2024年1月23日火曜日

17.  社会構造とは、異なるタイプの位置間の関係と複数の位置にまたがる諸個人の配置であると定義できる。相互作用が順調にすすみ、また適切な感情が活性化するためには、出会いにおいて個人は社会構造のいくつかの特徴に注意を払わなければならない。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 社会構造とは、異なるタイプの位置間の関係と複数の位置にまたがる諸個人の配置であると定義できる。相互作用が順調にすすみ、また適切な感情が活性化するためには、出会いにおいて個人は社会構造のいくつかの特徴に注意を払わなければならない。ジョナサン・H・ターナー(1942-)


「社会構造とは、異なるタイプの位置間の関係と複数の位置にまたがる諸個人の配置であると定義できる。

相互作用が順調にすすみ、また適切な感情が活性化するためには、出会いにおいて個人は社会構造のいくつかの特徴に注意を払わなければならない。

第一に、出会いの人口統計学に関しては、(1)現前する人びとの数量、(2)人びとの社会的カテゴリー(たとえば、年齢、ジェンダー、民族)、(3)カテゴリーを異にする人びとの、時間の経過にともなう出会いへの流入と出会いからの流出、そして、(4)空間上における異なるカテゴリーの人びとの分布である。

第二に、地位の次元がある。これは、(1)種々な地位の威信と権威の水準(Kemper 1984)、そして、(2)こうした地位を占める個人の属性(たとえば、地位特性の拡散、態度のスタイル、自己の知覚など)を中心にして展開する。

そして、第三に、こうした結合の属性を中心にして動くネットワークの次元がある。これは、(1)数量、(2)方向性、(3)相補性、(4)推移性、(5)密度、(6)強度、(7)仲立ち、そして、(8)斡旋である。対面的相互作用の性質をふまえるとき、これら属性のすべてが対人的な出会いにおいて明らかである。結合の数量、相補性、そして密度は出会いにおける感情のフローを形成する際にもっとも重要であろう。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、p.216、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))



2024年1月18日木曜日

16.文化とは、人間が知識の貯蔵庫に運び入れ、そして人間が出会いにおいて反応を秩序づけるために使用する象徴体系と定義できる。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

文化とは、人間が知識の貯蔵庫に運び入れ、そして人間が出会いにおいて反応を秩序づけるために使用する象徴体系と定義できる。ジョナサン・H・ターナー(1942-)


「文化とは、人間が知識の貯蔵庫に運び入れ、そして人間が出会いにおいて反応を秩序づけるために使用する象徴体系と定義できる。

こうした文化的知識の貯蔵庫はいくつかの基本的次元に沿って配列されている。

第一に、高度に抽象的で一般的な善悪の基準が自己および他者を評価するために用いられる価値の次元がある。

第二に、一般的価値を特定する評価的な指令(自己および他者が特定の状況においていかに行動すべきか、またしなければならないかということに関する指令)に変換する信念とイデオロギーの次元がある。

第三に、いくつかの領域に沿う規範の次元がある。(1)一定タイプ(たとえば、職業、遊戯、社交、家族など)の活動のために適当な行動の輪郭を指示する制度規範、(2)特定の状況で行動するための適当な方法を具体化している制度規範、そして、(3)広範な制度的舞台上の具体的状況において活性化する感情的構成を特定する感情規則(Hochschild 1975,1979,1983)

第四に、状況の物理的な小道具をどのようにうまく操作するかについての技能もしくは知識がある。

第五に、出会いにおいて用いられる表象の適切なテクストもしくは言語学的様相(たとえば、ジャンル、話し方、言説の様式など)がある。これらは図5-1に概説されている。」

 文化シンボルの貯蔵
  │
 言語────────────────┬─┬──────┐
  │           │ │     │
 価値          伝統 テクスト 技術
 (高度に抽象的で     │   │                   │
 一般的な善悪の基準)   └─┼───────┘
    ↓↑           │
 信念とイデオロギー ←──────┤
 (いかに行動すべきか     │
 に関する指令)        │
    ↓↑           │
   制度規範 ←──────────┤
 (適当な行動の輪郭を指示   │
    ↓↑           │
   組織規範 ←──────────┤
 (行動するための       │
 適当な方法を具体化)     │
    ↓↑           │
   対人規範 ←──────────┘
 (具体的状況における感情規則)

 「そして第六に、価値、信念や規範にしたがって、相互作用の過程になにが含まれ、なにが排除されるべきかについての指示を行うフレームがある。そしてそれらは図5-2にしめしたいくつかの基礎次元ごとに異なる。

だから、これは文化の力が状況における感情のフローを制約し、また文化の力からの明快な指針がなければ、臆病さと絶え間ない違反(当惑、恥、怒り、悲しみ他の離反的感情を生成する)のゆえに、相互作用を維持することが難しい。」

 知識の貯蔵
  └フレームの発明
    ├身体フレーム
    │├身体間の受けいれられる距離
    │├身体アクセスの許容度
    │└身体に関する部位
    ├人口統計学的フレーム
    │├個人の適切な人数
    │├個人の適切な密度
    │└個人の適切な移住
    ├物理的距離フレーム
    │├妥当な小道具
    │├妥当な舞台
    │└妥当な物理的境界
    ├組織フレーム
    │├妥当な組織領域
    │├妥当な組織状況
    │└妥当な準拠集団
    ├文化フレーム
    │├妥当な価値前提
    │├妥当な信念体系
    │└妥当な規範
    └個人フレーム
     ├妥当な人生史の部分
     ├妥当な親密性の水準
     └妥当な自己包絡の水準

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.213-216、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))

2024年1月14日日曜日

15. 人間はすべての出会いにおいて文化的制約、地位のネットワークとこれらの地位の占有者の性質、そしてすべての出会いにおける他者の処理欲求を理解できるよう偏向させられている。われわれの脳はこうした情報を探索している。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

人間はすべての出会いにおいて文化的制約、地位のネットワークとこれらの地位の占有者の性質、そしてすべての出会いにおける他者の処理欲求を理解できるよう偏向させられている。われわれの脳はこうした情報を探索している。(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 「これらすべての諸力――文化的、構造的、および対人関係的――には、固く配線された基盤があるとわたしは確信している。

どの出会いにおいても、人間は文化、構造、そして処理欲求(自らのそれであれ、他者のそれであれ)に注意を向けるよう偏向させられている。なぜなら、これらは対面的相互作用を継続させるからである。

妥当な文化的象徴、社会構造的人口統計学についての理解、そして処理欲求を適えることに関して不一致があるならば、相互作用はほどなく不統合になり、そして怒り、恐れ、悲しみなどの離反的感情を喚起するかもしれない。

こうした諸力に関する合意、あるいは少なくとも感知される合意がある場合、より結合的な感情が満足-幸せの変種と精巧化を中心に展開し、活性化する。

したがって人間はすべての出会いにおいて文化的制約、地位のネットワークとこれらの地位の占有者の性質、そしてすべての出会いにおける他者の処理欲求を理解できるよう偏向させられている。われわれの脳はこうした情報を探索している。

そして感情ごとに配列されたわれわれの感情の貯蔵庫が出会いの経験を通して構築されるにつれて、われわれは必要な情報を確保し、そして次に、われわれの神経的特徴である感情統語法によって、またわれわれの神経学的特徴が知識の貯蔵庫に蓄えている方法によって、さらにこうした貯蔵庫が、相互作用において使用するために抽出され、利用できるような形で秩序づけられた適切な反応を活性化するために、他者の感情を帯びた合図を読み解くことに熟達することになる。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.217-218、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))




2024年1月11日木曜日

14. 自己制御のできる動物は絶えず監視また裁可される必要のない動物である。なぜなら、こうした動物は自己監視と自己裁可を行うことができるからである。こうした自己監視と自己裁可は自己に向う特定種類の感情を動員する能力を考えることによってはじめて可能である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

自己制御のできる動物は絶えず監視また裁可される必要のない動物である。なぜなら、こうした動物は自己監視と自己裁可を行うことができるからである。こうした自己監視と自己裁可は自己に向う特定種類の感情を動員する能力を考えることによってはじめて可能である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 「人間に特有な能力の一つは、自分をある状況において対象とみなすだけでなく、ある一定種類の存在としての持続的な概念化と自らのアイデンティティを自らの内面にもちつづけうる力である。

自己言及活動(self-referential behavior)を行うことができるという人間の能力は、相互作用に新たな次元を付け加えるが、この能力は人間の感情装置を抜きにしては成り立たない。

確かに、一定水準の新皮質の発達が自己の中程度の期間にわたる記憶保持にとっての基本であるが、しかし自己認知は古生的な皮質下辺縁系の過程に起因する感情標識と感情価によってのみ可能である。

感情を抜きにして人間はワーキング・メモリー内にわずか数秒間しか自己イメージを維持できず、あるいはより安定し、一貫したアイデンティティを保持できないことが認識できると、われわれはヒト科の感情能力と自己に関わる能力とが互いに他者を情報源として利用するように紡ぎあわされていることを知ることになる。

自己を評価するために、より多くの感情が利用できるようになると、行動反応を組織するための自己の重要性がますます拡張することになった。

そして自己が相互作用にとって基本的であるほど、感情の精巧化は自己に媒介された対人関係によってますます制約されていった。

 感情の精巧化が社会性の低い類人猿の集団連帯を増加するための基盤であったとすれば、こうした感情は自己意識的な個人をめざす必要があったはずである。

いっそう感情的に適応した動物にあって、道徳記号、肯定的ならびに否定的裁可の使用、協同的交換、および意思決定に向けて感情を動員し、また経路づけることは、感情価によって自分自身と他者をみつめ、評価できる能力なくして起きるはずはない。

社会統制と、こうした統制によって可能になる調整は、個人による自己制御によってもっともよく達成される。こうした個人は自分を対象とみなし、また道徳記号と他者の期待に応答する自己評価を介して一つづきの行動について意思決定を行う。

自己制御のできる動物は絶えず監視また裁可される必要のない動物である。なぜなら、こうした動物は自己監視と自己裁可を行うことができるからである。こうした自己監視と自己裁可は自己に向う特定種類の感情を動員する能力を考えることによってはじめて可能である。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.190-192、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))




2024年1月2日火曜日

13.選択は、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整を強化した。行動水準においては、その証拠は明白である。儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

選択は、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整を強化した。行動水準においては、その証拠は明白である。儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))


 「選択が神経学的水準において、脳にどのように働いたかをある程度知ることができる。

つまり、辺縁系の拡張と感情呈示の新皮質による調整の強化である。

行動水準においては、その証拠や人間が相互作用するときはいつでも、またすべての相互作用においてそれは明白である。

儀礼化された開始、修正、および出会いの終了、意味を伝達するための身体の位置取りと顔の表情、そして感情状態を伝えるための顔の表情と声の抑揚に大きく頼っていることなどである。

これらの信号のいずれかが失われ、あるいは不適当なやり方で生産されると、たとえ手段的な音声によるお喋りの流れはつづいているとしても、相互作用は緊張を帯びることになる。

なぜなら、われわれのヒト科の祖先が社会結合を強化するために最初に用いた非音声的で感情的な一連の合図をともなわなければ、言語だけで相互作用の流れを維持することはできないからである。

もっと原基的で、視覚に基づく感情言語をともなわなければ、相互作用はいくつかの側面で問題を発生させる。

個人はその出会いになにが含まれ、またなにが排除されるべきかという点に関して、どのように枠組みを設定すればよいかに確信がもてない(Goffman 1974;Turner 1995,1997a)。

個人は使用すべき妥当な規範や他の文化システムに確信がもてない。

個人はどのような資源、とくに相互作用にとって基本である内面的な資源のうちなにが交換されるべきかということに確信がもてない。

個人が進行中の相互作用のフローの一部分をなしているかどうかについて確信がもてない。

他者が行うものと想定されていることがらを確かにその人たちが行うと信用できるかどうか確信がもてない。

他者の反応を予測できるかどうかに確信がもてない。

そして個人が他者と同じ仕方で他者との状況を主観的に経験していると想定することができるかどうか確信がもてない。

ハロルド・ガーフィンケル(Garfinkel 1966)が初期に実施した「日常的な秩序を破壊する実験」は、対面的相互作用がとても脆弱であることを検証している。そして相互作用がいとも簡単に壊れてしまうことも検証している。

われわれの相互作用がとても壊れやすいのは、生物学的プログラムとしてのわれわれの遺伝子に、高水準の社会連帯に向う傾向がないからである。

だから、われわれは相互作用をぎこちなくしないために、精妙で複雑な感情コミュニケーションを用いなければならないのである。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第5章 どのような種類の感情動物であるか、pp.172-173、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))


2023年12月28日木曜日

12.意識的情動の性質は皮質下と皮質の水準における視床経由による辺縁系への現在の刺激と、過去に指標を与えられ、表象された記憶を、適当な感覚皮質と身体系を活性化するコード化された指示の集合として海馬による再刺激と組み合わされた複雑な混合物である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

 意識的情動の性質は皮質下と皮質の水準における視床経由による辺縁系への現在の刺激と、過去に指標を与えられ、表象された記憶を、適当な感覚皮質と身体系を活性化するコード化された指示の集合として海馬による再刺激と組み合わされた複雑な混合物である。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))


 「記憶は、海馬を介して記号化された指令を遷移性皮質と前頭葉から引きだすことに関係し、そして次に、それを適当な感覚皮質に放出する。

したがって、記憶の想起は、新皮質に貯蔵されすでにできあがった、また完全に発達した画像もしくはイメージを引きだすことに関係しているのではなく、むしろ、これは新皮質に、あるいはより中間的に遷移性皮質に貯蔵されている、急場しのぎの伝達法、記号化された指令の活性化をともなっている。

遷移性皮質は、記憶に記号化された経験を大ざっぱな形で再生産するために、感覚皮質と適切な身体系を再活性化させる(Damasio 1994)。 

この経験が重い感情的内容をもつならば、この記憶の再生は、その記憶に元の経験と同じくらい多くの感情内容を与える四つの身体系を作動させるであろう。

 なぜ社会学者は意識的情動を生産するこうした力学に関心をもつのだろうか。わたしの答えはこうだ。

意識的情動を生産する力学は、われわれが社会的相互作用を分析する際に、意識的情動をどのように概念化するかという点に大きな影響を与えるからだ。ある人が恥、罪、幸せ、怒り、あるいはどのような感情であれそれを感じるとき、こうした意識的情動は四つの身体系の――現時点における視床の直接の刺激からの、そして過去において活性化された関連する身体系を再度刺激するために感覚皮質に再発火することからの――動員をともなう。

したがって、意識的情動の性質は皮質下と皮質の水準における視床経由による辺縁系への現在の刺激と、過去に指標を与えられ、表象された記憶を、適当な感覚皮質と身体系を活性化するコード化された指示の集合として海馬による再刺激と組み合わされた複雑な混合物である。

しかししばしば、人が自らある感情を認知するずっと以前に、その人の周りにいる他者は、身体系を通して皮質下で表現され、そしてときに意識的情動として意識に浸透している基礎的な感情をみることができる。

われわれはそうすることができるようになったのだ。それは、視覚様相を介して感情を帯びた結合を形成することのできる動物を生みだすため、われわれヒト科の祖先に働いた自然選択の作用の結果なのである。

それゆえ、意識的情動の社会学(sociology of feelings)は感情的身体系のより一般的な、そして、進化の用語を用いるならば、より原基的な動員の特別なケースでしかない、あるいはたぶん、あまり重要ではないケースでしかないのである。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.149,p.152、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))


2023年12月23日土曜日

11,意識はほとんどいつも辺縁系――辺縁系から直接に、あるいは辺縁系からの感情的入力をもって視床下部によって過去に付け加えられた中間的ならびに長期的記憶を介して間接に――からの入力情報と関係している。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 意識はほとんどいつも辺縁系――辺縁系から直接に、あるいは辺縁系からの感情的入力をもって視床下部によって過去に付け加えられた中間的ならびに長期的記憶を介して間接に――からの入力情報と関係している。ジョナサン・H・ターナー(1942-)


 「意識に関係する脳の重要な構造は前頭前皮質であり、これが事実上、脳のすべての部位――新皮質、辺縁系、および他の皮質下系――と連動している(MacLean 1990,Damasio 1994)。


刺激の意識化は感覚の様相――視覚、聴覚、嗅覚、触覚――を通じて入力情報を受け取り、そして次に、視床の特化した感覚領野へとすすむ。

そしてそこから、感覚入力は皮質下辺縁系および新皮質の適当な脳葉の両方――すなわち、視覚は後頭、聴覚は側頭、触覚は頭頂、臭いは嗅球――に移動する(後者は直接にさまざまな辺縁系、とくに扁頭体を収容している皮質下領野に伝えることに注意を払わなければならない。そのため、臭いはしばしば感情を急速に高める)(Le Doux 1996)。

新皮質のかなりの部分を構成し、また感覚入力を統合することに関係する連合皮質はあるイメージを生成し、そしてそれを一時的に緩衝器に貯蔵する(Geschwind 1965a,1965b)。

そのあと、海馬傍皮質、嗅周野皮質および嗅内野皮質からなる遷移性皮質がそのイメージを貯え、そしてそれらを海馬に送る。

次に、海馬は一つの表象を作り、それを中間的な貯蔵のための記憶として遷移性皮質に送る(Heimer 1995;Gloor 1997)。

最近の研究では、海馬傍皮質は、前頭前皮質の背外側部と相互作用して、記憶が継続するかどうかを決める際にとくに重要であることが示唆されている(Rugg 1998,Brewer et al.1998)。

もしあるイメージが、数年後に、経験もしくは思考によって再活性化されると、組み立てられたイメージは長期にわたる記憶として貯蔵するするために新皮質、とりわけ前頭葉に送られる(Damasio 1994;Echenbaum 1997;Vargha-Khadem et al.1997)。

 皮質下の記憶システムはこの過程に強く関係しており、視床、海馬、扁頭体、および前帯状回を介して情報を視床下部および前頭前皮質に伝える。次に、これがその情報を遷移性皮質に貯留し、そして視床下部によって表わされる一時的な緩衝器に位置づけられる。

意識はほとんどいつも辺縁系――辺縁系から直接に、あるいは辺縁系からの感情的入力をもって視床下部によって過去に付け加えられた中間的ならびに長期的記憶を介して間接に――からの入力情報と関係している。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、pp.148-150、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))




2023年12月15日金曜日

10.人間は精神分析理論が示唆しているほどに感情反応を抑制することに関わっていないということである。むしろ人間は皮質下に貯蔵されている感情記憶を意識していない。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))


人間は精神分析理論が示唆しているほどに感情反応を抑制することに関わっていないということである。むしろ人間は皮質下に貯蔵されている感情記憶を意識していない。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

「感情記憶システムの存在は、ある人によって表現され、他者によって読まれる感情信号が、その人の意識的思考から取り外されたままであることを確証している(Bowers and Mechenbaum 1984)。

それは意識的情動(feeling)でなく、感情(emotion)であろう。ここでもまた、こうした無意識の感情記憶が多くの点で意識的な記憶よりも役割取得にとってはるかに基本的であることが想定されている。

事実、もし他人から、今ある感情反応が起きていることがわかると言われたら、あるいはもし身体的なフィードバックが感情的実感として意識に浸透していくほどに強かったら、その人が一定の感情(emotion)を放出し、あるいは経験することにそれでもなお驚き――そして驚くだけでなく――、その感情的反応の源泉に関して確信をもつこともできない。

この無意識的な記憶システムのもう一つの含意といえるのは、人間は精神分析理論が示唆しているほどに感情反応を抑制することに関わっていないということである。むしろ人間は皮質下に貯蔵されている感情記憶を意識していないのである。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.144,pp.146-147、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))





2023年5月29日月曜日

言語ゲームは、一つの活動ないし生活様式の一部であり、無数の異なった種類がある。新しいタイプの言語ゲームが発生し、他のものがすたれ、忘れられていく。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

言語ゲームは生活様式の一部

言語ゲームは、一つの活動ないし生活様式の一部であり、無数の異なった種類がある。新しいタイプの言語ゲームが発生し、他のものがすたれ、忘れられていく。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))


(a)記号、語句、文を使ったあらゆる活動を含む。
(b)もちろん、数学のあらゆる分野も、言語ゲームの一種である。
(c)命令、記述、構成、報告、推測、仮説、検証、表や図による表現、物語の創作、演劇、輪唱する、謎をとく、冗談、噂、算術、翻訳、乞う、感謝する、ののしる、挨拶する、祈る。


