カール・ポパー(1902-1994)命題集
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カール・ポパー(1902-1994) |
第1部 世界3論
第2部 心身問題
第3部 科学基礎論
第4部 社会科学方法論、進化論、歴史論
第1部 世界3論
(1)世界3は、世界1のなかに符号化されている
(2)世界3の存在
(3)世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、世界3である
(4)世界3は、世界2としては全く具現化されていなくても、存在する
(5)人間は、未だ世界1の中に具現化されていない世界3の対象を、把握したり理解したりする ことができる
(6)世界3は、世界1や世界2と同じ意味で、実在的な存在である
(7)世界3の自律性
第2部 心身問題
(1)【各論の概要】
(1.1)【徹底的唯物論】
(1.2)【同一説(中枢状態説)】
(1.3)【随伴現象論(epiphenomenalism)】
(1.4)【汎心論】
(2)【心身問題と世界3】
(2.1)心身問題と世界3
(2.2)世界3に属するもの
(2.3) 世界3の生成と変化の法則
(2.4)一つの反論:世界3の創造とは、世界1または世界2の中の符号との相互作用ではないのか(ジョン・エックルス(1903-1997))
(2.5)反論への回答
(2.6)心身問題における言語の役割
(2.6.1)言語の習得は、世界1の基盤によって支えられている
(2.6.2)言語の習得は、意識的、能動的な世界3の学習と探究の過程である
(2.6.2.1)記憶と学習
(2.6.3)人間の理性と人間の自由の創発
(2.6.4)言語の機能
(2.6.5)言語のフィードバック効果
(2.6.6)世界3の所産としての自我
第3部 科学基礎論
(1)真理の探究
(2)理論の役割
(2.1)道具主義的な計算規則と理論との違いは何か
(3)理論は実証できない
(3.1)帰納の非妥当性の原理
(3.2)観察は知識の源泉ではないのか?
(3.2.1)確実な経験と科学的事実
(3.2.2)相互主観的テスト可能性
(3.2.3)科学と独断論、心理主義
(3.2.4)観察の役割
(3.3)確実な知識の源泉はない
(3.3.1) 観察、論理的思考、知的直観、想像力
(3.3.2)知識の源泉としての伝統
(3.4)理論は人間精神の一つの自由な創造物である
(3.5)理論は人間の歴史の所産であり、多くの偶然に依存している
(4)では、理論の客観性とは何か
《小目次》
(1)科学的知識の性質
(1.1)科学的客観性を保証するもの
(1.2)科学者の友好的かつ敵対的協働
(1.3)科学における権威主義と批判的アプローチの対比
(2)大胆な理論の提起
(2.1)科学と擬似科学を区別する反証可能性
(2.2)ある出来事が生じないことを予言する理論
(2.3)テスト可能性の度合
(2.4)テストの厳しさの度合
(3)誤りを除去する批判的方法
(3.1)批判に対する辛抱強い反論の必要性
(3.2)実験的テスト
(3.3)実験は理論に導かれている
《小目次終わり》
(5)経験主義の原理
(6)帰納の論理的問題
(7)批判的合理主義の原理
(7.1)批判的推論
(7.2)観察と実験の役割
(7.3)理論の拒否、受容の条件
(7.3.1)後退を防ぐ保守的な条件
(7.3.2)新しい仮説に望まれる革命的な条件
(7.3.3)観察と実験による判定
(7.4)世界の謎は汲み尽くされることはない
(8)傾向なのか、方法と能動的な行為なのか
(8.1)傾向と考える理論
(8.2)方法と能動的な行為と考える理論
第4部 社会科学方法論、進化論、歴史論
(1)人間や社会に関する法則とは?
(1.1)社会理論と社会との相互作用
(1.1.1)情報から社会への影響(オイディプス効果)
(1.1.2)社会から情報への反作用
(1.1.3)社会に関する理論と社会との相互作用
(1.2)問題:社会に関する理論の客観性とは何か
(1.2.1)解答:予言と技術的予測
(1.2.2)技術的社会科学
(1.2.3)技術的社会科学の効用
(1.2.4)方法論的唯名論と本質主義
(1.2.5)解答:方法論的個人主義
(1.2.6)仮説モデルとしての社会的存在
(1.2.7)社会科学における実験に関する問題提起
(1.2.8)解答:科学的な実験とは何か
(1.3)価値論
《小目次》
(1)問題:人間の本性にかなう行為と、人間の本性を害する行為とは?
(2)我々は、いかに行為すべきか
(3)規範を事実の上に基礎づけることは不可能
(3.1)生物学的自然主義への批判
(3.2)倫理的実定主義への批判
(3.3)心理学的自然主義への批判
(4)フレームワークの神話
(4.1)独断論
(4.2)共約不可能性
(4.3)相対主義
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
(5.3)反論
(5.4)反論への回答
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
(5.4.3)客観的真理の増大という価値
(5.4.4)合理主義と平等主義との関係
(6)私はいかに行為すべきか
《小目次終わり》
(2)生命の起源、生命の進化
(2.1)物理的過程との相関、累進的な単称的分析
(2.2)問題(あるいは情報)は実在的なものである
(2.3)生命の起源
(2.4)自己増殖、適応、変異
(2.5)問題解決方法も、問題であった
(2.6)進化論と世界3
(3)歴史とは何か
(3.1)問題:歴史における出来事の新奇性
(3.2)解答:新奇性、歴史性とは何か
(3.3)解答:単称言明である仮説
(3.4)問題:生命の進化や人間の歴史に法則は存在し得るのか?
(3.5)進化に傾向はあるのか
(3.6)規則性の因果的説明とは何か
(3.7)人間の歴史
(3.7.1)人間の歴史の道筋は予測できるのか
(3.7.2)歴史の中に「発見される意味」は恣意的、偶然的、非科学的なもの
(3.7.3)倫理的理念や目標設定によって初めて歴史に意味を読み取れる
(3.7.4)各世代の歴史解釈
(3.7.5)開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治
(3.7.6)将来の運命は私たち自身にかかっている
第5部 めざすべき社会──自由主義の諸原則
(1)必要悪としての国家
(1.1)政治的、物理的制裁力
(2)民主主義の本質
(2.1)多数者支配は民主主義の本質ではない
(2.2)民主主義かどうかの認定規準
(2.3) 民主主義的憲法の改正限界
(2.4)寛容の限界
(2.5)民主主義を保護する制度
(2.6)経済的諸利益が依存するもの
(2.7)全ての闘いにおいて民主主義の維持が最優先である
(3)何事かをなし得るのは市民
(3.1)個人主義
(3.2)個人主義的利他主義
(4)民主主義は、最も害が少ない
(4.1)開かれた社会
(5)制度は善用も悪用もできる
(6)制度を支える伝統の力
(7)自由主義の諸原則は改善のための原則
(7.1)事実から目標は導出できない
(7.2)事実から目標が導出可能とする反論
(7.3)政治とは、政治目標とその実現方法の選択である
(7.4)最初に目標を決めることについて
(7.4.1)ユートピア的態度
(7.4.2)ユートピア主義への批判
(7.5)空想的な目標
(7.5.1)善い目的は悪い手段を正当化するか
(7.5.2)より大きな悪を避けるための手段としての悪
(7.5.3)ある行為の全結果と他の行為の全結果の比較
(7.5.4)政治権力と社会知識の相補性
(7.5.5)世論について
(7.5.6)制度による選抜の弊害
(7.6)事実の評価
(7.6.1)ピースミール工学
(7.7) 悪に対する漸次的闘い
(8)伝統としての道徳的枠組み
(8.1)伝統の力
(8.2)合理的討論の原則
(8.2.1)可謬性の原則
(8.2.2)合理的討論の原則
(8.2.3)真理への接近の原則
(8.3)思想の自由と真理
(8.4)知にかかわる倫理
───────────────────
世界3論
《概要》
《目次》
(1)世界3は、世界1のなかに符号化されている
(2)世界3の存在
(3)世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、世界3である
(4)世界3は、世界2としては全く具現化されていなくても、存在する
(5)人間は、未だ世界1の中に具現化されていない世界3の対象を、把握したり理解したりする ことができる
(6)世界3は、世界1や世界2と同じ意味で、実在的な存在である
(7)世界3の自律性
(1)世界3は、世界1のなかに符号化されている
