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2021年12月24日金曜日

言葉は、世界の記述のために用いられるだけでなく、社会的な慣行の存在を背景として、責務を創造したり、権利を移転したり、一般的に法的状況を変化させることもできる。法律行為の一般的性質は、言語の遂行的用法として理解できる。(ハーバート・ハート(1907-1992))

行為遂行的言語

言葉は、世界の記述のために用いられるだけでなく、社会的な慣行の存在を背景として、責務を創造したり、権利を移転したり、一般的に法的状況を変化させることもできる。法律行為の一般的性質は、言語の遂行的用法として理解できる。(ハーバート・ハート(1907-1992))



「新しい分析法学の第二の特徴は、まったく異なった仕方で現代分析哲学に結び付いてい る。ウィトゲンシュタインは、どこかで言葉はまた行為でもあると述べていた。オースティン 教授の最も独創的な業績は、彼の死後出版された『言葉によって、いかに行為するか』の中に 見ることができる。その中で彼は、言葉が果たす多様な機能のうちには哲学者によって非常に 頻繁に見落とされているにもかかわらず、社会生活とりわけ法における一定の行為を理解しよ うとするときに最も重要なものとなる機能があると論じている。洗礼式を例にあげよう。式の 重要な時点において、ある文が語られる(「私はここにこの子をXと命名する」)。これらの 言葉を言った効果として、それまで存在していた社会状況が変化させられ、その子をXという 名で呼ぶことが「正しい」とされるようになる。ここでは、言葉は最も普通の用法である世界 の《記述のため》に用いられているのではなく、社会的な慣行を背景として《一定の変化を引 き起こすため》に用いられている。約束の言葉を述べるということについても同じことがあて はまる。「私の車で駅までお送りすることをお約束します」は事柄の《記述》ではなく、それ はその言葉を話した人に道徳的な責務を創造する効果を持つ発話である。それは話した人を拘 束する。言葉のこの用法が法においてたいへんな重要性をもつことは明らかである。それは、 「私はここに私の金時計を友人Xに遺贈します」と遺言者によって書かれた遺言書や、立法者 によって用いられた法の文言、たとえば「ここに、......法を制定する」を見れば明らかである。 法においては、正当な資格を備えた人によって、適切な状況の下で述べられた言葉は法的効果 を持っている。  イギリスの法律家はこのような仕方で用いられる言葉をときどき「効果発生」 語"operative" words と呼ぶが、法以外の分野にも広く見られるこの言語機能は、イギリ スの多くの哲学者には「遂行的言明」として知られている。法の内外における言語の遂行的用 法は多くの興味ある特殊な特徴を備えていて、その点で世界を記述する言明が真であるか偽で あるかに関心を抱くときにわれわれが使う言語の用法とは異なっている。法律行為 Rechtsgeschäfte の一般的性質は、言語の遂行的用法というこの考えをぬきにして は理解できないように思われる。何人かの法哲学者は、たんに言葉を使うだけで責務を創造し たり、権利を移転したり、一般的に法的状況を変化させたりできるという事実にたいへん当惑 した。その中でも有名なのはヘーゲルストレームである。彼にとっては、それは魔術や法的 錬金術の一種に思えたのである。しかし、それが言語の特別な機能であることを認識するだけ でそれをちゃんと理解できることは明らかである。つまり、ある人がある言葉を話すときには 一定のルールが機能し始めるべし、ということを定めるルールまたは慣行が背景として与えら れると、それによって当該言葉の機能そして広義においてその言葉の意味が決定されるのであ る。」

(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第5部 四人の法理論家たち,12 イェーリングの概念の天国と現代分析法理学,pp.313-314,みすず書房(1990),矢崎光圀(監 訳),松浦好治(訳))

【中古】 法学・哲学論集 /H.L.A.ハート(著者),矢崎光圀(訳者),松浦好治(訳者) 【中古】afb


ハーバート・ハート
(1907-1992)




2018年11月3日土曜日

適当な状況のもとにおいて、ある発言が、当の行為を実際に行なうことに他ならないような発言が存在する。妻と認めますか?「認めます」、「……と命名する」、「……を遺産として与える」、「……を賭ける」(ジョン・L・オースティン(1911-1960))