「二三 
 しかし、文章にはどのくらい種類があるのか。陳述文、疑問文、それに命令文といった種類だろうか。―――そのような種類なら無数にある。すなわち、われわれが「記号」「語句」「文章」と呼んでいるものすべての使いかたには、無数の異なった種類がある。しかも、こうした多様さは、固定したものでも一遍に与えられるものでもなく、新しいタイプの言語、新しい言語ゲームが、いわば発生し、他のものがすたれ、忘れられていく、と言うことができよう。(この点の《おおよその映像》を、数学の諸変化が与えてくれよう。) 
 「言語《ゲーム》」ということばは、ここでは、言語を《話す》ということが、一つの活動ないし生活様式の一部であることを、はっきりさせるのでなくてはならない。
  言語ゲームの多様性を次のような諸例、その他に即して思い描いてみよ。
命令する、そして、命令にしたがって行為する――― 
ある対象を熟視し、あるいは計量したとおりに、記述する―――
 ある対象をある記述(素描)によって構成する―――
 ある出来事を報告する―――
 その出来事について推測を行なう―――
 ある仮説を立て、検証する――― 
ある実験の諸結果を表や図によって表現する―――
 物語を創作し、読む―――
 劇を演ずる――― 
輪唱する―――
 謎をとく―――
 冗談を言い、噂をする―――
 算術の応用問題を解く――― 
ある言語を他の言語へ翻訳する―――
 乞う、感謝する、ののしる、挨拶する、祈る。 ―――
 言語という道具とその使いかたの多様性、語や文章の種類の多様性を、論理学者が言語の構造について述べていることと比較するのは、興味ぶかいことである。(さらにまた『論理哲学論考』の著者が述べていることとも。)」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『哲学探究』二三、全集8、p.215、藤本隆志)

2023年5月28日日曜日

言語ゲームの研究は、言語の原初的な形態の研究である。我々が真偽の問題、肯定、仮定、問の本性の問題などを研究しようとするなら、言語の原初的形態に目を向けるのが非常に有利である。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

言語ゲーム( language game )

 言語ゲームの研究は、言語の原初的な形態の研究である。我々が真偽の問題、肯定、仮定、問の本性の問題などを研究しようとするなら、言語の原初的形態に目を向けるのが非常に有利である。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))




「思考とは本質的には記号を操作することだと言うとき、君の最初の質問は、「では記号とは何か」であるかもしれない。―――この質問に何らかの一般的な答をする代りに、「記号を操作する」と言いうる具体的ケースのあれこれを君に注意深く観察することを求めたい。言葉[という記号]を操作する簡単な一例をみてみよう。私が誰かに「八百屋からリンゴを六つ買ってきてくれ」と命じる。このような命令を[実地に]果たす仕方の一つを描写してみよう。「リンゴ六つ」という字句が紙切れに書かれていて、その紙が八百屋に手渡される、八百屋は「リンゴ」という語をいろんな棚の貼札とくらべる。彼はそれが貼札の一つと一致するのを見つけ、一から始めてその紙片に書かれた数まで数える、そして数を一つ数える毎に一個の果物を棚から取って袋に入れる。―――これは言葉が使われる一つの仕方である。以後たびたび私が言語ゲーム( language game )と呼ぶものに君の注意をひくことになろう。それらは、我々の高度に複雑化した日常言語の記号を使う仕方よりも単純な、記号を使う仕方である。言語ゲームは、子供が言葉を使い始めるときの言語の形態である。言語ゲームの研究は、言語の原初的な形態すなわち原初的言語の研究である。我々が真偽の問題、[すなわち]命題と事実との一致不一致の問題、肯定、仮定、問の本性の問題、を研究しようとするなら、言語の原初的形態に目を向けるのが非常に有利である。これらの[問題での]思考の諸形態がそこでは、高度に複雑な思考過程の背景に混乱させられることなく現われるからである。言語のかような単純な形態を観察するときには、通常の言語使用を蔽っているかにみえるあの心的な[ものの]霧は消失する。明確に区分された、くもりのない働きや反応が見られる。それにもかかわらず、それらの単純な過程の中に、もっと複雑な[通常の]言語形態に連続している言語形態をみてとれる。この原初的形態に漸次新しい形態を付け加えてゆけば、複雑な形態を作り上げられることがわかる。」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『青色本』、全集6、p.45、大森荘蔵)

ウィトゲンシュタイン全集(6) 青色本・茶色本 [ ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ]



考える、希望する、願う、信じる等々の心的過程と呼ばれるものが、思想、希望、願望等々を表現する過程とは独立に存在するわけではない。 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

表現する過程

 考える、希望する、願う、信じる等々の心的過程と呼ばれるものが、思想、希望、願望等々を表現する過程とは独立に存在するわけではない。 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))




「そこでの私の意図のすべては、考える、希望する、願う、信じる等々の心的過程と呼ばれるものが、思想、希望、願望等々を表現する過程とは独立に存在しなければ《ならぬ》と考える誘惑を取除くことであった。 
 諸君に要領を一つ教えたい。君が、思考、信念、知識等の本性に困惑している場合には、思想の代りに思想の表現を置き換えてみること。この置き換えで厄介なところ、同時にまたそれがこの置き換えの狙いでもあるが、それは信念や思想その他の表現は或る文(センテンス)に過ぎないということである。―――その文は或る言語体系に属するものとしてのみ、すなわち或る記号系の中の一つの表現としてのみ、意味を持ちうる。そこで、この記号系を我々が述べる文のすべてに対するいわば恒久的な背景だと考え、紙の上に書かれ声に出された文こそ独立してはいるものの、心の考える働きの中には記号系が全部ひっくるめて存在している、と思いたくなるのだ。この心の働きは、記号のどんな手動操作にもできないことを奇跡的な方法でやってのけるように見える。しかし、何らかの意味で全記号系が同時に現在していなければならなぬという考えの誘惑が消えた時には、もはや表現と並んでそれらとは別な奇妙な心の働きの存在を《想定する》意味もなくなる。しかしこれはもちろん、特有の意識の働きが思想の表現には一切伴わない!ことを示したというのではない。ただ、前者が後者に伴わねば《ならぬ》、ともはや言わないだけなのである。
  「しかし、思想の表現は常に偽でもありうる。或ることを言い別のことを意味できるからである。」だが、或ることを言い別のことを意味する時におこる、場合場合で違うさまざまなことを考えてみ給え。―――次の実験をしてみ給え。「この部屋は暑い」という文を口にしながら「寒い」を意味してみる。そして何をやっているかを精しく観察してみ給え。
  こういう生き物を想像するのはたやすい。その生き物はプライベートな思考を「傍白」の形でする、そして嘘をつくには一つのことを正面きって話しついでその逆のことを傍白する。」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『青色本』、全集6、pp.83-84、大森荘蔵)

ウィトゲンシュタイン全集(6) 青色本・茶色本 [ ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ]





22.思想を表現する行為とは別に、表現されるべき何らかの思想の実体があると考えるのは誤りである。表現する行為が思考経験そのものである場合もあれば、表現する行為にイメージや感情を伴う思考経験もあるだけである。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

思考とは表現する行為そのもの

 思想を表現する行為とは別に、表現されるべき何らかの思想の実体があると考えるのは誤りである。表現する行為が思考経験そのものである場合もあれば、表現する行為にイメージや感情を伴う思考経験もあるだけである。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))


(a)「明日は多分雨だろう」と言い、またその通りを意味してみる。
(b)声にも出さず、内語もしないで、「明日は多分雨だろう」と考えることができるか。
(c)少なくとも、考えること抜きで話すことはできないだろうか。もちろんできる。
(d)掛算 7 × 5 = 35 を言うと共に、それを考える。
(e)今度は、考えることなしに言ってみる。


「次の実験をしてみ給え。或る文、例えば、「明日は多分雨だろう」と言い、またその通りを意味してみる。つぎに、同じことを考え、今意味したことをもう一度意味してみる、しかし今度は何も言わない(声にもださず、内語もしない)。つまり、明日は雨だろうと考えることが明日は雨だろうと言うことに伴う[それとは別の]ことならば、始めのことだけをやって二番目の行動を差控えてみよ、ということである。―――考えることと話すこととが歌の歌詞とメロディの関係にあるならば、丁度歌詞抜きで節だけを歌えるように、話すことをしないで考えることだけをやれよう。
  だが少なくとも、考えること抜きで話すことはできはすまいか。もちろんできる―――しかし、君が考えることなく話す場合、どんな種類のことを君はしているのかよくみてみ給え。まっさきに注目してほしいのは、「話し且つその中味を意味する」と呼びたい過程と、考えなしに話すと呼びたい過程とを区別するものは必ずしも、《話している時点で》起きることではない、ということである。この二つを区別するものが、話しの以前と以後に起きることである場合も十分にありうる。
  私が今慎重に、考えることなしに話すことをやってみるとしよう―――実際私はどういうことをするだろう。例えば、或る本から一つの文を読み上げる、だが自動的に読もうとする、すなわち、他の場合なら読むことで生まれてくるイメージや感情と一緒にその文を読まないように極力つとめる。その一つの方法は、朗読している間何か他のことに注意を集中する、例えば、朗読の間皮膚を強くつねることであろう。―――次のように言おう。考えることなしに文を話すとは、話にスイッチを入れ、話に伴うものごとの方のスイッチを切ることである。では、考えてほしい。その文を言うことなしに考えることはこのスイッチを逆にすることであろうか(前には切ったスイッチを入れ、入れたものを切る)、と。つまり、その文を言うことなしに考えるとは、今度は単に、言葉に伴ったものごとの方を留めて言葉の方を取り除くことか、と。或る文の思想をその文なしで考えようと実際に試みて、そしてこれが現に起きることかどうかをみてみ給え。 
 要約してみよう。「考える」「意味する」「願う」等のような言葉の使い方を吟味するならば、この吟味を経過することによって、思想を表現する行為とは別に何か奇妙な媒体の中にしまいこまれた奇妙な思考作用を探し求めたい誘惑から解放される。また、もはや既成の表現形式には妨げられることなく、思考の経験とは単に言表の経験である場合も《ありうるし》、言表の経験プラスそれに伴う他の経験からなっている場合もあることを認めることができる。(また次の場合を検討するのも有益である。掛算が文の一部である場合。例えば、掛算 7 × 5 = 35 を言うと共にそれを考える、今度は考えることなしに言ってみる、これらがどういったものであるか考えて見給え。)語の文法を吟味することで、偏りのない眼で事実を見ることを妨げていたその表現の固定化したしきたりが弱められる。我々の探究はこの偏りを取り去ろうとしてきたのである。この偏りが、我々の言語に埋めこまれている或る挿し画に事実の方が合わねば《ならぬ》という考えを強いるのである。」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『青色本』、全集6、pp.84-86、大森荘蔵)

ウィトゲンシュタイン全集(6) 青色本・茶色本 [ ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ]




2023年5月27日土曜日

21.思考は、本質的には記号を操作する働きだと言えよう。この働きは、書くことで考えている場合には、手によってなされる。話すことで考えている場合には、口と喉によってなされる。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

思考とは記号操作

思考は、本質的には記号を操作する働きだと言えよう。この働きは、書くことで考えている場合には、手によってなされる。話すことで考えている場合には、口と喉によってなされる。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))


「こうして、思考を「心の働き」として語るのは誤解を招きやすい。思考は本質的には記号を操作する働きだと言えよう。この働きは、書くことで考えている場合には、手によってなされる。話すことで考えている場合には、口と喉によってなされる。だが、記号や絵を想像することで考えている場合には、考えている主体を与えることができない。その場合には心が考えているのだ、と言われれば、私はただ、君は隠喩を使っている、[君の言い方で]心が主体であるのは、書く場合の主体は手だと言える場合とは違った意味である、ということに注意を向けてもらうだけだ。
  更にもし、思考がおこなわれる場合を云々するなら、その場所は書いている紙、喋っている口だと言う権利がある。ここでもし、頭や脳を思想の場所だと言うとすれば、それは「思考の場所」という表現を違った意味で使っているのである。頭を思考の場所と呼ぶ理由は何であるか検討してみよう。そういう表現の形を批判したり適切でないことを示すのがその意図ではない。なすべきことは、その表現の働き、その表現の文法を理解することである。例えば、その文法が、「口で考える」また、「紙上の鉛筆で考える」という表現とどういう関係にあるかをみることである。」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『青色本』、全集6、p.30、大森荘蔵)

ウィトゲンシュタイン全集(6) 青色本・茶色本 [ ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ]





20.記号の意味が、記号に付随するイメージや模型に関係するにしても、それらの集合体自体は「生きておらず」依然として記号のままである。意味は、記号の使用であり、記号は、その意義を記号の体系、すなわちその記号の属する言語から得ている。文を理解することは言語を理解することである。 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

記号の意味とは何か

 記号の意味が、記号に付随するイメージや模型に関係するにしても、それらの集合体自体は「生きておらず」依然として記号のままである。意味は、記号の使用であり、記号は、その意義を記号の体系、すなわちその記号の属する言語から得ている。文を理解することは言語を理解することである。  (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))


「しかし、記号の生命であるものを名指せと言われれば、それは記号の使用( use )であると言うべきであろう。 
 仮に記号の意味(簡単に言えば、記号で大切なもの)が、記号を見聞きするとき我々の心の中に作り上げられるイメージであるとしても、先に述べたやり方で、この心的イメージを我々の眼に見える外的事物、例えば描かれたイメージ[つまり画]や模造されたイメージ[つまり模型]で置き換えてみよう。すると、書かれている[無機的な]記号がそれだけでは死んでいると言うのであれば、それに描かれたイメージをつけ加えたところでそれらが一緒になったものが生きる道理はない。
 ―――事実、君が心的イメージを例えば描かれたイメージで置換えて見たとたん、またそれによってイメージが神秘的性格を失ったとたん、そのイメージは文にいかなるものであれ命を附与するとは思えなくなるのである。(実のところ、君が自分の目的に必要としたのはまさにこの心的イメージの神秘的性格だったのである。)
  我々のおちいりやすい誤りを次のようにも言えよう。我々の探しているのは記号の使用であるが、それを何か記号と《並んで存在》しているもののように考えて探すのだ、と。(この誤りのもとの一つはまたしても、「名詞に対応する物」を求める、ということである。)
 記号(文)はその意義を記号の体系、すなわちその記号の属する言語から得ている。簡単に言えば、文を理解することは言語を理解することである。 
 文は言語体系の部分としてのみ命をもつ、とも言えよう。だのに人は、文に命を与えるものはその文に随伴する、神秘的な領域にある何かであると想像する誘惑に負けるのである。しかし、たとえ文に随伴するものがありとしても、すべてそれは我々にとってまた一つの記号にすぎぬであろう。」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『青色本』、全集6、pp.27-28、大森荘蔵)

19.思考過程の中の想像の働きをすべて、現実のものを目で見る行為で置き換えてみる。絵や図を描くこと、または模型を作ること、で置き換える。また、内語は、声を出して喋ることや書くことで置き換える。すると、思考過程の神秘的な外見のの一部が明確になる。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

思考過程を可視化する

 思考過程の中の想像の働きをすべて、現実のものを目で見る行為で置き換えてみる。絵や図を描くこと、または模型を作ること、で置き換える。また、内語は、声を出して喋ることや書くことで置き換える。すると、思考過程の神秘的な外見のの一部が明確になる。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))




「思考過程のこの神秘的な外見の少なくとも一部を避ける方法がある。それは、これらの過程の中の想像の働きをすべて、現実のものを目で見る行為で置き換えてみるのである。例えば、「赤」という語を聞いて理解するときに、少なくともある種の場合には、心眼の前に赤いイメージがあることが不可欠のように思えよう。だが、赤の斑点を想像することを、赤い紙切れを見ることで置き換えてもいいではないか。[違いは]目で見る[赤紙の]像(イメージ)の方がずっと生き生きしていようだけのことである。色名が色斑と対応付けられている紙をいつもポケットに持ち歩いている男を想像してほしい。君は、そんな色サンプルの表を持ちまわるのはさぞ面倒だろう、連想機構こそその代りにいつも我々が使っているものだ、と言うかもしれない。しかしそういうのは見当違いだ、また、それは真実でない場合すら多くある。例えば、君が「プルシャン ブルー」という特定の色合いの青を塗るように命じられたとしたら、表を使って「プルシャン ブルー」の語から或る色サンプルに導かれ、それを君の色見本にする、ということをやらなければならない場合もあるだろう。
  我々の目的にとっては、想像の過程をすべて、物を目で見る過程、絵や図を描くこと、または模型を作ること、で置き換えるのは一向に差支えない、また、内語を声を出して喋ることや書くことで置き換えるのも。」 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『青色本』、全集6、p.26、大森荘蔵)

ウィトゲンシュタイン全集(6) 青色本・茶色本 [ ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ]




18.何のことか分からない線のもつれが「Xである」と分かるとは、どのような状態なのか。既知感があること、記録(目録など)があること、対象に関する様々な関連情報が連想されること、または記録があること。既知感がなくとも規則性、対称性、安定感、装飾性などを感じさせること。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))

線で描かれた絵

 何のことか分からない線のもつれが「Xである」と分かるとは、どのような状態なのか。既知感があること、記録(目録など)があること、対象に関する様々な関連情報が連想されること、または記録があること。既知感がなくとも規則性、対称性、安定感、装飾性などを感じさせること。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))



「一二五 こんな種類の判じ絵のことを考えてみよう。そこで見いだすべきなのは、何か《一つの》特定の対象なのではない。そうではなくて、最初に見たときはその全体が、何のことかわからない線のもつれとみえるのだが、しばらく探っているうちに、例えば一つの風景画として現われてくるのである。―――この解がえられる前と後とで、この画像の眺めの相違はどこにあるのか。その二つの場合においてわれわれが画像を違ったふうに見ることは明らかである。しかし、解がえられた後で、今はこの画像はわれわれにあることを語るが、以前には何も語りはしなかった、と言いうるのは、どの範囲でのことか。
 この問を次のように立てることもできる。解が見いだされたということの一般的な特徴は何か。
 その判じ絵が解かれたときには、私はそのなかのある線を強くなぞり、いわば明暗の度合いを導入することによって、その解がわかるようにする、と、こう考えたい。では君は、君が描き入れた像を何故に解とよぶのか。
(a)それは一群の空間的諸対象を明らかにあらわしているから。
(b)それはある規則的な形の物体をあらわしているから。
(c)それは左右対称の形状だから。
(d)それは私に装飾的な印象をあたえる形状だから。
(e)それは私にとって既知のものと思われる物体をあらわしているから。
(f)いろんな解の目録があり、この形状(ないしこの物体)がそこに載っているから。
(g)それは私がよく知っている種類の対象をあらわしているから。すなわち、その対象は一瞬にして私に熟知のものだという印象をあたえる。私は一瞬のうちにあらゆる可能な連想をそれに結びつける。私はその対象が何というものか知っている。私はそれをしばしば見かけたことを知っている。私はそれが何のために使われるかを知っている、等々。
(h)それは私にとって既知のものと思われる顔をあらわしているから。
(i)それは私がそれとして認知する顔をあらわしているから。(α)それは私の友人某氏の顔である。(β)それは私がしばしば肖像で見たことのある顔である、等々。
(j)それは私がかつて見たことがあるのを覚えている対象をあらわしているから。
(k)それは私が(どこで見たかはわからないが)よく知っている装飾模様だから。
(l)それは、私がよく知っており、その名も、どこで前に見たかもわかっている装飾模様だから。
(m)それは私の部屋の調度をあらわしているから。
(n)私は本能的にこの線をなぞり、それで安定した感じをもつから。
(o)私はこの対象について話してきかされたことがあるのを覚えているから。
(p)私はその対象をよく知っているように思われるから。すなわち、ある言葉がそれの名前としてただちに私の心に浮んでくる。(ただしその言葉は既存の言語のどれにも属してはいない。)私は心のなかで言う、「そうだとも。それは甲であって、いくども乙で見たものだ。人はそれで丙を丁して、戊にするのだ」と。こうしたことは例えば夢のなかでおこる。等々。」
(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)『哲学的文法1』一二五、全集3、pp.240-242、山本信)
(索引:)



ウィトゲンシュタイン全集(3) 哲学的文法 1 [ ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン ]




2023年3月27日月曜日

情念論(第3版) 情動、欲求、意志の総合理論

情念論(第3版) ──情動、欲求、意志の総合理論



《概要》

 情動、欲求、意志とは何か。この問いへの解答の骨格は、既にデカルト『情念論』に与えら れており、基礎的な部分における修正は不要である。むしろ、人間に関する最も基礎的な概念を明確化し、総合的に理解するためには、デカルト『情念論』の再評価が必要である。ここで は、デカルト『情念論』のアップデートを試みる。
 情動は、その発動機制において神経生理学的な基盤を持ち、概念的にはある程度明確である にもかかわらず、具体的な発現バリエーションが余りに多様で、総合的に論じられることがな かったように思われる。なぜ、このように多様な情動が生じるのかが、全体理解の鍵である。 
 バリエーション展開の次元が、3つある。(1)情動誘発刺激の感覚様相の違い、すなわち外部感 覚、肢体感覚、内臓感覚などによる違いである。次に、(2)情動誘発刺激は、感覚だけでなく、想起対象、想像対象であることによって、過去、未来(予測、規範、構想)といった様相を帯び、さらに認知対象、概念・理論対象の場合にまで及ぶ。さらに、(3)情動誘発刺激として認知された対象が、外的対象、他者だけでなく、自己状態、他者状態、自己行為の他者評価、 自己行為の自己評価、自己向け他者行為などの違いによって、情動の様相が変わってくる。これら3つの次元は、ほぼ独立の次元であり、この組み合わせが極めて多様な情動を生む。
 欲求と意志は、情動の中で基礎づけられる。情動は、個人の認知構造、信念体系を通じて、 集団の持つ文化特性とも相関するため、情動の総合的な理解は、社会的な事象の解明のためにも基礎的な役割を演ずると思われる。

