則の根拠を問う方法が必要だ。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))】(再掲)
生命倫理学における再構成的モデルの利点と欠点
倫理的問題において、第一原理の合意を差し控え、複数の原則が衝突し合う構造を解明しようとする方法は、ある程度の合意形成が可能という利点があるが、問題解決への要求を抑制し、十分な解決を与え得ない。(ディーター・ビルンバッハー(1946-))
(1)利点
(a)規範および規範適用における中程度のレベルでは合意形成が可能になる。
(i)差し迫った道徳的現実問題の解決が、学術的な理論問題の解決に左右されることがない。根拠づけに関する倫理学的な議論、すなわち第一原則について合意が成立する場合は、はるかに少ない。
(ii)かといって、純然たる手続き上の解決に委託されてしまうこともない。
(b)複数の原則間の衝突が明確にわかる。
(i)原則のカタログの方が、唯一の実質的または手続き上の原理を前提とするような倫理学に比べて、実際の道徳上の紛争における規範構造を、より分かりやすく示すことができる。
(ii)最も頻繁に見られる規範の衝突は、同一状況に関連のある複数の原則に対して、さまざまに異なった重みづけをすることから生じる衝突である。
(2)欠点
(a)問題解決への要求を抑制してしまう。
(b)実践の場で生じるほとんどすべての道徳上の決定問題に、十分な解決を与えない。
(c)原則の解釈と重みづけが様々に異なることから、最終的な判断を、個々人の判断力に委託してしまう。
「再構成的モデルに関わる一般的な方法論上の問題は、純然たる再構成的な倫理学が内発的に、みずからの今後の進展や新たな問題状況への適応を決定するのではなく、ここでもまた、さまざまに異なった拡張、適応および新解釈を容認する、という点にある。つまり、そうすることによって、再構成的な倫理学は、現行の規範が不完全であったり不確実であったりするために方向づけが至急必要とされているまさにその分野で、その方向づけ機能を失うことになるのである。
再構成的モデルが直面している、いま言及したばかりのこの実践問題は、再構成的モデルにとって中心的な理論問題の所在を示唆している。私自身の考えでは、この理論問題こそが、最も重大かつ影響範囲の大きい問題なのである。再構成の対象となるのは、いつでも、現代の一般に通用している道徳であるか、または、過去あるいは遠い過去の時代に通用していた道徳だけである。このような道徳を将来の問題に応用するとしたら、実用的な観点から〔この道徳の適否〕を思量する場合を別として、そこには、どのような正当化理由があるだろうか。道徳を規範倫理のために基準として役立てることを、どのような理由が正当化するのだろうか。むしろ、生命倫理学を含む倫理学の担うべき役割は、ただ現に通用している道徳に原則を当てはめるだけではなく、この道徳を丹念に吟味することではないだろうか。もしも、再構成的モデルの倫理学が、現在有力な原則の根拠をそれ以上問うことをせず、そうした原則が批判的検討を免れることになれば、この現在有力な原則が、全然根拠のないまま優位を占めることにはならないだろうか。道徳の内容は結局のところ歴史的状況に依存しているのに、方法論上の決定次第では、何の根拠も示されないままに権威が認められることにならないだろうか。
生命倫理学で再構成的な倫理学モデルを利用することについては、それを支持する実用的な理由として、特に、決断を迫られる状況下での合意形成という理由が考えらえるかもしれない。しかしながら、実践的観点でも理論的観点でも満足が得られるのは、結局のところ第二の典型的な倫理学モデル、すなわち基礎づけ倫理学だけである。ただ基礎づけ倫理学だけが、信頼に足る実践的な方向づけ、およびその可能なかぎり包括的な理論的立証への要求に十分応えることができるのである。」
(ディーター・ビルンバッハー(1946-),アンドレアス・クールマン序文,『生命倫理学:自然と利害関心の間』,第1部 生命倫理学の根本問題,第1章 どのような倫理学が生命倫理学として役に立つのか,3 再構成的モデルの利点と欠点,pp.49-50,法政大学出版局(2018),加藤泰史(翻訳),高畑祐人(翻訳),中澤武(監訳),山蔦真之)
(索引:生命倫理学,再構成的モデル,第一原理,倫理的原則,基礎づけ倫理学)
(出典:dieter-birnbacher.de)
「ウィトゲンシュタインは、根拠には終わりがあり、根拠づけられた信念の根底には「根拠づけられていない信念」がある、と言っている。われわれもまた、他でもない倫理学において、すぐにウィトゲンシュタインと同じことを言わなければならない地点に到達せざるをえないのではないだろうか。
ここで一つの重要な区別をしておく必要がある。それは、強制力のある根拠と蓋然性による根拠の区別である。強制力のある根拠の場合には、理性的に思考する者ならば選択の余地がない。」(中略)
「そもそも、倫理学に強制力のある根拠が在りうるだろうか。私は、在ると思う。しかも、道徳という概念の意味論から導き出される条件、つまり、ある原則に付与された「道徳的」原則という標識と概念分析的に結び付いている、メタ倫理学的規範の総体から導き出される条件、たとえば、論理的普遍性という条件および普遍的妥当性の主張を考慮したうえで、〔倫理学には強制力のある根拠が〕在ると思うのである。必要な論理的普遍性を示していないか、あるいは、信頼に足る仕方で普遍的妥当性要求を申し立てないような原則を道徳的原則と認めることは全然できない、という強制力をもった議論は可能なのである。」
(ディーター・ビルンバッハー(1946-),アンドレアス・クールマン序文,『生命倫理学:自然と利害関心の間』,第1部 生命倫理学の根本問題,第1章 どのような倫理学が生命倫理学として役に立つのか,4 基礎づけモデル――原則の根拠づけおよび原則の応用,pp.50-51,法政大学出版局(2018),加藤泰史(翻訳),高畑祐人(翻訳),中澤武(監訳),山蔦真之)
(索引:)
ディーター・ビルンバッハー(1946-)
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