(a)世界3とは、物語、説明的神話、道具、真であろうとなかろうと科学理論、科学上の問題、 社会制度、芸術作品(彫刻、絵画など)のような人間の心の所産の世界である。対象の多くは 物体の形で存在し、世界1に属している。例として、書物そのものは、世界1に属している。
┌世界1────┐
│人間⇒世界3│
│ の符号│
└───────┘
(b)モナド論による定式化:実体的紐帯の精神
人間の精神は、書籍を媒介物として、他者の精神と直に接触する。それは、自己の精神内の現象でありながら、元々の自己ではなく、また他者の精神そのものでもない。これを、新たなモナドである実体的紐帯の精神という概念で理解する。
一般化する。人間は、人間の精神が創り出した物理的対象物を媒介物として、他者と相互作用する。一つの物理的媒介物は、一つの実体的紐帯を発生させる。実体的紐帯の精神が世界3である。
(2)
世界3の存在 世界3は、単に世界1の特定の対象ではない。また、個々の世界2の集まりともみなせな い。世界1、世界2とは別の世界が確かに存在する。
(a)人間の心の所産である対象が、人間とともに存在しているとき、そこに世界1、世界2と は異なる世界が生まれる。例えば書物には「内容」が存在する。この内容は世界1ではない し、読者の個人的な世界2でもない。これは、世界3に属している。そして内容は、本ごとや版 ごとで変わりはしない。
(b)世界3の諸対象は、我々自身の手になるものであるが、それらは必ずしも常に個々人に よって計画的に生産された結果ではない。
┌世界2────┐
│世界3
⇔ 世界3
│の符号 │
└───────┘
(3)
世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、世界3である (参照:
世界3とは何か?(カール・ポパー(1902- 1994))
世界1に具現化されている世界3は、本のように符号化されたものもあれば、芸術作品のよう に世界1の対象の役割がより大きいものもあるが、世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解 するのは、物質化された世界3の対象というよりも、むしろ、物質化とは無関係な世界3の側面 である。
(a)私たちが本を読んで「意味」を理解する方法も、ページの上に符号化、具現化されたも のを飛び越して、世界3の属する意味を直接把握しているように思われる。
(b)特別な本ではない場合は、世界1の対象は単に付随的な符号と思われるかも知れないが、 例えば、ダンテの稀覯本を扱う際の鑑識家の楽しみは、特定の対象としての世界1に依存して いる。しかし、その楽しみは歴史などの知識に基づく世界3に属している。
(c)例として、ミケランジェロの彫刻はどうだろう。この場合は、さらに世界1の対象の役割 が大きくなる。しかし、世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、物質化された 世界3の対象というよりも、むしろ、物質化とは無関係な世界3の側面である。
(d)モナド論による定式化
個別の精神が接触するのは、実体的紐帯の精神である。
(d)モナド論による定式化
(c.1)世界3の無時間性が、そう感じさせる
(d)未知の諸結果が発見されるのを待っており、また、未解決の問題については、その解決 が客観的に存在すると理解することが、発見と解決のための探究の重要な前提条件である。
(8)世界3の歴史
世界3は歴史をもっている。それはわれわれの観念の歴史である。
(1.2)【同一説(中枢状態説)】
(1.3)【随伴現象論(epiphenomenalism)】
(1.4)【汎心論】
(2)【心身問題と世界3】
(2.1)心身問題と世界3
(2.2)世界3に属するもの
(2.3) 世界3の生成と変化の法則
(2.4)一つの反論:世界3の創造とは、世界1または世界2の中の符号との相互作用ではないのか(ジョン・エックルス(1903-1997))
(2.5)反論への回答
(2.6)心身問題における言語の役割
(2.6.1)言語の習得は、世界1の基盤によって支えられている
(2.6.2)言語の習得は、意識的、能動的な世界3の学習と探究の過程である
(2.6.2.1)記憶と学習
(2.6.3)人間の理性と人間の自由の創発
(2.6.4)言語の機能
(2.6.5)言語のフィードバック効果
(2.6.6)世界3の所産としての自我
─────────────
(1)【各論の概要】
(1.1)【徹底的唯物論】
世界1のみが実在する。
時間1 世界1・P1 ⊃ 世界2・M1
↓ ↓
時間2 世界1・P2 ⊃ 世界2・M2
(1.2)【同一説(中枢状態説)】
世界1は、次の2つの世界に区別することができる。すなわち、意識的過程と同一である物理 過程の世界 1mと、それ以外の世界 1pである。世界 1mと、世界 1pには、相互作用が可能である。
徹底的唯物論とは異なり、心的世界2も実在すると考える。心的世界2と、身体・大脳の物理 的過程 1m とは、世界1のなかの同一の実体についての、異なる二つの記述方 法である。したがって、随伴現象論とは異なり、心的世界2も、世界1の実体として物理過程と 相互作用することができる。
時間1 世界1・P1 ⊃ 1m・状態1
│ │ =世界2・M1
↓ ↓
時間2 世界1・P2 ⊃ 1m・状態2
=世界2・M2
(1.3)【随伴現象論(epiphenomenalism)】
精神状態は、脳内のプロセスに随伴する。ただし、因果関係にはかかわらない。
また、汎心論とは異なり、生命のある対象のみが、内的または主観的経験を持つと考える。
時間1 世界1・P1 ⇒ 世界2・M1
↓ ↓
時間2 世界1・P2 ⇒ 世界2・M2
(1.4)【汎心論】
純粋な物理的対象も、多かれ少なかれ我々自身の内的意識に類似の内面を持っている。
時間1 世界1・P1 世界2・M1
↓ ↓ ↓意識的な思考過程
時間2 世界1・P2 世界2・M2
(2)【心身問題と世界3】
(2.1)心身問題と世界3
個別の精神が、物理的諸法則に従いつつも、なぜ能動的に働き物理的世界に影響を与え得るように見えるのかを理解するのに、個別の精神が実体的紐帯の精神を把握して新たな実体的紐帯の精神を生成するという事実が重要な役割を果たしている。
個別の精神が、ある計算をしたとする。あるいは、紙の上に計算式を書き下したとする。あるいはまた、コンピュータの中である計算が実行されたとする。その計算が正しいか誤っているかは、確かに意味があるが、これは物理的法則で説明できるのか。あるいは個別の精神の何からの法則で説明できるのか。実体的紐帯の精神の概念で理解できる。
(2.3) 世界3の生成と変化の法則
世界1を支配する諸法則によって、世界3の生成と変化を理解することができるだ ろうか。できるとは、思えない。
時間1 世界1・P1⇒世界3・C1
↓ ↓
時間2 世界1・P2⇒世界3・C2
(a)世界2は、世界3を把握し、批判的な選択作用により、新たな世界3を作り出す。
個別の精神は、実体的紐帯の精神を把握し、批判的な選択作用により、新たな実体的紐帯の精神を作り出す。
時間1 世界3・C1⇔世界2・M1
│ │┌───┘
↓ ↓↓
時間2 世界3・C2⇒世界2・M2
(b)世界3は、世界2との相互作用によって、新たな世界3を生成する。
実体的紐帯の精神は、個別の精神との相互作用によって、新たな実体的紐帯の精神を生成する。
時間1 世界1・P1(世界3・C1⇔世界2・M1)
│ │ │┌───┘
↓ ↓ ↓↓
時間2 世界1・P2(世界3・C2⇒世界2・M2)
(c)世界2が、未だ世界3のなかに表現されておらず、したがって当然、世界1に は存在しない新しい問題を発見したり、問題への新しい解決を発見するときのような創造的行 為を考えると、世界2が必ず世界1を経由するということは、誤りではないかと思われる。
(d)例として、数学の問題を発見し、証明する過程。
(i)最初に問題を感じ、問題の存在に気づく。あるいは、証明の考案がなされる。
(ii)次に、(i)が言語で表現される。
(iii)明確化し、証明の妥当性を批判的に調べるため、世界1の表現に具現化される。
(e)例として、数学における無限の概念は、世界1、世界2に具現化されなくて も、直接把握される。論証のための表現は世界1、世界2に具現化されるが、概念そのものは直 接把握されるように思われる。
(f)例として、私たちが本を読んで「意味」を理解する方法も、ページの上に符 号化、具現化されたものを飛び越して、世界3の属する意味を直接把握しているように思われ る。
(2.4)一つの反論:世界3の創造とは、世界1または世界2の中の符号との相互作用ではないのか(ジョン・エックルス(1903-1997))
(g.1)モナド論による反論の定式化
個別の精神は、直接的に実体的紐帯の精神と関係を持つのではなく、物理的世界を経由しているのではないか。すなわち、個別の精神は、実体的紐帯の身体たる物理的媒介物である符号、あるいは個別の精神内の何らかの対象に働きかけることで、新たな実体的紐帯の精神を生成するのではないか。
