負債を負っているのは世界の方
絶対的に世界から切り離されて自律し、社会、自然、宇宙と交渉し、負債を返済できると空想することは、常軌を逸した精神状態であり、モラルの論理として説かれれば、それは欺瞞的であり犯罪である。恐らく真実は、世界の方こそが、あなたが生きることから、価値あるものを受け取っているのに違いない。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
「「わたしたちは社会になにを負っているのか?」と問いかけて事象を逆転しようとするこ と、あるいは「自然」やなんらかの宇宙的秩序への「負債」を云々することでさえ、誤った解 決である。それらは、あるモラルの論理からなにごとかを救いだそうとする苦肉の策であるわ けだが、当のモラルの論理こそがそもそもわたしたちを宇宙的秩序から切断した当のものなの だ。そうした発想は要するに、ある過程、すなわち、常軌を逸した精神状態へといたる過程の 頂点でしかない。というのも、それらの発想が前提としているのは次のような事態だからであ る。あまりに絶対的かつ徹底的に世界から切り離されているので、じぶん以外のあらゆる人間 ――あるいはあらゆる生命、宇宙的秩序さえも――ひとまとめに括ることができ、さらに、そう やって括られたもの[社会、自然、宇宙など]と交渉できる、と考えてしまう事態である。歴 史的にみてそのような試みが、わたしたち自身の生を誤った前提の上にあるなにかとみなすこ と、支払い期限をはるかに超過した借金とみなすこと、それゆえ、存在自体を犯罪的なものと みなすことに帰着してしまったのは、なんの不思議もない。しかし、ここに真の犯罪があると したら、それはこの欺瞞である。そもそもこの前提そのものが、欺瞞的なのである。じぶん自 身の存在の基盤と交渉することが可能であると考えること以上に、おこがましく、ばかげた話 しがあるだろうか? むろん、ありえない。〈絶対的なもの〉となんらかの関係をもつこと が、実際に可能であるならば、わたしたちは、完全に時間の外部あるいは人間的時間の外部に 存在する原理と直面していることになる。したがって、中世の神学者たちが正しく認識してい たように、〈絶対的なもの〉に対しては、負債のようなものがそもそもありえないのである。 結論:おそらく世界こそが、あなたから生を借りている[あなたに生を負っている] 」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『負債論』,第12章 いまだ定まらぬなにごとかの はじまり(1971年から今日まで),pp.572-573,以文社(2016),酒井隆史(訳),高祖岩三郎 (訳),佐々木夏子(訳))
負債論 貨幣と暴力5000年 [ デヴィッド・グレーバー ]
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