《改訂履歴》
2019/07/22 第1版 情念論
2020/07/27 第2版 情念論(第2版)──情動、欲求、意志の総合理論
2023/03/27 第3版 情念論(第3版)──情動、欲求、意志の総合理論
 (11.2)マレーの高次の動機の新解釈...追加
 (12)自由意志論...大幅に追加
 (7.5) 模倣する人に注意を向け、好意を抱く傾向、模倣する傾向(マルコ・イアコボーニ(1960-))...追加
 (1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義に、アントニオ・ダマシオ(1944-)の概念を追加
 (1.2.5.1)構成主義的情動理論(リサ・フィルドマン・バレット(1963-)) 追加
 (1.2.5.2)エモーティヴ(ウィリアム・M・レディ(1947-)) 追加



《目次》

(1)驚き、恐怖
(1.1)概要
(1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
(1.2.1)感覚で与えられた対象や事象
(1.2.2)あるいは想起された対象や事象
(1.2.3)自動的に 引き起こされる
(1.2.4)身体的パターン
(1.2.5)喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される
(1.2.5.1)構成主義的情動理論(リサ・フィルドマン・バレット(1963-))
(1.2.5.2)エモーティヴ(ウィリアム・M・レディ(1947-))

(1.2.6)対象や事象の評価を含む
(1.2.7)脳や身体の状態を一時的に変更する
(1.2.8)思考や行動に 影響を与える
(1.2.9)情動誘発因
(1.2.10)あるものは進化の過程で獲得
(1.2.11)他のものは個人の生活の中で学習
(1.2.12)あるときは無意識的に情動が誘発される
(1.2.13)あるときは意識的な評価段階を経て情動 が誘発される
(1.2.14)誘発された情動の実体

(1.3)情動の種類
(1.3.1)背景的情動
(1.3.1.1)気分
(1.3.1.2)感情円環図(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))

(1.3.2)基本的情動
(1.3.3)社会的情動
(1.4)受動としての情動、情動の認知が喚起する情念、意志による構想が喚起する情操 (アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
(1.4.1)情念
(1.4.2)情操

(1.5)感情
(1.6)驚き、過剰な驚きとしての恐怖
(1.6.1)情念の起源としての驚き(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ (1868-1951)
(1.7)生物的準備性(スティーブン・ピンカー(1954-))
(1.8)重視、軽視、崇敬、軽蔑
(1.9)秩序欲求、理解欲求
(2)快、嫌悪
(2.1)概要
(2.2)視覚表象が誘発する快と嫌悪による美、醜の感知
(2.3)外的感覚による表象が誘発する愛と憎しみによる広義の美、醜の感知
(2.4)内的感覚と精神固有の理性による表象が誘発する愛と憎しみによる善、悪の感知
(2.5)感覚が誘発する快と嫌悪、愛と憎しみは、通例強烈で欺くことがある
(2.6)真なる美、醜、善、悪かどうかは別問題
(2.7)所有への愛、対象への愛の区別
(2.8)愛着、友愛、献身の区別
(2.9)感覚欲求
(3)喜び、悲しみ
(3.1)概要
(3.2)喜び、悲しみ
(3.3)善の保存の欲望、喜び
(3.4)悪の回避の欲望、悲しみ
(3.5)善の獲得の欲望、完全性への欲求、秩序と調和への愛
(3.6)安心、希望、不安、執着、絶望、恐怖
(3.7)現実自己、理想自己、あるべき自己
(3.8)倦怠、嫌気、心残り、爽快
(3.9)優越欲求、被害回避欲求
(4)内的自己満足、後悔
(4.1)概要
(4.2)内的自己満足、後悔
(4.3)自己評価基準、自己称賛、自己非難
(4.4)遊び欲求、自律欲求、達成欲求、反動欲求
(5)誇り、恥
(5.1)概要
(5.2)誇り、恥
(5.3)内的帰属原因、外的帰属原因
(5.4)同胞からの称賛への希望、非難への不安
(5.5)顕示欲求、支配欲求、屈辱回避欲求、屈服欲求、服従欲求
(6)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
(6.1)概要
(6.2)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
(6.3)愛育欲求、性愛欲求
(7)好意、憤慨
(7.1)概要
(7.2)好意、憤慨
(7.3)欲情の愛、好意の愛の区別
(7.4)親和欲求、拒否欲求、隔離欲求
(7.5) 模倣する人に注意を向け、好意を抱く傾向、模倣する傾向(マルコ・イアコボーニ(1960-))

(8)感謝、怒り
(8.1)概要
(8.2)感謝、怒り
(8.3)怒りの効用
(8.4)怒りの治療法
(8.5)援助欲求、防衛欲求、攻撃欲求
(9)善、悪、美、醜と、情念の関係
(9.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
(9.2)真なる善、真なる美とは何か
(9.2.1)真なる善への疑問(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
(9.2.2)情動が美・醜・善・悪を定義するわけではない
(9.2.3)価値基準が普遍的なら、美・醜・善・悪が定義できる
(9.2.4)事実言明から価値を導出することはできない(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタ イン(1889-1951))
(9.2.5)価値とは単にある権威の恣意的な受容とは思われない(ジョージ・ゲイロード・ シンプソン(1902-1984))
(9.2.6)人間の本性や「自然」による価値基準の基礎づけは誤りである(アントニー・フ ルー(1923-2010))
(9.2.7)世界の諸事実の中の人間の倫理という現象の理解が、価値を基礎づけることがで きる(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))
(9.2.8)諸事実だけでなく価値基準も、誤謬を含み得る仮説であり、その論理的帰結と経 験による批判的討論の対象である(カール・ポパー(1902-1994))
(9.2.9)善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することがで きる(ルネ・デカルト(1596-1650))
(9.3)真なる善・悪、偽なる善・悪による情念の評価
(9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
(9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
(10)情動誘発刺激の様々な様相、自然的欲求の位置づけ
(10.1)情動とは何か、情動の暫定的定義
(10.2)情動誘発刺激
(10.3)情動誘発刺激の様々な様相
(10.3.1)概要
(10.3.2)外部感覚
(10.3.3)共通感覚
(10.3.4)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
(10.3.5)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的 欲求
(10.3.6)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
(10.3.7)認知
(10.3.8)想起
(10.3.9)想像
(10.3.10)理解
(10.3.11)運動・行動
(10.4)有能性への欲望(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))
(11)欲求の階層
(11.1)マズローの欲求の階層の新解釈(アブラハム・マズロー(1908-1970))
(11.2)マレーの高次の動機の新解釈(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(12)自由意志論
(12.1)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
(12.1.1)デカルトの第一格率
(12.1.2)問題中心的、共同社会感情、対人関係、民主的性格構造、文化からの自律性(ア ブラハム・マズロー(1908-1970))
(12.2)真理は、経験と理性によって認識することができる
(12.2.1)欲望は、真なる認識に従っているかどうか
(12.2.2)より包括的な真理の把握は、自由意志の要素の一つ
(12.2.3)偏見、先入見からの自由、現実の受容、不確かさへの志向(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))
(12.3)自己の情念は概ね頼りになる
(12.3.1)情念は、事物の価値の可能性を感知させるので、巧みに利用すること
(12.3.2)自己の情動の自然な受容、絶えず新鮮な評価、創造性、神秘的経験、大洋感情 (アブラハム・マズロー(1908-1970))
(12.4)自己の情念に従うことの是非
(12.4.1)道徳が腐敗している社会でなければ、自分の情念を頼りにできる
(12.4.2)自己実現における二分性の解決(アブラハム・マズロー(1908-1970))
(12.5)価値も、経験と理性により認識できる
(12.5.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
(12.5.2)自律的な価値体系、多様な価値体系の受容(アブラハム・マズロー(1908- 1970))
(12.6)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
(12.7)意志の自由の存在
(12.8)意志決定に伴う情動
(12.8.1)概要
(12.8.2)自己状態の予測に伴う情動(再掲)
(12.8.3)自己行為の自己評価に伴う情動(再掲)
(12.8.4)意志決定に伴う情動
(12.8.5)不確かさへの志向(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)
(12.8.6)過去の意志決定に伴う情動
(12.8.7)徳という欲望
(12.8.8)自己評価の高慢と高邁の違い
(12.8.8.1)高邁
(12.8.8.2)高慢
(12.8.8.3)超越性、プライバシーの欲求、他者からの自律性(アブラハム・マズロー (1908-1970))
(12.8.9)高邁の反対の卑屈の情念

《情動と欲望の一覧》

(1)驚き、恐怖

《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
   (時間様相)     (現在)     (過去)      (未来)     (未来)     (未来)
  《認知対象》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
  《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
  《属性》
すべて 新奇性             驚き   驚き  好奇心
         面白い(Malatesta/Haviland 1982)
         動揺(Fromme/O'Brien 1982)
         緊張(Arieti 1970)
         恐怖   恐怖        好奇心
                    秩序欲求
                    理解欲求
                    認知の欲求
                    安全と安定
                      の欲求
外的対象  価値  重視                   所有欲求
                    支配欲求
      無価値 軽視
人間       価値   崇敬                   服従欲求
      無価値 軽蔑                   支配欲求

(2)快、嫌悪
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
           (時間様相)      (現在)     (過去)      (未来)      (未来)     (未来)
  《認知対象》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
  《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
  《属性》
外的対象   美               快                         感覚遊び
                        感覚欲求
                        芸術
        美への愛
                        審美的欲求
     醜     嫌悪
    広義の美 美への愛
        所有への愛                   所有欲求
        対象への愛
    広義の醜 醜への憎しみ
他者        広義の美 美への愛
        愛情(Darwin 1872)
    低い価値  愛着
    同等価値  友愛
    高い価値      献身
    広義の醜 醜への憎しみ
認知対象と  善         愛
理論対象         悪    憎しみ



(3)喜び、悲しみ
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己状態 健康 快 予感(Pluchik 1980)
病気 不快 予感 安全と安心の欲求
善 喜び 安心 善の保存の欲望
幸せ(Fehr/Russell 1984)
意気揚々(Fromme/O'Brien 1982)
満足(Fromme/O'Brien 1982)
静穏(Osgood 1966)
善→善 倦怠、嫌気 希望 優越欲求
退屈(Osgood 1966)
不安、恐怖
執着
絶望
苦悩(Izard 1977,1992b)
期待(Osgood 1966)
悪→善 喜び 爽快
善→悪 悲しみ 心残り
悪 悲しみ 不安、恐怖 悪の回避の欲望
悪→悪 悲しみ 絶望 被害回避欲求
の癒し 善の獲得の欲望
受容(Pluchik 1980)
完全性へ
の欲望
秩序と調和
への欲望
現実自己 喜び 理想自己
落胆、不満 理想自己
現実自己 喜び あるべき自己
罪悪感と あるべき自己
自己卑下
現実自己 喜び 他者(理想自己)
恥、当惑 他者(理想自己)
現実自己 喜び 他者(あるべき自己)
危機感と 他者(あるべき自己)
恐れ

(4)内的自己満足、後悔
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己行為の 成功 快 身体遊び
自己評価 活動欲求
楽しい(Izard 1977,1992b)
遊び欲求
スポーツ
失敗 不快
善 内的自己満足 自己評価 意志を実現
自己の尊厳感 の基準 させる力へ欲求
自律欲求
達成欲求
自己尊重の欲求
悪 後悔 自己評価 反動欲求
廉恥心 の基準

(5)誇り、恥
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己行為の 成功 快 同情的な
他者評価 失敗 不快 支持への欲求
自己行為の 善 誇り 同胞からの
他者評価 賞賛への希望
顕示欲求
支配欲求
屈辱回避欲求
承認の欲求
悪 恥 同胞からの 屈服欲求
非難への不安 服従欲求
罪(Izard 1977,1992b)
内的理由 成功 大きい誇り
外的理由 成功 小さい誇り
内的理由 失敗 大きい恥
外的理由 失敗 小さい恥

(6)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
他者状態 他者情動 共感 愛育欲求
博愛感情 性愛欲求
善 喜び 羨み
悪 憐れみ 笑いと嘲り

(7)好意、憤慨

《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
   (時間様相)     (現在)     (過去)      (未来)     (未来)     (未来)
  《認知対象》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
  《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
    《属性》
他者行為   善           好意                     親和欲求
                言い寄り(Trevarthen 1984)
         欲情の愛
         好意の愛
模倣する他者   好意     模倣欲求
     悪              憤慨               拒否欲求
                反抗(Trevarthen 1984)
                隔離欲求
         侮蔑(Izard 1977,1992b)

(8)感謝、怒り
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己向け 善 感謝 援助欲求
他者行為 愛と集団帰属
の欲求
悪 怒り 防衛欲求
攻撃欲求
(10)情動誘発刺激の様々な様相、自然的欲求の位置づけ
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
すべて 新奇性 驚き 驚き 好奇心
面白い(Malatesta/Haviland 1982)
動揺(Fromme/O'Brien 1982)
緊張(Arieti 1970)
恐怖 恐怖 好奇心
秩序欲求
理解欲求
認知の欲求
安全と安定
の欲求
外部感覚 広義の美 快 有能性への欲望
感覚遊び 刺激への欲求
美への欲求
芸術
広義の醜 嫌悪
共通感覚 広義の美 快
広義の醜 嫌悪
肢体状況 広義の美 快
広義の醜 嫌悪
痛み
自然的 広義の美 快 自然的欲求
欲求 広義の醜 嫌悪
飢え、渇き
気持ち悪い
嘔吐
幻覚・ 広義の美 快
夢想 広義の醜 嫌悪
認知対象 広義の美 快 有能性への欲望
認知の欲求
広義の醜 嫌悪
想起対象 広義の美 快 有能性への欲望
広義の醜 嫌悪
想像対象 広義の美 快 有能性への欲望
想像遊び
広義の醜 嫌悪
理解対象 広義の美 快 有能性への欲望
知的遊び 認識への欲求
学問
広義の醜 嫌悪
理論対象 善 愛
悪 憎しみ
運動・ 広義の美 快 有能性への欲望
行動 身体的遊び 活動欲求
スポーツ
広義の醜 嫌悪

(12.8)意志決定に伴う情動
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己状態 善 喜び 安心
悪 悲しみ 希望
不安
執着
絶望
自己行為の 善 内的自己満足
自己評価 悪 後悔
意志以外の 高慢
属性保持者 謙虚
としての自己
意志決定者 高邁 良心の 不決断 徳という
としての自己 卑屈 悔恨 欲望
大胆、勇気 自己効力期待
対抗心
臆病、恐怖
不確かさ 快 不確かさ志向
不快 不確かさ回避
自己の情動 喜び


(1)驚き、恐怖
《目次》
(1.1)概要
(1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
(1.2.1)感覚で与えられた対象や事象

(1.2.2)あるいは想起された対象や事象
(1.2.3)自動的に 引き起こされる
(1.2.4)身体的パターン
(1.2.5)喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される
(1.2.5.1)構成主義的情動理論(リサ・フィルドマン・バレット(1963-))
(1.2.5.2)エモーティヴ(ウィリアム・M・レディ(1947-))
(1.2.6)対象や事象の評価を含む
(1.2.7)脳や身体の状態を一時的に変更する
(1.2.8)思考や行動に 影響を与える
(1.2.9)情動誘発因
(1.2.10)あるものは進化の過程で獲得
(1.2.11)他のものは個人の生活の中で学習
(1.2.12)あるときは無意識的に情動が誘発される
(1.2.13)あるときは意識的な評価段階を経て情動 が誘発される
(1.2.14)誘発された情動の実体

(1.3)情動の種類
(1.3.1)背景的情動
(1.3.1.1)気分
(1.3.1.2)感情円環図(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))

(1.3.2)基本的情動
(1.3.3)社会的情動


(1.4)受動としての情動、情動の認知が喚起する情念、意志による構想が喚起する情操 (アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
(1.4.1)情念
(1.4.2)情操

(1.5)感情
(1.6)驚き、過剰な驚きとしての恐怖
(1.6.1)情念の起源としての驚き(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ (1868-1951)
(1.7)生物的準備性(スティーブン・ピンカー(1954-))
(1.8)重視、軽視、崇敬、軽蔑
(1.9)秩序欲求、理解欲求

(1.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
   (時間様相)     (現在)     (過去)      (未来)     (未来)     (未来)
  《認知対象》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
  《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
  《属性》
すべて 新奇性             驚き   驚き  好奇心
         面白い(Malatesta/Haviland 1982)
         動揺(Fromme/O'Brien 1982)
         緊張(Arieti 1970)
         恐怖   恐怖        好奇心
                    秩序欲求
                    理解欲求
                    認知の欲求
                    安全と安定
                    の欲求
外的対象  価値  重視                   所有欲求
                    支配欲求
      無価値 軽視
人間       価値   崇敬                   服従欲求
      無価値 軽蔑                   支配欲求

※面白い、動揺、緊張は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

(1.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
 感覚で与えられた対象や事象、あるいは想起された対象や事象を感知したとき、自動的に引き起こされる身体的パターンであり、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される。 それは、対象や事象の評価を含み、脳や身体の状態を一時的に変更することで、思考や行動に 影響を与える。情動誘発因のあるものは進化の過程で獲得され、他のものは個人の生活の中で学習される。あるときは無意識的に情動が誘発され、またあるときは意識的な評価段階を経て情動 が誘発される。誘発された情動の実体はまた意識の諸様相であり情動誘発因の場合もある。

参照: 狭義の情動とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(1.2.1)感覚で与えられた対象や事象
 (a.1)物理的環境
  もともと情動の基本的役割は、生来の生命監視機能と結びついている。情動の役割 は、命の状態を心にとどめ、その命の状態を行動に組み入れることだった。

(1.2.2)あるいは想起された対象や事象
 (b.1)文化的環境
  (i)文化的環境は、情動の誘発に大きな影響を与える。そして逆に情動が、文化的構築 物の評価、発展において重要な役割を担っている。それが、有益な役割を担うためには、文化 が科学的で正確な人間像に基づかなければならない。

 (b.2)社会的環境
  社会的環境も、情動の誘発に大きな影響を与える。それは、人間集団の命の状態の 指標でもある。そして逆に情動が、社会的環境の評価、改善において重要な役割を担ってい る。情動と、社会的な現象との関係を知的に考察することは、社会の苦しみを軽減し幸福を強 化するような物質的、文化的環境状況を生み出すために必要なことである。


(1.2.3)自動的に 引き起こされる
 (c.1)意識的熟考なしに自動的に作動する。

(1.2.4)身体的パターン
 (d.1)情動は有機体の身体(内部環境、内臓システム、前庭システム、筋骨格システム)に 起因する。情動は、一つのパターンを形成する一連の複雑な化学的、神経的反応である。
 (d.2)情動は生物学的に決定されるプロセスであり、生得的に設定された脳の諸装置に依存 している。
 (d.3)情動を生み出すこれらの装置は、脳幹のレベルから始まって上位の脳へと昇っていく、かなり範囲の限定された様々な皮質下部位にある。これらの装置は、身体状態の調節と表象を担う一連の構造の一部でもある。


(1.2.5)喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される

(1.2.5.1)構成主義的情動理論(リサ・フィルドマン・バレット(1963-))



(c)同じ刺激が多様に解釈される
 食卓に座っているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 みは吐き気として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ として、この種の痛みを受け取るかもしれない。



(1.2.5.2)エモーティヴ(ウィリアム・M・レディ(1947-))


(a)思考材料
 短時間のうちには注意が翻訳することのできない思考材料が現れる。ここには、何らかの事実が起こっている。私たちが誰かを愛するのは「事実」である。
(b)概念化
 思考材料は、概念化されている。(心理学的構築論)
(c)目的や目標
 感情とは、ある目的や目標のために、思考材料を活性化させることである。(認知科学)
(d)エモーティヴ
「あなたを愛している」という発言は、思考材料が感情的な発話行為へと「翻訳され」活性化された結果である。私たちはそのように発言するとき、「あなたを愛している」と言うことでかろうじて表現される、様々な気持ちをそのもの全体として抱いている。
(e) エモーティヴの効果
 エモーティヴは感情的状態を描写し、エモーティヴは対象を変容させ、そしてエモーティヴはその発言 をした人に様々な気持ちを呼び起こすのである。 エモーティヴは「感情に関する活性化した思考材料に対して、説明を付与する効果と、自ら変化する効果を持つ」。
(f)エモーティヴの誠実、不誠実
 エモーティヴは、それと合致する目標 が一つだという点で誠実である。しかし、人は一つ以上の目標を持つ故に、同一のエモーティヴが競 合する目標と関連づけられる点において、 エモーティヴは不誠実である。