(b2.3.1)世界3の対象は、世界1の物質的対象の上に符号化されている。
(b2.3.2)世界2は、世界1の符号から意識経験を引き出している。
(符号)⇔(符号の意識経験)⇔(世界3)
世界1・S1⇔世界2・S1⇔世界3・C1
世界1・S2⇔世界2・S2⇔世界3・C2
(b2.3.3)世界2は、世界3の符号である世界1の対象へ働きかけることで、新たな世界3を 生成する。
時間1 世界1・P1⊃世界1・S1⇔世界2・S1⊂世界2・M1
│ │ │ ↓↑ │
│ │ │ 世界3・C1 │
│ │ │ ┌─────────┘
↓ ↓ ↓ ↓
時間2 世界1・P2⊃世界1・S2⇔世界2・S2⊂世界2・M2
↓↑
世界3・C2
(b2.3.4)世界2は、世界3の符号である世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を
生成する。
時間1 世界1・P1 世界2・S1⊂世界2・M1
│ │ │ ↓↑ │
│ │ │世界3・C1 │
│ │ │ ┌────┘
↓ ↓ ↓ ↓
時間2 世界1・P2 世界2・S2⊂世界2・M2
↓↑
世界3・C2
(2.5)反論への回答
(b2.4)
世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生 成し、世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1と世界2へ 具現化する。(カール・ポパー(1902-1994))
(m)モナド論による定式化
個別の精神は、実体的紐帯の精神と直接的に相互作用し、新たな実体的紐帯の精神を生成し、物理的世界または個別の精神内の対象に働きかけることで、新たな実体的紐帯の精神を、物理的世界や個別の精神内へ具象化する。
(b2.4.1)世界3の符号である世界1の対象は、いかに世界2により働きかけられるにして も、それ自体は世界1の対象であるから、世界1の諸法則に従って生成・変化する。また世界2 は、いかにそれが自ら固有の法則に従って働きかけるかのように見えようが、世界1の諸法則 に支えられている。世界2は、最初に直接的に、世界1の諸法則には服さない世界3との関係を 持つことなしには、世界1の因果関係から逃れることはできない。
(m)モナド論による定式化
もし個別の精神が、実体的紐帯の身体たる物理的媒介物である符号を使っているならば、符号は物理的世界の法則の制約の下にある。また、個別の精神内の何らかの対象に働きかけているのなら、物理的法則とは異なる精神の法則には従ってはいるものの、個別の身体との相関法則には服している。
(b2.4.2)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象へ働 きかけることで、新たな世界3を世界1へ具現化する。
(2.6.2.1)記憶と学習
(2.1.1)エピソード記憶
個人が経験した出来事に関する記憶で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べた か、というような記憶に相当する。
(a)関連:「連続性形成記憶」。アンリ・ベルクソンの《純粋記憶》に関連しているよ うに思われる。すなわち、われわれの経験すべての正しい時間的順序による記録である。 (カール・ポパー(1902-1994))
(2.1.2)意味記憶
知識に相当し、言語とその意味(概念)、知覚対象の意味や対象間の関係、社会的約 束など、世の中に関する組織化された記憶である。
(例) 試行錯誤、問題解決、あるいは行為と選択による能動的学習(カール・ポパー (1902-1994))
生得的な、そして獲得した《いかに行動するかの知識》と、背景にある《何であるかの 知識》とによって導かれる能動的探究
(a)新しい推測、新しい理論の作成
(b)その新しい推測や理論の批判とテスト
(c)その推測の拒絶と、それがうまくいかないという事実の記録
(d)もとの推測の修正や新しい推測を用いての(c)から(a)への過程の反復
(e)新しい推測がうまくいくようだという発見
(f)補足的なテストを含む、その新しい推測の適用
(g)その新しい推測の実際的で標準化された、反復的な使用
(2.2)非陳述記憶(非宣言的記憶)
意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶であ る。
(2.2.1)手続き記憶
手続き記憶(運動技能、知覚技能、認知技能など・習慣)は、自転車に乗る方法やパズ ルの解き方などのように、同じ経験を反復することにより形成される。一般的に記憶が一旦形 成されると自動的に機能し、長期間保たれるという特徴を持つ。
(2.2.2)プライミング
プライミングとは、以前の経験により、後に経験する対象の同定を促進(あるいは抑 制)される現象を指し、直接プライミングと間接プライミングがある。
(2.2.3)古典的条件付け
古典的条件付けとは、梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練 により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応(行動)が形成される現象をい う。
(2.2.4)非連合学習
非連合学習とは、一種類の刺激に関する学習であり、同じ刺激の反復によって反応が減 弱したり(慣れ)、増強したり(感作)する現象である。
(3)獲得方法に基づく記憶の分類(カール・ポパー(1902-1994))
(3.1)生得的な記憶
(a)遺伝子に暗号化された蛋白質(酵素)合成のプログラム
(b)生得的神経路の構造
(c)機能的性格をもった付加的な生得的記憶がある。これは歩いたり話したりすることを 学ぶためのさまざまな機能を十分に発達して生得的能力を含むようである。免疫学的記憶もま たここに挙げることができる。
(d)泳ぎ方、描き方、教え方を学ぶような、成熟とは密接に結びついていない学習のため のその他の生得的能力。
(3.2)何らかの学習過程を通して獲得される記憶
(a)無意識的で受動的な学習過程によって獲得される記憶
(b)意識的で能動的な学習過程によって獲得される記憶
(4)想起の様相に基づく記憶の分類(カール・ポパー(1902-1994))
(4.1)能動的に随意に想起できる記憶
(4.2)随意に想起できず、求められなくとも想起されてしまう記憶
3種類の学習:(1)試みと誤りによる学習、推測と反駁による学習、(2)模倣による学習、伝統 の吸収、(3)習慣形成による学習、反復そのものによる学習。(カール・ポパー(1902- 1994))
(1)試みと誤りによる学習、推測と反駁による学習
(a)新しい情報の獲得、すなわち新しい事実や新しい問題の発見、問題に対する新しい解決 の発見をもたらす学習である。
(b)解こうとしている問題、テストしようとしている推測に基づく、体系的観察による学習 と、偶然的な観察からの学習を含む。
(c)理論的なものだけでなく、新しい技能とか、物事を行なう新しいやり方など、実践的な ものも含む。
(2)模倣による学習、伝統の吸収
(a)原始的で重要な学習のひとつの形態で、高度に複雑な本能に基礎をおいている。
(b)示唆や感情が学習で演じている役割は、他の仕方での学習よりもはるかにはっきりして いる。
(c)模倣による学習は、いつでも典型的な試みと誤りの過程でもある。
(3)習慣形成による学習、反復そのものによる学習
(1)と(2)によって学ばれた解決に、慣れ親しむことによる学習である。
自我とは、
(a)物質的環境との相互作用の所産である。
(b)他者との相互作用の所産である。
(c)世界3の能動的な学習と、探究の成果の所産である。
(i)例えば、科学的知識は「私の」知識ではない。
(ii)宗教的信念、道徳的信念、形而上学的信念も、ある伝統を吸収した結果である。
(iii)伝統のいくつかを自ら批判することは、「自分の知識」であると信じているものを 形成するのに重要な役割を演じるであろう。
(iv)そうした批判はほとんどいつでも、伝統の内部や、様々な伝統のあいだに不整合を発 見することから引き起こされてくる。
(v)自らの観察経験が伝統的理論を本当に反証する機会などめったにない。
(vi)もちろん、「私自身の経験」による「個人的知識」は存在する。しかし、その経験を 表現する言語の由来まで考えれば、完全に「私自身の経験」の結果だと言えるものなどほとん どない。
────────────────────
科学基礎論
(1)真理の探究
(2)理論の役割
(2.1)道具主義的な計算規則と理論との違いは何か
(3)理論は実証できない
(3.1)帰納の非妥当性の原理
(3.2)観察は知識の源泉ではないのか?
