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2021年12月23日木曜日

政治的論議や社会的諸制度の批判の場にお いて、非実定法的な自然権の観念を用いることは、政府のいかなる権力の行使とも両立しえず、 それゆえに危険なほど無政府主義的になるか、もしくは、総じて無意味ないし瑣末なものになる。(ジェレミ・ベンサム(1748-1832))

自然権批判

政治的論議や社会的諸制度の批判の場にお いて、非実定法的な自然権の観念を用いることは、政府のいかなる権力の行使とも両立しえず、 それゆえに危険なほど無政府主義的になるか、もしくは、総じて無意味ないし瑣末なものになる。(ジェレミ・ベンサム(1748-1832))














(a)もし人びとの主張する自然権が形式上絶対的なも のであり、いかなる例外も、あるいは他の価値との妥協も認めないとすれば、それは危険なほど無政府主義的になる。不可譲の権利という客 観的に響く言葉を用いることによって、確立された法を「無効」にし、法が行なったり要求したりしうることに対して限界を画するようなものと理解されることになる。
(b)逆に、一 般的な例外を承認するならばたとえば、法が許容する場合を除いて、いわゆる自然的自由権 はけっして奪われることのない何物かであると提唱されるならば、自然権は立法者とその服 従者のどちらにとっても、「瑣末で」無意味な指針となる。




 「ベンサムの第二の批判は、政治的論議や確立された法および社会的諸制度の批判の場にお いて非実定法的な自然権の観念を用いることは、政府のいかなる権力の行使とも両立しえず、 それゆえに危険なほど無政府主義的であるにちがいないか、もしくは、総じて無意味ないし瑣 末なものであるだろう、というものである。もし人びとの主張する自然権が形式上絶対的なも のでありいかなる例外もあるいは他の価値との妥協も認めないとすれば、それは前者であろ う。ある何らかの確立された法に対して強い反発感情を抱く人びとは、不可譲の権利という客 観的に響く言葉を用いることによって、このような感情を何かより以上のものとして、つまり 確立された法を「無効」にし法が行なったり要求したりしうることに対して限界を画するよう な、何か確立された法に優位するものの要求として表わすことができるであろう。そうする代 わりに、自然権が形式上絶対的なものとして表わされず(フランス「人権宣言」のように)一 般的な例外を承認するならば――たとえば、法が許容する場合を除いて、いわゆる自然的自由権 はけっして奪われることのない何物かであると提唱されるならば――、自然権は立法者とその服 従者のどちらにとっても、「瑣末で」無意味な指針なのである。かくして、新しいアメリカ諸 州のいくつかでは、憲法上、明文によって自然的自由が宣言されたにもかかわらず、それは奴 隷所有者の奴隷を所有する権利に影響を与えないとされたことで、自然権は瑣末なものとなっ たのである。このように、自然権は、政府の権力行使が常に自由や所有に対する何らかの制限 を伴っているがゆえに、整序だった政府と両立しえないか、それとも瑣末で空虚で役立たない かのどちらかである、とベンサムは結論づけたのである。」
 (ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第4部 自由・功利・権利,8 功利 主義と自然権,pp.214-214,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),玉木秀敏(訳))

【中古】 法学・哲学論集 /H.L.A.ハート(著者),矢崎光圀(訳者),松浦好治(訳者) 【中古】afb


ハーバート・ハート
(1907-1992)




2020年5月26日火曜日

法であるべき全ての道徳的資格を備えていながら、しかしなお法ではないルールが存在する。ベンサムは、自然法に基づく自然権の概念を批判した。法に先行する権利も、法に反する権利も存在しない。(ハーバート・ハート(1907-1992))

実定法と自然法

【法であるべき全ての道徳的資格を備えていながら、しかしなお法ではないルールが存在する。ベンサムは、自然法に基づく自然権の概念を批判した。法に先行する権利も、法に反する権利も存在しない。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(4.4.2)追記。

 (4.4)在る法と在るべき法の区別
  それでもなお、在る法と在るべき法の区別は、厳然と存在するし、区別すべきである。
   仮に、ある法の道徳的邪悪さが事実問題として証明されたとしても、また、在るべき法が客観的なものとして知られたとしても、現に在る法と在るべき法の区別は、厳然と存在するし、また区別すべきである。(ハーバート・ハート(1907-1992))
  (4.4.1)在る法
   ある法の道徳的邪悪さが事実問題として証明されたとしても、その法が法でないことを示したことにはならない。法は様々な程度において邪悪であったり馬鹿げていたりしながら、なお法であり続ける。
  (4.4.2)道徳的な原則
   法であるべき全ての道徳的資格を備えていながら、しかしなお法ではないルールが存在する。ベンサムは、自然法に基づく自然権の概念を批判した。法に先行する権利も、法に反する権利も存在しない。
 「ベンサムは、自然権の観念を二つの主要な仕方で攻撃したのである。第一に、彼は以下のように主張した。実定法により創造されない権利の観念は「冷たい熱」とか「輝く闇」のような用語矛盾である。つまり、権利とは、彼の主張によれば、すべて実定法の産物にすぎないし、また、人為法に先立ちそれから独立した権利が存在するという主張は、人びとが誤解して自然法を自然権の淵源だと語ってきたから、明らかに不条理だとして即座に摘発されるのを免れたにすぎない。しかし、これら(自然法と自然権)はともに、次のような事実に示されているように、実在しないものであった。すなわち、ある人が何らかの法的権利を有しているかどうか、その範囲はどのくらいか、ということに関して論争があるとすれば、これは確証可能な客観的事実に関する問題であって、関連する実定法の文言を引証することによって、あるいは、それがない場合には法廷に委ねることによって合理的に解決できる、という事実である。〔しかし〕このような合理的な解決や客観的な判決手続は、ある人が非実定法的な自然権たとえば言論や集会の自由への権利を持っているかどうかという問題を解決するのに、まったく役立たない。自然権の存否を立証するこれと同種の承認されたテストは存在しないし、それを知りうるための確定された法も存在しないのである。それゆえ、ベンサムは、「《法》の観念を問題にしなければ、《権利》という言葉で言われるものは反駁されるべきものとなる」と述べたのである。法に先行する権利も法に反する権利も存在しない。そのために、自然権の教義は話し手の感情、欲求、偏見を表出するかもしれないが、法が正当に行なったり要求したりすることに対する、合理的に識別し論議しうる客観的な制限として、それは功利主義のようには役立ちえないのである。人びとが彼ら自身の自然権について語るのは、思い通りにしたい理由を示さずにそうしたいときである、とベンサムは述べた。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第4部 自由・功利・権利,8 功利主義と自然権,pp.213-214,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),玉木秀敏(訳))
(索引:実定法,自然法,自然権)

法学・哲学論集


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

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