(1.2.6)対象や事象の評価を含む
 (f.1)意識的な評価なしに自動的に引き起こされた情動にも、その対象や事象に対する評価結果が織り込まれている。ただし、それは意識的評価をはさんだ場合とは、異なるかもしれ ない。

(1.2.7)脳や身体の状態を一時的に変更する

(g.1)情動対象を感知する
 (g.1.1)感覚で与えられた対象や事象を感知し、評価する。(場所:感覚連合皮質と高次の大脳皮質)
 (g.1.2)「あたかも身体ループ」:想起された対象や事象を感知し、評価する。この「あたかも」機構は、単に情動と感情にとって重要なだけでなく、「内的シ ミュレーション」とも言える一種の認知プロセスにとっても重要である。
(g.2)有機体の状態が一時的に変化する
 (g.2.1)身体状態と関係する変化:「身体ループ」または「あたかも身体ループ」
  (i)自動的に、神経的/化学的な反応の複雑な集まりが、引き起こされる。(場所:例えば「恐れ」であれば扁桃体が誘発し、前脳基底、視床下部、脳幹が実 行する。)
  (i.1)内受容ネットワーク
  (i.2) 身体予算管理領域
   身体に予測を送る一連の脳領域である。我々はこれを「身体予算管理領域 (body-budgeting regions)」と呼ん でいる。
   (a)エネルギーは、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために使われる。 
   (b)すべての消費や補給を管理するために、脳はつねに、身体の予算を立てるかの ごとく、身体のエネルギー需要を予測しなければならない。
   (c)身体予算管理領域が心拍数の高 まりなどの運動の変化を予測する。


  (ii)2種類の信号が変化を伝播する。
   (1)体液性信号:血流を介して運ばれる化学的メッセージ
   (2)神経信号:神経経路を介して運ばれる電気化学的メッセージ
  (iii)身体の内部環境、内蔵、筋骨格システムの状態が一時的に変化する。情動的状態は、身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、 咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度を変化させる。
  (iv)身体風景の表象が変化する。二種類の信号の結果として身体風景が変化し、脳幹から上の中枢神経の体性感覚 構造に表象される。
  (iv.1)一次内受容皮質
   体内の感覚刺激を表現する「一次内受容皮質」と呼ばれる領域である。
   (i)胸の高鳴りなど の感覚の変化を予測する。このような感覚予測は「内受容予測」と呼ばれる。
   (ii)心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織から感覚入力を受け取る。 
   (iii)一次内受容皮質のニューロ ンは、シミュレーションの結果と感覚入力を比べ、予測エラーがあればそれを計算して予測ループを 完結させ、最終的に内受容刺激を生み出す。

 (g.2.2)認知状態と関係する変化
  脳構造の状態も一時的に変化し、身体のマップ化や思考へも影響を与える。
次項目「思考や行動に影響を与える」へ。
(g.3)有機体の一時的変化の表象
 一時的に変化した有機体の状態は、イメージとして表象される。
(g.4)対象の意識化と自己感の発生
 有機体の一時的変化の表象は、情動の対象を強調し意識的なものに変化させる。同時 に、対象を認識している自己感が出現する。


(1.2.8)思考や行動に 影響を与える
 (h.1)すべての情動は何がしか果たすべき調節的役割を有し、有機体の命の維持を助けている。
 (h.2)認知状態と関係する変化
  (h.2.1)情動のプロセスによって前脳基底部、視床下部、脳幹の核にいくつかの化学物質が 分泌される。
  (h.2.2)分泌された神経調節物質が、大脳皮質、視床、大脳基底核に送られる。
  (h.2.3)その結果、以下のような重要な変化が多数起こる。
 (i)特定の行動の誘発
  引き起こされた特有な身体的パターン、行動パターンの種類がいくつか存在す る。たとえば、絆と養育、遊びと探索。
 (ii)現在進行中の身体状態の処理の変化
  たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制 されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある。
 (iii)認知処理モードの変化
  たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、 シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である。


(1.2.9)情動誘発因
 (i.1)狭義の情動が引き起こされるとき、その情動の原因となった対象や事象を、〈情動 を誘発しうる刺激〉(ECS Emotionally Competent Stimulus)という。
 (i.2)ある情動の根拠は進化の過程で獲得され、他の情動の根拠は個人の生活の中で学習 される。あるときは無意識的に情動が誘発され、またあるときは意識的な評価段階を経て情動 が誘発される。このような情動が、人間の発達の歴史において重要な役割を演じている。
参照:情動の根拠には(a)生得的なもの、(b)学習されたものがある。また、情 動の誘発は、(a)無意識的なもの、(b)意識的評価を経由するものがあるが、いずれも反応は 自動的なものであり、誘発対象の評価が織り込まれている。(アントニオ・ダマシオ (1944-))
 (i.3)情動誘発刺激の様々な様相
  視覚だけではなく、〈特殊感覚〉のうち聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚、〈表在性感覚〉(皮 膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚)、〈深部感覚〉(筋、腱、骨膜、関節の感覚)、〈内臓感覚〉 (空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など)、「精神の能動によらない想 像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想」によって情念が生じる場合も、同様である。 


(1.2.10)あるものは進化の過程で獲得
 (j.1)長い進化によって定着したものであり、有機体に有利な状況をもたらしている。

(1.2.11)他のものは個人の生活の中で学習
 (k.1)情動誘発因の形成においては、文化や学習の役割が大きく、これにより情動の表出が 変わり、情動に新しい意味が付与される。
 (k.2)その結果、個的な差もかなりある。

 (k.3)「精神だけに関係づけられる精神の受動」

(1.2.12)あるときは無意識的に情動が誘発される
 (l.1)意識的な評価は、情動が生じるためには必要というわけではない。
 (l.2)意識的な評価どころか、情動を誘発しうる刺激(ECS)の存在に、われわれが気づ いていようといなかろうと、情動は自動的に引き起こされる。
 参照: 情動を誘発しうる刺激(ECS)の存在に、われわれが気づいていようといなかろうと、情動は 自動的に引き起こされる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(1.2.13)あるときは意識的な評価段階を経て情動 が誘発される
 (m.1)意識的な思考の役割
 その対象と他の対象との関係や、その対象と過去との結びつきなど、意識的な思考が 行う評価であることもある。むしろ、原因的対象と自動的な情動反応との間に、特定の文化の 要求と調和するような意識的な評価段階をさしはさむことは、教育的な成長の重要な目標の一 つである。

(1.2.14)誘発された情動の実体
 誘発された反応は再び意識の内容となる。デカルトの分類に従って記載し直すと、引き起こされた情動の意識現象としての実体が分かる。

(n.1)精神の能動

 (n.1.1)精神そのもののうちに終結する精神の能動

 (i)認知

 ⇒認知処理モードの変化

  たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、 シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である。

 ⇒対象の意識化と自己感の発生

  有機体の一時的変化の表象は、情動の対象を強調し意識的なものに変化させる。同時 に、対象を認識している自己感が出現する。

 (ii)想起

 (iii)想像

 (iv)理解

 (n.1.2)身体において終結する精神の能動(運動、行動)

 ⇒特定の行動の誘発

  引き起こされた特有な身体的パターン、行動パターンの種類がいくつか存在す る。たとえば、絆と養育、遊びと探索。


(n.2)精神の受動

 (n.2.1)身体を原因とする知覚

 (i)外部感覚

 (ii)共通感覚

 (iii)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様

 (iv)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求

  ⇒有機体の一時的変化の表象

   身体の内部環境、内蔵、筋骨格システムの状態が一時的に変化する。情動的状態は、身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、 咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度を変化させる。


()情動と表情

 顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 しかし、顔面の動きは必ずしも情動的なものだとは言えないし、それが表わす意味もつねに同じわけではない。それは、文化に基づく予想や社会的状況、ボディランゲージなどの文脈に依存している。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))



  ⇒現在進行中の身体状態の処理の変化

   たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制 されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある。

  (v)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想

 (n.2.2)精神を原因とする知覚

 (n.2.3)身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を原因とする、精神だけに関係づけられる知覚(情念)


(a)背景的情動の例
 疲労、やる気、興奮、好調、不調、緊張、リラックス、高ぶり、気の重さ、安定、不 安定、バランス、アンバランス、調和、不調和などがある。

(b)内的状態の指標
 (i)血液などの器官の平滑筋系や、心臓や肺の横紋筋の時間的、空間的状態。
 (ii)それらの筋肉繊維に近接する環境の化学特性。
 (iii)生体組織の健全性に対する脅威か、最適ホメオスタシスの状態か、そのいずれか を意味する化学特性のあり、なし。

(d)背景的情動と欲求や動機との関係
 欲求は、背景的情動の中に直接現れ、最終的に背景的情動により、われわれはその存 在を意識するようになる。

(e)背景的情動とムードとの関係
 ムードは、調整された持続的な背景的情動と、一次の情動との調整された持続的な感 情とからなっている。たとえば、落ち込んでいる背景的情動と悲しみとの調整された持続的感 情。

(f)背景的情動と意識の関係
 背景的情動と中核意識は極めて密接に結びついているので、それらを容易には分離で きない。
(1.3.1.1)気分
(a)気分
 爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など。
(b)気分の感情価
 それがど れくらい快、もしくは不快に感じられるかで、科学者はこの特徴を「感情価 (affective valence)」と呼ぶ。 たとえば肌にあたる日光の快さ、好物のおいしさ、胃痛やつねられたときの不快さはすべて感情価の 例である。
(c)気分の覚醒度
 どれくらい穏やかに、あるいは興奮して感じられるかで、科学者は「覚 醒 (arousal)」と呼んでいる。 よい知らせを期待しているときの活力あふれる感覚、コーヒーを飲みす ぎたあとの苛立ち、長距離を走ったあとの疲労、睡眠不足に起因する倦怠感などは、覚醒の度合 の高さ、あるいは低さを示す例だ。
(d)気分は恒常的な内受容感覚
 気分は内受容に依存する。つまり生涯を通じ、じっとしているときでも 眠っているときでも、恒常的な流れとして存在し続ける。 


(1.3.1.2)感情円環図(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))


不快・覚醒度高い 快・覚醒度高い
(動転,動揺)    (高揚,興奮)
不快・覚醒度中立 快・覚醒度中立
(惨めさ,不機嫌)  (満足,喜び)
不快・覚醒度低い 快・覚醒度低い
(無気力,落込み)  (穏やか,落着き)





(1.3.2)基本的情動
 基本的情動:《例》恐れ、怒り、嫌悪、驚き、悲しみ、喜び。様々な文化や、人間以外の種に おいても、共通した特徴が見られる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(1.3.3)社会的情動
 社会的情動:共感、当惑、恥、罪悪感、プライド、嫉妬、羨望、感謝、賞賛、憤り、軽蔑など (アントニオ・ダマシオ(1944-))



()社会的情動の形成過程
 特定の社会的状況と個人的経験が、情動誘発刺激となるために蓄積される知識(a)特定の問 題、(b)問題解決のための選択肢、(c)選択した結果、(d)結果に伴う情動と感情(直接的結 果、および将来的帰結)(アントニオ・ダマシオ(1944-))
 社会的状況と、それに対する個人的経験に関する、以下のような知識が蓄積されてい くことで、特定の情動誘発刺激が学習されていく
(a)ある問題が提示されたという事実
(b)その問題を解決するために、特定の選択肢を選んだということ
(c)その解決策に対する実際の結果
(d)その解決策の結果もたらされた情動と感情
 (i)行動の直接的結果は、何をもたらしたか。罰がもたらされたか、報酬がもたら されたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライドか。
 (ii)直接的行動がどれほどポジティブであれ、あるいはどれほどネガティブであ れ、行動の将来的帰結は、何をもたらしたのか。結局事態はどうなったのか。罰がもたらされ たか、報酬がもたらされたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライド か。


()感情体制とエモーティヴ(ウィリアム・M・レディ(1947-))


(a)感情体制
 エモー ティヴは、感情体制の支配下にある。感情体制とは、「規範的感情の一式と、 それを表現し、人々に教え込む公的な儀礼、実践およびエモーティヴ」のことである。
 (i)規範的感情の一式
 (ii)支配的な感情規範
  感情を表現し、人々に教え込む公的な儀礼、実践
 (iii)エモーティヴ

(b)感情コントロールとしての権力行使
 「感情のコントロールは、権力行使の現場である。 所与の文脈や関係性のもとに立ち現れた気持ちや欲望を、不当なものとして抑圧したり、価値あるものとして重視したりする責務を負うのは誰なのか。政治とはまさに、この誰かを決める過程である」。

(c)エモーティヴの自己変容効果
 どのような感情も、「短時間のうちには注意が翻訳することのできない」ものであり、表現された感 情は人を常に自己 探求へと導くかもしれない。
(d)支配的な感情規範からの「感情の避難所」
 感情体制は、ほぼその定義 ゆえに、エモーティヴが潜在的可能性を十全に発揮することを許さないため、感情の避難所、すなわち「支配的な感情規範から人を安全に解放し、感情的努力を軽減する(...)また、既存の感情体制を補 助したり脅かしたりする可能性のある、(...)関係、作法、もしくは組織」を創出する。 
(e)統制的な感情体制と感情の避難所
 感情体制があまりにも統制的であり、エモーティヴの自己変容効果を妨害し、人々が目標を変化させることを妨げ ると仮定しよう。すると、感情体制は人々に感情的苦痛をもたらすばかりでなく、感情体制に損失を与えうる感情の避難所を生み出すのである。


(b)エモーショノロジー(ピーター・スターンズ(1936-))


(a)基本感情は普遍的であり、変化することはな い。(ポール・エクマン(1934-))
(b)感情は「管理される」ものである。(アーリ ・ホックシールド(1940-))
(c)基本感情が変化を被らなかったとしても、人が感情をどこでどのように表現するべきかに関する基準は急速に変化してきた。
(d)エモーショノロジー(ピーター・スターンズ(1936-))
 ある社会やその内部の特定の集団が、基本感情とその適切な表現に対して 保持する態度や基準。こうした態度や基準は、諸制度に反映され、促進される。
 (i)求愛行為には、婚姻関係において情動がどのように評価されるのかが、反映されている。
 (ii)社員研修には、 職務上の人間関係において怒ることがどう評価されるのかが、反映されている。






(c)意志決定過程への情動の影響
 意志決定の過程:(a)状況に関する事実(b)選択肢(c)予想される結果(d)推論戦略により(e) 意志決定されるが、状況が自動的に誘発する情動および関連して想起される諸素材が(c)に影 響し(d)に干渉する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
(1) 反応が求められる状況が発生する。
(2) (3)と(4)の経路は並行する。しかし、(3)を経由しないで、(4)が直に決定をもたらす こともある。各経路が単独に、あるいは組になって使われる程度は、個人の成長の程度、状況 の性質、環境などに依存する。
(3) 意志決定の経路A
 (3.1) 状況に関する事実、表象が誘発される。
 (3.2) 決定のための選択肢が誘発される。
 (3.3) 予想される将来の結果の表象が誘発される。
(4) 意志決定の経路Bは、経路Aと並行する。
 (4.1) 類似状況における以前の情動経験が活性化する。
 (4.2) 情動と関係する素材が想起され、(3.3)「将来の結果の表象」への影響する。
 (4.3) 同様に、想起された素材は、(5)「推論戦略」へ干渉する。
(5) (3)の認識に基づき、推論戦略が展開される。
(6) (3)と(5)から、意志決定する。


(d)集団内に対する情動、集団外に対する情動
 社会的情動のいくつかは集団と関係し、集団内と集団外に対して異なる機能を持つ。人間の文 化の歴史は、これら情動を、個的な集団の制約を超え、最終的には人類全体の包含を目指した 努力の歴史である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 (i)親切な情動、賞賛に値する適応的利他主義は、集団と関係がある。家族、部族、 市、国などである。
 (ii)集団外のものに対する反応は、少しも親切ではない。適切なはずの情動が、集団 外に向けられると、いとも簡単に悪意に満ちた、残忍なものになる。その結果が、怒り、恨 み、暴力である。それらすべては、部族間の憎しみや人種差別や戦争の潜在的な芽として容易 に認識できる。
 (iii)われわれ人間の文化の歴史は、ある程度まで、最善の「道徳的感情」を、個的 な集団の制約を超え、最終的には人類全体を包含するように、より広い世界へ広めていこうと する努力の歴史である。
 (iv)その仕事は、まったく、未だ完成していない。

(d) 社会的情動のうち支配と従順も、人間のコミュニティにおいて不可欠な役割を果たすととも に、同時にまた、集団全体の破滅を早めてしまうようなネガティブな作用を及ぼすこともあ る。(アントニオ・ダマシオ(1944-))


(1.4)受動としての情動、情動の認知が喚起する情念、意志による構想が喚起する情操 (アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868-1951))
「情操(sentiment):これは感情(affection)の最も高い段階である。最も低い段 階は情動(émotion)であり、それは外的な刺激とそれが喚起する本能的な反応(震 える、泣く、赤くなる)に次いで、突然、われわれの意に反して襲ってくるものである。中間 の段階は情念(passion)であり、これは情動についての反省であり、情動についての恐れで あり、情動についての欲望であり、予見であり呪いである。例えば、恐れは情動であり、臆病 は情念である。これらに対応する情操(sentiment)は勇気である。あらゆる情操は意志を再 獲得することによって形作られる(愛は愛することを誓うことであるように)。そして根本情 操(le sentiment fondamental)とは、自由意志(libre arbitre)の情操(又は尊厳 の情操、又はデカルトが述べたように高邁(générosité)の情 操)である。この情操はどこかしら崇高さを帯びており、種々の特殊情操(les sentiments particuliers)の内に見出されるものである。情操の境位では、自らが欲する通りに感じることを望むのだが、もちろんそれは決して達せられることはない。情操の中の、乗り越えられ た情動と情念のざわめく残滓が、情操の素材なのである。例えば、勇気の中の恐れ、愛の中の 欲望、慈愛の中の痛みへの恐怖。人は情操とは最も深い確実さの源泉であることに気づくであ ろう。(AD 1088 “Définition”)」
(出典:アランの情念論の二つの源泉--デカルトの情念論とラニョーの反省哲学 (小林敬,2019)

(1.4.1)情念
 情念(passion)は、情動についての反省であり、情動についての恐れで あり、情動についての欲望であり、予見であり呪いである。例えば、恐れは情動であり、臆病 は情念である。

《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
   (時間様相)     (現在)     (過去)      (未来)     (未来)     (未来)
  《認知対象》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
  《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》


(1.4.2)情操
 情操(sentiment)は意志を再 獲得することによって形作られる。愛は愛することを誓うことであるように。情操の境位では、自らが欲する通りに感じることを望むのだが、もちろんそれは決して達せられることはない。情操の中の、乗り越えられ た情動と情念のざわめく残滓が、情操の素材なのである。例えば、勇気の中の恐れ、愛の中の 欲望、慈愛の中の痛みへの恐怖。人は情操とは最も深い確実さの源泉であることに気づくであ ろう。



(1.5)感情
(a)感情表出反応
(b)例えば、欲望
 意識を持つ個体が、自分の欲求やその成就、挫折に関して持つ認識と感情

(c)感情の特徴
 感情の特徴:(a)情動が、感情と思考を誘発する。(b)誘発される感情と思考は、学習され る。(c)特定の脳部位への電気刺激も、情動、感情、思考を誘発する。(d)感情、思考は、新 たな情動誘発刺激となる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(d)感情の情動依存性
 情動が、感情と思考を誘発する。
感覚/想起された ⇒ 情動 ⇒ 感情 ⇒ 思考
対象/事象
(情動を誘発する
対象/事象)

(e)感情、思考は学習される
 情動によって誘発される感情と思考は、学習されたものである。

(f)情動誘発の神経機構の相対的自律性
 特定の脳部位への電気刺激により誘発された情動でも、学習された感情と思考を誘発す る。
(特定の脳部位 ⇒ 情動 ⇒ 感情 ⇒ 思考
への電気刺激)
※ 学習によって情動と結びつけられた思考が、呼び起こされる。

(g)情動の連鎖
 呼び起こされた思考が、さらに情動の誘発因となる。
呼び起こされた ⇒ 情動 ⇒ 感情 ⇒ 思考
思考
※ 呼び起こされた思考は、現在進行中の感情状態を高めるか、静めるかする。思考の 連鎖は、気が散るか、理性によって終止符が打たれるまで継続する。
参考:最初の「情動を誘発しうる刺激」の存在が、しばしば、その刺激と関連する別の「情動を誘発 しうる刺激」をいくつか想起させ、当初の情動を拡大、変化、減少させ、複雑な感情の土台を 作る。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

