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2018年1月12日金曜日

2.理論における想像力の役割:何の手がかりもなしに新たな理論を「想像しようと試みる」には、わたしたちの空想力はあまりに貧弱である。すでに成功を収めている理論と実験データに、この世界の真の姿の兆候が現われている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

理論と想像力

【理論における想像力の役割:何の手がかりもなしに新たな理論を「想像しようと試みる」には、わたしたちの空想力はあまりに貧弱である。すでに成功を収めている理論と実験データに、この世界の真の姿の兆候が現われている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 科学の理論は、確かに人間の自由な創造であり、理論における想像力の役割には大きいものがある。しかし、この世界について、何の手がかりもなしに「想像」するには、わたしたちの空想はあまりに貧弱である。わたしたちが所有している手がかり、この世界の真の姿を知るのに利用できる兆候とは、成功を収めた理論と実験データであり、それ以外の何物でもない。科学の歴史を考えてみれば、コペルニクスも、ニュートンも、マクスウェルも、アインシュタインも、決して何の手がかりもなしに、新たな理論を「想像しようと試みる」ことはなかった。

 「今日、じつに多くの理論物理学者が、新たな理論を求めて勝手気ままな仮説を立てている。その人たちの口癖が、「想像してみよう……」というものである。

わたしには、このような科学の手法が良い結果をもたらすとは思えない。世界がいかにして成り立っているのか手がかりもなしに「想像」するには、わたしたちの空想はあまりに貧弱である。

わたしたちが所有している手がかりとは、わたしたちが利用できる兆候とは、成功を収めた理論と実験データであり、それ以外の何物でもない。いまだ想像できていない事柄は、こうしたデータや理論から見つけ出してくるべきである。

コペルニクスも、ニュートンも、マクスウェルも、アインシュタインも、そうして科学を発展させてきた。彼らは決して、新たな理論を「想像しようと試みる」ことはなかった。

しかしわたしの見るところ、今日ではあまりに多くの物理学者が、好んで想像の世界に浸かっている。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第9章 実験による裏づけとは?、p.212、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:想像力、理論)

すごい物理学講義


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
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1.科学は、事実に基礎をおいており、誰が正しく誰が間違っているのかを、完全な明晰さをもって結論づけられるようなものだ。またそれは単に、検証可能な量的予測の技術なのではなく、この世界の真の仕組みを理解しようとする営みである。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

科学とは何か?

【科学は、事実に基礎をおいており、誰が正しく誰が間違っているのかを、完全な明晰さをもって結論づけられるようなものだ。またそれは単に、検証可能な量的予測の技術なのではなく、この世界の真の仕組みを理解しようとする営みである。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 科学史をめぐる社会学は、科学もさまざまな文化的・社会的影響力のもとにあることを明らかにした。しかし科学の成果物は、文化相対主義者が主張するように、偶然的で恣意的なものではない。科学的思考は、事実に基礎をおいており、誰が正しく誰が間違っているのかを、完全な明晰さをもって結論づけることができるようなものなのである。また、科学を単に、「計測可能な予見を実行するための技術」と捉えるのは間違っている。これは、科学を数字による未来予測に矮小化している。検証可能な量的予測は、仮説を精査するための手段にすぎない。科学の目的は、この世界の真の仕組みを理解することにある。

 「科学史をめぐる社会学は、科学的な知見の発展過程がいかに複雑であるかを明らかにした。この点については、科学もまた、ほかのあらゆる知的営みと同様である。

科学の歩みは時として、不合理な思索に足をすくわれる。権力闘争に巻きこまれることもあれば、さまざまな文化的・社会的影響力に振り回されることもある。

しかし、たとえ科学の発展が世俗的なしがらみと無縁でいられないとしても、ポストモダニズムの考えに染まった一部の論客や、文化相対主義者や、そのほか有象無象の手合いによる極端な主張とは反対に、科学的思考の実践的かつ理論的な有効性は、いささかも揺らぐことはない。

科学的思考は、事実に基礎をおいている。だからこそ、最終的にはほとんどのケースにおいて、誰が正しく誰が間違っているのかを、完全な明晰さをもって結論づけることができる。あの偉大なアインシュタインでさえ、ときにはこう言わなければならなかったのである(そして実際、彼はこのとおりのことを口にしている)。「ああ、わたしが間違っていた!」

 とはいえ、科学を単に、「計測可能な予見を実行するための技術」と捉えるのは間違っている。

一部の科学哲学者は、科学を数字による未来予測に矮小化している。わたしにいわせれば、これは見当違いの誤解である。この種の学者たちは、手段と目的を取り違えている。検証可能な量的予測は、仮説を精査するための手段にすぎない。科学研究の目的は、未来を予測することではなく、世界の仕組みを理解することである。世界をめぐるイメージや、世界について考えるための概念的な手段を、科学は構築し、発展させようとする。科学とは、「技術」を提示するより前に、まずもって「見方」を提示する営みなのである。」
(カルロ・ロヴェッリ(1956)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第9章 実験による裏づけとは?、pp.207-208、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:科学、事実、検証可能性、文化相対主義)


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(出典:wikipedia
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