(3.2.1)確実な経験と科学的事実
(3.2.2)相互主観的テスト可能性
(3.2.3)科学と独断論、心理主義
(3.2.4)観察の役割
(3.3)確実な知識の源泉はない
(3.3.1) 観察、論理的思考、知的直観、想像力
(3.3.2)知識の源泉としての伝統
(3.4)理論は人間精神の一つの自由な創造物である
(3.5)理論は人間の歴史の所産であり、多くの偶然に依存している
(4)では、理論の客観性とは何か
《小目次》
(1)科学的知識の性質
(1.1)科学的客観性を保証するもの
(1.2)科学者の友好的かつ敵対的協働
(1.3)科学における権威主義と批判的アプローチの対比
(2)大胆な理論の提起
(2.1)科学と擬似科学を区別する反証可能性
(2.2)ある出来事が生じないことを予言する理論
(2.3)テスト可能性の度合
(2.4)テストの厳しさの度合
(3)誤りを除去する批判的方法
(3.1)批判に対する辛抱強い反論の必要性
(3.2)実験的テスト
(3.3)実験は理論に導かれている
《小目次終わり》
(c)応用可能性の限界なのか、反証なのか
応用可能性の限界があっても使われるのか(道具主義)、反証されると破棄されるのか (理論)の違いがある。
(d)適用可能領域の変更なのか、反証なのか
適用可能領域の変更があっても破棄されないのか(道具主義)、適用の失敗が反証事例と 考えられるのか(理論)の違いがある。
(e)特殊化する傾向があるか、一般化する傾向があるか
ますます特殊化する傾向があるか(道具主義)、ますます一般化する傾向があるか(理 論)の違いがある。実用的な観点からは、道具は手もとの特殊な目的にとってもっとも便利な ものであることが望まれる。
(f)論理的に異なる理論への態度が異なる
実際的な応用が予測できるかぎりでは、いまのところ、両者の区別がつかないといった ケースの場合、2つの理論がその適用領域で同じ結果をもたらすなら、それらは等しいと考え るのか(道具主義)、2つの理論が論理的に異なっていれば、異なった結果が生じるような適 用領域を見つけ出そうとするか(理論)の違いがある。
(g)未知の出来事の予測の有無
既知の出来事をうまく予測しようとするだけなのか(道具主義)、決して誰も考えもしな かったような出来事が予測されることがあり得ると考えるのか(理論)の違いがある。理論で は、もしこれが「真理」であるならば、このようなことが生じるはずだという予測がある。
(h)道具以上の何らかの情報内容
(3.1)帰納の非妥当性の原理
(a)どんな帰納推理も、妥当ではあり得ない。すなわち、単称の観察可能な事例、およ び、それらの反復的生起から、規則性とか普遍的な自然法則へ至る妥当な推論はあり得ない。
(b)理論を信じる実証的理由は、決して得られない。
(3.2.1)確実な経験と科学的事実
(a)いかに確実に思える経験でも科学的事実ではない
確信の感情がいかに強烈であっても、それは言明をけっして正当化しえない。たとえば、私は、ある言明の真実性をまったく確信できる。私の知覚の明証は確かである。私の経験の強烈さは圧倒的だ。一切の疑 いは私には馬鹿らしく思える。しかし、このことは科学にたいして私の言明を受容れさせる理由にはならない。
(b)経験を表示する言明は心理学的な仮説
経験を表示する言明(我々の知覚を叙述している言明、プロトコル文とも呼ばれるれる)は、科学においては心理学的言明であり、相互主観的テストが必要な仮説に過ぎない。
(c)経験への還元主義は誤りである
従って、科学的言明の客観性を、経験を表示する言明に還元することによって基礎付けようとする理論は、誤りである。
(3.2.2)相互主観的テスト可能性
(a)相互主観的テスト可能性
科学的言明が客観的でなければならぬ、という要求を固 持するとすれば、科学の経験的基礎に属する諸言明もまた客観的、つまり相互主観的にテスト 可能でなければならない。
(b)科学にはテスト不能な言明は存在しない
なぜなら、そのその言明が理論において意味があるのなら、演繹の連鎖の中で、その言明が前提条件として登場するような、別の言明があることになるが、その言明がテスト可能なら元の言明もテスト可能だからである。
(c)演繹結果によるテストには、無限後退の困難は存在しない
ある言明が真であるかどうかを、明らかに真である言明にまで遡らせようとする方法論には、無限後退の困難がある。しかし、テストの演繹的方 法は、テストしようとしている言明を確立または正当化しえないし、またそうするつもりもな い。従って、無限後退の困難はない。
(d)無限のテスト可能性について
しかし、明らかにテストは事実上、無限に遂行することはできない。これは問題ないのか。問題ない。なぜなら、無限のテスト可能性の要求は、受容れられるに先立って実際にテストされてしまっていなければ ならぬという条件とは異なるか
(3.2.3)科学と独断論、心理主義
(a)科学は独断論なのか
理論が確証されていない仮説にとどまるという意味で独断論というなら、そうである。しかし科学における理論は全てこのようなものであり、また必要とあれば、これらの基礎言明は容易 にテストを続行できるようなものである。
(a)科学は心理主義なのか
(i)理論が予測する結果の確認が、我々の知覚的経験に依存しているという意味で、心理主義というなら、その通りである。しかし科学においては、その知覚的経験によってある言明が事実であることを正当化するのではない。その知覚的経験の情報によって、言明の受け入れまたは拒否の判断の材料として使われるだけである。
(3.2.4)観察の役割
(a)知識は、タブラ・ラサから始めることはできない。
(b)一般的には、ある観察や発見の影響範囲は、それによって既存の理論を修正できるか どうかにかかっている。
(c)ある観察や偶然の発見によって知識が進歩することは、時として可能ではある。
(3.3)確実な知識の源泉はない
知識が事実であることを約束するような「知識の源泉」は、ない。
(3.3.1) 観察、論理的思考、知的直観、想像力
観察、論理的思考、知的直観、知的想像力は、未知の領域に踏み込むために必要な大 胆な理論を創造する際の助けになり、重要なものである。しかし、真理であることを約束して くれるわけではない。それどころか、誤りへと導いてしまうかもしれない。実際、私たちの理 論のほとんど大部分は、誤りである。
(3.3.2)知識の源泉としての伝統
知識の重要な源泉は、伝統である。知識の内容だけでなく、知識の習得方法や態度なども、伝統を通じて獲得される。
(3.5)理論は人間の歴史の所産であり、多くの偶然に依存している
(4)では、理論の客観性とは何か
仮説的推測的知識の客観性の本質は,推論を反駁し,テ ストで反証しようとする他者の存在である.また,科学と擬似科学を区別するのは理論の反証可 能性である.自由な批判とテストによって誤りが除去されていく.(カール・ポパー (1902-1994))
(1)科学的知識の性質
あらゆる科学的知識は仮説的ないし推測的なものである。
(1.1)科学的客観性を保証するもの
科学的客観性は、その理論を反駁しようとする批判によって保証される。
(1.2)科学者の友好的かつ敵対的協働
客観性は、個々の科学者の客観性ないし公平無私によって保証されるのではなく、「科学 者の友好的かつ敵対的協働」とでも呼べる科学者の集団によってもたらされる。
(1.3)科学における権威主義と批判的アプローチの対比
科学における権威主義は、科学上の理論を確立しようとする観念、すなわち理論を証明し たり、実証したりしようとする観念と結びついていた。批判的アプローチは、科学上の推測を テストしようとする観念、すなわち推測を反駁したり、反証したりしようとする観念と結びつ いている。
(2)大胆な理論の提起
知識の成長、とくに科学的知識の成長は、われわれの誤りから学ぶことにある。まず、あえ て誤りを犯すというリスクを冒すこと、すなわち、新しい理論を大胆に提起する。
(2.1)
科学と擬似科学を区別する反証可能性 理論とか仮説とか推測が科学において果たす根本的な役割は、テスト可能(あるいは反証 可能)な理論と、テスト可能ではない(あるいは反証可能ではない)理論とのあいだの区別を 重要なものにする。
()存在言明について
(2.2)ある出来事が生じないことを予言する理論
ある特定の出来事が生じないであろうと予言する理論が、反証可能な理論である。あらゆ る手段を講じて、その出来事を生じさせようと努めることが、テストになる。
(2.3)テスト可能性の度合
より多くのことを主張し、したがってより多くのリスクを冒している理論の方が、主張を あまりしていない理論よりテスト可能性の度合が高い。
(2.4)テストの厳しさの度合
定性的なテストは、一般的にいえば、定量的なテストよりきびしさの度合が低い。また、 より正確な定量的予測のテストの方が、正確さの劣る予測のテストよりもいっそう厳しいテス トである。
(3)誤りを除去する批判的方法
われわれが犯した誤りを系統的に探すこと、すなわち、われわれの理論を批判的に議論した り、批判的に検討したりする。
(3.1)批判に対する辛抱強い反論の必要性
科学の方法は批判的議論の方法なので、批判の対象となっている理論が、辛抱強く擁護さ れるべきだということもおおいに重要なことである。というのは、そのような仕方でのみ、理 論のもつ真の力を知ることができるからだ。
(3.2)実験的テスト
この批判的議論で用いられるもっとも重要な議論のなかには、実験的テストによる議論が ある。
(3.3)実験は理論に導かれている
実験は、つねに理論によって導かれている。
(b)この問題から、反合理主義的な結論を引き出すのは誤りである。
(7)批判的合理主義の原理
(7.1)批判的推論
科学理論の採否は、批判的推論に依拠すべきである。
(a)矛盾について
(b)矛盾を許さないという決意
(7.3.3)観察と実験による判定
もし、決め手となる実験が新しい仮説に有利に決まるなら、より「真理らしさ」が増大 した、科学理論は「進歩した」と言うことができる。
(7.4)世界の謎は汲み尽くされることはない
ある問題の解決は、新たな未解決の問題を生み出す。世界の事物についての諸経験が深ま るほど、知識が深まるほど、自分たちの無知についての知識がいっそう明確になってゆく。こ れは、無知が必然的に際限のないものであるのに対して、私たちの知識には限界があるという 事実に由来する。
(8)傾向なのか、方法と能動的な行為なのか
科学理論は、理論や仮説に固有の傾向として、真理らしさの増大に「向かう」と言うべきで はない。科学の進歩は、誤謬消去を基礎とした科学の方法と、我々の批判的で能動的な行為に より支えられている。
(8.1)傾向と考える理論
第2部 社会科学方法論、進化論、歴史論
《目次》
(1)人間や社会に関する法則とは?