《概念図》
「情動を誘発しうる刺激」A
 │
 ├→Aと関連して想起された対象や事象B
 ↓       (新たな情動誘発刺激となる)
情動a  │
   ├→想起された対象や事象C
   ↓                     ↓
   情動b   情動c
 情動aは持続、拡大したり、変化したり、減少したりする。これら、身体的状態のパターンである情動a、b、cと、心の内容である対象や事象の全体 が、特定の「感情」の土台を構成する。

(h)感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化
 感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(i)身体性

 そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。

(ii)ヴェイレンス

 これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。

(iii)感情の知性化

 同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。


 

(1.6)驚き、過剰な驚きとしての恐怖
「驚き」に不意を打たれ、激しく揺り動かさるとき、 そこには既知ではない、想定外の、初めて出会う新しい対象が存在する。驚きが、知らなかっ たことを学ばせ、記憶にとどめさせる。(ルネ・デカルト(1596-1650))



(1.6.1)情念の起源としての驚き(アラン/エミール=オーギュスト・シャルティエ (1868-1951))
「知性最初の接触、それも新しい対象がわれわれを害するものか益するものかを想定す るより以前の、最初の接触のうちに情念的なるものが在る、ということを見抜くのは、まさに デカルトのような人でないと不可能だ。さらに、初発の好奇心を恐れおよび希望から切り離し て、しかも身体から切り離すことをしなかったのは、まさに天才のやり方だ。そしてもう一つ の指摘は、驚異をあらゆる情念のうちで最初のものであり、あらゆる情念の起源(origine) に見出されるものであると見抜いたことであるが、そうであるが故にいっそう素晴らしいので ある。(PS 983 “Descartes”)」
(出典:アランの情念論の二つの源泉--デカルトの情念論とラニョーの反省哲学 (小林敬,2019)

(1.7)生物的準備性(スティーブン・ピンカー(1954-))
恐怖の対象となるものは、習慣や文化の違いを超えた共通性が存在する。例えば、ヘビ、ク モ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖。恐怖以外に共通な能力の例:言語の獲得、数 学的な技能、音楽の観賞、空間知覚など(スティーブン・ピンカー(1954-))


(1.8)重視、軽視、崇敬、軽蔑
重視:価値ある、偉大な対象であるという判断に伴う驚き。
軽視:価値のない、つまらない対象であるという判断に伴う驚き。
参照:〈重視〉と〈軽視〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))
崇敬:他者が、価値ある、偉大な対象であるという判断に伴う驚き。
軽蔑:他者が、価値のない、つまらない対象であるという判断に伴う驚き。
参照:〈崇敬〉と〈軽蔑〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))
参照:崇敬とは、愛や献身とは異なり、善または悪をなしう る驚くべき大きな自由原因に対し、その対象から好意を得ようと努め何らかの不安を持って、 その対象に服従しようとする、精神の傾向である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(1.9)秩序欲求、理解欲求
 (a)マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
驚き、恐怖を回避する未来が指向される(秩序、理解欲求)
秩序:秩序と清潔さを達成すること
理解:疑問をもち、考えること
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)

(b)不規則性や変化への恐れ、斉一性への傾向
 原始より人間には、不規則性や変化を恐れ、斉一的なものを求める傾向があり、自らの行為とともに他者の行為を、予測可能なものにしようと努力してきた。伝統を創造し守ろうとする傾向もまた同じである。批判的合理主義は、この伝統の重要性を理解し、かつ寛容の伝統を基本に自由な批判によってより良い伝統の創造を主張する。(カール・ポパー(1902-1994))


(2)快、嫌悪
《目次》
(2.1)概要
(2.2)視覚表象が誘発する快と嫌悪による美、醜の感知
(2.3)外的感覚による表象が誘発する愛と憎しみによる広義の美、醜の感知
(2.4)内的感覚と精神固有の理性による表象が誘発する愛と憎しみによる善、悪の感知
(2.5)感覚が誘発する快と嫌悪、愛と憎しみは、通例強烈で欺くことがある
(2.6)真なる美、醜、善、悪かどうかは別問題
(2.7)所有への愛、対象への愛の区別
(2.8)愛着、友愛、献身の区別
(2.9)感覚欲求

(2.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
外的対象 美 快 感覚遊び
感覚欲求
芸術
美への愛
審美的欲求
醜 嫌悪
広義の美 美への愛
所有への愛 所有欲求
対象への愛
広義の醜 醜への憎しみ
他者 広義の美 美への愛
愛情(Darwin 1872)
低い価値 愛着
同等価値 友愛
高い価値 献身
広義の醜 醜への憎しみ
認知対象と 善 愛
理論対象 悪 憎しみ

※愛情は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

(2.2)視覚表象が誘発する快と嫌悪による美、醜の感知
 視覚で与えられた対象に「快」を感じるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何 かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それが〈美〉である。視覚で与えられた 対象に「嫌悪」ないし「嫌忌」を感じるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが 存在し、それが本性を害するとき、それが〈醜〉である。
参照: 美の感知(快)、醜の感知(嫌悪)、広義の美の感知(愛)、広義の醜の感知(憎しみ)、善の感知 (愛)、悪の感知(憎しみ)。快と嫌悪の情念は、他の種類の愛や憎しみより、通例いっそう強烈 であり、また欺くこともある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(2.3)外的感覚による表象が誘発する愛と憎しみによる広義の美、醜の感知

(2.4)内的感覚と精神固有の理性による表象が誘発する愛と憎しみによる善、悪の感知
 意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「快」を感じるとき、そこ には私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、そ れが〈善〉であり、この快の情動を、〈善への愛〉という。快を感じさせるすべてのものが 〈善〉であるわけではない。
 意志に依存するいっさいの想像、思考や理性がとらえた対象に「嫌悪」ないし「嫌忌」を 感じるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害すると き、それが〈悪〉である。

(2.5)感覚が誘発する快と嫌悪、愛と憎しみは、通例強烈で欺くことがある
 快と嫌悪の情念は、他の種類の愛や憎しみより、通例いっそう強烈である。なぜなら、感 覚が表象して精神にやってくるものは、理性が表象するものよりも強く精神を刺激するからで ある。
参照: 〈欲望〉の種類は、〈愛〉や〈憎しみ〉の種類の数だけある。そして最も注目すべき最強の 〈欲望〉は、〈快〉と〈嫌悪〉から生じる〈欲望〉である。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(2.6)真なる美、醜、善、悪かどうかは別問題
 快を感じさせるすべてのものが〈美〉であるわけではない。「それらはふつう、真理性が より少ない。したがって、あらゆる情念のうちで、最も欺くもの、最も注意深く控えるべきも のは、これらの情念である。」情動と〈美〉とのこの関係性は、以下、情動と〈醜〉、 〈善〉、〈悪〉との関係においても同様である。

(2.7)所有への愛、対象への愛の区別
参照: 〈所有への愛〉、〈対象そのものへの愛〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
(a)ある対象を「所有したい」と感じるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対 象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であ り、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、野心家が求める栄誉、主銭奴が求める 金銭、酒飲みが求める酒、獣的な者が求める女。
(b)ある対象を第二の自己自身と考えて、その対象にとっての〈善〉を自分の〈善〉のご とく求めるとき、あるいはそれ以上の気遣いをもって求めるとき、それは、私たちの本性に適 するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉であり、こ の情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、有徳な人にとっての友人、よき父にとっての 子供たち。

(2.8)愛着、友愛、献身の区別
参照: 〈愛着〉、〈友愛〉、〈献身〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
(a)ある対象に「愛着」を感じるとき、それは、自分以下に評価されている、私たちの本 性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広 義の美〉〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、一つの花、一羽の 鳥、一頭の馬。
(b)ある対象に「友愛」を感じるとき、それは、自分と同等に評価されている、私たちの 本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉で あり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。
(c)ある対象に「献身」を感じるとき、それは、自分よりも高く評価されている、私たち の本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈善〉 であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。例として、神に対して、ある国に対して、あ る個人に対して、ある君主に対して、ある都市に対して。

(2.9)感覚欲求
 マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
外的対象が快となる未来が指向される(感覚欲求)
感覚:感覚的満足を得ること
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(3)喜び、悲しみ
《目次》
(3.1)概要
(3.2)喜び、悲しみ
(3.3)善の保存の欲望、喜び
(3.4)悪の回避の欲望、悲しみ
(3.5)善の獲得の欲望、完全性への欲求、秩序と調和への愛
(3.6)安心、希望、不安、執着、絶望、恐怖
(3.7)現実自己、理想自己、あるべき自己
(3.8)倦怠、嫌気、心残り、爽快
(3.9)優越欲求、被害回避欲求

(3.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己状態 健康 快 予感(Pluchik 1980)
病気 不快 予感 安全と安心の欲求
善 喜び 安心 善の保存の欲望
幸せ(Fehr/Russell 1984)
意気揚々(Fromme/O'Brien 1982)
満足(Fromme/O'Brien 1982)
静穏(Osgood 1966)
善→善 倦怠、嫌気 希望 優越欲求
退屈(Osgood 1966)
不安、恐怖
執着
絶望
苦悩(Izard 1977,1992b)
期待(Osgood 1966)
悪→善 喜び 爽快
善→悪 悲しみ 心残り
悪 悲しみ 不安、恐怖 悪の回避の欲望
悪→悪 悲しみ 絶望 被害回避欲求
の癒し 善の獲得の欲望
受容(Pluchik 1980)
完全性へ
の欲望
秩序と調和
への欲望
現実自己 喜び 理想自己
落胆、不満 理想自己
現実自己 喜び あるべき自己
罪悪感と あるべき自己
自己卑下
現実自己 喜び 他者(理想自己)
恥、当惑 他者(理想自己)
現実自己 喜び 他者(あるべき自己)
危機感と 他者(あるべき自己)
恐れ

※予感、幸せ、意気揚々、満足、静穏、退屈、苦悩、期待、受容は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

(3.2)喜び、悲しみ
 私たちの現在の状況が「喜び」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろ う何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、「悲し み」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性 を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
参照:〈喜び〉、〈悲しみ〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))
(3.3)善の保存の欲望、喜び
 わたしたち自身の現在の状況が、「喜び」を感じさせるとき、未来においてもそれを保存 しようと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性に適するであろう何かが存在する。そ れが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。
(3.4)悪の回避の欲望、悲しみ
 わたしたち自身の現在の状況が、「悲しみ」を感じさせるとき、未来においてはそれを無 くそうと「欲望」されるとき、そこには、私たちの本性を害するであろう何かが存在する。そ れが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。

(3.5)善の獲得の欲望、完全性への欲求、秩序と調和への愛
(a)わたしたち自身のめざすべき未来が、新たな未来の獲得として「欲望」されるとき、 このめざすべき未来には私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適する ものであるとき、それは〈善〉である。
(b)参照:〈欲望〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
(c)完全性への欲求
あらゆる理想的目的をそれ自体として追求すること。
(d)秩序と調和への愛
あらゆる事物における秩序、適合、調和や、それらが目的にかなっていることへの愛で ある。

(3.6)安心、希望、不安、執着、絶望、恐怖
善の獲得、悪の回避等が可能であると考えただけで、〈欲望〉がそそられる。そして、実現の 見込みの大きさに応じて、次の情動が生じる:〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉。 (ルネ・デカルト(1596-1650))

(a)善の獲得、悪の回避等の「欲望がそそられる」ときは、善の獲得、悪の回避等は可能 だと考えられている。
(b)善の獲得、悪の回避等が欲望され「安心」を感じているときは、善の獲得、悪の回避 等の見込みが極度に大きいと考えられている。
(c)善の獲得、悪の回避等が欲望され「希望」を感じているときは、善の獲得、悪の回避 等の見込みが多いと考えられている。
(d)善の獲得、悪の回避等が欲望され「不安」を感じているときは、善の獲得、悪の回避 等の見込みがわずかであると考えられている。
(e)善の獲得、悪の回避等が欲望され、それに「執着」しているときも、善の獲得、悪の 回避等の見込みがわずかであると考えられている。この情動は、不安の一種である。
(f)善の獲得、悪の回避等が欲望され「絶望」を感じているときは、善の獲得、悪の回避 等の見込みが極度にわずかであると考えられている。
(g)不安の過剰は〈恐怖〉となる。


(3.7)現実自己、理想自己、あるべき自己
(a) 自己に関する概念のタイプ:現実自己、理想自己、あるべき自己に関する信念。特定の重要他 者が考えているであろう現実自己、理想自己、あるべき自己に関する自分自身の想定。 (E・トーリー・ヒギンズ(1946-))
(b) 現在の状況が感じさせる「落胆および不満」と「罪悪感および自己卑下」が、理想自己、ある べき自己を暗示する。「恥および当惑」と「恐れおよび危機感」が、特定の重要他者が考える と想定している理想自己、あるべき自己を暗示する。(E・トーリー・ヒギンズ(1946- ))

(出典:Social Psychology Network)
検索(E・トー リー・ヒギンズ)

(c)現実自己、理想自己、あるべき自己
(c.1)私(現実自己):自分が実際に持っている属性に関する信念
(c.2)私(理想自己):自分が理想として持ちたい属性に関する信念
(c.3)私(あるべき自己):自分が持つべき属性に関する信念
(c.4)私(他者(現実自己)):特定の重要他者が考える自分が実際に持っている属性に関 する想定
(c.5)私(他者(理想自己)):特定の重要他者が考える自分が理想として持ちたい属性に 関する想定
(c.6)私(他者(あるべき自己)):特定の重要他者が考える自分が持つべき属性に関する 想定

(3.8)倦怠、嫌気、心残り、爽快
善も持続すれば、倦怠やいやけを生じさせる。これに対し、悪も持続すれば、悲しみを軽 減する。過ぎ去った善からは心残りが生じ、それは悲しみの一種である。そして過ぎ去った悪 からは爽快が生じ、これは喜びの一種である。
参照:・〈倦怠〉、〈いやけ〉、〈心残り〉、〈爽快〉 (ルネ・デカルト(1596-1650))

(3.9)優越欲求、被害回避欲求
マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
不快な自己状態を回避する未来が指向される(優越、被害回避欲求)
優越:障害物を乗り越えること
被害回避:苦痛と傷害を避ける
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(4)内的自己満足、後悔
《目次》
(4.1)概要
(4.2)内的自己満足、後悔
(4.3)自己評価基準、自己称賛、自己非難
(4.4)遊び欲求、自律欲求、達成欲求、反動欲求

(4.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己行為の 成功 快 身体遊び
自己評価 活動欲求
楽しい(Izard 1977,1992b)
遊び欲求
スポーツ
失敗 不快
善 内的自己満足 自己評価 意志を実現
自己の尊厳感 の基準 させる力へ欲求
自律欲求
達成欲求
自己尊重の欲求
悪 後悔 自己評価 反動欲求
廉恥心 の基準

※楽しいは下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

(4.2)内的自己満足、後悔
意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、わたしたち自身によって過去なされたこと が、「内的自己満足」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在 する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。また、わたしたち自身に よって過去なされたことが、「後悔」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであ ろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。
参照:〈内的自己満足〉、〈後悔〉、後悔の効用(ルネ・ デカルト(1596-1650))

(4.3)自己評価基準、自己称賛、自己非難
人は、自己評価基準を持っており、これにより自己を査定、評価し、これに合わせて自己賞賛 や自己非難、報酬や罰を自分自身に与えることができる。(アルバート・バンデューラ (1925-))

(出典:wikipedia)
検索(アルバート・バンデューラ)

(a)人は、自分のために自分で開発した評価基準を、持っている。
(b)人は、この評価基準により、自分自身の行動や、行動の結果を査定、判断し、自分自 身を肯定的に評価したり、否定的に評価し、自信が持てなくなったりする。
(c)人は、自己評価に合わせて、心理的に自己賞賛や自己非難をしたり、社会的、物的な 報酬を与えて甘やかしたり、罰を与えて傷つけたりすることができる。

(4.4)遊び欲求、自律欲求、達成欲求、反動欲求
マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
自己行為の自己評価が快となる未来が指向される(遊び、自律、達成欲求)
遊び:リラックスすること
自律:独立に向けて努力すること
達成:目標に向けて、すばやく、うまく努力し、到達すること
不快な自己行為の自己評価を回避する未来が指向される(反動欲求)
反動:挫折に打ち克つこと
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(5)誇り、恥
《目次》
(5.1)概要
(5.2)誇り、恥
(5.3)内的帰属原因、外的帰属原因
(5.4)同胞からの称賛への希望、非難への不安
(5.5)顕示欲求、支配欲求、屈辱回避欲求、屈服欲求、服従欲求

(5.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己行為の 成功 快 同情的な
他者評価 失敗 不快 支持への欲求
自己行為の 善 誇り 同胞からの
他者評価 賞賛への希望
顕示欲求
支配欲求
屈辱回避欲求
承認の欲求
悪 恥 同胞からの 屈服欲求
非難への不安 服従欲求
罪(Izard 1977,1992b)
内的理由 成功 大きい誇り
外的理由 成功 小さい誇り
内的理由 失敗 大きい恥
外的理由 失敗 小さい恥

※罪は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

(5.2)誇り、恥
 わたしたち自身によって過去なされたことについての、または現在のわたしたち自身につ いての、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「誇り」を感じさせるとき、そこには私た ちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは 〈善〉である。また、他の人たちが持ちうる意見を考えるときに「恥」を感じさせるとき、そ こには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、 それは〈悪〉である。
参照:〈誇り〉、〈恥〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(5.3)内的帰属原因、外的帰属原因
一般的に誇りや恥は、達成の結果つまり失敗や成功が、内的に帰属されるときに最大化され、 外的に帰属されるときに最小化される。(バーナード・ウェイナー(1935-))

(出典:ResearchGate)
検索(バーナード・ウェイ ナー)
検索(Bernard Weiner)

(5.4)同胞からの称賛への希望、非難への不安
誇りは希望によって徳へ促し、恥は不安によって徳へ 促す。また仮に、真の善・悪でなくとも、世間の人たちの非難、賞賛は十分に考慮すること。 (ルネ・デカルト(1596-1650))
(a)善の保存、獲得の欲望、同胞からよく思われたいという希望
(b)悪の回避の欲望、同胞からの不興を買うことを恐れる気持ち

(5.5)顕示欲求、支配欲求、屈辱回避欲求、屈服欲求、服従欲求
マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
自己行為の他者評価が快となる未来が指向される(支配、顕示、屈辱回避欲求)
顕示:興奮させ、衝撃を与え、自己脚色すること
支配:他者を支配し、影響を与えること
屈辱回避:屈辱を避ける
不快な自己行為の他者評価を回避する未来が指向される(屈服、服従欲求)
屈服:罰に従い、受け入れること
服従:喜んで仕えること
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)
(6)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
《目次》
(6.1)概要
(6.2)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
(6.3)愛育欲求、性愛欲求

(6.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
他者状態 他者情動 共感 愛育欲求
博愛感情 性愛欲求
善 喜び 羨み
悪 憐れみ 笑いと嘲り

(6.2)喜び、憐れみ、羨み、笑いと嘲り
他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況が「喜び」や「うらやみ」を感じさせると き、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものである とき、それは〈善〉である。この〈善〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに 応じて、「喜び」または「うらやみ」を感じる。
また、「笑いと嘲り」や「憐れみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するで あろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。この 〈悪〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「笑いと嘲り」または 「憐れみ」を感じる。
参照:〈喜び〉、〈うらやみ〉、〈笑いと嘲り〉、〈憐れ み〉(ルネ・デカルト(1596-1650))

(6.3)愛育欲求、性愛欲求
マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
他者状態が快となる未来が指向される(愛育、性愛欲求)
愛育:無力な子どもを助け、あるいは守ること
性愛:性愛関係をつくること
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)


(7)好意、憤慨
《目次》
(7.1)概要
(7.2)好意、憤慨
(7.3)欲情の愛、好意の愛の区別
(7.4)親和欲求、拒否欲求、隔離欲求
(7.5) 模倣する人に注意を向け、好意を抱く傾向、模倣する傾向(マルコ・イアコボーニ(1960-))

(7.1)概要

《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
   (時間様相)     (現在)     (過去)      (未来)     (未来)     (未来)
  《認知対象》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
  《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
    《属性》
他者行為   善           好意                     親和欲求
                言い寄り(Trevarthen 1984)
         欲情の愛
         好意の愛
     悪              憤慨               拒否欲求
                反抗(Trevarthen 1984)
                隔離欲求
         侮蔑(Izard 1977,1992b)


