中絶の問題
妊婦は、喫煙を避けたりして胎児に悪影響を与え得る行為を避ける。傷つけるより亡き者にすることの方が悪なので、中絶は悪である。この議論のどこに誤りがあるのか。将来利益が発生するが、現に利益を有さない対象を、亡き者にする行為である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
(a)妊婦が喫煙を避けるのはなぜか
中絶がモラル上許容されると信じている 多くの人々は、それにもかかわらず、妊婦が自ら出産しようとしている子供に対して、喫煙したり他の手段で危害を加えることは悪であると考えている。
(b)傷つけるより殺す方が悪である
評者達 はその矛盾を見つけ出して、殺すことは傷つけることよりも一層悪なのだから、喫煙が悪で、同 時に中絶が悪でないということは成り立たないのではないか、と批判する。
(c)将来利益が発生するが現に利益を有さない対象
中絶が胎児の利益に反するか否かということは、中絶が行なわれた時に、胎児がそれ自体して利益を有しているか否かということによらなければならないのであり、中絶が行なわれなければ利益が発生してくるか否かということによるのではないのである。
(d)利益を害される人は出現しない
しかし仮に彼女が中絶をするならば、彼女の行動によって利益が傷つ けられることになった人間は出現しないことになるのである。
(e)モラル上、問題ないことは示唆しない
もちろんこのことは、中絶は悪 いことが何もないとか、ましてや、中絶は出生してくる子供の健康を危険にさらすことよりも モラル上悪ではない、ということを示唆するものではない。
「中絶が胎児の利益に反するか否かということは、中絶が行なわれた時に、胎児がそれ自体 として利益を有しているか否かということによらなければならないのであり、中絶が行なわれ なければ利益が発生してくるか否かということによるのではないのである。 この区別は、一部の評者達を困惑させている事柄――中絶がモラル上許容されると信じている 多くの人々は、それにもかかわらず、妊婦が自ら出産しようとしている子供に対して、喫煙し たり他の手段で危害を加えることは悪であると考えている――の説明に役立つであろう。評者達 はその矛盾を見つけ出して、殺すことは傷つけることよりも一層悪なのだから、喫煙が悪で同 時に中絶が悪でないということは成り立たないのではないか、と批判する。この批判の間違い は、我々が今まで分析を加えてきた主張の間違いそのものなのである。もし妊婦が妊娠中に喫 煙をするならば、後日出生する人間は、彼女の行動によってその利益が著しく傷つけられたも のになるかも知れない。しかし仮に彼女が中絶をするならば、彼女の行動によって利益が傷つ けられることになった人間は出現しないことになるのである。もちろんこのことは、中絶は悪 いことが何もないとか、ましてや、中絶は出生してくる子供の健康を危険にさらすことよりも モラル上悪ではない、ということを示唆するものではない。しかし仮に早期の中絶が悪である とするならば、それは、このことを根拠とする――中絶は、それによって生命が絶たれる胎児の 利益に反している――のではない、ということを示唆するものなのである。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『ライフズ・ドミニオン』,第1章 生命の両端――中 絶と尊厳死・安楽死,決定的な相異,信山社(1998),pp.26-27,水谷英夫,小島妙子(訳))
ライフズ・ドミニオン 中絶と尊厳死そして個人の自由 [ ロナルド・ドゥウォーキン ]
|