(1.1)社会理論と社会との相互作用
(1.1.1)情報から社会への影響(オイディプス効果)
(1.1.2)社会から情報への反作用
(1.1.3)社会に関する理論と社会との相互作用
(1.2)問題:社会に関する理論の客観性とは何か
(1.2.1)解答:予言と技術的予測
(1.2.2)技術的社会科学
(1.2.3)技術的社会科学の効用
(1.2.4)方法論的唯名論と本質主義
(1.2.5)解答:方法論的個人主義
(1.2.6)仮説モデルとしての社会的存在
(1.2.7)社会科学における実験に関する問題提起
(1.2.8)解答:科学的な実験とは何か
(1.3)価値論
《小目次》
(1)問題:人間の本性にかなう行為と、人間の本性を害する行為とは?
(2)我々は、いかに行為すべきか
(3)規範を事実の上に基礎づけることは不可能
(3.1)生物学的自然主義への批判
(3.2)倫理的実定主義への批判
(3.3)心理学的自然主義への批判
(4)フレームワークの神話
(4.1)独断論
(4.2)共約不可能性
(4.3)相対主義
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
(5.3)反論
(5.4)反論への回答
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
(5.4.3)客観的真理の増大という価値
(5.4.4)合理主義と平等主義との関係
(6)私はいかに行為すべきか
《小目次終わり》
(2)生命の起源、生命の進化
(2.1)物理的過程との相関、累進的な単称的分析
(2.2)問題(あるいは情報)は実在的なものである
(2.3)生命の起源
(2.4)自己増殖、適応、変異
(2.5)問題解決方法も、問題であった
(2.6)進化論と世界3
(3)歴史とは何か
(3.1)問い:歴史における出来事の新奇性
(3.2)解答:新奇性、歴史性とは何か
(3.3)解答:単称言明である仮説
(3.4)問題:生命の進化や人間の歴史に法則は存在し得るのか?
(3.5)進化に傾向はあるのか
(3.6)規則性の因果的説明とは何か
(3.7)人間の歴史
(3.7.1)人間の歴史の道筋は予測できるのか
(3.7.2)歴史の中に「発見される意味」は恣意的、偶然的、非科学的なもの
(3.7.3)倫理的理念や目標設定によって初めて歴史に意味を読み取れる
(3.7.4)各世代の歴史解釈
(3.7.5)開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治
(3.7.6)将来の運命は私たち自身にかかっている
(1.1)社会理論と社会との相互作用
(1.1.1)情報から社会への影響(オイディプス効果)
(a)予測というのは一つの社会的なできごとであり、ほかの社会的できごとと相互作用する可能 性がある。そのほかのできごとには、当の予測の対象も含まれる。
(b)極端な場合、予測自体が《原因》となってそのできごとが起こるということもあるかもしれ ない。
(c)何かを予測することも、予測を控えることも、さまざまな結果をもたらしうる。
注意すべき理論
(1.1.2)社会から情報への反作用
(a)予測自体が予測したできごとに影響を及ぼすかもしれないということも 意識すると、予測の中身にも逆の影響が及ぶ可能性がある。
(b)ある状況においては、予測の影響が、予測をする観察者にも逆向きの重大な影響を返 すことがありうる。
(1.1.3)社会に関する理論と社会との相互作用
(a)社会の発展のある一時期にある種の傾向が内在する場合は必ず、その発展に影響を及ぼ すよう な社会学理論があると考えていい。その場合、社会科学は新しい時代を生み出すのに手 を貸す助産婦の役割を果たすかもしれないが、保守的な利益のために、起ころうとしている社 会の変化を遅らせる働きをする可能性もある。
(b)ヒストリズム
各学説や学派を、特定の時代に支配的 だった嗜好や利害に関係づけて説明する。
(c)知識社会学
各学説や学派を、政 治的、あるいは経済的、あるいは階級的利害に関係づけて説明する。
(1.2)問題:社会に関する理論の客観性とは何か
社会科学者は懸命に真実を見出そうとしているのだろうが、同時に、必ず社会に確かな 影響を及ぼすことになる。社会科学者の言明が《実際に》影響を及ぼすという事実により、科 学者の客観性は失われる。
(1.2.1)解答:予言と技術的予測
(1.2.2)技術的社会科学
(1.2.3)技術的社会科学の効用
(a)社会の改善提案への批判的研究
社会科学は、ごく一般的に言うなら社会を改善する提案に対する批判を通じて、より厳密 に言うなら、経済的あるいは政治的なある特定の行為が期待された望ましい結果を生み出す可 能性が高いかどうかを知る試みを通じて、発展してきた。
(b)有意義な理論の源泉
技術 的アプローチは、そこから純粋に理論的で有意義な問題が生まれるという点で実りあるものと なるだろう。
(c)科学的な基準への準拠
技術的にアプ ローチすることで、私たちは、明晰性の基準や実践的検証可能性など、ある決まった基準に 従って理論を立てざるをえなくなる。
(d)形而上学的思弁への歯止め
とくに本来的な社会学の分野では、思弁的 傾向から形而上学の領域に足を踏み入れがちであるが、この歯止めになる。
(1.2.4)方法論的唯名論と本質主義
(1.2.5)解答:方法論的個人主義
(1.2.6)仮説モデルとしての社会的存在
(1.2.7)社会科学における実験に関する問題提起
(a)自然科学における典型的な実験は、人為的な実験環境を準備し、理想的な条件の元で現象を再現させる。
(b)社会科学において、同様の実験が行えるとしても、意味を持つだろうか。
(c)社会科学において、そもそも理想的な実験条件を準備できるだろうか。
(1.2.8)解答:科学的な実験とは何か
(1)社会実験の例
(a)新しい食料品店を開いた店主は、一つの社会実験を行なっている。
(b)市場の売り手と買い 手は、供給が増えるたびに価格が下がり、需要が増えるたびに価格が上がる傾向があるという 教訓を、実践的な実験を通じてのみ学ぶのである。
(c)民間企業のあらゆる活動、公的な政策実施もすべて社会実験である。
(2)課題への取組みと誤りから学ぶ方法
ただ観察したことを 記録するのでなく、積極的な試みをして、何らかのある程度実践的で限定的な問題を解決しよ うとする。そして《誤りから学ぶ》姿勢をもったときに、その場合にのみ、私たちは前進す る。
(3)社会的政治的な課題における効果的な方法は、科学的方法そのものである
私たちが試行のリスクを冒す姿勢をより自由に、より意識 的にとればとるほど、そして自らが常に犯す間違いに、より批判的な目を向ければ向けるほ ど、試行錯誤の方法は科学的な性格を帯びることになる。この定式は、実験の方法だけでな く、理論と実験の関係についても当てはまる。すべての理論は試行である。うまくいくかどう かが試される暫定的な仮説なのである。実験による裏づけとは、理論のどこが誤っているかを 見つけ出そうと批判的精神のもとで遂行される検証の結果にすぎない。
(4)政治における科学的方法の適用
政治に科学的方 法に近いものを適用する唯一の方法は、〈欠陥がなく悪影響も伴わないような政策などありえ ない〉という前提のもとで施策を進めることなのである。誤りに注意を向け、見つけ出し、公 にし、分析し、そこから学ぶという姿勢を、政治学者はもちろん、科学的政治家もとらなけれ ばならない。
(1.3)価値論
《小目次》
(1)問題:人間の本性にかなう行為と、人間の本性を害する行為とは?