※言い寄り、反抗、侮蔑は下記参照。
原基感情(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

(7.2)好意、憤慨
参照:〈好意〉、〈感謝〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))
参照:〈憤慨〉、〈怒り〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(7.3)欲情の愛、好意の愛の区別
参照: 〈欲情の愛〉、〈好意の愛〉(ルネ・デカルト(1596-1650))
(a)ある対象に「欲望」を感じるとき、それは、私たちの本性に適するであろう対象であ る。それが本性に適するものであるとき、その対象は〈美〉〈広義の美〉〈善〉であり、この 情動は〈愛〉の一つの種類である。
(b)ある対象に「好意」を感じ、その対象のために〈善〉を意志することを促されると き、それは、私たちの本性に適するであろう対象である。それが本性に適するものであると き、その対象は〈善〉であり、この情動は〈愛〉の一つの種類である。

(7.4)親和欲求、拒否欲求、隔離欲求
 マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
他者行為が快となる未来が指向される(親和欲求)
親和:友情を形成すること
不快な他者行為を回避する未来が指向される(拒否、隔離欲求)
拒否:嫌いな人を拒絶すること
隔離:他者と離れたところにいること
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)

(7.5) 模倣する人に注意を向け、好意を抱く傾向、模倣する傾向(マルコ・イアコボーニ(1960-))
(i)自分を模倣する人に注意を向ける傾向、模倣する傾向
  赤ん坊は、模倣ごっこが大好きだ。自分を模倣する人に注意を向ける。幼児も、模倣ごっこが大好きだ。あらゆるものが二つずつ用意してある遊び場を設定すると、自発的な模倣ごっこが始まり、果てしなく続く。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

(ii)模倣する人に好意を抱く傾向
 カメレオン効果:(a)私たちは、自分の自然発生的な姿勢や動き、癖などを模倣する人に対して、好意を抱く傾向がある。(b)私たちは、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人に対する共感傾向も強い。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
次の仮説を検証する実験が存在する。
(a)被験者が他の人たちと作業しているとき、被験者は、被験者の自然発生的な姿勢や動きや癖を模倣する人に対して、より好意を抱く傾向が強い。また、作業の円滑さについても、高い評価をする傾向が強い。
(b)被験者が、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人の感情を気にかけ、共感を覚えやすい傾向が強い。

(iii)セラピーにおける模倣の効果
  模倣は、個人と個人を感情的に通じあわせるものであり、それはミラーニューロンが実現していると思われる。また模倣は、自閉症児に社会的問題を克服させる非常に有効な方法かもしれない。(マルコ・イアコボーニ(1960-))
次の事実が存在する。
(a)セラピーにおける模倣の効果
 セラピストが、自閉症患者とコミュニケーションがとれなくて困っているときに、患者の反復的で定型的な動きの真似をする。「するとほとんど即座に私を見るので、そこでようやく私たちのあいだに相互作用が生まれ、私は患者の治療が始められる」。
(b)模倣による相互作用
 自閉症の少年を、彼をよく知っている少女が訪れる。そして、二人は部屋にあったおもちゃで、模倣ごっこで遊び始める。少年の「常同的な衒奇的運動」は、急速に消えていく。少女が部屋を出ていくと、少年はほとんど即座に引きこもり、例の手をばたばたさせる動きを再開する。少女が戻ってくると、その身ぶりは消滅する。

(iv)言語の進化における模倣の役割
 すべての会話は、共通の目標をもった協調活動であり、模倣と刷新の相乗効果で、新しい言語の進化の場でもある。聴覚障害児によって創出された自然発生的な「ニカラグア手話」は、その実例である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))



(8)感謝、怒り
《目次》
(8.1)概要
(8.2)感謝、怒り
(8.3)怒りの効用
(8.4)怒りの治療法
(8.5)援助欲求、防衛欲求、攻撃欲求

(8.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己向け 善 感謝 援助欲求
他者行為 悪 怒り 防衛欲求
攻撃欲求
愛と集団帰属
の欲求

(8.2)感謝、怒り
意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、他の人たちによってなされた行為が、「好 意」を感じさせるとき、またその行為がわたしたちに対してなされ「感謝」を感じさせると き、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものである とき、それは〈善〉である。
意志に依存する想像、思考や理性がとらえた、他の人たちによってなされた行為が、「憤 慨」を感じさせるとき、またその行為がわたしたちに対してなされ「怒り」を感じさせると き、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものである とき、それは〈悪〉である。
参照:〈好意〉、〈感謝〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))
参照:〈憤慨〉、〈怒り〉(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(8.3)怒りの効用
参照:怒りの効用、および怒りの治療法(ルネ・デカル ト(1596-1650))

(a)怒りは、他から受ける損害を押しのける活力を与えてくれることで有用である。

(8.4)怒りの治療法
(a)高慢は、怒りを過剰にする。
参照:自由意志以外のすべての善、例えば才能、美、富、名 誉などによって、自分自身を過分に評価してうぬぼれる人たちは、真の高邁をもたず、ただ高 慢をもつだけだ。高慢は、つねにきわめて悪い。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(b)高邁こそが、怒りの過剰に対して見いだされる最良の治療法である。
参照:自ら最善と判断することを実行する確固とした決意 と、この自由意志のみが真に自己に属しており、正当な賞賛・非難の理由であるとの認識が、 自己を重視するようにさせる真の高邁の情念を感じさせる。(ルネ・デカルト(1596- 1650))
(i)高邁は、奪われることがあり得るような善を、すべて重視しないようにさせる。
(ii)怒ることにより失われてしまう自由や、自己支配を重視するので、他の人ならふつ う腹を立てるような損害に対しても、軽視、あるいはたかだか憤慨を持つだけにさせる。

(8.5)援助欲求、防衛欲求、攻撃欲求
マレーの高次欲求を、以下の仮説に従って分類した。すなわち、欲求とは、想起、想像、 理解された対象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快 または不快の情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
自己向け他者行為が快となる未来が指向される(援助欲求)
援助:栄養、愛情、援助を求めること
不快な自己向け他者行為を回避する未来が指向される(防衛、攻撃欲求)
防衛:防衛し、正当化すること
攻撃:他者を傷つけること
参照:高次の動機:秩序、理解、感覚、優越、 被害回避、遊び、自律、達成、反動、支配、顕示、屈辱回避、屈服、服従、愛育、性愛、親 和、拒否、隔離、援助、防衛、攻撃(ヘンリー・マレー(1893-1988))
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)


《目次》
(9)善、悪、美、醜と、情念の関係
(9.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
(9.2)真なる善、真なる美とは何か
(9.2.1)真なる善への疑問(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
(9.2.2)情動が美・醜・善・悪を定義するわけではない
(9.2.3)価値基準が普遍的なら、美・醜・善・悪が定義できる
(9.2.4)事実言明から価値を導出することはできない(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタ イン(1889-1951))
(9.2.5)価値とは単にある権威の恣意的な受容とは思われない(ジョージ・ゲイロード・ シンプソン(1902-1984))
(9.2.6)人間の本性や「自然」による価値基準の基礎づけは誤りである(アントニー・フ ルー(1923-2010))
(9.2.7)世界の諸事実の中の人間の倫理という現象の理解が、価値を基礎づけることがで きる(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))
(9.2.8)諸事実だけでなく価値基準も、誤謬を含み得る仮説であり、その論理的帰結と経 験による批判的討論の対象である(カール・ポパー(1902-1994))
(9.2.9)善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することがで きる(ルネ・デカルト(1596-1650))
(9.3)真なる善・悪、偽なる善・悪による情念の評価
(9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
(9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
──────────────────

(9.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる。 (ルネ・デカルト(1596-1650))

(9.2)真なる善、真なる美とは何か

(9.2.1)真なる善への疑問(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))
問題:(1)善を完全に知るには,無限といえるほどの知識が必要ではないか(2)善の評価には,他 の人の有益性も考慮すべきか(3)他人の有益性への考慮がその人の性向だとしたら,違う人には違 う"善"があることにならないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618- 1680))

エリーザベト・フォン・
デア・プファルツ(1618- 1680)













(9.2.2)情動が美・醜・善・悪を定義するわけではない
《説明図》
選択1が善とは限らない。
(a)ある人
選択1→快
選択2→嫌悪
(b)別の人
選択1→嫌悪
選択2→快

(9.2.3)価値基準が普遍的なら、美・醜・善・悪が定義できる
《説明図》
 価値基準を共有していれば、選択1が善であると言える。
(a)ある人
目的(価値)┬→選択1(目的に適う)
状況(事実)┘
(b)別の人
目的(価値)┬→選択2(目的に適わない)
状況(事実)┘

(9.2.4)事実言明から価値を導出することはできない(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタ イン(1889-1951))
《説明図》
 価値基準が異なると選択基準が異なるので、どちらが善とは言えない。
(a)ある人
目的1(価値1)┬→選択1(目的1に適う)
状況(事実)──┘
(b)別の人
目的2(価値2)┬→選択2(目的2に適う)
状況(事実)──┘
(c) 事実の叙述は、絶対的価値の判断ではあり得ない。しばしば価値表明は、特定の目的が暗黙で 前提されており、その目的(価値)に対する手段としての相対的価値の判断である。 (ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951))
(d) 仮に,物理的な状況や,苦痛や憤慨などの情動,心理的な状況の詳細を記述し尽くしたとしても, 「いかなる倫理的意味においても善または悪ではない」.(ルートヴィヒ・ウィトゲン シュタイン(1889-1951))

(9.2.5)価値とは単にある権威の恣意的な受容とは思われない(ジョージ・ゲイロード・ シンプソン(1902-1984))
《説明図》
(a)ある人
ある権威1の受容
 ↓
目的1(価値1)┬→選択1(目的1に適う)
状況(事実)──┘
(b)別の人
ある権威2の受容
 ↓
目的2(価値2)┬→選択2(目的2に適う)
状況(事実)──┘
(c)単に権威の受容ではなく、倫理的な判断による自由な選択に倫理の本質があるのな らば、自然主義を全面的に拒否して選択が恣意的なものだとしない限りは、倫理的な判断が何 らかの事実の考慮に基礎をおくと考えざるを得ない。(ジョージ・ゲイロード・シンプソン (1902-1984))(出典:伊勢田哲治(1968-)生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか(伊勢田哲 治,2020)

(9.2.6)人間の本性や「自然」による価値基準の基礎づけは誤りである(アントニー・フ ルー(1923-2010))
《説明図》
(a)ある人
人間の本性(自然)
 ↓合致
目的1(価値1)┬→選択1(目的1に適う)
状況(事実)──┘
(b)別の人
人間の本性(自然)
 ×矛盾
目的2(価値2)┬→選択2(目的2に適う)
状況(事実)──┘
(c)「自然」で価値を基礎づけることはできない(アントニー・フルー(1923-2010)) (出典:伊勢田哲治(1968-)生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか(伊勢田哲 治,2020)

(9.2.7)世界の諸事実の中の人間の倫理という現象の理解が、価値を基礎づけることがで きる(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))
(a)世界の出来事の因果的連関の中における進化において、人類の倫理というものが果 たしている機能と、その進化が生理的健康という方向を示していることとを科学的に解明する ならば、先行して存在する倫理的信念を認識することに依存しないような倫理規準を定義でき るだろう。(コンラッド・ハル・ウォディントン(1905-1975))(出典:伊勢田哲治(1968-)生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか(伊勢田哲 治,2020)
《説明図》
(b)ある人
世界の諸事実 
人間の倫理という現象に関する事実
 ↓
倫理的な判断1─┬→選択1(目的1に適う)
状況(事実1)───┘
(c)別の人
世界の諸事実 
人間の倫理という現象に関する事実
 ↓
倫理的な判断2─┬→選択2(目的2に適う)
状況(事実2)───┘
(d)倫理的な判断が、「生理的健康」などの判断基準を含んでいれば、再び価値が諸事 実から導かれるかどうかという疑問へ逆戻りしてしまう。
(e)しかし、倫理的な判断というものの性格が、価値基準を含まないのならば、諸事実 から倫理を基礎づけたことになるのではないか。
(f)そのような倫理的な判断が、異なる事実に基づき判断される場合には、より包括的 で正確な事実に基づいた判断が、善・悪の基準となるのではないか。
(g)同じように把握された諸事実から、異なる倫理的判断が為される場合もあるだろ う。その場合は、双方の選択が同じように善であるという評価も可能であろう。

(9.2.8)諸事実だけでなく価値基準も、誤謬を含み得る仮説であり、その論理的帰結と経 験による批判的討論の対象である(カール・ポパー(1902-1994))
《説明図》
(a)ある人
世界の諸事実 
人間の倫理という現象に関する事実
 ↓
倫理的な判断1─┬→選択1(目的1に適う)
目的1(価値1)──┤
状況(事実1)───┘
(b)別の人
世界の諸事実 
人間の倫理という現象に関する事実
 ↓
倫理的な判断2─┬→選択2(目的2に適う)
目的2(価値2)──┤
状況(事実2)───┘
(c)倫理的な判断が、目的や価値基準を含む場合であっても、合理的討論が可能であ る。
合理的討論の前提には無条件的な原理があり (独断論),原理自体は討論の対象外で(共約不可能性),全て同等の資格を持つ(相対主義).これ は誤りである.原理は常に誤謬の可能性があり,その論理的帰結によって合理的討論ができる. (カール・ポパー(1902-1994))
(d)より包括的な真理の探究という「価値」基準の選択
帰結による合理的討論によっても,各自の原理 の外へは出れないという反論に対する再反論.相手の原理を無視し自己強化するのでなく,自他 の原理を超えた,より包括的な真理の探究という原理によって乗り越え可能である.(カー ル・ポパー(1902-1994))

(9.2.9)善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することがで きる(ルネ・デカルト(1596-1650))
(a)エリーザベトへのデカルトの解答
(再掲)
問題:(1)善を完全に知るには,無限といえるほどの知識が必要ではないか(2)善の評価には,他 の人の有益性も考慮すべきか(3)他人の有益性への考慮がその人の性向だとしたら,違う人には違 う"善"があることにならないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618- 1680))
解答:(1)自己の傾向性と自己の良心に頼ること(2)この世界と個人の真実を知れば,全体の共 通の善も認識できる(3)仮に自己利益の考慮のみでも,思慮を用いて行為すれば共通の善も実現 される。但し,道徳が腐敗していない時代に限る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(b) 善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を用いて認識することができる。 (ルネ・デカルト(1596-1650))
(c) 第一格率:理性による判断が決意を鈍らせ不決断に陥らせるような場合には、私を育ててきた 宗教、聡明な人たちの穏健な意見、国の法律、慣習に服従することで、日々の生活をできるだ け幸福に維持すること。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(d) 第二格率:日常の生活行動において最も真実な意見が分からないときには、蓋然性の最も高い 意見に従うこと。そして、薄弱な理由のゆえに自らのこの決定を変えてはならない。志を貫き 行動することによって、真偽の見極めと軌道修正も可能となる。(ルネ・デカルト (1596-1650))
(e) 第三格率:運命に、よりはむしろ自分にうち勝とう、世界の秩序を、よりはむしろ自分の欲望 を変えよう、と努めること。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(f)まとめ
(i)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
 何が真理なのか、何が価値あるものなのかについて、聡明な人たちの穏健な意見、 国の法律、慣習を学ぶこと。(第一格率)
(ii)真理は、経験と理性によって認識することができる
(iii)自己の情念は概ね頼りになる
 善・悪、美・醜については、様々な情念を通じて感知することができる。この自分 の傾向性と感じたままの良心に、概ね頼ることができる。(エリーザベトへの解答)
(iv)自己の情念に従うことの是非
 人は、伝統的な価値を受け容れているものなので、その文化が腐敗しているのでな ければ、自分の情念を頼りにしても、大きな間違いは起こらない。(エリーザベトへの解答)
(v)価値も、経験と理性により認識できる
 情念は常に正しいとは限らず、善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理 性を用いて認識しなければならない。
(vi)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
 自分が生きている状況のうち、変えられるものと変えられないものを区別し、自分 の欲望を制御することが必要である。(第三格率)
・変えられない諸事実、諸法則
・受け継がれた諸価値(世界の秩序)
・自己の情念
・新たな価値、自己の欲望




(9.3)真なる善・悪、偽なる善・悪による情念の評価
《目次》
(9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
(9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り

(9.3.1)真なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(a) 善への愛と悪への憎しみが、真の認識にもとづくとき、愛は憎しみよりも比較にならないほど 善い。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(9.3.2)真なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り
(a) 自分に欠けている真理を知ることが、悲しみをもたらし不利益であったとしても、それを知ら ないことよりもより大きな完全性である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(b)不可欠性
悲しみと憎しみは、喜びと愛よりも不可欠である。なぜなら、害を斥けるほうが、より完全性 を加えてくれるものを獲得するよりも、いっそう重要だからだ。(ルネ・デカルト (1596-1650))
(c)悪への憎しみについての注意
悪への憎しみは、真の認識に基づくときでも、やはり必ず有害である。なぜなら、この場合で も善への愛より行為することがつねに可能であるし、人における悪は善と結合しているから だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(9.3.3)偽なる原因に基づく快、愛、喜び、内的自己満足、誇り、好意、感謝
(a) 不十分な根拠にもとづく場合であっても、喜びや愛は、悲しみや憎しみよりも望ましい。しか し、偽なる善への愛は、害をなしうるものへ、わたしたちを結びつけてしまう。(ルネ・ デカルト(1596-1650))
(b)否定的な自己関連情報の選択的注意
脅威が無視できない状況にならない限り,否定的な自己関連情報の選択的注意により,肯定的で 社会的に望ましい自己像を一貫して維持し,自己高揚的な肯定バイアスを持つことは,適応的で 精神的に健康なパーソナリティである。(ウォルター・ミシェル(1930-))
次のようなパーソナリティ次元が存在する。
(i)否定的な自己関連情報は避け、日常的なストレスや不安に対してあまり敏感では なく、自分には問題や困難がほとんどないと考える。肯定的で社会的に望ましい用語で、自分 自身のより好ましい点を一貫して表現するように記述する。ただし、脅威を単に無視すること が許されない状況になると、それに注意を向け始め、ひどく心配する。
(ii)否定的な自己関連情報に注意を向ける傾向があり、より批判的で否定的な自己像 を描く。
(iii)精神力動論は、(i)のような否定的な情報や脅威の抑圧と認知的回避を「抑圧 性」と記述し、脆弱で傷つきやすいパーソナリティの顕著な特徴であり、(ii)のような正確な 自覚と、自己の限界・不安・欠点への気づきは、「鋭敏性」と記述し、健康なパーソナリティ の重要な構成要素であると考えてきた。しかし、自己高揚的な肯定バイアスを持ち、多くの状 況下で脅威となる情報を意図的に避ける情動的鈍感さという態度は、洞察に欠けている脆弱な パーソナリティというより、きわめて適応的で精神的に健康なパーソナリティなのである。

(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK)

(c)肯定的な自己像と精神的健康の関連
精神的健康には,肯定的な自己像が必要である。もちろん,現実と全く異なるものは害悪である が,仮にそれが,現実よりいくらか過度でも,肯定的であること。逆に,事実でも否定的なら,低 い自尊心や抑うつ傾向がみられやすい。(ウォルター・ミシェル(1930-))
(i)伝統的に心理学者は、正確な自己知覚が精神的健康にとって不可欠なものである と考えてきた。しかしながら、精神的に健康な人々の多くはいくらか非現実的に肯定的なゆが んだ自己像をもっており、一方で自身をより正確にとらえている人のほうが精神的に健康でな いことを研究者たちはみいだした。
(ii)小集団状況で相互作用を行い、自分自身と相互作用相手の性格の特徴を評定する ように求められた被験者のうち、他者からの評定よりも好ましい自己評定をするのが健常者 で、抑うつ患者の自己評定は他者からの評定と一致していた。
(iii)例えば、現実に即した自己知覚を行っている人は低い自尊心や抑うつ傾向がみ られやすく、一方で精神的に安定した人は、肯定的な性格特性が、よりうまく自分自身を記述 する傾向がみられる。
(iv)もちろん現実に対するひどい認知のゆがみが、健常者の特徴であるということを 示していると読み違えてはならない。

(d)欲望を介して現実的となる情念
情念が、欲望を介して行動や生活態度を導く場合には、原因が誤りである情念はすべて有害で ある。特に、偽なる喜びは、偽なる悲しみよりも有害である。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(9.3.4)偽なる原因に基づく嫌悪、憎しみ、悲しみ、後悔、恥、憐れみ、憤慨、怒り


(10)情動誘発刺激の様々な様相、自然的欲求の位置づけ
《目次》
(10.1)情動とは何か、情動の暫定的定義
(10.2)情動誘発刺激
(10.3)情動誘発刺激の様々な様相
(10.3.1)概要
(10.3.2)外部感覚
(10.3.3)共通感覚
(10.3.4)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
(10.3.5)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的 欲求
(10.3.6)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
(10.3.7)認知
(10.3.8)想起
(10.3.9)想像
(10.3.10)理解
(10.3.11)運動・行動
(10.4)有能性への欲望(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))

