2019年10月24日木曜日

代表者会議の機能は、(a)政府の監視と統制、(b)政府に対する解任、任命権、(c)国民の中のあらゆる意見の集約、(d)自由な議論の保障、(e)統治機構の必要な専門性の確保である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

代表者会議の機能

【代表者会議の機能は、(a)政府の監視と統制、(b)政府に対する解任、任命権、(c)国民の中のあらゆる意見の集約、(d)自由な議論の保障、(e)統治機構の必要な専門性の確保である。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(1)代表者会議
 (1.1)政府を監視し統制すること
  政府の行動に公開性の光をあて、疑問に思える行動すべてについて、十分な説明と正当化する理由の提示を強制すること。
 (1.2)政府に対する解任、任命権
  非難に値する行動は非難し、政府構成員が職権を濫用したり国民の良識に反する仕方で職務を行ったりした場合には解任し、明示的ないし実質的に後任を任命する。
 (1.3)国民の中のあらゆる意見の集約
  (a)国民の中のあらゆる階層、階級の意見
  (b)国民の中の様々な集団の意見、そのような集団が信頼を寄せている人物の意見
  (c)国民の中の卓越した人々の意見
 (1.4)自由な議論の保障
  (a)何ら制限されずに、意見や批判を述べることができること。
  (b)全ての意見が傾聴されること。
  (c)ある意見を退ける場合であっても、頭ごなしにではなく、より良いと考えられる理由のためであること。
 (1.5)統治機構に必要な専門性の確保すること
  (a)統治機構を構成する人々が、誠実かつ賢明に選ばれるようにすること。
  (b)何ら制限されずに意見や批判を述べること。
  (c)最終的に国民的同意を与えたり与えなかったりすること。
  (d)統治機構に、必要な監視と統制を超える不当な干渉をしないこと。
(2)統治機構(政府)
 議論の結果を実行する組織であり、特別に訓練された人々の仕事である。

 「代表者会議の本来の役割は、統治するという元々から適していない役割ではなく、政府を監視し統制することである。政府の行動に公開性の光をあて、疑問に思える行動すべてについて十分な説明と正当化する理由の提示を強制することである。非難に値する行動は非難し、政府構成員が職権を濫用したり国民の良識に反する仕方で職務を行ったりした場合には解任し、明示的ないし実質的に後任を任命することである。これは間違いなく大きな権限であり、国民の自由の保障として不足はない。
 さらに議会には、これに劣らず重要な役割もある。議会は国民の苦情処理委員会であるとともに、種々の意見が集う会議でもある。国民全般の意見ばかりでなく、国民の中のあらゆる部分の意見や、国民の中の卓越した人々の意見も可能な限りの多くが、もれなく自己主張し論戦に挑める舞台である。自分と同じかもっと上手に自分の想いを、味方や仲間に対してばかりでなく論敵の面前で反対論の試練を受けながら語ってくれる代弁者を、国中のすべての人が期待してよい舞台である。この舞台では、自分の意見が論破された人でも、自分の意見が傾聴され、退けられたにしても頭ごなしにではなく、よりよいと考えられた理由のためであって、国民の多数を代表する人々の前でともかく自分の意見を訴えたということに、満足感を持つ。国中のあらゆる党派や意見がそれぞれの力を結集できるし、自分たちの支持者の数や力に関する幻想を醒ますこともできる。国民の中で支配的な意見は、ここでも支配的な形で登場し、政府の目の前で勢力を展開する。そのため、姿を現すだけで実際に力を行使しなくても、政府を従わせることができる。政治家は、どんな意見や勢力が伸長しているのか凋落しているのかを、他の徴候よりもずっと確実に捉えられるし、目前の差し迫った必要ばかりでなく今後の動向も顧慮して対策を講ずることができる。
 代表者議会は、それを敵視する人々からは、たんなる《おしゃべり》の場所でしかないと愚弄されることが多い。これほど的外れな嘲笑はまずない。話題が国の重大な公的利益であって、国民の中の重要な集団の意見やそうした集団が信頼を寄せている人物の意見が余すところなく語られているのであれば、話すこと以上に代表者会議が有益な役割をどう果たせるのか、私には見当がつかない。国中の利益や意見のすべてが、政府や自分以外のすべての利益や意見の前で熱心に自己主張でき、傾聴させることができ、賛同してもらう、あるいは不賛成ならその理由を明確に述べるよう迫ることができる場所は、他に果たせる目的がなくても、それ自体として、およそ存在しうる中で最も重要な政治制度の一つであり、自由な統治が持つ最大の利点の一つである。そうして「おしゃべり」で「行動」に水を差すことが仮に許されていなかったとしたら、非難がましく見られることもないのだろう。議会が行動するというのではない。話し合い議論することが本来の仕事であるとわきまえていれば、それはないだろう。議論の結果としての行動は、種々雑多な人々からなる議会の仕事ではなく、特別に訓練された人々の仕事である。議会にふさわしい職務は、そうした人々が誠実かつ賢明に選ばれるよう見守ることであり、何ら制限されずに意見や批判を述べることや、最終的に国民的同意を与えたり与えなかったりすることは別として、それ以上の干渉はしないことである。こうした賢明な自制が欠けると、民主政的な議会は、自分では上手にこなせない統治と立法という仕事に手を出そうとし、そうした仕事の大半を担わせる別の機関を作らずに自分で済ませようとする。話し合いに使う時間は、当然ながら、実務に手出しをしないことで得られる時間なのにである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『代議制統治論』,第5章 代表機関の本来の役割について,pp.95-97,岩波書店(2019),関口正司(訳))
(索引:代表者会議の機能,代表者会議)

代議制統治論


(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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