(2)我々は、いかに行為すべきか
(3)規範を事実の上に基礎づけることは不可能
(3.1)生物学的自然主義への批判
(3.2)倫理的実定主義への批判
(3.3)心理学的自然主義への批判
(4)フレームワークの神話
(4.1)独断論
(4.2)共約不可能性
(4.3)相対主義
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
(5.3)反論
(5.4)反論への回答
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
(5.4.3)客観的真理の増大という価値
(5.4.4)合理主義と平等主義との関係
(6)私はいかに行為すべきか
(1)問題:人間の本性にかなう行為と、人間の本性を害する行為とは?
(a)我々によって可能なすべての行為は人間本性に基づくものである。不可能な行為であれば、もとより考慮外でよい。従って、意味のある問い方は次のとおりである。
(b)人間本性のうちで、どの要素に従って、それを発展させるべきであるのか。
(c)人間本性のうちで、どの側面を抑圧ないし制御すべきであるのか。
(d)すなわち、これは規範概念である。簡単な例で考えよう。美味しいものと、まずいもの。美味しいからといって身体に良いとは言えない。情動が、規範概念を直接定義するわけではない。そこで、健康に良い食べものとして再定義してみる。すると、経験と理性と他者との批判的な議論によって、真偽の区別ができる概念になる。しかし、この概念は我々が選択したものである。また、その食べ物が健康に良いものかどうかにかかわらず、我々はどの食べ物も食べることができるし、食べないこともできる。また、真偽の判断は区別はできても、判断の難しい対象もあるし、そもそも私は、健康に良いという基準では食べ物を選ばないかもしれない。
(2)我々は、いかに行為すべきか
(a)法規範
(b)慣習としての道徳規範
(c)宗教的信念
(d)医療的知識
(e)一般にあらゆる工学的知識
(f)科学も一定の規範に支えられている
(g)美的規範
(3)規範を事実の上に基礎づけることは不可能
(3.1)生物学的自然主義への批判
(3.2)倫理的実定主義への批判
(3.3)心理学的自然主義への批判
(6)私はいかに行為すべきか
(a)道徳判断、倫理的決定という意味が、この意味だとすれば、仮に法規範に反することでも、私は自分の考えに従って、自分で行為を選択できる。
(b)人の決定を「裁くな」というのは、人道主義倫理の根本法則の一つである。
(c)たとえ善、悪という言葉を使ったとしても、善という言葉の意味が「私がなすべきこと」という意味を持たない限り、私のなすべきことは導出できない。
(2)生命の起源、生命の進化
(2.1)物理的過程との相関、累進的な単称的分析
物理学的過程と細微にわたって相関しているとみなせないような、あるいは物理化学的 見地から累進的に分析できないような生物学的過程は存在しない。
(2.2)問題(あるいは情報)は実在的なものである
生物体のもろもろの問題は、物理学的なものではない。それらの問題は物的事物でもなけれ ば物理的法則でもなく、物理的事実でもない。それらの問題は特殊な生物学的実在である。こ れらの問題は、その存在が生物学的諸効果を生みだす原因となりうるという意味において「実 在的」である。
(2.3)生命の起源
生命の起源とは、問題の起源である。問題の発現を、物理学的に説明できるだろうか、これが問題である。
(2.4)自己増殖、適応、変異
増殖できると仮定してみよう。しかしそれでもなお、これら の物体は、もし適応ができないとすれば「生き」てはいないであろう。これを達成するためには、それらの物体は増殖に加えて正真正銘の変異性を必要と する。
(2.5)問題解決方法も、問題であった
生命とは、問題を解決しつつある物理的構造体である。問題を解決するすべを、様々な種は自然淘汰によって、つまり増殖と変異の方法によって「学ん」だ。そしてこの方法そのものも、同じ方法によって学びとられたも のである。
(2.6)進化論と世界3
進化論においても、世界3の概念を持ち込めるよう にさせもする。人間的世界3の先駆のみなせる動物的産物が存在する。
(3)歴史とは何か
(3.1)問い:歴史における出来事の新奇性
(a)自然科学における典型的な実験では、人為的な実験環境を準備し、理想的な条件の元で現象を再現させる。
(b)しかし社会には歴史があり、同じ条件での反復は不可能で、全ての出来事は1回だけしか起こらないかもしれない(新奇性)。
(c)社会現象の解明に、科学的な方法は使えるのだろうか。
(3.2)解答:新奇性、歴史性とは何か
(3.3)解答:単称言明である仮説
(a)医学的 な当座の診断は、普遍法則の性質は持たず、単称的で歴史的性格のものだが、これを仮説と表 現することはまったく正しい。
(b)進化論の仮説が普遍的自然法則ではなく、地上の多くの動植物の祖先に関する歴史的な特称(より正確に言うなら単称)言明である。
(3.4)問題:生命の進化や人間の歴史に法則は存在し得るのか?