(10.1)情動とは何か、情動の暫定的定義
感覚で与えられた対象や事象、あるいは想起された対象や事象を感知したとき、自動的に 引き起こされる身体的パターンであり、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される。 それは、対象や事象の評価を含み、脳や身体の状態を一時的に変更することで、思考や行動に 影響を与える。
参照: 狭義の情動とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(10.2)情動誘発刺激
視覚だけではなく、〈特殊感覚〉のうち聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚、〈表在性感覚〉(皮 膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚)、〈深部感覚〉(筋、腱、骨膜、関節の感覚)、〈内臓感覚〉 (空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など)、「精神の能動によらない想 像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想」によって情念が生じる場合も、同様である。

(10.3)情動誘発刺激の様々な様相
(10.3.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
すべて 新奇性 驚き 驚き 好奇心
面白い(Malatesta/Haviland 1982)
動揺(Fromme/O'Brien 1982)
緊張(Arieti 1970)
恐怖 恐怖 好奇心
秩序欲求
理解欲求
認知の欲求
安全と安定
の欲求
外部感覚 広義の美 快 有能性への欲望
感覚遊び 刺激への欲求
美への欲求
芸術
広義の醜 嫌悪
共通感覚 広義の美 快
広義の醜 嫌悪
肢体状況 広義の美 快
広義の醜 嫌悪
痛み
自然的 広義の美 快 自然的欲求
欲求 広義の醜 嫌悪
飢え、渇き
気持ち悪い
嘔吐
幻覚・ 広義の美 快
夢想 広義の醜 嫌悪
認知対象 広義の美 快 有能性への欲望
認知の欲求
広義の醜 嫌悪
想起対象 広義の美 快 有能性への欲望
広義の醜 嫌悪
想像対象 広義の美 快 有能性への欲望
想像遊び
広義の醜 嫌悪
理解対象 広義の美 快 有能性への欲望
知的遊び 認識への欲求
学問
広義の醜 嫌悪
理論対象 善 愛
悪 憎しみ
運動・ 広義の美 快 有能性への欲望
行動 身体的遊び 活動欲求
スポーツ
広義の醜 嫌悪

(10.3.2)外部感覚
(a)〈特殊感覚〉視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚
(b) 感覚的な遊びが〈芸術〉である。
(c)快と嫌悪から生じる欲望の強さ
〈欲望〉の種類は、〈愛〉や〈憎しみ〉の種類の数だけある。そして最も注目すべき最強の 〈欲望〉は、〈快〉と〈嫌悪〉から生じる〈欲望〉である。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(10.3.3)共通感覚
ある特定の外部感覚は、その原因となる身体の能動が、より広い範囲の身体に影響を与え、こ れら身体の能動を精神において受動する共通感覚を生じる。(ルネ・デカルト(1596- 1650))
(10.3.4)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
(a)〈表在性感覚〉皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚
(b)〈深部感覚〉筋、腱、骨膜、関節の感覚
(10.3.5)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的 欲求
(a)〈内臓感覚〉空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など
参考:精神の受動のひとつ、身体ないしその一部に関係づけ る知覚として、飢え、渇き、その他の自然的欲求、自分の肢体のなかにあるように感じる痛 み、熱さ、その他の変様がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(10.3.6)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
精神の受動のひとつ,身体によって起こる知覚として,意志によらない想像がある。夢の中の幻 覚や,目覚めているときの夢想も,これである。これらは,飢え,渇き,痛みとは異なり,精神に 関連づけられており,これらは情念の一種である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(10.3.7)認知
(10.3.8)想起
(10.3.9)想像
(a)存在しない何かを想像すること。
存在しない何かを想像しようと努める場合、また、可知的なだけで想像不可能なものを考えよ うと努める場合、こうしたものについての精神の知覚も主として、それらを精神に知覚させる 意志による。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(b)詩人は、精神的なものを形象化するために、想像力を用いる。
悟性は精神的なものを形象化するために、風や光などのようなある種の感覚的物体も、用いる ことができる。これは詩人たちの手法だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(10.3.10)理解
(a)可知的なだけで想像不可能なものを考える。
悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・ デカルト(1596-1650))
(b)モデル、記号
悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感 覚的なものの場合は、観念を表現する物自体(モデル)を作り、本質的な属性を抽象し、物の ある省略された形(記号)を利用する。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(c)抽象的思考
問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の 上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト (1596-1650))
(d)知的な遊びが〈学問〉である。
(10.3.11)運動・行動
(a) 意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596- 1650))
(b) 想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(c)身体的な遊びが〈スポーツ〉である。

(10.4)有能性への欲望(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))
有能性への欲望:私たちには、活動それ自体を楽しみ、その効力感を感じ、有能性を獲得し効 果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求がある。例として、好奇心、刺激への欲 求、遊び、冒険への欲求。(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))
好奇心や刺激への欲求、遊びや冒険への欲求は、活動それ自体を楽しむ自発的、積極的 で創造的な活動であり、このとき感じる快は、能動的主体として生きているという効力感から もたらされる。この傾向は、生物が本来的に生きて活動しているという観点からは、有能性を 獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求ともいえる。動機付けという観点 からは、この欲求は内発的であり、賞賛などの外的報酬によるものではない。
参考:検索(Robert W. White)
参考:検索(ロバート・W・ホワイト)

(11)欲求の階層
《目次》
(11.1)マズローの欲求の階層の新解釈(アブラハム・マズロー(1908-1970))
(11.2)マレーの高次の動機の新解釈(ヘンリー・マレー(1893-1988))

(11.1)マズローの欲求の階層の新解釈(アブラハム・マズロー(1908-1970))
以下の記載は、次の仮説に従っている。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対 象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の 情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。
基礎的な欲求の対象(情動の対象)から順に列挙すると、以下の通りである。また、様々 な様相の情動誘発刺激に対する有能性への欲望(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))は、生 理的欲求と並ぶ基本的な欲求であると想定されるため、冒頭に整理した。
(a)様々な様相の情動誘発刺激による情動(驚き、快、不快)(有能性への欲望)
(a.1)外部感覚(感覚遊び、刺激への欲求、美への欲求、様々な芸術)
(a.2)表在性感覚、深部感覚、内臓感覚(生理的欲求を含む。)
(a.3)受動的な幻覚、夢想
(a.4)認知対象(認知への欲求)
(a.5)想起対象
(a.6)想像対象(想像遊び)
(a.7)理解対象(知的遊び、認識への欲求、様々な学問)
(a.8)理論対象
(a.9)運動、行動(身体遊び、活動欲求、様々なスポーツ)
(b)自己の身体が感知する快・不快(生理的欲求)
空気、水、食物、庇護、睡眠、性
(c)対象の新奇性(驚き、恐怖)と自己状態の快・不快(喜び、悲しみ)(安全と安定の 欲求)
帰属価値:意味、真、必然、単純(認知の欲求)
帰属価値:善、無礙、楽しみ
(d)自己向け他者行為の快・不快(感謝、怒り)(愛と集団帰属の欲求)
帰属価値:正義、善
(e)自己行為の他者評価の快・不快(誇り、恥)(承認の欲求)
帰属価値:正義、善
(f)自己行為の自己評価の快・不快(内的自己満足、後悔)(自己尊重の欲求)
帰属価値:正義、善、自己充実、躍動、完成、個性
(g)外的対象、他者状態を含むすべての対象の快・不快(自己実現欲求)
(g.1)外的対象の快、不快(快、嫌悪)(審美的欲求)
帰属価値:美、秩序、完全、豊富
(g.2)他者状態の快、不快(喜び、憐れみ)
帰属価値:善
(g.3)他者行為の快、不快(好意、憤慨)
帰属価値:正義、善
参照:(a)成長欲求(a1)自己実現欲求(真,善,美,躍動,必然,秩序,個性,完成, 単純,完全,正義,豊富,自己充実,無礙,楽しみ,意味)(b)基本的欲求(b1)自尊心,他者による 尊厳の欲求(b2)愛と集団帰属の欲求(b3)安全と安定の欲求(b4)生理的欲求(アブラハ ム・マズロー(1908-1970))
(出典:wikipedia)
アブラハム・マズロー(1908-1970)の命題集(Propositions of great
 
philosophers)
(11.2)マレーの高次の動機の新解釈(ヘンリー・マレー(1893-1988))
以下の記載は、次の仮説に従っている。すなわち、欲求とは、想起、想像、理解された対 象や、言語などで表現された予測としての未来、または構想としての未来が、快または不快の 情動を喚起する状態のことである。欲求の実体は、情動である。マズローの整理に、マレーの 高次の動機を位置づける。欲求の配列順と「帰属価値」は、マズローによる。
(a)様々な様相の情動誘発刺激による情動(驚き、快、不快)(有能性への欲望)
(a.1)外部感覚(感覚遊び、刺激への欲求、美への欲求、様々な芸術)
(a.2)表在性感覚、深部感覚、内臓感覚(生理的欲求を含む。)
(a.3)受動的な幻覚、夢想
(a.4)認知対象(認知への欲求)
(a.5)想起対象
(a.6)想像対象(想像遊び)
(a.7)理解対象(知的遊び、認識への欲求、様々な学問)
(a.8)理論対象
(a.9)運動、行動(身体遊び、活動欲求、様々なスポーツ)
(b)自己の身体が感知する快・不快(生理的欲求)
空気、水、食物、庇護、睡眠、性
(c)対象の新奇性(驚き、恐怖)と自己状態の快・不快(喜び、悲しみ)(安全と安定の 欲求)
帰属価値:意味、真、必然、単純(認知の欲求)
帰属価値:善、無礙、楽しみ
高次動機:驚き、恐怖を回避する未来が指向される(秩序、理解欲求)
秩序:秩序と清潔さを達成すること
理解:疑問をもち、考えること
高次動機:不快な自己状態を回避する未来が指向される(優越、被害回避欲求)
優越:障害物を乗り越えること
被害回避:苦痛と傷害を避ける
(d)自己向け他者行為の快・不快(感謝、怒り)(愛と集団帰属の欲求)
帰属価値:正義、善
高次動機:自己向け他者行為が快となる未来が指向される(援助欲求)
援助:栄養、愛情、援助を求めること
高次動機:不快な自己向け他者行為を回避する未来が指向される(防衛、攻撃欲求)
防衛:防衛し、正当化すること
攻撃:他者を傷つけること
(e)自己行為の他者評価の快・不快(誇り、恥)(承認の欲求)
帰属価値:正義、善
高次動機:自己行為の他者評価が快となる未来が指向される(支配、顕示、屈辱回避 欲求)
顕示:興奮させ、衝撃を与え、自己脚色すること
支配:他者を支配し、影響を与えること
屈辱回避:屈辱を避ける
高次動機:不快な自己行為の他者評価を回避する未来が指向される(屈服、服従欲 求)
屈服:罰に従い、受け入れること
服従:喜んで仕えること
(f)自己行為の自己評価の快・不快(内的自己満足、後悔)(自己尊重の欲求)
帰属価値:正義、善、自己充実、躍動、完成、個性
高次動機:自己行為の自己評価が快となる未来が指向される(遊び、自律、達成欲 求)
遊び:リラックスすること
自律:独立に向けて努力すること
達成:目標に向けて、すばやく、うまく努力し、到達すること
高次動機:不快な自己行為の自己評価を回避する未来が指向される(反動欲求)
反動:挫折に打ち克つこと
(g)外的対象、他者状態、他者行為を含むすべての対象の快・不快(自己実現欲求)
(g.1)外的対象の快、不快(快、嫌悪)(審美的欲求)
帰属価値:美、秩序、完全、豊富
高次動機:外的対象が快となる未来が指向される(感覚欲求)
感覚:感覚的満足を得ること
(g.2)他者状態の快、不快(喜び、憐れみ)
帰属価値:善
高次動機:他者状態が快となる未来が指向される(愛育、性愛欲求)
愛育:無力な子どもを助け、あるいは守ること
性愛:性愛関係をつくること
(g.3)他者行為の快、不快(好意、憤慨)
帰属価値:正義、善
高次動機:他者行為が快となる未来が指向される(親和欲求)
親和:友情を形成すること
高次動機:不快な他者行為を回避する未来が指向される(拒否、隔離欲求)
拒否:嫌いな人を拒絶すること
隔離:他者と離れたところにいること
(出典:wikipedia)
ヘンリー・マレー(1893-1988)の命題集(Propositions of great philosophers)

(12)自由意志論
《目次》
(12.1)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
(12.1.1)デカルトの第一格率
(12.1.2)問題中心的、共同社会感情、対人関係、民主的性格構造、文化からの自律性(ア ブラハム・マズロー(1908-1970))
(12.2)真理は、経験と理性によって認識することができる
(12.2.1)欲望は、真なる認識に従っているかどうか
(12.2.2)より包括的な真理の把握は、自由意志の要素の一つ
(12.2.3)偏見、先入見からの自由、現実の受容、不確かさへの志向(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))
(12.3)自己の情念は概ね頼りになる
(12.3.1)情念は、事物の価値の可能性を感知させるので、巧みに利用すること
(12.3.2)自己の情動の自然な受容、絶えず新鮮な評価、創造性、神秘的経験、大洋感情 (アブラハム・マズロー(1908-1970))
(12.4)自己の情念に従うことの是非
(12.4.1)道徳が腐敗している社会でなければ、自分の情念を頼りにできる
(12.4.2)自己実現における二分性の解決(アブラハム・マズロー(1908-1970))
(12.5)価値も、経験と理性により認識できる
(12.5.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
(12.5.2)自律的な価値体系、多様な価値体系の受容(アブラハム・マズロー(1908- 1970))
(12.6)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
(12.7)意志の自由の存在
(12.8)意志決定に伴う情動
(12.8.1)概要
(12.8.2)自己状態の予測に伴う情動(再掲)
(12.8.3)自己行為の自己評価に伴う情動(再掲)
(12.8.4)意志決定に伴う情動
(12.8.5)不確かさへの志向(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)
(12.8.6)過去の意志決定に伴う情動
(12.8.7)徳という欲望
(12.8.8)自己評価の高慢と高邁の違い
(12.8.8.1)高邁
(12.8.8.2)高慢
(12.8.8.3)超越性、プライバシーの欲求、他者からの自律性(アブラハム・マズロー (1908-1970))
(12.8.9)高邁の反対の卑屈の情念

(12.1)受け継がれてきた文化の受け容れ(真理、価値)
(12.1.1)デカルトの第一格率
何が真理なのか、何が価値あるものなのかについて、聡明な人たちの穏健な意見、国の 法律、慣習を学ぶこと。(第一格率)
第一格率:理性による判断が決意を鈍らせ不決断に陥らせるような場合には、私を育ててきた 宗教、聡明な人たちの穏健な意見、国の法律、慣習に服従することで、日々の生活をできるだ け幸福に維持すること。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(12.1.2)問題中心的、共同社会感情、対人関係、民主的性格構造、文化からの自律性(ア ブラハム・マズロー(1908-1970))
(a)問題中心的
(i)自分と関係のない問題でも心にかけ、幅広い視野を保つことができる。
(ii)何らかの使命や達成すべき仕事を持っており、それらは人類一般や国家一般の利 益に関わる場合が多い。
(iii)人類全体に対する帰属意識をもつ。
(b)共同社会感情
(i)人類全般に対して同一感や愛情を持っている。平均的な人々の欠点にいら立った り、腹を立てたりしながらも、人々に同一感を感じ、人類を助けたいと真剣に願っている。
(c)対人関係
(i)他者と深い結びつきを形成し、愛情、親密性、献身性を持って付き合う。そして それゆえに、友人の範囲はかなり狭い。
(ii)偽善的でうぬぼれた尊大な人に対しては厳しい態度を持っているが、面と向かっ てそれを表明したりはしない。
(d)民主的性格構造
(i)階級や教育程度、政治的信念、人種や皮膚の色などに関係なく誰とでも親しくで きる。同じ人間だからという理由だけで、どんな人にもある程度の尊敬を払う。
(ii)学習関係において、外面的威厳を維持しようとしたり、地位や年齢に伴う威信な どを保とうなどとはしない。自分に何かを教えてくれるものを持っている人たちを本当に尊敬 し、謙虚になる。道具や技術をうまく使いこなす人たちにも尊敬をささげる。
(e)文化からの自律性
(i)変化や改善の必要を認め、自分の住む文化からある程度の距離をおくことができ る。
(ii)本質的、内部的には因襲にとらわれないが、つまらないことで人を傷つけたり人 と争ったりしたくないため、できるかぎりは慣習どおりに振舞う。
参照: 自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実 の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者 の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))

(12.2)真理は、経験と理性によって認識することができる
(12.2.1)欲望は、真なる認識に従っているかどうか
欲望の統御:欲望は、真なる認識に従っているか。また、私たちに依存しているものと、依存 していないものが、よく区別できているか。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(12.2.2)より包括的な真理の把握は、自由意志の要素の一つ
(i) 悟性の及ぶ範囲を広げようとすることも、また、意志に違いない。(ルネ・デカルト (1596-1650))
(ii) 認識の欠陥による不決定な状態は,程度の低い自由である. また,真と善を明晰に見たときの躊 躇のない判断・選択は自由を減少させるものではない. 自由意志は,悟性の限界を超える範囲 にまで及び,これが誤りと罪の原因でもある.(ルネ・デカルト(1596-1650))
(12.2.3)偏見、先入見からの自由、現実の受容、不確かさへの志向(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))
(a)偏見、先入見からの自由
(i)抽象、期待、信念、固定観念などにとらわれず、現実を正確に知覚し、現実の世 界の中に生きることができる。
(ii)正反対のパーソナリティ特性は、自己防衛機制の「合理化」である。より受け入 れられる原因に帰属させることで、あることを受け入れられるようにすること。
(b)現実の受容
(i)自己、他者、世界を受け入れている。自分自身や他の人々の人間性を、欠点も含 めて、ありのままに受け入れることができる。
(ii)考え深く賢明で、敵意的でないユーモアのセンスをもつ;人間のおかれた状況を 笑うが、特定の個人を笑いものにしない。
(iii)正反対のパーソナリティ特性は、自己防衛機制の「投影」である。 自身の受 け入れがたい側面を別の誰かに帰属させること。
(c)不確かさへの志向
未知のものや不確かなことがあっても快適でいられる。
参照: 自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実 の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者 の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))

(12.3)自己の情念は概ね頼りになる
(12.3.1)情念は、事物の価値の可能性を感知させるので、巧みに利用すること
(a)善・悪、美・醜については、様々な情念を通じて感知することができる。この自分 の傾向性と感じたままの良心に、概ね頼ることができる。(エリーザベトへの解答)
(b) 情念はその本性上すべて善い、その悪用法や過剰を避けるだけでよい。(ルネ・デカルト (1596-1650))
(c) わたしたちは、情念を巧みに操縦し、その引き起こす悪を十分耐えやすいものにし、情念のす べてから喜びを引き出すような知恵を持つことができる。(ルネ・デカルト(1596- 1650))
(d) 情念は、わたしたちを害したり益したりしうる対象の多様なしかたを反映している。(ル ネ・デカルト(1596-1650))

(12.3.2)自己の情動の自然な受容、絶えず新鮮な評価、創造性、神秘的経験、大洋感情 (アブラハム・マズロー(1908-1970))
(a)自己の情動の自然な受容
(i)思考や情動において自発的・柔軟的で自然体である。
(ii)正反対のパーソナリティ特性は、自己防衛機制の「抑圧」である。脅威となる衝 動や出来事を、意識の外に追い出し、無意識にすることで、強く抑制すること。
(iii)また、自己防衛機制の「反動形成」も正反対のパーソナリティ特性である。不 安を生みだす衝動を、意識の中で、その逆のものに置き換えること。
(b)絶えず新鮮な評価
(i)たとえ非常に単純でありふれた経験に対しても、常に新鮮な認識を保つことがで きる(例:夕暮れ、花、他者に対して)。
(ii)人生の基本的に必要なことを、繰り返し新鮮に、無邪気に、畏敬や喜びや恍惚感 さえもって評価できる。
(c)創造性
(i)健康な子どもの持つ純真で普遍的な創造性と同種の創造性を持つ。
(ii)創造的で独創的であり、必ずしも偉大な才能をもたないが、素朴に、常に新鮮さ をもってものごとに接することができる。
(d)神秘的経験、大洋感情
(i)限りなく地平線が開けている感じ、エクスタシーと畏敬の感じ、非常に重要で価 値あることが起こったという感じ、などを伴う経験によって力づけられている。
(ii)強度の集中、無我状態、自己喪失感、自己超越感などのような、神秘的とも言え る経験に至る場合もある。
参照: 自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実 の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者 の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))

