自然科学と人文学
外部世界についての自然科学と、人間が自ら創造した世界についての知識である人文学は、その目標・方法・可知度が異なる。数学、言語、人間の歴史も「内部から」理解できる。人間が作者・演者・観察者を一身に兼ねているような人間の 諸活動すべての知識もまた然りである。(ジャンバッティスタ・ヴィーコ(1668-1744))
ジャンバッティスタ・ヴィーコ (1668-1744) |
(1)外部世界についての知識
人間が観察し、叙述し、分類し、考察し得て、時間的・空間的 規則性を記録し得る外部世界についての人間の知識である。
(2)人間が自ら創造した世界についての知識
人間自身が創造した世界、人間自身が 自らの創造物に課した規則に従う世界についての知識である。
(a)例えば、数学は人間の案出したものの知識であり、これについて人間は「内部か らの」観点をもっている。
(b)人間が形成した言語の知識もそうである。
(c)人間が作者・演者・観察者を一身に兼ねているような人間の 諸活動すべての知識もまた然り。
(d)歴史は人間の行動に関するものであり、人間の努力・闘 争・目標・動機・希望・危惧・態度姿勢の物語であるがゆえに、この一段と勝った「内側か らの」形で知りうる。
「(3)それゆえに、われわれ人間が観察し、叙述し、分類し、考察し得て、時間的・空間的 規則性を記録し得る外部世界についての人間の知識は、人間自身が創造した世界、人間自身が 自らの創造物に課した規則に従う世界、この世界についての知識とは、原理的に異なる。後者 の知識は、例えば、数学――人間の案出したもの――の知識であり、これについて人間は「内部か らの」観点をもっている。また、言語、自然の諸力が作ったのではなく、人間が形成した言語 の知識もそうである。ひいては、人間が作者・演者・観察者を一身に兼ねているような人間の 諸活動すべての知識もまた然り。さて歴史は人間の行動に関するものであり、人間の努力・闘 争・目標・動機・希望・危惧・態度姿勢の物語であるがゆえに、この一段と勝った――「内側か らの」――形で知りうる。これについては外部世界の知識はおそらく範例となり得ないであろう ――それゆえ、この点については、自然に関する知識をモデルとしているデカルト一派は必然的 に誤っていることになる。これを土台としてヴィーコは、自然科学と人文学との間に、自己理 解と外的世界の観察との間に、またそれぞれの目標・方法・可知度について、明確な一線を画したのである。この二元論は爾来、絶えず熾烈な議論の主題となっている。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ヴィーコとヘルダー』,序説,p.14,みすず書房 (1981),小池銈(訳))
アイザイア・バーリン (1909-1997) |