(3.5)進化に傾向はあるのか
(3.6)規則性の因果的説明とは何か
(1)特定の出来事の因果的説明
(a)《普遍法則》
(b)《特定的初期条件》
これは、単称言明である。正確には、条件ではなく、状態である。原因と呼ばれる。
(c)ある《特定の出来事》を、(a)と(b)とから演繹できるとき、因果的説明がなされたことになる。説明された特定の出来事は、結果と呼ばれる。
(2)規則性の因果的説明
(a)《普遍法則》
(b)ある種類の状況を特徴付ける条件
(c)ある規則性
(a)と(b)とから規則性を演繹できても、不十分である。規則性の因果的説明とは、主張されているその規則性が当てはまる条件(b)を含む法則を、すでに独立に検証、確認された普遍法則から演繹することにある。
(3.7)人間の歴史
(3.7.1)人間の歴史の道筋は予測できるのか
個々の社会理論(たとえば経済理論)は、ある特定の条件のもとで、社会にどのような発 展が生じるかという予測を導き出すだろうし、それが正しいかどうかテストすることもでき る。
(2)人間の歴史の道筋の予測
しかし社会科学は、人間の歴史の道筋を予測することはできない。少なくとも、未来の道 筋のうち、知識の成長によって強く影響される側面は予測できない。
(2.1)知識の自己予測
なぜなら、知識が自らの将来の成長について自己予測をすることは矛盾であり、不可 能だからだ。予測者がいかに複雑であったとしても、明日初めて知り得ることを今日予測する ことはできない。
(2.2)予測者の相互作用
結果として、相互に行為しあう予測者からなる「社会」は、この社会自体の将来にお ける知識のありさまを予測することはできない。
(2.3)知識と人間の歴史の道筋
(3.7.3)倫理的理念や目標設定によって初めて歴史に意味を読み取れる
合理性原理の3つの意味
合理性の前提にある「状況」には少なくとも3つの意 味がある。真に客観的な状況に応ずる仮想的な合理性、行為者が現実に認識している状況に応 ずる現実的な合理性、行為者が認識すべき状況に応ずる規範的な合理性である。(カー ル・ポパー(1902-1994))
(1)客観的状況
(a)現実にそうであったものとしての状況、歴史家が再構成しようとする客観的状況であ る。
(b)客観的状況とは、そもそも何かを考えると、(3)が(1)を構成しているともいえる。
(c)各行為者が、現実をどのように認識していたのかという状況も含まれる。すなわち、 以下の(2)も状況として(1)に含まれている。
(2)行為者が認識する状況
行為者が現実に見たものとしての状況である。
(3)行為者が認識すべき状況
行為者が、客観的状況のなかでそう見ることができたはずの、そしてたぶんそう見るべき だったはずの状況である。
(4)仮想的な合理性原理
行為者は、自らの客観的状況(1)に対して適切に行動する。
(5)現実的な合理性原理
行為者は、認識した自らの状況(2)に対して適切に行動する。
(6)規範的な合理性原理
(a)行為者は、認識すべきと考えられる自らの状況(3)に対して適切に行動するべきであ る。
(b)歴史家が、「失敗」を説明しようと試みるさいには、合理性原理についての(2)と(3) の違いを論ずることになろう。
(c)もし(2)と(3)のあいだに衝突があれば、行為者は合理的に行為しなかったといっても よい。
(d)なお状況は、過去、現在、予測としての未来、規範としての未来を含むだろう。すな わち、行為者は過去、現在をこのように認識すべき、状況がこのような結果を招くだろうと予 測すべき、状況からこのようにすべきと認識すべきという様相が区別できよう。
(7)現実的な人間行動
われわれはしばしば(1)、(2)、(3)のどの意味でも状況に対して適切ではないような仕方 で行為する、言葉をかえれば、合理性原理はわれわれが行為する仕方の記述としては、普遍的 には真ではないとつけ加えてもいいだろう。
(3.7.4)各世代の歴史解釈
(3.7.5)開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治
(3.7.6)将来の運命は私たち自身にかかっている
めざすべき社会──自由主義の諸原則
(1)必要悪としての国家
(1.1)政治的、物理的制裁力
(2)民主主義の本質
(2.1)多数者支配は民主主義の本質ではない
(2.2)民主主義かどうかの認定規準
(2.3) 民主主義的憲法の改正限界
(2.4)寛容の限界
(2.5)民主主義を保護する制度
(2.6)経済的諸利益が依存するもの
(2.7)全ての闘いにおいて民主主義の維持が最優先である
(3)何事かをなし得るのは市民
(3.1)個人主義
(3.2)個人主義的利他主義
(4)民主主義は、最も害が少ない
(4.1)開かれた社会
(5)制度は善用も悪用もできる
(6)制度を支える伝統の力
(7)自由主義の諸原則は改善のための原則
(7.1)事実から目標は導出できない
(7.2)事実から目標が導出可能とする反論
(7.3)政治とは、政治目標とその実現方法の選択である
(7.4)最初に目標を決めることについて
(7.4.1)ユートピア的態度
(7.4.2)ユートピア主義への批判
(7.5)空想的な目標
(7.5.1)善い目的は悪い手段を正当化するか
(7.5.2)より大きな悪を避けるための手段としての悪
(7.5.3)ある行為の全結果と他の行為の全結果の比較
(7.5.4)政治権力と社会知識の相補性
(7.5.5)世論について
(7.5.6)制度による選抜の弊害
(7.6)事実の評価
(7.6.1)ピースミール工学
(7.7) 悪に対する漸次的闘い
(8)伝統としての道徳的枠組み
(8.1)伝統の力
(8.2)合理的討論の原則
(8.2.1)可謬性の原則
(8.2.2)合理的討論の原則
(8.2.3)真理への接近の原則
(8.3)思想の自由と真理
(8.4)知にかかわる倫理
(1)
必要悪としての国家
(a)人は人に対して狼であるか? 故に国家が必要であるか?
(b)人が人に対して天使であるとしても、国家は必要である。依然として弱者と強者とが存在する。弱者が、強者の善良さに恩義をこうむりながら生き る。これを認めない場合は、国家の必要性が承認される。
(c)国家は絶えざる脅威であり、たとえ必要悪であるとはいえ、悪であることに変わりはな い。国家が自らの課題を果すためには、権力を持たねばならないが、その権力の濫用から生じ る危険を完全に取り除くことはできない。また、権利の保護に対する代価が高すぎる場合もあ ろう。
(1.1)政治的、物理的制裁力
(2)民主主義の本質
民主主義においては、政府は流血なしに倒されうる。専制政治においてはそうではない。
(2.1)多数者支配は民主主義の本質ではない
普通選挙制度が最も重要であるとはいえ、民主主義は多数者の支配として完全に性格づ けられうるものではない。なぜなら多数者が専制政治的に支配することもありうるからである。
(2.2)民主主義かどうかの認定規準
支配者、政府を、流血の惨事なしに非支配者によって解職できること。これが民主主義の本質であり、民主主義と専制政治の区別が最も本質的である。それゆえ、権力の座にある者が、平和的変革運動の可能性を少数者に保証する諸制 度を保護しないならば、彼らの支配は専制政治なのである。
(2.3) 民主主義的憲法の改正限界
整合的な民主主義的憲法は、法体系の変革のうち一つのものだけは、すなわち、憲法の民主主義的性格を危険にさらすであろうような変革だけは排除すべきである。
(2.4)寛容の限界
民主主義の暴力的転覆を他人に教唆するような者たちに、保護される権利は存在しない。
(a)不寛容な少数派が、合理的な提案として彼らの理論を論じたり 出版したりする限り、われわれは自由にそうさせておくべきである。
(b)ただし、寛容は相互性を基盤としてのみ存在し得ることを知らしめること。
(c)民主制の廃絶は、勝手気儘な行動へ、そして暴力へとつながるので、民主制の廃絶を訴える政党が、仮に民主的手段によって多数派になるようなことがあれば、われわれは寛容である必要 はない。
(2.5)民主主義を保護する制度
民主主義を保護すべき諸制度をたてる政策は、いつでも、被支配者のうちにも支配者のうちにも反民主主義的傾向が潜在的に存在しているという仮定に基づいて進められねばならな い。
(2.6)経済的諸利益が依存するもの
民主主義が破壊されるならば、すべての権利が破壊されることになる。万一、被支配者が或る種の経済的諸利益を享受しているなら、それらは黙許によってのみ存続しているのであ ろう。
(2.7)全ての闘いにおいて民主主義の維持が最優先である
民主主義は、暴力なき改革を許容するから、すべての合理的な改革にかけがえのない戦場を提供する。しかし、この戦場で戦われるすべての個別的戦闘において民主主義の維持が第 一に考慮されないならば、その時には、常に存在している潜在的な反民主主義的傾向は、民主主義の崩壊をもたらすであろう。
(3)
何事かをなし得るのは市民 民主主義は枠組みであり、何事かをなし得るのは市民である。
(3.1)個人主義
(3.2)個人主義的利他主義
(i)個人主義、集団主義、利己主義、利他主義
(a)個人主義 (a')集団主義
(b)利己主義 (b')利他主義
(a)人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである。(個人主義)
(a')個人はつねに、都市・国家・部族・ あるいは他の集合体の利益に役立たねばならない。(集団主義)
(b)自己や自集団の利益を最優先に考える。(利己主義)
(b')他者や他集団の利益を考える。(利他主義)
(ii)集団主義的利己主義の詭弁
自己の利益を最優先にすること(利己主義)への道徳的な反発感情を使って、個人の人格に最高の価値を認める考え(個人主義)を攻撃し、個人は集団のためにあるという考え(集団主義)にすり替え、自集団のみの利益のために個人を犠牲にする。(集団主義的利己主義)
(iii)真実は個人主義的利他主義にある
真実は、個人の人格に最高の価値を認める(個人主義)が故に、他者の喜びや悲しみに関心を持ち(利他主義)、政治や社会への関心は、他者に対する共感と責任感を基礎とする。
(4)民主主義は、最も害が少ない
(a)多数派はいつでも正しいとは限らない。
(b)民主主義の諸制度が、民主主義の伝統に根ざしている場合には、われわれの知る限りで もっとも害が少ない。
(c)民主的統治形態(目的のための手段)
(i)国家は、個人の自由と、人々の自由な社会生活のために存在する。
(ii)開かれた社会を、内的あるいは外的な侵害から守るためには、強力な国家、強力な政 府の保護を必要とする。
(iii)国家の諸制度は、強力であり、権力があるところには、いつもその誤用の危険がある。すべての権力は、拡大する傾向が あり、腐敗する傾向がある。
(iv)必要とされているものは、ある種の政治的な綱渡りである。それは、抑制と均衡のシ ステムであり、「民主主 義」とも呼ばれる。
(4.1)