(12.4)自己の情念に従うことの是非
(12.4.1)道徳が腐敗している社会でなければ、自分の情念を頼りにできる
人は、伝統的な価値を受け容れているものなので、その文化が腐敗しているのでなけれ ば、自分の情念を頼りにしても、大きな間違いは起こらない。(エリーザベトへの解答)
(12.4.2)自己実現における二分性の解決(アブラハム・マズロー(1908-1970))
情と知、理性と本能、認知と意欲、仕事と遊び、義務と喜び、成熟と子供っぽさ、親切 心と残忍さ、具象と抽象、自己と社会、内向的と外向的、能動的と受動的、男性的と女性的、 その他のさまざまな対立性や二分性は解消され、相互に融合し合体して統一体となっている。
参照: 自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実 の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者 の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))

(12.5)価値も、経験と理性により認識できる
(12.5.1)善・悪、美・醜には真・偽の区別がある
情念は常に正しいとは限らず、善・悪、美・醜には真・偽の区別があり、経験と理性を 用いて認識しなければならない。
(12.5.2)自律的な価値体系、多様な価値体系の受容(アブラハム・マズロー(1908- 1970))
(a)自律的な価値体系
(i)自己の本質、人間性、多くの社会生活、自然や物質的現実を哲学的に受容するこ とによって、自然に価値体系の確固たる基盤を身につけている。
(ii)この価値体系の基盤によって、現実との快適な関係、社会感情、満たされた状 態、手段と目的との識別などがもたらされる。
(iii)自律的な倫理規定を持ち、その規定に照らして重要と思えることのためであれ ば、慣習には従わないこともある。
(iv)正反対のパーソナリティ特性は自己防衛機制の「昇華」である。社会的に受け入 れられる方法で社会的に受け入れられない衝動を表現する。
(b)多様な価値体系の受容
性別や年齢による差異、身分上の差異、役割上の差異、政治的差異、宗教上の差異な どを受容できる価値体系を持っている。
参照: 自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実 の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者 の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))

(12.6)私たちに依存するものと、依存しないものを区別すること
自分が生きている状況のうち、変えられるものと変えられないものを区別し、自分の欲望 を制御することが必要である。(第三格率)
(a) 第三格率:運命に、よりはむしろ自分にうち勝とう、世界の秩序を、よりはむしろ自分の欲望 を変えよう、と努めること。(ルネ・デカルト(1596-1650))
・変えられない諸事実、諸法則
・受け継がれた諸価値(世界の秩序)
・自己の情念
・新たな価値、自己の欲望

(b)私たちに依存するものと、依存しないもの
永遠の決定が、私たちの自由意志に依存させようとしたもの以外は、すべて必然的、運命的で ないものは何も起こらない。私たちにのみ依存する部分に欲望を限定し、理性が認識できた最 善を尽くすこと。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(i)私たちに依存するものとしての自由意志
(ii)自由意志以外は、すべて必然的、運命的なものである
まったく私たちに依存しないものについては、それれがいかに善くても、情熱的に欲してはな らない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(c)知性の誤りから生ずる偶然的運
私たちに依存しないものを可能だと認め欲望を感じるとき、これは偶然的運であり、知性の誤 りから生じただけの幻なのである。なぜなら摂理は、運命あるいは不変の必然性のようなもの であり、私たちは原因のすべてを知り尽くすことはできないからである。(ルネ・デカル ト(1596-1650))

(d)統制の錯覚
統制の錯覚:成功の原因を内的帰属し、失敗の原因は外的帰属する。また、完全に偶然的な出 来事でも、何かしら原因と秩序と意味があり、予測と統制が可能であると考える。これらは、 自己高揚的バイアスの一部であり、パーソナリティにとって潜在的に有益でもある。 (ウォルター・ミシェル(1930-))

(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK)

(i)人間は、客観的に統制可能な出来事と、そうでない出来事を区別できない傾向があ る。
(ii)成功原因の内的帰属
自らのある行為の結果が良かったとき、その行為は自分自身が引き起こしたものであ るとみなす傾向がある。
(iii)失敗原因の外的帰属
うまくいかなかったときや負けたときは自分のせいでないと考える。
(iv)統制の錯覚
まったくの偶然による出来事でも、その出来事はその人が引き起こした、その本人に ふさわしいこと、すなわち世界は予測可能で公平なものであると考えたいという根源的な傾向 がある。
(v)意味と秩序への欲求
特に悲劇的な事件のように、結果がよくないものであったときはなおさら、その出来 事を「もっとも」なことで、意味があり、秩序正しいとみなすことができないかぎり、対処す るのは難しいと感じる。

(e)統制の錯覚の効果
嫌悪的な課題や、ストレスや苦痛を伴う出来事を、予測可能で自分で統制できると信じると、 そう信じることがたとえ現実と合わない幻想のような場合でさえ、否定的な感情が弱まり、課 題遂行の悪化がかなり防げる。(ウォルター・ミシェル(1930-))

(12.7)意志の自由の存在
(a) 意志の自由は、確かにある。これはまさに、完全に確実ではないことを信ずるのを拒み得る自 由が、我々のうちにあることを経験したときに、自明かつ判然と示された。(ルネ・デカ ルト(1596-1650))
(b) しかしながら、私が自分の意志により選択するように思えることも、これがこの全宇宙の一部 であるのならば、この宇宙を支配する法則によって、あらかじめ予定されていたものに違いな い。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(i)予定されているのなら、いずれを選ぶか無関心でも結果は同じなのか
いずれを選ぶかに無関心であってはならないし、この神意の決定の不変の運命に頼っ てもならない。私たちにのみ依存する部分を正確に見きわめ、この部分以上に欲望が広がらな いようにすること。そして、理性が認識できた最善を尽くすこと。

(c) 我々の精神が有限であるのに対して、この宇宙を支配する諸法則はあまりに深遠で知りがた く、いかにして人間の自由な行為が、未決定に残されるかを、未だ明快には理解することがで きていない。しかし、この自由は確かに経験される。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(12.8)意志決定に伴う情動

(12.8.1)概要
《情動誘発刺激》 《感覚》《想起》《想像》《想像》《想像》
(時間様相) (現在)(過去)(未来)(未来)(未来)
《認知対象》《属性》《認知》《認知》《認知》《認知》《欲望》
《理論対象》 《状況》《状況》《予測》《規範》《構想》
自己状態 善 喜び 安心
悪 悲しみ 希望
不安
執着
絶望
自己行為の 善 内的自己満足
自己評価 悪 後悔
意志以外の 高慢
属性保持者 謙虚
としての自己
意志決定者 高邁 良心の 不決断 徳という
としての自己 卑屈 悔恨 欲望
大胆、勇気 自己効力期待
対抗心
臆病、恐怖
不確かさ 快 不確かさ志向
不快 不確かさ回避
自己の情動 喜び

(12.8.2)自己状態の予測に伴う情動(再掲)
善の獲得、悪の回避等が可能であると考えただけで、〈欲望〉がそそられる。そして、実現の 見込みの大きさに応じて、次の情動が生じる:〈安心〉〈希望〉〈不安〉〈執着〉〈絶望〉。 (ルネ・デカルト(1596-1650))
(12.8.3)自己行為の自己評価に伴う情動(再掲)
〈内的自己満足〉、〈後悔〉、後悔の効用(ルネ・ デカルト(1596-1650))
(12.8.4)意志決定に伴う情動
(a) わたしたちに依存する行為の手段選択の困難から〈不決断〉、実現における困難さに対して、 実現しようとする確固とした意志の強さに応じて、〈大胆〉〈勇気〉〈対抗心〉〈臆病〉〈恐 怖〉の情念が生じる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(b) 不決断の効用、および過剰な不決断に対する治療法。(ルネ・デカルト(1596- 1650))
(c) 臆病の効用、および臆病の治療法。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(d) 恐怖の治療法。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(12.8.5)不確かさへの志向(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)
不確かさへの志向:次のようなパーソナリティ次元が存在する。不確実さを正面から受けとめ 新しい情報を求めて解決しようとする。逆に、不確実さに不快を感じて状況を回避し、新しい 情報も求めない。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)

(出典:Western University )
検索(Richard M. Sorrentino)

次のようなパーソナリティ次元が存在する。
(i)不確実さを扱うことに比較的自信があり、それを正面から解決しようとする傾向。
(ii)不確かさに不快になり、不確かさの主観的感覚が増加する状況を回避しようとする 傾向。
結果についてコントロールできない状況を経験した後、(i)の傾向の強い人は、その 状況に関連する新しい情報を求めるのに対して、(ii)の傾向の強い人は新しい情報を回避す る。
特殊例として、(i)の傾向の強い人は、「あるテストが重要な能力を診断する」と言 われた方が、良い成績をとり、(ii)の傾向の強い人は「テストが重要な能力を診断するもので はない」と伝えられた方がが、よりよい成績をとる。(リチャード・M・ソレンティーノ (1943-))

(12.8.6)過去の意志決定に伴う情動
〈不決断〉が取り除かれないうちに何かの行動を決した場合、そこから〈良心の悔恨〉が生ま れる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(12.8.7)徳という欲望
(a) 自由意志にのみ依存する善きことをなすのが、徳という欲望である。これは、私たちに依存す るものであるゆえに、必ず成果をもたらす。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(b) 徳とは、精神をある思考にしむける、精神のうちの習性である。この習性は、思考や教育から 生み出される。(ルネ・デカルト(1596-1650))
(c) 人間は,自由意志により自分の行為の創造者となり,賞賛に値するその行為によって,人間にお ける最高の完全性に至る.(ルネ・デカルト(1596-1650))
(d) わたしたちが正当に賞賛または非難されうるのは、ただ、この自由意志に依拠する行動だけで あり、これだけが、自分を重視する唯一の正しい理由である。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(12.8.8)自己評価の高慢と高邁の違い
(12.8.8.1)高邁
(a)自己を価値に対する驚き(重視)の情念
自ら最善と判断することを実行する確固とした決意 と、この自由意志のみが真に自己に属しており、正当な賞賛・非難の理由であるとの認識が、 自己を重視するようにさせる真の高邁の情念を感じさせる。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(b)様々な情念が喚起する知的な喜び
不思議な出来事を本で読んだり、舞台で演じられるのを見たりするときに感じるさまざまな情 念は、私たちに、知的な喜びともいえる快感を経験させる。(ルネ・デカルト(1596- 1650))

(c)完全性の認識による喜び
私たちが、自分が最善と判断したすべてを実行したこ とによる満足を、つねに持ってさえいれば、よそから来るいっさいの混乱は、精神を損なう力 を少しももたない。むしろ精神は、みずからの完全性を認識させられ、その混乱は精神の喜び を増す。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(d)自己効力期待
自己効力期待:自分自身が行為の主体であり、自分にはうまく実行できるという期待と信念 が、価値ある目標の追求、的確な判断、効果的な行動を助け、努力を持続させる。反対は無力 感で、諦め、無気力、抑うつへの確実な道である。(ウォルター・ミシェル(1930-))

(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK)

(e)他者の価値に対する驚き(重視)の情念
高邁の情念をもつ人々は、善き意志という点で等し く、それ以外の美点で異なっていても過大に劣っているとか優れていると考えることはない。 また、犯された過ちも認識の欠如によると考えて許そうとする。(ルネ・デカルト (1596-1650))

(12.8.8.2)高慢
自由意志以外のすべての善、例えば才能、美、富、名誉などによって、自分自身を過分に評価 してうぬぼれる人たちは、真の高邁をもたず、ただ高慢をもつだけだ。高慢は、つねにきわめ て悪い。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(12.8.8.3)超越性、プライバシーの欲求、他者からの自律性(アブラハム・マズロー (1908-1970))
(a)超越性、プライバシーの欲求
(i)孤独やプライバシーを欲する。自分自身の潜在能力や手腕を信頼できる。
(ii)高い集中力を持ち、極度の集中によって外部環境のことを忘れたりすることが ある。
(iii)比較的少数の他者と非常に深い結びつきを作りあげる。
(iv)普通の人々からは、冷たい、俗物主義である、愛情が欠如している、友情がな い、などと思われることもある。
(b)他者からの自律性
(i)比較的、外発的な満足に左右されない。例えば、他者からの受容や人気に動か されない。
(ii)自然環境や社会環境からの独立性を持ち、名誉、地位、報酬、威信、愛、など よりも、自分自身の成長や発展のために、自分自身の可能性や潜在能力を頼みとしている。
参照: 自己実現的人間のパーソナリティ特徴の例:偏見,先入見からの自由/現実 の受容/不確かさへの志向/新鮮な評価/創造性/神秘的経験,大洋感情/自律的な価値体系/他者 の多様な価値体系の受容/プライバシーの欲求/他者からの自律性(アブラハム・マズ ロー(1908-1970))

(12.8.8.2)高慢
自由意志以外のすべての善、例えば才能、美、富、名誉などによって、自分自身を過分に評価 してうぬぼれる人たちは、真の高邁をもたず、ただ高慢をもつだけだ。高慢は、つねにきわめ て悪い。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(12.8.9)高邁の反対の卑屈の情念
自分は決断力がなく、自由意志の全面的な行使能力がないと考えるのが、卑屈すなわち悪しき 謙虚であり、高邁の正反対である。(ルネ・デカルト(1596-1650))


《概念図》(ルネ・デカルト(1596-1650))
┌─────────────身体(外界)─┐
│┌精神─────────┐ │
││┌─────(受動)┐│ │
│││外部感覚 ←─(身体←外界)│
│││(他者情動、意図)←─(身体←他者)│
│││ (記号、意図)←─(身体←文化)│
│││共通感覚 ←─(身体) │
│││ 肢体の感覚 ←─(身体←外界)│
│││ 内臓感覚 ←─(身体) │
│││ 幻覚、夢想←─(受動)────記憶│
│││想像された観念←想像力(能動)─記憶│
│││情念・情動(受動)←─┐←────┐│
││└────┬────┘││ ││
││ ↓ ││ ││
││┌認知──┴(能動)┐││ ││
│││外部感覚の認知 ├─┘ ││
│││共通感覚の認知 ←─機能と一体化││
│││ 肢体の感覚 ││ した記憶 ││
│││ 内臓感覚 ─→記憶化 ││
│││ 幻覚・夢想 ││(身体の受動)││
│││想像された観念 ││ ││
│││情念・情動(認知)││ ││
││└────┬────┘│ ││
││ ↓ │ ││
││┌意志──┴(能動)┐│ ││
│││想起 ├───────┘│
│││想像、理解 ←─機能と一体化 │
│││予測、規範、構想 ││ した記憶 │
│││状況理論(過去) ─→記憶化 │
│││状況理論(現在) ││(身体の受動) │
│││状況理論(予測) ││ │
│││価値理論(規範) ││ │
│││価値理論(構想) ││ │
│││諸法則・真理 ││ │
│││諸芸術 ││ │
│││計画 ││ │
│││行動────────→(身体→外界)│
│││行動────────→(身体→他者)│
││└─────────┘│ │
│└───────────┘ │
└────────────────────┘

《概念図》(アブラハム・マズロー(1908-1970))
┌───────────────┐
│生体の状態(身体) │
│ 意識的な動機、行為の背後には│生理的欲求
│ 根本的で無意識的な、優勢度に│安全と安定の欲求
│ おいて階層づけられた、多数の│愛と集団帰属の欲求
│ 欲求、動機が存在し、多様な文│承認の欲求
│ 化的な経路を通じて、具体化さ│自己尊重の欲求
│ れている。 │自己実現欲求
│┌────────────┐ │
││文化(特殊的、局所的) │ │
││┌─────────┐ │ │
│││引き継がれた文化 ← │ │文化
│││ 諸事実・真理 → │ │a1 問題中心的
│││ 諸価値・芸術 │ │ │a2 共同社会感情
│││ │↑ │ │ │a3 対人関係
│││ ││ │ │ │a4 民主的性格構造
│││ ││ │ │ │a5 文化からの自律性
│││ ↓│ │ │ │
│││意識的な動機←情動─── │意識的な動機
│││ 究極目的 ─────→ │e1 自律的な価値体系
│││ ↓ │ │ │e2 多様な価値体系の受容
│││ 部分目標 │ │ │
│││ └───┐ │ │ │情動
│││ │ │ │ │c1 自己の情動の自然な受容
│││ │ │ │ │c2 絶えず新鮮な評価
│││ │ │ │ │c3 創造性
│││ │ │ │ │c4 神秘的経験、大洋感情
│││ │ │ │ │
│││環境(状況)←情動─── │環境(状況)
│││ 過去・現在─────→ │b1 偏見、先入見からの自由
│││ 予測・規範│ │ │ │b2 現実の受容
│││ │┌──┘ │ │ │b3 不確かさへの志向
│││ ↓↓ 分離的←─── │
│││意志決定 特殊的 │ │ │d1 自己実現における二分性の解決
│││計画││ 反応 │ │ │意志決定
│││ ↓↓↓ ↓ │ │ │h1 超越性、プライバシーの欲求
│││行為・行動・反応 │ │ │h2 他者からの自律性
││└─────────┘ │ │
││文化(特殊的、局所的) │ │
│└────────────┘ │
│生体の状態(身体) │
└───────────────┘
参考:動機は、人間の統合的全体性の観点から解明される。すな わち、階層づけられた多数の無意識的な欲求に基盤を持ち、文化的な環境と相互作用する意識 的な目標と、力動的に解釈された環境との相互作用から人間の行動が理解できるだろう。 (アブラハム・マズロー(1908-1970))


《概念図》統合
┌─────────────身体(外界)─┐
│身体 │
│ 意識的な動機、行為の背後には根本的で無│生理的欲求
│ 意識的な、優勢度において階層づけられた│安全と安定の欲求
│ 多数の欲求、動機が存在し、多様な文化的│愛と集団帰属の欲求
│ な経路を通じて、具体化されている。 │承認の欲求
│ │自己尊重の欲求
│ │自己実現欲求
│┌精神─────────┐ │
││┌─────(受動)┐│ │
│││外部感覚 ←─(身体←外界)│
│││(他者情動、意図)←─(身体←他者)│
│││ (記号、意図)←─(身体←文化)│
│││共通感覚 ←─(身体) │
│││ 肢体の感覚 ←─(身体←外界)│
│││ 内臓感覚 ←─(身体) │
│││ 幻覚、夢想←─(受動)────記憶│
│││想像された観念←想像力(能動)─記憶│
│││情念・情動(受動)←─┐←────┐│
││└────┬────┘││ ││
││ ↓ ││ ││
││┌認知──┴(能動)┐││ ││
│││外部感覚の認知 ├─┘ ││
│││共通感覚の認知 ←─機能と一体化││
│││ 肢体の感覚 ││ した記憶 ││
│││ 内臓感覚 ─→記憶化 ││
│││ 幻覚・夢想 ││(身体の受動)││
│││想像された観念 ││ ││
│││情念・情動(認知)││ ││
││└────┬────┘│ ││
││ ↓ │ ││
││┌意志──┴(能動)┐│ ││
│││想起 ├───────┘│
│││想像、理解 ←─機能と一体化 │
│││予測、規範、構想 ││ した記憶 │
│││状況理論(過去) ─→記憶化 │
│││状況理論(現在) ││(身体の受動) │
│││状況理論(予測) ││ │
│││価値理論(規範) ││ │
│││価値理論(構想) ││ │
│││諸法則・真理 ││ │
│││諸芸術 ││ │
│││ ││ │
│││引き継がれた文化 ││ │文化
│││ 諸事実・真理 ││ │a1 問題中心的
│││ 諸価値・芸術 ││ │a2 共同社会感情
│││ │↑ ││ │a3 対人関係
│││ ││ ││ │a4 民主的性格構造
│││ ││ ││ │a5 文化からの自律性
│││ ↓│ ││ │
│││意識的な動機 ││ │意識的な動機
│││ 究極目的 ││ │e1 自律的な価値体系
│││ ↓ ││ │e2 多様な価値体系の受容
│││ 部分目標 ││ │
│││ └───┐ ││ │情動
│││ │ ││ │c1 自己の情動の自然な受容
│││ │ ││ │c2 絶えず新鮮な評価
│││ │ ││ │c3 創造性
│││ │ ││ │c4 神秘的経験、大洋感情
│││ │ ││ │
│││環境(状況)│ ││ │環境(状況)
│││ 過去・現在│ ││ │b1 偏見、先入見からの自由
│││ 予測・規範│ ││ │b2 現実の受容
│││ │┌──┘ ││ │b3 不確かさへの志向
│││ ↓↓ 分離的←── │
│││意志決定 特殊的 ││ │d1 自己実現における二分性の解決
│││計画││ 反応 ││ │意志決定
│││ ↓↓↓ ↓ ││ │h1 超越性、プライバシーの欲求
│││行為・行動・反応 ││ │h2 他者からの自律性
│││行為────────→(身体→外界)│
│││行為────────→(身体→他者)│
│││行為────────→(身体→文化)│
││└─────────┘│ │
│└───────────┘ │
└────────────────────┘



(出典:wikipedia)
ルネ・デカルト(1596- 1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、 我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属しま す。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般 的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふ つうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いか なるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性 、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な 他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの 樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、 他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学お よび道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であると ころの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根 からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至っ て始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿 一・1964])

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