行為遂行的文、行為遂行的発言

【適当な状況のもとにおいて、ある発言が、当の行為を実際に行なうことに他ならないような発言が存在する。妻と認めますか?「認めます」、「……と命名する」、「……を遺産として与える」、「……を賭ける」(ジョン・L・オースティン(1911-1960))】
 「(例a)「そうします。(I do.)(すなわち、私はこの女性を、私の法律上婚姻関係にある妻と認めます。)」――ただし、結婚式の進行の中で言われた場合。
(例b)「私は、この船を『エリザベス女王号』と命名する。(I name this ship the Queen Elizabeth.)」――ただし、船首に瓶をたたきつけながら言われた場合。
(例c)「私は、私の時計を弟に遺産として与える。(I give and bequeach my watch to my brother.)」――ただし、遺言状の中に記された場合。
(例d)「私はあなたと、明日雨が降る方に6ペンス賭ける。(I bet you sixpence it will rain tomorrow.)
 以上の例においては、それぞれの文を述べる(もちろん適当な状況のもとにおいて)ことは、私がかくかくと述べている際に私が行うと述べられているその当のことを実際に行なっているという私の行為を記述することではなく、また、その当の行為を私が行なっているということを陳述しているのでもないということは明白なことであろう。そこでは、その文を口に出して言うことは、当の行為を実際に行なうことにほかならないのである。また、これらの発言のどれをとっても、それらは真でもなければ偽でもない。私はこのことを自明のことであると主張し、それについて議論することはしない。それはあたかも「畜生」(damn)という間投詞が真でも偽でもないのとまったく等しく議論を要しないことであろう。この発言はあるいは、「何ごとかを伝達するために使われている」といえるかもしれない。しかし、このことは当面問題にしていることとはまったく関係のないことである。要するに、船を命名するということは、(適当な状況において)「私はかくかくしかじかと命名する」という言葉を言うことと《同じ》ことであり、また、戸籍役人や聖職者などの前で「そうします」と言う時に、私は、結婚という事件を報告しているのではなく、その事件に当事者として参与しているのである。
 さて、今ここで考えられた種類の文ないし発言を何と名づけるべきであろうか。私としては、それらを行為遂行的文(performative sentence)ないし、行為遂行的発言(performative utterance)、あるいは、簡単に「遂行文」ないし「遂行的発言」(performative)と呼ぶことを提案したい。」
(ジョン・L・オースティン(1911-1960),『いかにして言葉を用いて事を為すか』(日本語書籍名『言語と行為』),第1講 序論――行為遂行的発言とは何か,ⅱ行為遂行的発言の予備的分離,pp.10-12,大修館書店(1978),坂本百大(訳))
(索引:行為遂行的文,行為遂行的発言)

言語と行為


(出典:wikipedia
ジョン・L・オースティン(1911-1960)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「一般に、ものごとを精確に見出されるがままにしておくべき理由は、たしかに何もない。われわれは、ものごとの置かれた状況を少し整理したり、地図をあちこち修正したり、境界や区分をなかり別様に引いたりしたくなるかもしれない。しかしそれでも、次の諸点を常に肝に銘じておくことが賢明である。(a)われわれの日常のことばの厖大な、そしてほとんどの場合、比較的太古からの蓄積のうちに具現された区別は、少なくないし、常に非常に明瞭なわけでもなく、また、そのほとんどは決して単に恣意的なものではないこと、(b)とにかく、われわれ自身の考えに基づいて修正の手を加えることに熱中する前に、われわれが扱わねばならないことは何であるのかを突きとめておくことが必要である、ということ、そして(c)考察領域の何でもない片隅と思われるところで、ことばに修正の手を加えることは、常に隣接分野に予期せぬ影響を及ぼしがちであるということ、である。実際、修正の手を加えることは、しばしば考えられているほど容易なことではないし、しばしば考えられているほど多くの場合に根拠のあることでも、必要なことでもないのであって、それが必要だと考えられるのは、多くの場合、単に、既にわれわれに与えられていることが、曲解されているからにすぎない。そして、ことばの日常的用法の(すべてではないとしても)いくつかを「重要でない」として簡単に片付ける哲学的習慣に、われわれは常にとりわけ気を付けていなければならない。この習慣は、事実の歪曲を実際上避け難いものにしてしまう。」
(ジョン・L・オースティン(1911-1960),『センスとセンシビリア』(日本語書籍名『知覚の言語』),Ⅶ 「本当の」の意味,pp.96-97,勁草書房(1984),丹治信春,守屋唱進)

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