開かれた社会
(a)開かれた社会(目的)
個々人の解放は、それ自体価値あるものであり、それを実現する社会形態である。自由や寛容や正義、市民による知識の自由な追求、知識を広める権利、そして 価値や信念の市民による自由な選択、市民による幸福の追求のような諸価値に支えられている。
(b)
闘う勇気を支える真理を探究し,誤謬から解放 されるためには,自身の理念を闘う理念と同様に,批判的に考察できることが必要だ。これは, 自他の多くの誤りが寛容される開かれた社会においてのみ可能である。(カール・ポパー (1902-1994))
(5)
制度は善用も悪用もできる (a)制度は、いつでも両価的である。善用もできれば、悪用もできる。
(b)制度を支える良い伝統が必要である。伝統は、制度と個人の意図や価値観を結びつける 一種の連結環を作り出すために必要である。
(6)
制度を支える伝統の力 (a)法はただ一般的な原理を書き記しているのみであり、その解釈や司法過程は、伝統的な 正義や原則によって支えられ、発展させられる。これは、自由主義のもっとも抽象的で一般的 な原則についても当てはまる。
(b)個人の自由に加えられる制約は、それが社会的な共同生活によって不可避である場合、 可能なかぎり等しく課せられ、そして可能なかぎり少なくされる。
(7)自由主義の諸原則は改善のための原則
(7.1)事実から目標は導出できない
(a)社会科学によって扱われる事実。
(b)倫理的な考察に基づいているか、他の意思決定に基づいているかのいずれにせよ、政治 的な目標。
(7.2)事実から目標が導出可能とする反論
(a)意思決定の仕方は、教育やそれと同じような事実の影響に依存してい る。
(b)目標や意思決定もそれ自体が事実である。
(7.3)政治とは、政治目標とその実現方法の選択である
(a)目標が実現可能かどうかは事実の問題であり、社会科学 によって探究される。
(b)目標を実現する方法もまた、社会科学に よって探究される。
(7.4)最初に目標を決めることについて
それにもかかわらず、最初に社会を構想してから、実現方法を考えるというアプローチを、批判することを試みる。
(7.4.1)ユートピア的態度
(i)合理的な行為はどれも、一定の目標をもつ はずである。それは、目標を意識的かつ整合的に追求し、またこの目的に適うようにその手段 を決定する程度において合理的なものとなる。
(ii)それゆえ、われわれが合理的に行為したいと思 うなら、最初にやるべきことは目的の選択である。そして、真実の究極の目的を決定す るに当たっては注意深くなければならない。以上 の原則を政治活動の領域に適用すれば、何らかの実践活動をする前に、われわれの究極の政治 目標、すなわち理想国家を決定しなければならない、という要求となる。
(7.4.2)ユートピア主義への批判
(7.5)空想的な目標
空想的な目標は、実行不可能性が問題ではなく、そのアプローチが全体主義的であり、そして全体主義は怪 物キマイラである。一連の新しい社会制度の帰結を《すべて》思い描くことはできない。
(7.5.1)善い目的は悪い手段を正当化するか
(7.5.2)より大きな悪を避けるための手段としての悪
(7.5.3)ある行為の全結果と他の行為の全結果の比較
(7.5.4)政治権力と社会知識の相補性
(7.5.5)世論について
(1)自由で批判的で公開的な討論
世論は、正義の問題や他の道徳的テーマについての討論を含めて、学問において生じている 自由で批判的で公開的な討論からは区別される。
(2)一つの社会現象としての世論
(a)自由で批判的で公開的な討論によって、世論はたしかに影響される。
(b)しかし、討論の成果として、世論が出現してくるわけではない。
(c)また、討論によって世論を押さえつけられるものでもない。
(3)世論の否定的な側面
(3.1)世論が真理と誤謬の裁判官ではない
世論が、神の声として、真理と誤謬についての裁判官として、承認されることはあっては ならない。
(3.2)世論は操作され、演出され、計画される
残念なことに世論は操作され、演出され、また計画される。
(3.3)世論が自由にとっての脅威となることもある
強固な自由主義の伝統による束縛を受けないならば、世論は、自由にとっての脅威とな る。世論は趣味の問題の裁判官としては、危険なものなのである。
(4)世論の否定的な側面の克服
(4.1)自由主義の伝統の強化
これらすべての脅威に対してわれわれは、自由主義の伝統を強化することによってのみ対 抗し得る。また、この自由主義を守るということにおいて、すべての人は共同することができ る。
(4.2)世論の積極的な側面
(a)世論はしばしば政府より賢明
世論は、確かに、政府などよりはしばしば啓発されていて賢明である。
(b)世論は、正義と道徳的価値を言い当てる
また世論は、往々にして、正義と他の道徳的価値にかんする啓発された裁判官でもあ る。
(7.5.6)制度による選抜の弊害
(a)制度による選抜の弊害
制度による選抜は、常に自発性と独創性を排除し、またより一 般的に言えば異常な性質や予期されない性質というものを排除する。
(b)教育制度による選抜の弊害
教育制度に対して、最善者を選抜するという不可能 な課題を負わせようとする傾向は、教育体系を競争場に変え、学科過程を障害物競争に 変えてしまう。学生が研究のための研究に没頭し自分の主題と研究を真に愛するのを励ますの ではなく、彼は個人的経歴のための研究を奨励される。彼は自分の昇進のために越えなければ ならない障害を超すのに役立つ知識のみを得るように誘導される。
(c)特に知的指導者の選抜
知的指導者を制度によって選抜するという不可能な要求は、科学の生命ばかりか知性の生命そのものをも危地に陥し入れるのである。
(7.6)事実の評価
目標は事実に還元不可能である。では、目標は何から得られるのか。それは、単なる空想なのか。事実の評価から、我々は選択肢を作り、そして選択する。
(a)評価、改善のための制度
自由主義の諸原則は、現行の諸制度を評価し、必要とあれば、制限を加えたり改変でき るようにするための補助的な原則である。自由主義の諸原則が、現行の諸制度にとって代わる ことはできない。
(7.6.1)ピースミール工学
(i)この方法を採用する政治家は、社会の青写真を心にもっていてもよいしもっていなくて もよい。
(ii)完全というものは仮に達成可能だとしても はるかに遠いものであり、人類の各世代、それゆえ現在の世代もまたある要求をもっている。
(iii)社会の最大で最も緊急な悪を探してそれと闘うという方法を採用する。
(7.7) 悪に対する漸次的闘い
従って、政治的な目標選択は、悪に対する漸次的闘いとなる。
自由主義とは、専制政治への対抗という点を除けば、革命的であ るというよりは、むしろ進化を目ざす信条である。
(8)
伝統としての道徳的枠組み 伝統のうちでも、もっとも重要なものは、制度化された法的枠組みに呼応する道徳的枠組み を形成している伝統である。この伝統により、道徳的感情が育成されている。
我々は必ず間違える
(2)誤りの不可避性
(a)誤りを避けることは不可能
すべての誤りを避けること、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けること は、不可能である。
(b)誤りを避けることの困難性
もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である。しかしな がら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして 何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。
(3)誤りの本質の理解
(a)誤りに対する態度の変更
それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない。われわれの実際上の 倫理改革が始まるのはここにおいてである。
(b)誤りから学ぶという原則
新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれはまさ に自らの誤りから学ばねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大 の知的犯罪である。
(c)誤りを分析すること
それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれ は、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りを あらゆる角度から分析しなければならない。
(4)自己批判と知的誠実さ
それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる。
(5)価値あるものとしての他者の批判
(a)他者による批判の必要性
われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし他者による批判が必要なことを学 ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
(b)自分とは似ていない他者の価値、寛容の原理
誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする、また彼らはわれわれ を必要とするということ、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の 人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
(c)他者から指摘された誤りへの感謝
われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせ てくれたときには、それを受け入れること、実際、感謝の念をもって受け入れることを学ばね ばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと 同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。
(6)合理的な批判の原則
(a)理由や論拠を伴った具体的な批判
合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言 明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定さ れた理由を述べるものでなければならない。
(b)批判は、真理のため
それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。
(c)人の批判ではなく内容の批判
このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。